58.誘い
停車したシャトルを下りた先の光景は、長崎プラットフォームとほとんど変わらない。ただ一つ、駅の名前が『長野』になっている。
ただ、本当にここが長野なのか、俄には信じられなかった。
なぜなら、俺たちがシャトルで運ばれていた時間は、一時間は過ぎていただろうけど、多く見積もっても二時間には及ばない。車内でミラが食い入るように見ていたアニメ(見覚えの無い、だけど、いかにも子供向けといった感じのアニメ。それを見て、ああ、日本はやっぱり日本なんだな、という謎の安心感が湧き上がった)は、一話辺り十分から十五分ほどのものだったから、その時間感覚に間違いは無いはずだ。
俺の暮らしていた時代、リニア新幹線が実現すれば、東京と大阪間およそ五百キロメートルを約一時間で繋ぐ、という話だったはずだから、長崎と長野なら下手をすればその二倍以上の距離を、さほど変わらない時間で移動したことになる。
ただ、やはり俺を騙す意味が無いのだから、ここが長野であることは事実なのだろう。
これだけ高度な技術がありながら、それと完全に決別して、地上での原始的とも言える暮らしを求めた人たち。そこにはどんな想いがあったのか、当事者ならぬ俺には想像の埒外だった。
相変わらず白い待合室らしき場所から出ると、そこもやはり長崎とほとんど変わらない階段の光景だった。
何かがあるのなら、もっと地下の領域だろう――という本田さんの言葉を信じて、ゆっくりと階段を降りる。カイが少し先行し、俺はその後ろをミラの手を引きながら追う。
大人五人ほどが余裕を持って横並びになれる幅の階段は真っ直ぐ下へ向かい、二十段ほどで踊り場に差し掛かる。その踊り場を五回ほど折り返してもなお階段が続くのを確認して、ミラの前で屈み込む。
「ミラ、ここからは俺が負ぶるよ」
またカイの背中に乗ってもらっても良かったのだが、今は俺が、そうしたかった。
「……まだ、大丈夫だよ?」
「でもな、下には何があるか分からないんだ。もしもの時に、逃げる体力を温存しておかないとな」
「……うん、わかった」
そう言いながら、俺に背負ってもらえるのが嬉しいのか、その顔がほころぶ。そしてすぐ、そのはにかんだ顔を隠すように俺の背中に飛び乗った。そんな様子に、俺は胸に温かい感情を自覚する。
まあ、この期に及んで、俺がこの子に甘いことは、もはや否定しない。こうして懐に入れてしまったのだから、この先に帰還方法があったとしても、この子を置き去りにはもうできないだろうという、理解というか、諦めというか、そういった感情をハッキリ自覚した時点で、割り切ったというか、開き直ったというか、とにかく、親バカと呼ばれる覚悟は完了している。
だからといって。
「おい、そんな目で見るのはやめろ」
「何も言ってませんよ? 恩人」
「言ってなくても解るんだよ」
前方でこちらを振り返るカイの、微笑ましいものを見るような視線には、つい抗議の言葉を上げてしまう。――とはいえ、こいつも大概この子には甘いと知っている。まあ、そんな気心知れたもの同士のじゃれ合いのようなやりとりだ。そんな軽いおふざけも、いよいよ、という緊張感をわずかにでも和らげたい心理なのだろう。
そして、そのカイも、恩返しと言いながら、こんなところまで付いてきてくれた。そこに感謝はあるし、それがなくたって、こいつももう懐の内だ。ただ、こいつには子供たちがいる。少し前、もし俺が帰還できるとなった時のことを改めて尋ねたら、ふたりとも「一緒に行く」とハッキリ口にした。それを疑うつもりはないが、いざとなった時に心変わりが絶対に無いとも言い切れないだろう。
俺はただ、彼女たちの決断を尊重すると決めた。それは見方によっては責任を相手に丸投げする卑劣な行為なのかも知れない。だが、俺はこの想いが、彼女たちを大切に思う気持ちからのものだと信じている。
考え事をしながらなので正確には数え損なったが、さらに十回くらいは踊り場を経由しただろうか。
「恩人」
先に踊り場に降り立ったカイが、その先を見て、俺に声を掛けた。
続いて見れば、折り返した先の階段の下には今までと違い、そのまま前に進む入り口が扉もなく口を開けていた。
「……よし、行こうか」
入り口の向こうからは光は漏れていない。念のため魔法の光を点す。目が明るさに慣れるのを待ってから、再びミラを地面に下ろし、手を繋いで階段をゆっくり降りる。
「危険は無さそうです」
先行したカイの言葉通り、魔法の光が照らす入り口の先は、危険な存在の隠れる余地など無い、ただ広いばかりの何も無い広間だった。
ただ、正面の壁には“線”が見え、おそらくそこが、さらに奥へ続く扉なのだろう。
長崎の時と同じように、その壁に触れてみる。瞬間、ふいに周囲が明るさを増す。見ると、フロアの天井全体が発光しているようで、魔法の光を消してみればそれがハッキリ確認できた。
『特殊権限保有者のアクセスを確認。領域を開放します』
