60.おかえりなさい

「逆に、あなた方が植物状態と診断されたのは、意識が戻らなくとも、そこに生命活動が認められたからでもあります。当時のデータを見るに、彼らはあなた方の脳が確かに活動している点に目を付けたのでしょう、あなた方はまた、別の実験に利用されることになりました」

 ――俺が思考を逸らせてしまっても、新浜の言葉は続く。

「その実験は『人間は身体を捨てて生きることができる』ことの実証を目指すものでした。人の意識を、このシミュレータ世界とは違う、“デザインされた”仮想世界に接続し、そこで“生活”できるのか。同時に、その仮想世界の維持、拡張を行うための演算ユニットとしての役割も期待していたようです」

「……身体を捨てて……」

「当時の研究者が、あなたのことをどれだけ知っていたかは分かりません。ですが、運命的にも、いえ、あなたにとっては皮肉でしかないかも知れませんが、あなたは結果的に、あなたがかつて開発に関わったゲームの“設定”を、あなた自身が現実にするかも知れない実験に利用されたのです」

「皮肉……ね。……待て。お前は『DV』を知っているのか?」

「当プロジェクト開始にあたり、当然あなたのことは調べました。文化保存のために作られたディジタルデータ・アーカイブには『ドリーマーズ・ヴァース』シリーズ三作も残っていたので、そちらも遊ばせてもらいました」

「それは……ぜひ感想を聞きたいな」

 俺の実態がどうであれ“俺”自身である以上、それがこの世界のこととは無関係だとしても、どうしたってそこは気になるのは仕方ない。それは作り手のさがだ。

「先ほどの運命的な符合を抜きにしても、非常に興味深い作品でした。特には、ボタン式の入力デバイスでのプレイが煩わしく感じないどころか、むしろそのレスポンスの心地よさに驚きました。その、自分がキャラを動かしている感覚の楽しさに、ついつい、時間を忘れるほどに楽しませていただきました」

「……楽しんでもらえたのなら何よりだ」

 と、クールぶった返事をしたものの、顔がにやけている自覚がある。何だろう、この嬉しさは。

 もし、今俺が見聞きしていることが全部本当で、『DV』が時代を超えて楽しまれたというのなら、それこそ俺の“生きた証”じゃないか。

 その“証”が事実なら、今の俺のこの意識が、生身であるかデータであるかなんていうのは、どっちでも良い、とさえ、割と本気で思える。

 ――そのせいだろうか、既に、この新浜の言葉を全部信じても良いかな、と思っている自分がいる。それが、『DV』を褒められたからだと思いたくはない、というか、俺がそんなにチョロいヤツだとは思いたくはないのだが、一方で、そんな理由だって良いか、なんていう気持ちもある。

 冥利に尽きる、なんて言葉があるが、『冥』という字は『死』を連想させる。実際に死んでしまったらしい俺が、かつての自分の成したことによって、今、心に“利”を感じているのだから、まさに、開発者冥利に尽きるというものだ。……まあ、それは本来の言葉の意味とは全然違うかも知れないが。

「……さっき、シリーズ三作、と言ったな? 三作目で終わったのか? そもそも『DV3』は無事に発売したのか?」

「『DV3』は直前にあなたへの献辞が追加された他は予定通りの発売だったようです。良くも悪くもあなたの事故のニュースも相まって、初動からかなりの売り上げがあったと記録されています。『DV』というタイトルが三作で終わったのにはあなたの“死去”も影響しているでしょうが、ただ、バトルシステムなどを形を変えて受け継いだ作品はその後何作か作られたようです」

「……ああ、そうか……」

 気になっていたことが、知れた。それだけで、ここまで来た価値はあったと断言できる。俺の“帰りたい”という欲求は、『DV3』の発売を見届けられなかった未練がそれなりに大部分を占めていたのだと、こうなった今なら、解る。

「ありがとう。……話の腰を折って悪かった。話を戻してくれ」

「『DV』については私もあなたに伝えたいと思っていたので謝罪は不要です。……さて、また結論から言えば、あなた方の脳髄を利用した実験は、失敗しました。ただし、その実験の過程に於いて、あなた方の完全なコピィがクォンタムデータとして量子コンピュータ内に構築されていたのです」

「……それが、今の俺だと?」

「そうです。より正確には、そのデータのコピィ、になりますが」

「……電子ビットではできなかった人のデータ化は、量子ビットで実現した、と」

「完全に想定外の副産物で、精確な原理は分析不能とされています。そのため、当時の研究者は『キュビットデータ』ではなく、あえて『クォンタムデータ』という表現をしているようです。私は門外漢なので、その研究者の正しい意図は推察しかねますが」

