人間とPH

 マイと連絡がついたのはそれから2日後だった。


 「シンジ君、今夜うちにこれますか?」

 マイからチャットがきた。


 2日間の時間をおいたことで、俺は少し冷静になっていた。

 マイからメッセージを受け取った瞬間は、自分が最低な人間であることを認識したし、マイを傷つけたことを後悔した。だが、試験交際期間が終了した後に次のフェーズ、すなわち培養と結婚のフェーズに進まないつもりであれば、結局はどこかで線を引いた方がいい。試験交際フェーズを体験するという目的は既に達成した。先に進まないのであれば、残りの1ヶ月半は一切会わないというのが正しい選択なのかもしれない。

 

 今の自分はマイに恋愛感情を抱いてないにも関わらず、友人としては大事な人だと思い始めている。だが、少子化対策庁が提供するこのサービスは結婚相手を生成するためのサービスであって、友人を生成するためのサービスではない。3ヶ月が経過した後に彼女を友人として残すことはできない。どのみち、彼女とは別れる必要があるんだ。

 とにかく一度マイに会って、そのあたりのことを正直に話そう。マイにとっては辛い内容になるかもしれないけど、傷は浅い方がいい。山下シンジという男が最低な人間だとわかれば、マイの気持ちも冷めるだろう。


 俺は「20時ぐらいに行くよ」と返信した。

 そして、「二人の距離をおく」という提案をどんな形で切り出そうかと考え始めた。



 

 その日の夜、俺はマイの部屋に行った。

 マイの部屋に行くのは5日ぶりだ。リンクからアクセスして仮想マンションの玄関ドアを開けると、その先にマイが立っていた。

 

 5日前に会った時と何か雰囲気が違う。

 そう、髪型がポニーテールになっている。

 化粧もしているし、服装も変わっている。どれも自分の好みの格好だ。


「シンジくんの好みに近づくように色々と変えてみたんだけど、どうかな」


 俺はすぐには言葉が出なかった。

 顔が綺麗になったり、スタイルが良くなったりしたわけじゃない。

 そもそも、ポニーテールという髪型は美人じゃないと似合わない。服だってスタイルが良い子が着てこそ映えそうな服装だ。

 でも、自分にはマイがすごく可愛く見えた。

 

「すごく……可愛いよ」

 

 俺はフラフラと引き寄せられるようにマイに近づいた。

 そして、思わずマイのことを抱きしめた。

 

「ちょ、ちょっと。シンジくん、どうしたの?」

 

 マイは驚いて少し身体をこわばらせた。だが、俺が抱きしめ続けると少しづつ身体の力を抜き、最後には俺にもたれかかるように寄り添った。

 

「シンジくんが好きな漫画とか映画のヒロインを研究してみたの。シンジくんが好きそうな女の子のパターンがわかってきたから、それに寄せるように化粧とか服とかを変えてみたんだ。顔は可愛くないままだけど、私にやれることはそれくらいしかないから」

 

「うん。ありがとう」

 そう言って、もう一度マイを抱きしめた。

 マイはいい子だ。こんな子はそうはいない。

 この子を消すなんてできそうにない。

 

 そのとき俺は今まで気にも留めなかったことに気づいた。

 この部屋には、本がたくさんある。

 俺がこの部屋で読んだ本は漫画くらいだったが、良く見ると本棚には様々なジャンルの本があった。歴史・科学・哲学の本。資格勉強の本もある。さらには料理の本まであった。仮想空間では料理なんてできないだろうに。


「ねえ、マイ。この部屋にあんなたくさん本があったっけ?」

「えー。前からあったよ。シンジくんがいない時は自己研鑽しようと思って。片っ端から読んでたら結構な量になっちゃった」

「でも、バーチャル・ヒューマンの状態で得た知識は、生体培養後に全部新しい脳に移せるとは限らないんじゃ……」


 さっきまで嬉しそうにしていたマイの表情が、少しぎこちない表情に変わった。


「そうなんだけど、今の私にできることはそれくらいしかないから。そもそも、生体培養なんて……」


 マイは口ごもったまま曖昧な表現で会話を切った。

 いや、怖くて続けられなかったんだろう、と思う。

 たぶん、マイは自分が生体培養へのフェーズに移れるとは思ってない。俺がそう思っていることを、彼女も察しているんだ。


 それでも彼女は料理の本を読む。

 

「ねぇ、マイ。生体培養が終わったらさ、あの本に載ってる料理を一緒に作ろうよ」

 

「えっ?」

 マイがキョトンとした表情でこちらを見る。

 

「好きな人と食べる料理はおいしいって言うからさ。マイ、俺と結婚してくれないか。絶対に幸せにする。約束するよ」


 マイの目から涙が溢れた。だがその表情は嬉しそうに笑っていた。

 いつもは平凡なマイの顔は、笑った時の方が可愛かった。


 笑った時の方が普段より可愛くなる子は良い。

 笑顔を見ようとこっちも努力する気になるから。


「ふつつかものですが、よろしくお願いします」

 マイが手を差し伸べた。


 交際してから一ヶ月半。

 僕らは初めてお互いの手を握り、そして初めてのキスをした。


 (了)

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生成彼女の悩みごと 逆島テトラ @odiron_tamago

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