第三幕 さながらそれは、残り香のように
その時、工場の奥から道で襲ってきたのと同じような突風が吹き荒んだ。「わ!」と声を上げて地面にしゃがめば、蓮夜をかばうようにしてサネミが前に立つ。目に砂が入らないようにと出来る限り細めて見上げれば、サネミが背中越しに何やら手を合わせるようなしぐさをしたのがわかった。
と、次の瞬間には右手に歩兵銃が現れ、それを器用にも片手だけで構えれば、間髪入れずにバンッと一度発砲した。弾は工場の横にある大きなエアコンの室外機に当たり、ガンと鈍い音が響いた後、その室外機の動きが徐々に鈍くなる。一体何をしているのかと、蓮夜が声を上げようとすれば、もう一度サネミが同じ室外機めがけて発砲した。
今度はファンの部分を抉るように貫通したようで、止まりかけのファンに何か硬い物が絡まるようなカタカタと嫌な音が響く。
「どうやら、これは提馬風からの緊急信号だったようです」
見えますかな、とサネミが少しだけ横にずれる。突風は一時的に弱まっていて、目を開けても平気だ。言われた通り室外機をよく見れば、そこには何やら馬のような形をした妖が、室外機のファンに尾を挟まれていた。燃えるように靡く深紅の鬣に、馬にしては少しばかり胴が長く、まるで龍のようにも見えた。今の今まで気配すら感じても姿が見えなかったということは、よほど強い力の妖なのか。
「あれが提馬風……? 馬に見えるけど……」
「その昔、自らの
「提馬風はあれ……室外機に尾……というか本体の一部が絡みついちゃったってことなの?」
「でしょうな。恐らく最近の異常気象の気流に乗って人里に来たあと、うっかりあの大きな室外機にでも近寄って絡まったんでしょうな。誰かにどうにかしてほしくて、霊魂を半分体から切り離して人に接触を試みていたようです」
「ということは、真っ二つにしまくっていたのって、助けてって暴れてたってこと?」
気がついて欲しくて? と問えば、サネミはどこか呆れたようにため息を吐いた。
「左様です。気持ちはわからなくもないですが、他にやりようがあっただろうに」
言っていると、ゴウン……と沈むような音がしてファンが完全に停止した。途端、サネミが少しばかり足を踏み込むようにして身構える。
「今の発砲で本体は外れたはずですが、気が高ぶっているうちは暴れますぞ」
「えっ!」
「……下がって!」
その言葉が合図になった。
室外機が停止したことによって本体ごと自由になった提馬風が、大きな嘶きを響かせながら暴れはじめる。建物の壁に頭突きをするように突進し、かと思えば残った自動車を切り裂きながらこちらに向かってくる。近くに来るとかなり大きく、深紅の鬣がまるで炎のように揺らめいていて恐ろしい。
「提馬風!! 落ち着いてよ!」
蓮夜が叫ぶのと同時に、サネミが勢いよく宙へ飛び上がった。つられて宙を仰げば、先ほどまでの着流し姿は既に軍服へと戻っている。右手には先ほど使った歩兵銃が握られたままで、それを再度片手で持ち、勢いよく発砲した。
弾は蓮夜と提馬風のちょうど間に鋭く刺さる。音に驚いた提馬風がその場で混乱したかのようにぐるぐると回り暴れると、その隙に提馬風の背後に着地したサネミが叫んだ。
「提馬風! こっちへ来い!」
ピクリと反応した提馬風が、蓮夜にそっぽを向いてサネミの方へと踵を返す。唸るような嘶きに相当気が高ぶっているのがわかる。
「サネミ!」
危ないよ! と叫ぶが、サネミは提馬風を前にしても怯えの色を少しも出さない。むしろ挑みかかるように、どこか好戦的な目をしていた。それが少しばかりロクロウと重なって、無意識にゾクリと肌が泡立った。
サネミは向かってくる提馬風を前に、もう一度視線を低くして腰の刀に手を伸ばした。ロクロウと同じように抜刀の構えを取って、視線を前に固定する。
刹那。
「――
サネミはそう唱えると、そのまま向かってきた提馬風を抜刀した勢いで横一直線に切り伏せた。
「………!」
切れる瞬間、その裂け目からまるで漏れ出すかのようにまた突風が吹きすさぶ。
真っ二つに分かれた提馬風がよろよろとサネミの後方へたたらを踏み、やがてフッとその場から溶けるようにして消えてしまった。
「……ふぅ、とんだ災難でしたな」
カチンッと音を立ててサネミの刀が腰の鞘に収まる。
「提馬風……倒したの?」
「倒した、というより、退けたと言った方が正しいですな」
地面に座り込んだままの蓮夜を、傍まで戻ってきたサネミが手を貸して立ち上がらせる。
「古より、馬に乗っていて提馬風と遭遇した時は、光明真言と唱えつつその馬の上を刀で薙げば、彼らはたちまち退散するとされてきました」
「ああ、さっき唱えていたのはそれだったんだ」
「はい。この場には馬こそいませんが、同じような手段で恐らく退くだろうと思いまして」
軍帽を被りなおしながら言う。
確かに同じような手段ではあるが、今回に限っては体を真っ二つに切ってしまっていた。提馬風本体は大丈夫なのだろうか。
「提馬風は、山に還ったのかな」
遠回しに安否を確認しようと話を振れば、サネミはまたしても蓮夜の思考を見通したかのように緩く微笑んだ。
