第二幕 提馬風

 予定通り頼まれたものを買って外に出れば、店内が涼しかっただけあって無性に暑く感じた。蝉の鳴き声も一段と大きく感じる。

「いやはや、最近の万事屋は何でも売ってますな。思わず目移りしてしまう」

 十キロの米を左肩に担ぎ、右手に野菜がたくさん入った袋を下げたサネミが言う。どこか興奮したようにその声は弾む。

「スーパー、入ったことなかった?」

 サネミのおかげで、右手に小さな袋だけで済んでいる蓮夜が見上げるようにして言う。

「ええ、初めて入りました」

「サネミがそわそわしてるから、お客さんびっくりしてたね」

 言えば、恥ずかしそうにして少しばかり白皙を染めた。

「いい年して、少しはしゃぎすぎてしまいました。お恥ずかしい限り」

 年齢に関しては突っ込みにくい。見た目はどうみても二十代半ばのそれだが、この場合幽霊になった後の年数も加味しているのだろうか。

 いずれにせよ、サネミがスーパーの中で興味を示したものが昔に存在していなかったであろうものばかりだったことが、どことなく面白かった。子供を持った親は、はしゃぐ我が子を見てこういう気分になるのかもしれないとぼんやり考える。

「しかし良い経験をさせてもらいました。コンビニ、というものは興味本位で外から覗き込んだことはあるのですが、スーパーは何分広いですから」

「そうだよね、外から覗く程度じゃ全貌は把握できないよね」

「ええ、おっしゃる通りで」

 店内をうろついている間、サネミの着流し姿に熱い視線を向けていたマダムたちが何人かいたが、それもまぁ仕方ないかと思える。こんなにスタイルの良い男が現代では物珍しい着流しなんかを着用して、おまけに子供のように店内をうろうろしている姿を見たら、女性ならどこか心にグッとくるものがあるはずだ。悪い意味ではなく、良い意味でサネミは目立っていた。

「荷物、重たくない?」

「大丈夫。力加減も霊力の匙加減ですので」

 また難しいことを言うなと思いながら、スーパーの敷地を出て帰路を歩く。アスファルトで舗装された道からの照り返しが汗を生んで、それらが額から首を伝って服の内側に滑り落ちる。何か冷たい飲み物でも買ってくるんだったかな、と思って車道側を歩いてくれている英霊をちらりと見れば、彼は彼で涼しそうな顔をしていた。なるほど、実体化していても寒暖の感覚はやはりないようだ。夜笛とラムネを飲んだ時に出会った深雪も、汗をかいていなかったということを思い出した。


 長く緩やかな下り坂に差し掛かる。ここで荷物をぶちまけようものならあっという間に坂を転がり落ちて収集不能になりそうだなと思い、袋を握る手に自然と力が籠った。

 その時、ふいに遠くの方で何やら人の叫び声のようなものがした気がして、無意識に足が止まる。

「……?」

 蝉の鳴き声に混ざって、確かに何か聞こえた気がした。だが今は何も聞こえない。

 気のせいだったのかと思い、サネミに確認しようと視線を向ければ、彼もまた珍しく眉間に皺を寄せて遠くを見ていた。

 あ、これはただ事ではないかもしれない。


 そう思った瞬間――、


「⁉」

 突如ありえないくらいの突風が吹き荒んで、息が詰まりそうになった。立っていられなくて、思わずその場に跪くようにして蹲る。まるで大型台風が来た時のような強い風に、目が明けられない。

 一体何が起きているのか、そう思った矢先。

「蓮夜!」

 サネミの叫び声と共に、一瞬にして体が何かに引っ張られて宙を舞った。目を開ければ、目下にはさっきまで蹲っていた地上が見える。何が起きたか理解できず、恐る恐る視線を動かせば、どうやら自分はサネミに抱えられて宙に飛び上がってるらしかった。

「え……え⁉ 何⁉ どういう事⁉」

「申し訳ない、咄嗟の事に荷物は地上に置き去りにしてしまいました」

「え、どういう……」

 その蓮夜の言葉を遮るかのように、地上の方で鋭い金属音が鳴り響いた。今度は何事だと、サネミの方に向けていた視線を再度地上へ落とせば、そこでは、さっきまで走行していたであろう自動車とバイクがではないか。

「…………っ⁉」

 ありえない光景に思わず息を呑めば、蓮夜を抱えたままサネミが近くの家の屋根へと着地した。重たかろうと慌てて腕から抜け出し、もう一度道路を見下ろせば、やはり先ほどの光景は幻なんかではない。切断されるはずのないものが真っ二つになってしまっている。

「何が、どうなってんの……?」

「これはまた……珍しい妖が出て来ましたな」

 どこか心当たりがあるような言い方をするサネミに、思わず下を向いていた顔をあげた。

「サネミ、あれをやった犯人がわかってるのか?」

「ええ、あの切り口……恐らく提馬風だいばかぜでしょうな」

「提馬風……?」

 耳にしたことのない名前に思わず顔を顰める。風と名前に入るからして、先ほどの突風自体が妖であるということはなんとなく理解できた。だが、自動車やバイクを真っ二つにするような妖が本当にいるのだろうか。

