午後三時七分の境界線

蛮野晩

午後三時七分の境界線


 僕のにーちゃんはブラコンだ。ぼくのことが好きすぎる。

 好きすぎて友達がいない。

 今もほら、中学校から帰ってきて一番にすることは僕を探すこと。


「ただいまー。ゆうくん、ゆうくん、どこにいるの? 一緒に遊ぼうか」


 ……ゆうくん。

 ゆうくんって……もうやめてほしい。

 陽翔はるとにーちゃんは中学二年生なのに僕をゆうくんって呼ぶ。恥ずかしくないのかな。僕ももう中学一年生なんだから『裕翔ゆうと』ってフツーに呼んでほしい。

 僕だってかっこよく『アニキ』とかアニメで観たみたいに呼んでみたいのに、にーちゃんがとても優しく呼んでくれるから。


「おかえり、にーちゃん。ぼく、ここにいるよ」


 嬉しくてすぐに返事をしてしまう。

 廊下の角からひょっこり顔を覗かせると、にーちゃんが優しく笑いかけてくれた。


「ゆうくん、ただいま。おやつ食べた?」

「たべたよ」

「そっか、今から公園に遊びに行く?」

「うん」

「ほら、手をつなごうか」

「……うん」


 恥ずかしい。僕もう中学生なんだけど……。

 でも差し出された手をぎゅっと握った。

 にーちゃんと手を繋いで一緒に公園へ行く。

 でも公園の近くでにーちゃんが立ち止まった。

 にーちゃんは腕時計で時間を確認すると、「ちょっとここで待ってようか」と困った顔で言う。

 横目でちらりとにーちゃんの時計を見ると午後三時七分を指していた。

 やっぱり午後三時七分。

 よく分からないけれど、にーちゃんは午後三時七分に絶対に公園に近付こうとしなかった。

 へんなにーちゃん。

 でも時間が過ぎると安心した顔になって僕に笑いかける。


「行こうか。今日はなにして遊ぶ?」

「うーん、なんにしようかな」

「かくれんぼ? おいかけっこ? ブランコもいいね」

「ブランコがいい」

「いいよ。ゆうくんはブランコ好きだね」

「うん」


 今日もにーちゃんと公園でたくさん遊んだ。とっても楽しかった。




 その日の夜。

 夕食とお風呂が終わると僕とにーちゃんは一緒にアニメを観ていた。毎日の日課だ。


「ゆうくんはこれ好きだね」

「うん、すき。だってかっこいいし」


 テレビ画面に映るのは中学生の兄弟。兄弟は秘密の力を使って悪い魔物と戦っている。

 兄弟のかっこいい戦いや会話が大好きで、僕もにーちゃんとこんなかっこいい兄弟になりたいと思ってた。

 このアニメは小学一年生の頃から観てるけど、中学生になって少しは近づけたかな。


「二人とも早く寝なさーい!」


 キッチンからお母さんの声がした。

 カチャカチャ、ジャージャー、カチャカチャと食器を洗う音。姿は見えないけれど夕食の片付けをしているようだ。


「母さんが早く寝ろって。どうする? 一緒に寝る?」

「いらない」


 そんなのかっこよくない。

 ムッとしてにらむとにーちゃんは笑って肩をすくめた。


「そっか、えらいえらい。それじゃあおやすみ」


 にーちゃんはそう言うと自分の部屋に戻っていった。

 僕もテレビを消してリビングを出ようとする。

 でもその前に棚に飾ってあるたくさんの家族写真が視界に入った。

 写真を趣味にしているお母さんは家族写真を撮るのが大好きだ。記念日は必ず家族写真を撮って部屋に飾っている。それは僕が生まれる前からのことで、時系列順に写真を見ているとなんだか照れ臭い気持ちになってくる。

 まず一番端にあるのは両親の結婚式の写真。今よりずっと若い二人だ。

 その隣に両親と赤ちゃんのにーちゃん。もちろんこの頃まだ僕は生まれていない。

 その隣ににーちゃん一歳の誕生日写真。そんな誕生日写真が七枚続いて、ようやく僕が登場だ。生まれたてのほやほや。目も開ききらない赤ちゃんの僕は七歳のにーちゃんに抱っこされていた。

 そこからは僕の誕生日写真も加わって棚の上はいっそうにぎやかになっていく。

 どの写真にも満面笑顔の僕とにーちゃんが映っていた。七歳年上のにーちゃんは僕のことをとても可愛がってくれて、僕は物心ついた頃からにーちゃんが大好きだったのだ。

 ずっとにーちゃんと一緒が良かったから、どこへ行くのもついていった。にーちゃんは時々困ってたみたいだけど、いつも『ゆうくんは仕方しかたないなあ』て許してくれたのだ。