突然聞こえてきた流暢な女性の音声。長崎の時には無かったそれに、思わず身構えるが、その言葉通り、目の前の“扉”が、音もなくスライドを始めた。
扉が開くと、その先の通路にパッと灯りが点る。そちらも天井全体が発光しているような、明確な光源が判別できない感じではあるが。
だが、一歩足を踏み入れると、その天井にてん、てん、てん……と、より明るい光が点った。それは天井の真ん中を真っ直ぐ進み、突き当たりで左右に分かれる通路の左側だけに続いている。
「誘導しているのか……?」
「嫌な感じはありません。従ってみますか、恩人?」
「そうだな……何も分からない場所だ、素直に従うしかないだろう。もしもの時はミラを優先で頼む、カイ」
「……分かりました」
そうして、ミラを真ん中に、横並びでゆっくり通路を歩いて行く。
この区域は完全な密閉状態にあったのか、あるいは何らかの清掃手段があるのか、地面にはホコリ一つ見当たらない。その光沢のある床を魔獣革製の靴が叩く音は足下で、広がり響くこともなく、ただ小さく耳に届くだけ。
緊張感からだろうか、期待感からだろうか、心臓の音の方がうるさいくらいの静寂を、ミラの手を引きながら、ゆっくり、ゆっくりと歩いた。
光に導かれた先は、扉の前だった。扉脇のプレートには『コントロールルーム』と、英語の下にカタカナで記されている。
『特殊権限確認。コントロールルーム、アンロック』
相変わらず取っ手のない扉にそっと触れれば、そんなアナウンスに続き、静かに扉が開く。良く耳を澄ませばかろうじて扉を開くためのモータ音であろう音を拾えるくらいだ。
『権限保有者のみお入りください』
扉の中は、六畳ほどだろうか、小さな部屋で、その奥に今開いたのと同じような扉が、ぴったり閉じている。前室的な部屋なのだろう。
おそらくダメだろう、と思いつつ、ミラの手を引いたままその部屋へ入る。当然、カイも付いてきた。
『権限保有者のみお入りください』
案の定、先ほどのアナウンスが繰り返される。
「とりあえずカイだけ外に出てみてくれ」
「分かりました、恩人」
そんな意思をこちらへ伝えて、カイが部屋から出る。
『権限保有者のみお入りください』
やはり、“権限”を持っているのは俺だけのようだ。いつか、聖獣グランが言っていた『権限』とは、この事なのだろうか?
「ミラ、済まないがここからは俺一人で行かないとダメみたいだ」
そう言う俺に、ミラは不安そうに、心配そうに、俺を見上げ、何かを言いたげにしながらも、それを我慢しているように見える。
「ありがとうな。俺のことをちゃんと考えて、我慢してくれてるんだよな。賢くて、思いやりがあって、ミラがそんな子でいてくれて、嬉しいよ」
言って、頭を撫でてやると、ミラは、堪えきれずに零れそうになる涙を隠すように、俺の腰に抱きついてきた。
「大丈夫だ。これでお別れなもんか。すぐに用事を済ませて帰ってくるから、カイと一緒に待っててくれ」
そう諭すと、少しの間、俺にしがみついたまま、そして、二度、三度と頷いて、ようやく離れてくれた。
「……はやく、帰ってきてね?」
涙を堪えながら、そんな健気に言われてしまえば、俺にはその通りにするより他に選択肢はない。
「急いで行ってくる。……カイ、頼んだ」
「はい、恩人」
ミラの背中をそっと押して扉の外に出してやると、ビーッ、と短く警告音が鳴って、扉が閉まり始める。
「はやくだよっ?」
「ああ、急ぐよ」
そんな二人のやりとりを遮るように扉が閉じると、そう間を置かずに反対側の扉が開く。特に埃の除去や消毒などはないようだ。
そして、その先にあったのは、“司令室”とでもいった様相の部屋だった。
緩やかに下りながら部屋の真ん中を縦断する通路の先、大きなモニタ、というか、壁と一体化した大型ヴィジョンという方が適切だろうか、そこに、俺が部屋に足を踏み入れると同時、『Welcome』と表示された。
通路の左右には正面に対して弧を描くように、ツヤのある材質の机が据え付けで並び、机の上には操作端末と思しき機械類が見える。
とりあえずは歓迎されているようなので、そのヴィジョンの方へ向かう。
「ようこそ、相田修さん。声だけで失礼します」
言葉通り、ヴィジョンに変化はなく、ただそんな声だけが届く。先ほどまでのアナウンスとはと違う、男の声だった。
「俺の名前を……? あんたは、誰なんだ? 人間なのか?」
先ほどまでの、流暢だがシステム音声なのだろうという印象の声とは違って、この男の声には“人間くささ”みたいなものがあって、思わず聞き返してしまう。
「私は……そうですね、この『世界』の管理責任者、といったところでしょうか」
「……それは、神様、というやつか?」
「いえいえ、私はただの人間、いち研究者ですよ」
「研究?」
「ええ。ご挨拶が遅れました、私はこの『ワールド・シミュレート・プロジェクト』の研究員、そして、プロジェクト『C.O.W.』の研究主任を務めます、
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