59.命

 ――あなたが生きていた時代よりもずっと未来、我々の住む地球に前触れもなく起こった『コンチネンタル・フォール』は、甚大な津波被害、そして『魔素』という未知の物質をこの地球にもたらしました。

 魔素は、人の意思に感応し、それに応じた形をとって現出するため、神話的カタストロフィを目の当たりにした当時の人々の、不安や恐怖に感応してウイルス様のふるまいを以て現れたとされ、結果、全世界の人類に夥しい量の死をもたらしました。

 その中でも、やがて魔素という物質は人々に認知されるようになり、その性質が明らかになることで、人々は『魔法』と呼べる力を手に入れました。

 魔法は、当時の社会機能の破綻しかけた状況に於いて新たな破壊を生むことにもなりましたが、他方で、行き詰まり的状況にあったテクノロジィにブレイクスルーをもたらしもしました。

 例えば、魔法技術の利用による核融合炉の安定化、小型化は、結果的に「外宇宙に人類の新天地を求める」という夢物語を現実にしましたし、同時に、地球に残された人類が、ウイルス化した魔素によって汚染された地上から逃げるように地下で生活することを、エナジィ面でも可能にしました。

 そして、魔法的ブレイクスルーによって、量子コンピュータは、かつて理論値とされていた以上のスペックを持つようになり、そのずば抜けた性能は、内に地球の状況をリアルタイムで丸々再現するどころか、その未来の精確な予測すら可能であると思われました。

 その未来予測に関する諸々を実証するための研究、それが『ワールド・シミュレート・プロジェクト』。そして、今、あなたのいる世界こそ、そのシミュレータの演算する未来世界の一つなのです。


 ――こいつは何を言っているのだろうか。

 もしこれが、目覚めてすぐ、自分が理解不能な状況に陥っていることを認識してすぐに言われたのであれば、何らかの心理実験にでも利用されているのだろうかと疑い、こんな話は与太話だと、聞く耳も持たなかっただろう。

 だが俺は、この“世界”で、“生きて”、俺たちの身に起こったことが夢でも幻でもないと知っている。少なくとも、そう“感じて”いる。

 その“現実”で、ようやく重要な情報に辿り着けると、そうでなかったとしても、ようやく自分の中で区切りを付けられると、そんな期待の中で聞かされた話が、これか。

 確かに、こいつの言っていることは、俺たちがこちらで教わった『神話』や、本田さんの話とも、大きく矛盾していないように思える。

 だが、だからこそだ。量子コンピュータ? 未来予測? ワールド・シミュレート? ――俺が、その中にいる?

「だったら俺は、何なんだ?」

 俺はこうして意識を持って、考えて、行動している。

「生きているじゃないか」

 その言葉を声に出したのは、もしかしたら、魔法というものが存在するこの世界で、その言葉を確かな真実としたい無意識がそうさせたのかも知れない。

「そう、その通りです」

 そして、新浜と名乗った男は、俺の、独り言にも等しい言葉を、肯定し、そのまま続けて話す。

「我々は、これから起こりうるだろうと演算された未来パターンのうち、確率の高いとされたものから五つ、このプロジェクト対象として走らせ、モニタリングしていました。ですが、“今”から百年近くも経てば、そのうちの三パターンは大まかには誤差と言っていいレベルの未来に収束を見せたのです。さらに残りの二パターンもそれからさらに五十年もしないうちに、似た状況にたどり着きました。具体的に言えば、地下で長い時を過ごし、既に地上を知らない世代が多くを占めつつある我々人類は、しかし、今のさほど不便の無い生活を完全に捨ててでも、いずれ再び地上での生活を求めずにはいられないのだ、ということです」

「地上で……? だがこの世界は……」

「ええ、あなたが体験しているのはその先、三号未来、ですから」

「…………」

「話を戻しましょう。人類が再び地上で暮らすことを選んだ未来に於いて、やがて二号と三号がさらなる近似を見せるようになりました。我々はその中に差異を見出すために、より細かく人々の暮らしにフォーカスすることにしたのです。あなたが“体験”してきたような、“日常”に」