 しかしにーちゃんが中学生になってからは以前のようにあまり構ってくれなくなった。にーちゃんはとっても優しかったけれど、授業や部活が忙しくなって小学生の僕とは時間が合わなくなったのだ。


「なつかしいな……。……あれ?」


 僕は棚の写真を見ながら思い出に浸っていたけど、ふと視線が止まった。

 写真がない。

 僕の七歳の誕生日を最後に写真が飾られていなかったのだ。


「かたづけたのかな……?」


 最後の写真はにーちゃんが中学二年生で僕が小学一年生の時の写真だ。

 不思議に思って見ていると、ふとあることに気付く。


「……にーちゃん?」


 変わっていない。

 この写真に写っているにーちゃん。さっきまで一緒にいたにーちゃん。二人は同じ顔をしている。身長も体格もまったく同じ……。

 ごくり、息を飲んだ。

 僕とにーちゃんは七歳離れているのに、にーちゃんは中学二年生で僕も中学一年生で……。

 こんなのおかしい。だって僕とにーちゃんは七歳離れているから、僕が中学一年生の十三歳ならにーちゃんは二十歳になっていなきゃいけないのに、それなのに。

 カチャカチャカチャ。ジャージャージャー。カチャカチャカチャ。

 キッチンからは食器を洗う音。

 これはいつもの日常だ。

 でも今、胸がざわざわしている。

 にーちゃんには大きな秘密がある気がして、ざわざわざわざわしていた。




 翌日の午後。

 僕はにーちゃんが帰ってくる前に家を出た。

 だってにーちゃんは中学校から帰ってくると必ず『ゆうくん、ゆうくん』と僕を呼んで遊びに誘うのだ。僕はにーちゃんが大好きだから、呼ばれたらきっと今日も一緒に遊んでしまう。

 僕が向かっているのはいつもにーちゃんと遊んでいる公園。

 でも今、時計で時間をたしかめる。午後三時二分。

 あと五分。あと五分で午後三時七分。

 にーちゃんは午後三時七分に公園に決して近づこうとしなかった。ずっと不思議に思っていたけれど、そこに秘密の正体があるような気がしたのだ。

 公園まであと少しの距離。あと三分、あと二分、あと一分。

 時計を見ながら公園にじりじり近付いていく。

 午後三時七分ぴったりに公園の前に飛び出した、その刹那せつな


 キーーーッ!! ガシャーーーン!!!!


 耳を突き刺すようなブレーキ音のあと、大きな衝突音が響いた。

 咄嗟とっさに目を閉じてちぢこまったものの……なにもない。おそるおそる目を開けるも、予想した車はなかった。

 でも。


「え……?」


 公園の入口に置かれたたくさんの花束、ジュース、お菓子、子どもの字で書かれたメッセージや寄せ書き。


『てんごくでも、げんきでね』『わすれないよ』『てんごくでたくさんあそんでね』


 メッセージを読むにつれて全身から血の気が引いていく。

 あの耳に残るブレーキ音と衝突音。それは聞き覚えのあるものだった。

 そう、僕はあの音を知っている。それは。それは。


「ゆうくん」


 ふいに背後から声を掛けられた。

 それはにーちゃんの声。

 心臓がバクバク鳴りだす。


「こ、こないで!!」


 僕は振り向かずに逃げ出した。

 だって、だって後ろにいたにーちゃんはもう……死んでるんだ。

 僕は思いだしてしまった。

 僕が小学一年生でにーちゃんが中学二年生の時、僕はにーちゃんを追いかけて公園に行った。その時に公園の入口に車が突っ込んできて僕とにーちゃんはかれてしまったのだ。にーちゃんは、にーちゃんはその時に死んでしまった。だから今も中学二年生のままで僕の側にいるんだ。だってにーちゃんが死んだのは僕のせいだから。

 あの日、にーちゃんは僕との約束を反故にして友達と遊びに行ってしまった。僕は悲しくて寂しくて、にーちゃんが遊びに行った公園に追いかけたのだ。

 公園の入口にいた僕をにーちゃんが見つけてくれて、友達との遊びを中断して僕のところに来てくれた。


『ゆうくん、来ちゃったの?』

『きょうは、ぼくとあそぶってやくそくしてたのに』

『ごめんね。また明日、一緒に遊ぼう』

『やだ。きょうがいい』

『こまったなあ……』


 にーちゃんは困った顔をした。

 困らせているのは分かっていたけれど、僕はどうしてもにーちゃんと遊びたかったのだ。

 でも、そこに突っ込んできた一台の車。

 キーーーッ!! ガシャーーーン!!!!