「……まあとにかく、思いがけず個人をコンピュータ上に再現できちゃった、てへッ。……ってことだな」

「てへッ、ということです」

 そこを拾うんかい。

「……で?」

「そのあなた方のデータは、『個人』の形を保ったままならば他のサーバへコピィすることが可能であったため、今回のプロジェクトに利用させてもらったということです。ただし、事故で最も大きな損傷を負った森本もりもと偉雄理いおりに関しては、個人の完全な複写の活動観察によって初めて記憶の欠損が確認されていたため、このプロジェクトではその欠損部分には言語を理解する『感覚』を当て、ブランクにアクセスして意識に無用な混乱を招くリスクを回避しています。もちろん、この世界にあなた方が適応しやすくするための配慮でもありますが。あくまでも『感覚』であるのは、そこにあるはずのない『知識』を当ててしまえば、別のエラーを引き起こすことが予想できたための処置でした」

 ……彼がこちらの言葉を“感覚的に”理解していた理由がそれか。しかし、この物の言い様は、本当に“データを扱う”それだな。

「当プロジェクトの目的は、二つ。一つは、先ほどお話ししたとおり、この『世界』で、現実を生きたあなた方が意識の連続性を保ったまま生きることで、このシミュレータが構築したものが正しく一つの『世界』であることを証明するためです。その連続性を認識してもらうのに、同じ事故に遭ったあなた方が適任だったということですね」

「……それで、もう一つの目的とは?」

「ええ、そちらも、先ほど言ったことと関係しますが、我々人類は遠からず地上での暮らしを選ぶことになるでしょう。その際、人類は『過去の遺物』を戒めとして封印し、地上では新しい文明を構築していく道を選ぶと予測されています。ですが、私は先ほど言ったとおり、この『世界』を終わらせたくはない。幸い、この『地下』は、いずれ人がまた間違ってしまった時に備え、ひっそりと、AIや機械によってただただ維持されていくはずです。そのため、このシミュレータをシャットダウンしない選択もできるのですが、それでも『世界』の内側で問題が発生してしまえば、外の施設維持のためのAIでは万全な対応ができません。そのため、内側に専用の『管理AI』を育成する必要がありました」

「……話が見えた。いつかモグラ……グランが俺に『権限がある』というようなことを言っていたが、俺がその『管理AI』の候補というわけだな? そのために『権限』が与えられた。俺が『遺跡』に直接的な干渉を行えたのもそのせいか?」

「ええ、まさに言われるとおり、あなたには特殊な権限を与え、それによってあなたがこの世界にどう影響を与えるかを観測していました。『データ』となった人たちのうち、クリエイタであり、プロデューサでもあったあなたは、管理者を任せるのにうってつけの人材だったからです。結果、想像以上にあなたは信頼に足る人物と判断しました。故に、私は、我々は、“あなたに”その世界の管理をお願いしたい。さらにつけ加えるなら、まだこちらには『世界』を構築しうる非稼働のサーバが多数残っています。可能であればあなたには、そこにも新しい世界を創り、管理してほしい。そして、あなた方のようにデータとなり、しかし、今はそこにただ“有る”だけの人たちを、その世界で“生かして”あげてほしい。それを、あなたにこそ、お願いしたいのです」

「クリエイタだから……俺が今こんなことになっているのは、そのためなのか?」

「いいえ。あなたが事故に遭ったことは必然なんかではない。だから、そのせいで次々とあなたの身に起こったことも、そして結果として個人の複製が完成し、このプロジェクトに利用することができたのも、全てが偶然のはずです。だからこそ、私は今、疑わずにはいられないのです……こうも都合良く動くこの“現実”は、本当に『現実』なのだろうか、と。私たちの生きるこの世界こそ、外部の何者かによってプログラムされた世界なのではないか、と」

「……それはもう、哲学じゃないか……」

「解っています。こんなものは、胡蝶の夢の如く、古代から思想家や哲学者がそれを慰めようと理屈を付けてきた、感傷にすぎない。結局は私がどう認識するかでしかなく、同時に、その世界が世界であるかどうかだって、私が証明するまでもなく、そこに生きる人たちの認識次第でしかないのでしょう。ただそれは、それこそが、その世界が既に一つの『世界』であることの証明でもあると私は考えます。そう、このプロジェクトの目的の一つは既に達成されているのです」