「なんのために自動車やバイクを……?」

 また遠くで人の叫び声が聞こえた。恐らく提馬風に遭遇した人の叫びだろう。となれば、先ほど聞こえた気がしていた悲鳴も気のせいではなかったということか。

 サネミは蓮夜の横に来て、同じように下へ視線を落とす。自動車やバイクを切られた人達が慌てふためいてどこかへ電話をかけているのを見て、少しばかり表情を曇らせた。

「提馬風は、かまいたちという妖怪の仲間です。かまいたちは人に切りかかりその傷口を治していく妖ですが、提馬風は人が乗っている馬を切り殺す妖怪です」

「かまいたちは知ってる……一匹目が転ばせて、二匹目が切って、三匹目が治すんだったよね」

「ええ、そうです。だが提馬風は殺して終わりです」

「馬を殺す妖怪が……なんで自動車とかバイクを? 人は無傷みたいだし……」

 妖怪は、人間からすれば理解不能な行動をとるものが多くいる。最初に名前が出たかまいたちだってそうだ。一体その行動に何の意味があるのかと問いかけたくなるが、この提馬風のやっていることはなおさら理解できない。人に危害を加えようとする妖の類は五万といるが、人以外……それも特定したものに加害する妖怪というのは現代では珍しい。

「恐らく提馬風は、馬の代わりとして自動車やバイクを切っているにすぎないでしょう。鉄の馬……と言ったところですかな」

「ひょっとして、六怪異のひとつなのかな」

 七獄の年である以上、街で暴れる怪異が在るのならば警戒しなければならないが、そもそも六怪異に選ばれて狂暴化しているに過ぎないかもしれないのだ。六怪異のひとつならば封印しなければならないが、そうでないならばそれなりに鎮まらせるのが先決かと思う。

「いえ、提馬風は恐らく選ばれてはいないでしょう」

 そんなことを考える蓮夜の思考を、まるで細部まで読み取ったかのようにサネミが言う。

「どうしてそう思う?」反射的に問う。

「これは私が幾度となく提馬風を見て来た上での意見ですが、提馬風はもとよりああです。何かの拍子に人里に下りて来たのでしょうが、現代に馬はそう簡単に見つかりませんから、目標が見つからずに混乱している……といったことかと」

「なるほど……」

「それに、万一六怪異にでもなろうものならば、やつはそれこそ鉄の馬だけではなく、文字通り人切りもするでしょうからな」

 分別がついているということは、大丈夫かと。

 そう言ってサネミはもう一度蓮夜の腰に手を回して、「失敬」と断りを入れてから蓮夜を抱き上げた。そのまま屋根を蹴って道路に着地する。幸いにも人通りの少ない道だったがゆえに、切られた車とバイクの所有者以外に人はいない。サネミが死角を狙って道に下りたから、恐らく屋根から降りたことには気がつかれていないはずだ。

 そっと近寄って、様子を見る。

「失礼、お怪我はありませんかな?」

 車の所有者はいまだにどこかへ慌てふためきながら電話をしているから、手前にいたバイクの所有者に声をかける。バイクに目をやれば、後輪から前方にかけて横一直線に切断されている。ガソリンタンクが裂けていなかったのが不幸中の幸いと言ったところか。

 所有者には怪我はなく、やはり乗り物だけが攻撃されているようだった。となれば、サネミの推察が恐らく正しい。


 と、サネミがふいに振り返ってから、遠くを見て少しばかり目を細めた。そこを夏の暑い風が通り抜けて彼の髪を揺らす。ざぁっと木々が騒めく音が同時に耳の鼓膜を震わせた。

「……サネミ?」

 どうしたのかと問えば、落ち着いた声で言う。

「何か、理由がありそうですな」

「え……?」

「悲鳴を上げている」

「悲鳴……?」

「ここで待っていてください」

 言った途端、サネミはその場から走り出した。待っていろと言われたが、そういうわけにはいかない。道端に荷物を放り出してその後を追いかける。サネミは何かを確信しているかのように走るペースを緩めない。

(やっば、足速すぎる……!)

 まるで風だと。

 そう思った時にはその背中はもはや米粒程度に小さくなっていた。

 霊体ではなく実体があってもこうまで速いのか。このままだと見失う、そう思ったが、意外にも道の先でサネミの足は止まっていた。

 肩で息をしてようやく追いつけば、そこは自動車の整備工場だった。

 普段ならばまず立ち入らない場所ではあるが、その工場を目の当たりにした時、サネミがどうしてここに来たのか、その理由がすぐに分かった。

 

 ……工場中の自動車が全て、真っ二つに裂けていたからだ。


「これも、提馬風が……?」

 幸いにも工場に人の気配はない。どうやら異変が発生した時にどこかへ逃げたらしい。その証拠に、そばにある事務所の扉が全開になっている。入り口から見える位置にある電話の受話器が外れたままになっていることから、恐らくどこかに通報して逃げたのだろう。

 となれば、人が戻ってくるのも時間の問題だ。

 人気が無い工場に、サァッと風が吹き込んでくる。真っ二つにされた車のヘッドライト部分が、まるで化け物のようにこちらを見ていた。

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