 そこで新浜は俺の反応を確認するように間を置いた。俺が黙って話を聞く姿勢なのを確認して、また話し出す。

「……私は、シミュレータ内での人々のふるまいを観察するうち、一つの想いを抱くことになりました。……そう、この人たちは、“生きている”のだ、と」

「……それが、俺の、生きている、という言葉を肯定した理由か?」

「そうです」

「だが、なら、何で俺は、俺なんだ? お前はさっき、俺が生きていた時代よりも未来、なんて言っていたな? お前がその未来の人間で、この世界がさらにその未来を演算するシミュレータだとしても、過去の人間である俺がいるのは、おかしいじゃないか。まさかあの事故で俺たちは姿を消していて、実は未来に飛ばされていた、そんな演算結果でも出て、それを反映するために“作られた”とでもいうのか?」

「それは面白い想像ですが、あなたの存在に関しては、また別の、発展的なプロジェクトのためです」

「別の……?」

「先ほどの続きになりますが、二号未来と三号未来はかなり似通った世界となりました。それゆえ、そのままでモニタを続ける合理性を疑う意見が上がったのです。ただ、先ほど言ったように、この世界の人々に感情移入してしまった私は、この世界のシャットダウンを良しとはしませんでした。そこで、一つのプロジェクトを立ち上げたのです。それがプロジェクト『C.O.W.』すなわち、『クリエイト・アザー・ワールド』です」

「世界を……創る……?」

「傲慢に聞こえるかも知れません。ですが、地球環境を、そして、そこに住まう人々の営みを完全に模倣しうるなら、それはもう別の、一つの確固たる世界であるとは考えられませんか?」

 それは……それは、どうなのだろうか? 確かに“完全な模倣”が文字通り完全であるなら、それが現実と何が違うのか、俺には指摘することはできない。だけどこれは……それを認めたくない感情なのだろうか? 何かが違う、そう思わずにいられないのは。

 だが同時に、この世界で俺が……俺たちが……いや、この世界の誰しもが、“生きている”事は、俺が体験した事実として確とあって、それは誰にだって否定できないし、されたくない、という想いもある。

「合理的に否定することはできない、しかし、感情では否定したい――そういう研究員は少なくありませんでした」

 まるで俺の最初の気持ちを読み取ったかのような言葉。いや、もし俺がデータでしかないのなら、そういうこともできるのだろうか?

 だが新浜はそんな俺の心の内の疑問には答えを見せずに言葉を続ける。

「そこで私は、一つの提案をしました。……かつて、この日本で、秘密裡に進められた、ある実験。その“遺産”をこのプロジェクトに組み込み、観察することで、このシミュレータ内に観測される『世界』が、ただの”データ”ではないという証明になるのではないか、と」

「秘密裡、とは……あまり良いもんじゃなさそうだな」

「そうですね。倫理的にアウトだと判断したからこそ、秘密のまま行われたのでしょうから」

「……で、話の流れからして、その“遺産”というのが、“俺”……なのかな?」

「ええ。より正確には『あなた』ではなく『あなた方』と言うべきですが」

「……彼らもか……」

「ある計画、とは、一言で言ってしまえば“『個人』のデータ化”といったところでしょうか。火災事故の影響で植物状態となったあなた方は、その被検体に選ばれてしまったのです」

「待て。火災事故? 交通事故ではなく?」

「正確には、交通事故の二次災害と言うべきでしょうか。何せ、タンクローリーが運んでいたものが石油類でしたから」

「……なるほど」

「結果から言えば、人の記憶の“完全なディジタルデータ化”には、失敗しました」

「……含みがあるな」

「ええ。その後、おそらくは秘密裡に事を進めるために無駄に被検体を増やすわけにはいかなかったのでしょう、既に法的には死亡扱いになっていたあなた方は、次いでコールドスリープの実験にも利用されました。それは成功と言って良い結果でしたが、年月を経て“生き返った”あなた方は、しかし、植物状態からの回復は無く、その意味では目覚めることはありませんでした」

 ……何というか、こんな話を聞かされても、他人事のようにしか思えないのは、その時の意識が無いからだろうか?

 こいつはそれを否定しようとしているみたいだが、俺が“データでしかない”のなら、今、俺が俺と認識しているこの自意識は何だ?

 こいつの話す、意識無く生きてた頃の“俺”と、今の、データだという“俺”。どちらの方が“生きている実感”を感じられるかなんて、明白だ。

 ――『命』とは、『生きる』ということは、その程度の“認識”でしかないのか?

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