 そこから記憶が飛んでしまったけれど、にーちゃんはその時からずっと中学二年生のまま。

 にーちゃんは僕をうらんでいるんだ。怒ってるんだ。だから僕にりついたままずっと離れない。

 僕は怖くなって逃げた。

 にーちゃんが幽霊だから怖いのかな。ううん、違う。責められるのが怖いのだ。嫌われるのが怖いのだ。だって僕はにーちゃんが大好きだから。


「え、またこうえん。……どうして」


 公園から逃げ出したはずなのに、また公園に戻ってきてしまった。

 愕然がくぜんとする僕に後ろから声がかけられる。


「――――ゆうくん」

「っ……」


 にーちゃんだ。

 にーちゃんが後ろに立っている。


「ブランコで遊ぼうか。好きでしょ?」

「…………。うん……」


 うなずくとにーちゃんの手が差し出される。

 おそるおそる手を伸ばして、ぎゅっと握り返す。

 にーちゃんは僕を恨んでいるはずなのに、握りしめたにーちゃんの手は不思議と温かい。

 にーちゃんと手を繋いで公園に入る。僕がブランコに乗るとにーちゃんが後ろに立った。


「……にーちゃん、ふたりのりしようよ」

「怖くない?」

「ぼく、もうちゅうがくせいなんだけど」

「そっか」


 にーちゃんが背後でおかしそうにクスクス笑った。

 そしてにーちゃんが僕が座っているブランコに足を乗せて二人乗りだ。中学生になったらブランコの二人乗りするって決めてたんだ。

 アニメで観た中学生の兄弟はブランコの二人乗りをしながら作戦会議をしていた。そのシーンがかっこよくてずっと憧れていたのだから。僕もにーちゃんと同じ中学生になったらかっこいいことたくさんするんだ。小学生の時からずっと決めていた。


「行くよ!」

「うん!」


 僕が頷くと、にーちゃんが勢いよくブランコをぎだした。

 空に向かってぐたびにふわりふわりと体が浮き上がって自然と笑顔が零れだす。

 にーちゃんは幽霊になっちゃったけど、にーちゃんと一緒にブランコ遊びするのはとっても楽しかった。

 二人乗りのブランコを力いっぱい二人でいで、空に飛んでいきそうな浮遊感に歓声をあげて楽しんだ。

 こうして二人乗りを終えると、今度はにーちゃんが後ろから背中を押してくれる。


「ふたりのり、たのしかったね」

「そうだね。ゆうくんが怖がるかと思ったけど、そんなことなくて驚いた」

「あたりまえだよ。あれくらいへいきへいき」


 僕は笑って答えた。

 優しいにーちゃん、自慢のにーちゃん、大好きなにーちゃん。

 だから、ちゃんとごめんなさいってしたい。

 幽霊でもいいから、これからも僕の側にいてねってお願いするんだ。


「にーちゃん、ごめんなさい」

「どうしてゆうくんが謝るの?」

「だって、ぼくのこと……おこってるでしょ?」

「どうして? 怒ってないよ」

「おこってないの!?」


 即答されて驚いた。にーちゃんは怒ってないって言った。

 僕の後ろで優しい笑顔を浮かべているのが分かる。

 振り返って、ほらね、やっぱり優しく笑っている。


「それじゃあ、これからもぼくといっしょにいてくれる?」

「いいよ。これからもいるよ。ゆうくんは、さびしくないよ」

「やった~! にーちゃんありがとう!」


 僕はニコニコしてにーちゃんを見つめた。

 にーちゃんも笑顔で僕を見ている。

 僕を見つめるにーちゃんの黒い瞳は優しい色をしていた。僕はそれを見つめ返して、……あれ?

 にーちゃんの黒い瞳に別の景色が映っている?

