57.真空の道へ
壁の引っ込んだ奥には、さほど長くない通路と、その左壁をくり抜いて、下り階段があった。横幅は広く、四人が横並びでも十分すぎる余裕がある。先ほどの洞窟より薄暗いが、天井も高く、窮屈な感じは無い。一段一段の段差も緩やかで、出会った頃より大きくなったミラなら降りるのに問題無さそうだった。
その階段をただただ降りてゆく。ミラのことを慮ってだろう、ゆっくりしたペースだったので結構な時間が掛かった気がするが、やがて本田さんが広めの踊り場で立ち止まった。階段はまだ下に続いているが、ようやく目的のフロアに到着したようだった。
階段を降りる途中、エレベータやエスカレータは無いのか、と尋ねれば、かつての人々はやがて地上へと戻ることを見越して、入り口と直に接続するような浅い領域には、目に見えるオーヴァ・テクノロジィは使わない設計をしたらしい。というのが本田さんの見解だった。
「相田さん、今度はこの壁に触れてみてください」
少し広いのと、天井がぼんやり光っているのを除けば、変哲の無い踊り場。そう思っていたが、そうではないらしい。
言われるがままに壁に触れると、電子音のようなものが微かに聞こえ、間を置かず、壁を縦に走る“へこみ”から左右に壁がスライドする。……なるほど、“目に見えない”オーヴァ・テクノロジィはふんだんに使用されているようだった。
開いた扉の先に立ち入ると、灯りが点る。そこにあったのは何も無い真っ白な空間……いや、よく見れば壁際にベンチがある。壁も天井も床もベンチも、同じ白色のため、薄暗い階段を降り続けていた目には、急に明るくなった光の下では見分けが付きにくい。
目が慣れてくると、正面の壁に正方形を二つ横に並べたような“線”が走っている。先ほどのへこみのように、扉になっているのだろう。
案の定、またも本田さんに促されるままにそこへ触れると、左右に壁がスライドした。その奥に見えたのは、真っ直ぐに進む通路。その途中に案内板のようなものがいくつか吊されていて、そこからそれぞれ左折する道が続いているようだ。
手前側左には、ローテクな扉と、窓口のようなもの、そして壁に埋め込まれたパネルモニタが三つほど並んでいる。それを見て、なんとなく「駅みたいだな」という感想を持つ。
「この奥がシャトルの乗り場になります」
そして、本田さんのそんな言葉が、俺の受けた印象が正しいことを肯定した。
もし、ここが、俺の生きていた地球と同一だとして。先ほどまで見てきたものなどから判断しても、相当な未来なのだろうと思う。だけど、ずっと昔の人間が、一目見て「駅だ」と思うような印象、そういったものが、その未来にまで受け継がれているということに、何か、自分でも良く解らない感動があった。
それは、時が経っても人の感性はそうそうドラスティックな変化をするものではない、という安心感のようなものだろうか。あるいは、単に見覚えがあるような光景にノスタルジックな感情を覚えただけなのか。多分、どっちも少しずつ正しくて、実際はもっと複雑な感情だ。
「……えっ? 行き先が指定されとっと?」
そんな本田さんの声のした方を見れば、券売機らしいパネルモニタの前で固まっていた。
「どうしました?」
近づいて、そう声を掛けながらパネルの表示を見ると、『相田様御一行 利用可能:四番線 長野行きポッド』という表示が目に入る。
「……これは?」
「あ、ええ、とりあえず利用可能なシャトルポッドの検索をしようと思ったんですが、既に準備ができていて……。行き先も初めから決まっていたみたいで。予約済みの人じゃなければこういう処理にはならないんですが……」
つまり、俺は既に予約済みの人間としてシステムに認識されているわけだ。本田さんと出会えるように誘導したタブレットの表示もそうだったが、そこに悪意は無かったとしても、やはり少し気持ち悪さはある。
「移動に問題は無いんですよね?」
「はい。こうなっているプロセスはともかく、処理自体は正規のものです」
俺たちを認識している存在が、誰なのか、はたまた何なのか。その理由、目的は? そういったことを知るためには、気持ち悪かろうが、この誘いに乗るしか無いのだろう。
「なら……、もう、行ってみるしかないな」
それは半ば自分自身に言い聞かせるような言葉だったけれど、その言葉よりも、それに無邪気に頷いてくれたカイとミラの存在が、勇気をくれた。
案内板に従って四番線に下りる。
プラットフォーム自体には特に目を引くものは無いが、その線路側の端に、日本で言う『ホームドア』ではなく、半透明の壁が区切っているのが、まず目に付いた。
そして、それはよく見れば壁では無い。上へ行くほど奥へ向かっていて、どうやら横に寝かせた円柱状のトンネルのようなものだ。それはプラットフォームに沿って途切れなく壁まで続いている。壁にぶつかった円柱の端は、その内側も壁があり、一見行き止まりに見えるが、おそらくはその部分は隔壁として開閉して、さらに奥に道は続いているのだろう(でなければシャトルとしての用を成さないから当然か)。
「こちらです」
本田さんが示した先は、そのトンネル、あるいはチューブというべきか、その側面に開いた入り口だった。
半透明の向こうに、昔の新幹線の先頭車両を小さくしたような車両が一両だけ止まっているのが見えて、その乗り込み口が、口を開けたチューブ側面の向こうで閉じている。