「……それを証明と言って良いのか解らないが……。とにかく、この世界が理不尽にシャットダウンされることはもう無いと考えて良いのか?」

「ええ。……まあ、実を言えば、このプロジェクトが独立して動き出して割と初期の頃にはもう、シミュレータとは別の観測対象として、もっと言ってしまえば娯楽のようなものとして、この世界は可能な限り継続することは決まってしまったのですが」

「……ええー……」

 そんな言われ方をすれば、釈然としない思いを抱くのは仕方ないだろう。だけど、ふいにミラの顔が思い浮かんで、いきなりこの世界が終わる訳ではないのならそれは喜ぶべき事なのだ、という思いがすぐに取って代わった。

「なので、後は、あなたのことです」

「俺の……。この世界の管理者になれという?」

「あなたの行動次第では、その世界は私たちの思惑に関わらず、終わっていた可能性もありました。ですが、そうはならなかった。あなたはその力を自分や周囲のために便利に使ってはいましたが、誰かを不幸にするような使い方はしなかった。実は、既にそういった行動原理を学習したAIに管理補助を担当させるテストは開始、進行しています。あなたがこれからもその世界でただ生き続けてくれれば、そこから学習したAIにいずれ管理を全て任せることもできるでしょう。なので、私たちはあなたにそれ以上の何かを強要するようなことはしたくない。だから最後に、あなたには、あなた自身のことを全て、あなた自身の意志で決めることができる、最上位権限を与えます」

「……その権限で何をするのも自由、というのか?」

「もちろん、最上位権限といっても、シミュレータの仕様を越える行いはできません。あなたが魔法の制限として認識していた、時間の逆行操作や、自然の摂理を越えたあなた以外の生命の扱いなどです」

 時間の“逆行”が無理、というのはつまり“順行”ならある程度の操作ができるんだろう、というのは、シミュレータの本来の目的を考えれば理解できる。とはいえ、“内側”の俺たちにその認識はできないものだろうが。ただ――

「……俺の命は自然の摂理を無視して扱えるという事かよ」

「あなたが、あなたの意思を保ったまま、この世界を管理するというのなら、そうなるでしょう。ただ、あなたはその権限で、人としての死を選ぶこともできます」

「……既にバックアップがあるから」

「あくまでも、あなたという人格を尊重してのことではありますが、言ってしまえば、そういうことでもありますね。ただ、先ほど言ったように、まだそちらはテスト段階ですから、あなたが人として死ぬことを選んだとしても、できるだけ長生きしてほしいですが」

「それは別に、今すぐ決めなくてはいけないわけではないんだろう?」

「ええ、もちろん。私たちは、ただあなたの権限を引き上げる処置をするだけです。もしあなたが決断をする前に命を失うような事態になればセーフティが発動するでしょうが、例えそうなったとしても、その後は全てあなたの意志次第です」

「……わかった」

 心中は複雑だ。そういう“心”や“思考”すらデータであるなんて、感覚的には信じられない。だけど、信じられないからこそだろうか、感情としては、思ったほどショックでもない。

 大きな心残りが晴れたせいか、ここで聞いた話を事実として、もうほとんど受け容れている自覚もある。すんなり受け容れる自分に疑念もないでもないが、そんな、今の自分にはどうしようもないことを考えるよりは、先のことを考えたいと思っている。

 世界の管理なんて大事は、責任の重さを感じるし、それを考えれば不安もある。一方で、世界を創る、ということに、純粋にワクワクしている自分もいる。

 いや。正直になろう。俺はあの、辛くて苦しくてしんどくて、だけど、知ってしまえば忘れられない創造の喜びを、また味わいたいと思っているのだ。

 だから、受け容れるのだろう。それが、どれだけ理解不能な現実だとしても。


 ――こうして。長い旅の果てに、俺が手に入れたもの。それは、幾ばくかの“真実”と、この世界の管理権限だった。

 この世界を管理する――それは多分、とても重い。それを実感すれば、きっと俺はこれから先、何度も、冷たい臆病風に吹かれるのだろう。

 だけど――。


 扉が開くと同時、ミラが飛びついてきた。

 カイもこちらを見上げ、嬉しそうに尻尾を振っている。

 その『家族』が向けてくれる想いは、とても温かい。

 だから、俺は、大丈夫。

 それは、理屈で説明できなくても、十分信じるに値する想いだった。

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