「基本妖怪は死にません。負傷したりしても元の郷に戻るだけですから……提馬風の場合はあるべき山へ還ったでしょうな」
「そうなんだ……」
「切る直前、一応六怪異に選ばれていないかと痣を探しましたが、やはりありませんでした」
「じゃあ本当に、誰かに気がついて欲しくて暴れていたんだね」
ホッと胸を撫でおろす。万一六怪異でもあろうものならば、退けずに封印しなくてはならなくなっていた。封印にはかなり気力と体力を使うから、できれば自分に余裕がある時に巡ってきて欲しいと願ってしまう。
「しかし、まさか室外機に体の一部を巻き込まれるとは……驚きですな。さすが風と言ったところでしょうか」
「普通の人には見えないから、提馬風からしてもどうしようもないもんね。僕だって最初認知出来なかったし」
「風の怪異とはそういうものです。人目に付きにくい、それはまるで
言った傍から、サァッと風が吹いてきてまたサネミの髪を揺らした。提馬風が消えた方を眺める目を細めて、物思いにふけるように黙った彼の横顔を、蓮夜は黙って見つめる。
(風のごとく、か)
口の中で転がして思考する。
蓮夜からすれば、サネミこそ風のようだと……。
そよそよと吹いてくる風に、どこかその気配を溶かすように在る彼を見ながらふと思う。今目の前にいるはずの彼は、厳密に言ってしまえばもう存在しないはずの人だ。さながら風が運んできた残り香のように、この世を浮遊し揺蕩っている。
ロクロウとはまた種類の違う、全てを見通したような瞳。
その瞳が細められる時、たまに垣間見える一瞬の儚さこそが、彼の魂の色なんだと――。
「…………」
サネミは、人間だった時、どんな最期を迎えたのだろう。
ふと考えてしまう。
彼の纏っている雰囲気が、お世辞にも幸せなものではなかったと、物語ってくるようで。
「…………」
見つめていれば、こちらを向いたサネミと目が合った。
柔らかく微笑んでくる顔を見ていると、なぜだか無性に泣きたくなってしまう。
彼からはどこか……寂しい風の匂いがする気がした。
「蓮夜?」
どうかしたのかと問われ、慌てて何でもないとかぶりを振る。涙目になっていないだろうかとさりげなく目元に触れるが、幸いにも雫は浮いていなかった。
「さて、ここの工場の人間が警察でもなんでも連れて帰ってくる前に、お
「そうだね、見つかっちゃったら説明が面倒だ」
言えば、サネミの姿がまたさっと着流しへと戻る。軍服だとまずいが、着流しであれば万が一戻ってきた誰かに目撃されてもそこまで不審がられないだろう。
「そういえば、私としたことが。買ったものを道端に放置してきてしまいました」
すっかり身軽になった両手を広げて見せながら、サネミが「申し訳ない」と肩を落とした。それを言ってしまえば、蓮夜もサネミを追いかける時に邪魔になると思って袋ごと投げだしてきてしまった。今頃荷物はどうなっているだろうかと想像してみる。恐らくあの近辺は事故現場として今頃警察が来ているはずだ。となれば、盗まれてはいなくても回収するのが難しいかもしれない。
「まぁ、また買えばいいよ。お金はまだあるし」
グッとその場で背伸びをしながら言う。今回のことは致し方ないことだから、祖母もきっと怒りはしない。むしろ、孫に代わって怪異を退けてくれた彼に感謝するだろうと思った。
「怪我、していませんか?」
「大丈夫だよ」
サネミがホッと胸を撫でおろす。
「あの時僕に待ってろって言ってくれたのは、僕を危険から遠ざけるためでしょ?」
ありがとうねと言えば、サネミが困ったように微笑む。
「鉄の馬を狙っているというのはわかっていましたが、万が一ということもありました。仮に蓮夜が提馬風に切りつけられでもすれば、私がロクロウに怒られてしまいますから」
肩をすくめて俯き気味に言う。でも恐らく、彼の行動理由はそれだけではない。
彼は優しいのだ、単純に。
何かあった時に、自らをいの一番に差し出すような気配すら感じる。
それは恐らく、生前の彼の人生と、魂がそうさせているんだろうと――。
「――サネミ、」
そろそろ工場の敷地を出ようと足を踏み出して、ふと振り返りざまに呼ぶ。風に靡く黒髪に合わせて、白皙の顔が蓮夜に向いた。
「僕と出会ってくれて、ありがとうね」
果たして、この言葉を選んだことが正解かどうか、蓮夜にはわからない。
ただあの夜、亡者たちを眠らせてやりたいと共闘を申し出た彼の優しさを……恐らく蓮夜は心のどこかで必要としていたのだ。
幽霊や妖にも心があると、信じたかったのかもしれない。
サネミはどこか驚いたように目を瞬かせていたが、やがて蓮夜の心を汲み取ったように微笑んで、大きく頷いた。
「……はい、こちらこそ。私も蓮夜達に会えたことで、救われていますから」
そう言った彼の横を、夏の青い香りを連れた風が通り過ぎた。
提馬風が山に還ったことで、優しい風が吹き戻り始める。近くにそびえる木々が、こぞってざあざあと葉を擦り合わせて鳴き合った。
「よーし、とりあえずもどろっか!」
「はい」
元気に歩き出せば、今度はサネミが蓮夜の歩調に合わせて歩き出した。
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