 ……なんだろう。じっと見つめて確かめる。

 そこに映っていたのは……お母さんだ。

 こちらを見つめるお母さん。お母さんの瞳に映っているのは……にーちゃん。真っ白な病室で眠っているにーちゃん。

 お母さんは白いベッドで眠っているにーちゃんを悲しそうな顔で見つめていて……。

 それに気付いた瞬間、頭が真っ白になった。

 思考が停止する中で、視界のすみに映っているのはブランコのくさりを握りしめる小さな手。中学生ではなく、もっと幼い子どもの手。それは……僕の手。

 その小さな手は僕に真実を突きつける。

 僕は、……ぼくは中学生じゃなかったんだ。

 ……ああそっか、あの事故で死んだのはにーちゃんじゃない。……ぼくだったんだ。


「っ、にーちゃんっ……」


 声が震えた。

 だって、お母さんの瞳に映っていたにーちゃんは眠っていた。

 それはにーちゃんの時間が事故から止まっているということ。

 あの事故の時、ぼくは即死した。そしてにーちゃんは大怪我をしてずっと眠り続けているのだ。


「に、にーちゃん、ぼく、ぼくっ……」


 くさりを握る手がカタカタと震えた。

 自分が死んでいた事実に頭が真っ白になる。

 突然地面がなくなったような感覚に震えが止まらない。

 でもその時、震える手に温かな手が重ねられた。にーちゃんの手だ。

 にーちゃんはぼくの手をぎゅっと握って顔を覗き込んでくる。


「大丈夫、怖くないよ。にーちゃんがついてるだろ?」

「にーちゃん……」


 にーちゃんに手を握られると少しずつ震えが治まっていく。

 でもその温かさに視界がじわりとにじんだ。だって、だって。


「……ぼくのせいで……にーちゃんはねむったままなの?」


 にーちゃんはなにも答えない。

 ただぼくの手を握って優しくほほ笑む。それが答えだった。

 死んだのはぼく。りついているのはぼく。にーちゃんの時間を止めているのはぼく。


「ごめんなさいっ……、にーちゃん、……ごめんなさいっ……」


 ぼくは何度も謝った。

 ぼくがずっとにーちゃんの手を握っているから、にーちゃんは目覚めることができないんだ。


「ごめんなさいは、いらないよ?」

「でも、ぼくがにーちゃんとずっといっしょにいたから」

「ゆうくんの手を離すわけないだろ? まだこんなに小さいのに。にーちゃんだってゆうくんと一緒にいたいんだ」


 そう言ってにーちゃんがぼくの手にぎゅっぎゅっと力を込めた。

 そうだ。にーちゃんはいつもぼくと手を繋いでくれた。

 ぼくはいつもにーちゃんの後を追いかけていたから、にーちゃんは手招てまねきしてくれて、ぼくと手を繋いでくれるのだ。

 あの事故の時もそう。にーちゃんを追いかけて一人で公園に行くと、にーちゃんは慌てて公園の入口まで来てくれた。


『ゆうくんは甘えん坊だね』


 そう言って困ったように笑ったにーちゃん。


『ちがう。にーちゃんといっしょがいいの』

『ほら甘えん坊』

『? いっしょなだけなのに? にーちゃんはちがうの?』

『アハハハハッ。僕もゆうくんと一緒にいたいと思ってるよ?』


 にーちゃんはひとしきり笑うと目を細めてうなずいてくれた。

 にーちゃんはぼくと手を繋ぐと友達のところに連れていこうとしてくれた。ぼくはまだ小学一年生だったけど、中学生のにーちゃんの友達も『一緒に遊んでもいいよ』と呼んでくれたのだ。

 中学生ってすごい。中学生って優しい。中学生ってなんだか大人。あのアニメの中学生みたい。ぼくもにーちゃんみたいな中学生になるんだ。


『ゆうくん、行こうか』

『うん!』


 にーちゃんと手を繋いで歩きだしたその時、車が突っ込んできてぼくは中学生になれなくなった。

 ……だから、なのだ。

 ぼくがまだ小さいから、にーちゃんはぼくと一緒にいてくれる。ぼくの手を握ったままでいてくれる。


「……にーちゃん」

「どうしたの?」

「…………じつは、じつはぼく、ちゅうがくせいなんだ」

「ゆうくんが中学生?」

「うん。にーちゃんはずーっとおんなじだけど、ぼくはちゅうがくせいになったんだ」


 にーちゃんは訳が分からずに目をぱちくりしている。

 当然だ。いきなり中学生とかびっくりしちゃうよね。

 でもぼくは死んだことに気付くまで、自分は中学生になったと思い込んでいた。そしてにーちゃんとアニメみたいなかっこいい兄弟になったと思ってた。だから、だからぼくは中学生なんだよ。もう小さなゆうくんじゃないんだよ。


