短編|醜い鴉の子

楓雪 空翠

 その少年は、どこにでもいるような普通の少年だった。


 毎朝起きて、学校に行き、友達と戯れ、家に帰り、寝床に就く。 特別も、非日常もない。 ただただ、昨日と同じ今日をひたすら繰り返しているような毎日だったが、少年はそれに不満はなかった。


 それどころか、こんな日常がずっと続けばいいのに、とさえ思っていた。 特別幸せではないけれど、特別不幸な訳でもない。 今の生活に、これ以上求めるものなどない、と。


 今日もまた、いつもの道を通って学校へと通う。 のどかな日差しが住宅街を包み込み、すれ違う近所の顔見知りと挨拶を交わす。 それは、少年が好きな光景の一つだった。


 ———ふと、道端に何かが転がっているのを見つけた。 それは、陽の光を吸い込んでしまうほどの漆黒と、黒光りした滑らかな表面から、禍々まがまがしい雰囲気を放っている。 少年は少し気味悪さを感じたが、恐るおそる近付いてみた。


 間近で見ると、それは鴉の遺骸だった。 原型は綺麗に留めているが、アスファルトにはどす黒い血が流れだしている。 飛んでいる最中に墜落でもしたようだ。


 「…どこかに、埋めてあげたいな」


 少年はそう言うと、骸のもとにしゃがみ込んだ。 小さい頃から動物が好きだったのもあり、そのままにはしておけなかったのだ。 少年は少し躊躇ためらいながらも、優しく手を伸ばした。


 その瞬間、『バサバサッ』という羽音とともに、辺りが黒い何かに包まれた。 とっさにかがみ込んだ少年の周りを、それはずっと渦巻いている。 しばらくの間周囲に留まった後、“それ”はどこかへと消え去った。


 「———何だったんだろう、今の」


 体に付いた羽根を手で払いながら、少年はゆっくりと立ち上がった。 少し体が重いような気もするが、このままでは遅刻してしまう。 学校へ駆け出そうとしたその時だった。


 「・・・あれ?」


 道路脇に映る少年の影から、一対のが生えてきた。 それは大きく、がっしりとしていて、ふわふわしていて。 疑う余地もなく、それは翼だった。


 背中の奥に力を込めると、その両翼は音を立てて、力強くはためいた。 段々と速度を上げると、少年は少しずつ宙に浮き、瞬く間に空へと飛び上がっていく。 下降も前進も、思うがままだった。


 少年の全身を、心地よい気流が包む。 目が眩むほどの日差しも、まるで祝福しているかのようだ。 少年は雲の上でひるがえり、そのまま校舎へと急降下した。




 「おはようございまーす!」


 上機嫌で挨拶をすると、みな口をぽかんと開けたまま少年に釘付けになる。 誰もが、その黒翼を見て呆気に取られていた。 それを横目に登校する少年は、自分の翼がとても誇らしかった。


 教室に入ってからも、憧憬や羨望の眼差しが絶えず少年に浴びせられた。 翼に対する賞賛と質問の雨が、絶えず飛び交う。 誰一人として、関心を持たない者はいない。


 少年は瞬く間に人気者になった。 今では、辺り一帯の人間で知らない人はいないほどに、翼の生えた少年の噂は広まっている。 自分が特別な存在になれたことが、少年は限りなく嬉しかった。



 それからというもの、少年は休み時間になる度に、屋上から空へ散歩に行くようになった。 大空を小鳥と一緒に並翔へいしょうしたり、雲の中に突っ込んだり。 毎日が“初めて”で溢れていた。


 来る日も来る日も、少年は空を飛んだ。 その大きな翼をはためかせ、行きたい場所のどこへでも行った。 時には、夏の星空の下でも空の散歩を楽しんだこともあった。











 —————そして、少年が翼を得てから一月が経った頃。



 少年は、空から墜ちて死んだ。






 町の大人は皆、調子に乗って鳥にでもぶつかったんだと言った。



 町の子供は皆、呪いだ呪いだとはやし立てた。



 誰もが、少年が勝手に一人で死んだのだと語った。






 それから、命のともしびがその煙まで完全に消え去るまで、たいして時間は掛からなかった。



 “翼の生えた少年”は、皆に忘れ去られ、町は今まで通りに戻った。






 これは、どこにでもいるような普通の少年が翼を得て、空を飛ぶことの楽しさを知り。 そして儚く散った、御伽噺おとぎばなしのような物語だ。






 ・・・しかし、これだけは忘れてはならない。




 全ての物事には、必ず複数の事実があること。




 そして、この話は紛れもない事実を語った幾千もの物語の、たった一欠けに過ぎないことを。

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短編|醜い鴉の子 楓雪 空翠 @JadeSeele

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