「これが……シャトル?」
「はい、かつての日本の主要都市を繋ぐ地下真空トンネル内を、リニアモータ駆動で走行します」
俺の時代でも、そんな感じの『ハイパーループ』という“構想”があるということは聞いたことがある。ただ、実現までにはかなり多くのハードルがあったはずだ。だが、もし目の前のこれがそれに類するものであるなら、時の流れが、それだけの技術進歩を可能にしたということなのだろう。ただ――
「……あの。今でも日本って、地震は多いんですよね……?」
「はい? そうですね」
「その、安全性とか、大丈夫なんですか?」
この施設を見ただけなら、どこも綺麗で経年劣化なんて感じさせない。だからといって、日本中の地下に張り巡らされたトンネルの強度を信頼しきれるわけではない。
「ああ。今も保全ロボットが常時監視やメンテナンスを行っていますから、大丈夫ですよ。それに『量子的補強』とか『量子リインフォースメント』なんて呼ばれていた技術のおかげで、地下施設はすごい頑丈なんですよ――」
なんでも、それはコンチネンタル・フォールより“ずっと昔”の技術(つまりは魔素の関わらない、純粋な科学技術ということだろう)だが、その技術が生まれたことで、日本は地震災害の懸念などから諦めていた地下スペースの有効活用に乗り出し、その成果の一つがこのシャトルであるらしい。
また、そういった取り組みで培ったノウハウを日本が惜しみなく他国へ提供していたことが、“大陸落下”後、地球に残った人類が地下で生活するという無謀にも思える計画の実現に繋がった、という評価もあるそうだ。
――そんな話を聞かされて、なんだか、俺の生きていた世界との時間的、技術的な隔絶に、目眩がするようだった。
少なくとも俺は、『量子的補強』なんて聞いたことがない(俺が不勉強なだけ、ではないはずだ)から、それが生まれたのは俺の知る時代より未来だろう。そして、大陸落下はそれよりもさらに“ずっと”未来の話だという。さらには、本田さんによれば、人類が地下で暮らしていた時間は五十年や百年では利かないというから……、もう、どれほどの時の流れがあったのか想像するのも難しい。
「とにかく……安全ということですね」
「はい」
まあ、考えても仕方ない。人が地下で暮らしていた長い長い時間の中でも、(少なくとも日本では)崩落などの事故は全く記録されていない、という本田さんの言葉を信じるしかないだろう。
「では、相田さん。この扉に触れてください」
車両の扉は特に飾りも見えない綺麗な平面で、センサ類などが目で見て分かるものではなかったが、触れた途端、「認証完了、扉を開きます」というアナウンスと共に、扉が少し奥へ引っ込み、スライドした。
「……じゃあ、本田さん、お世話になりました」
「はい、お気を付けて。もしまた大陸へ向かう必要があれば、遠慮無く頼ってください。この駅に戻ってくれば、こちらで分かるようになっていますから」
そう言ってから、本田さんはミラとカイに向き直り、「カイちゃんもミラちゃんも元気でね~」と、ふたりを撫でくりまわす。カイのことなんて最初は怖がっていたのに、短い期間でずいぶん打ち解けたようだ。ミラはちょっと困ったような顔をしていたが、それでも、カイほどではないにせよ、まんざらでもなさそうだった。
そして、俺たちはシャトルポッドに乗り込んだ。
座席は通路を挟んで左が二、右が一の横に三席。それが六つ列になって、全十八席。やはり小型なぶん容量は多くないようだが、座席が少ないせいか、空間としては、新幹線と比べてもそこまで狭いという印象はない。席と席の間は少し空間に余裕を持って配置されているし、座席自体もゆったりと座れそうなサイズだ。
前方正面の壁には残念ながら運転席を見られる窓は無いが、代わりに大きなモニタがあり、どうやら進行方向外の様子を映し出しているようだ。
AIによる認識か、俺たちが席に着くと(カイも律儀に単席の方でおすわりしている)、すぐに、人工音声らしさを全く感じさせないアナウンスと共に扉が閉まり、ゆっくりと動き出す。
ゆっくりしたスピードのまま、予想通り開いた隔壁の中へ入ると、停車する。モニタの映す正面は、また閉じた隔壁だ。
「減圧処理を開始します。しばらくお待ちください。……………………減圧を完了しました。間もなく発車いたします。ご注意ください」
モニタを見ているぶんには何の変化も無かったが、真空トンネルと言うからには空気が抜かれたのだろう。
すぐに正面の隔壁が開き、車体は再びゆっくりと動き出す。
身体には微かに加速度を感じるのみ。だが、トンネルの所々にある小さな灯り、それがモニタに現れる間隔が短くなっていく。
やがて、光がほとんど線のように見えるようになると、モニタには代わり映えの無い外の様子ではなく、モニタに表示可能なコンテンツの案内が表示された。体感では、もう車体が加速している感覚は無く、かなりのスピードが出ているのだろうが、実感は無い。
――この真空の道の先に、何が待つのか? そこに、真実はあるのだろうか?
ミラが手元のコントローラでモニタに表示されるものをいじっているのをぼんやりと見ながら、この先に待つものに想いを馳せた。
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