「ぼくはもうちっちゃくないから、だからだいじょうぶ。だからにーちゃんは、……手をつなぐの、おしまいでいいよ」

「えっ……」


 にーちゃんが目を大きく見開いてぼくを見つめる。

 それが指す意味ににーちゃんの表情がみるみる変わっていく。だって、それはお別れ。


「ゆうくんは寂しがりやだから、ダメだよ」

「そうだけど、もうちっちゃくないから……へいき」


 平気じゃないけど、お別れはさびしいけれど。


「ぼくがちゅうがくせいになるまで、いっしょにいてくれてありがとう。もうだいじょうぶだからね」


 実際は中学生になってないけど、ぼくはもう中学生。にーちゃんがずっと一緒にいてくれたから中学生になれたんだ。

 ポタリ……。ぼくのほっぺに水滴が落ちた。

 見上げるとにーちゃんの瞳から大粒の涙がポタポタ零れ落ちている。


「ゆうくんっ……、ゆうくん……。うぅ」


 にーちゃんは唇を噛みしめた。

 でも嗚咽が漏れて、ぼくの手を握りしめる手が小刻みに震えている。

 だから、だから今度はぼくが手を握った。

 大丈夫だよと伝えるように、ぎゅっぎゅっと力を込めた。


「にーちゃん、いままでいっしょにいてくれてありがとう」

「ゆうくんっ、ゆうくんっ……! ごめんっ。ごめんね、守ってあげられなくてっ。ごめんね……うぅっ……」

「にーちゃん……」


 ぼくも唇をみしめる。

 目がぎゅうっと熱くなって視界がじわじわ滲んでしまうけれど、目をパチパチしてがまんした。だって泣いたらにーちゃんがぼくの手を離せなくなる。

 でも、後ろからぎゅうっとされるとダメだった。優しい温もりにぎゅうっとされて、胸の奥がぎゅうっとなってがまんしている涙がポロポロ溢れてしまう。


「うぅっ、にーちゃあん~っ、……うぅっ、うえええええええん!」


 ぼくも抱きしめてくれるにーちゃんの両腕をぎゅうっとした。

 がまんできずに大きな声で泣いた。

 ぼくは中学生だけどたくさん泣いてしまう。でもいいんだ。だってにーちゃんもたくさん泣いている。

 二人でひとしきり泣いて、そしてやってきたのは……お別れの時間。


「…………にーちゃん、ありがとう。……バイバイ」

「……うん。…………バイバイ」


 ぼくの体が薄くなっていく。

 にーちゃんはぼくをずっと抱きしめていてくれて、このままぼくだけ消えていく。ぼくだけ。ぼくだけ……。…………ああ、……さびしいな。どうしよう。さびしいな。

 おわかれってさびしいな。かなしいな。ひとりは、さむいな。

 さむくてさむくて、にーちゃんとはなれたくない。ずっとにーちゃんといっしょにいたい。

 さびしいよ。はなれたくないよ。さむいのはいやだよ。だってなかよしだから。なかよしっていいよね。なかよしは、とってもあったかいんだ。

 しょうがくせいでちっちゃくても、ちゅうがくせいでおっきくても、なかよしはなかよし。

 ぼくとにーちゃんは、とってもなかよしなんだ。





◆◆◆◆◆◆


 病院の一室に六年間眠り続ける少年がいた。

 六年前の不幸な自動車事故で植物状態になってしまった少年である。

 少年には弟がいたが、弟は同じ事故で即死。

 残った少年は一命を取り留めるも、その日から眠り続けているのだ。

 少年の両親は目覚めると信じて毎日病院に通い続けていたが、ある日、生命維持装置からけたたましいアラーム音が鳴り響いた。

 医師による懸命な措置そちが行なわれたが、少年の生命を繋ぐことは出来なかった。

 病室は静まり返り、少年は目覚めることなく死亡した。

 二人の子どもを失った両親は泣き崩れる。どうしてどうしてとなげき、涙がれるまで泣き続けた。

 えることない悲しみを抱えながらも、少しでも心を慰めようと両親は息子たちの優しい思い出を語り合う。


「はるくんとゆうくん、天国でも仲良くしてるかしら」

「ああ、仲良くしてるさ。仲良し兄弟だったんだから」

「そうね、きっとそうだわ」


 両親は涙を浮かべて慰めあった。

 優しい兄と甘えん坊の弟、二人はどこへ行くのも一緒の仲良し兄弟。

 思い出が両親を優しく包む。

 両親は息子たちが天国で幸せにしていると信じられる。だって二人はとても仲良しな兄弟なのだから。


◆◆◆◆◆◆





完結



――――――

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午後三時七分の境界線 蛮野晩 @bannoban

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