第六夜:夜笛が、聞こえるか。

第一幕 様子がおかしい部屋

 静かになった深夜の家。

 ベッドに横たわったまま、深雪はずっと天井を眺めていた。

 生きていた頃は寝つきが良かったが、幽霊になってからは一度も眠ったことがない。

 離れの祖父は寝ているだろうし、隣の部屋にいるはずの満春は、今日は夏越家に数日程世話になっている。心配ゆえにアケビを傍につかせたせいで余計に辺りは静かだ。死んでからというもの、夜は恐ろしく長い。

 眠ることが出来ないから余計な記憶を思い出す。小学校の行き帰り、中学校の部活中……どの記憶を蘇らせてみても、そこには必ず異形のモノがいた。

 逢坂深雪は生前『見える人間』だった。そのうえ、幼い頃から口にした言葉が力を持つことがあり、異形のモノに対して拒否するような言葉を吐けば、それで退けられていた。その能力の名残で、歌を聞いた人間の陽の気を貰うことが出来る。

 それを糧として、こうして死後も存在を繋ぎ留めていた。

「でも……生き返りたいって言っても、現実にはしてくれないのよね」

 思わず独り言ちる。

 蓮夜にだけは自分の身の上話――そして最期の時を話して聞かせた。どうしてそんなことをしたのかは自分でもよくわからなかった。ただ、肯定して欲しかったのかもしれない。

 死ねない、死にたくないと思って、この道を選んだ自分という魂を。

 生きながらあの世の存在と繋がっている彼に、肯定して欲しかったのかもしれない。

「…………満春」

 枕に顔をうずめるようにして、妹の名前を呼ぶ。

 深雪と違って、満春には生まれつきの霊感はなかった。ならば、今回閻魔の目の降り場として目を付けられてしまったのは……霊である自分がそばにいるからではないだろうか。

「ごめんね…………」

 わかっていた、ずっとこのままこの世にとどまっていてはいけない。

 だけど、どうしても……まだこの世から離れたくはなかった。


 その時、キィッと部屋の窓が押し開けられる音がして、がばっと起き上がる。ベッド脇の窓に目をやると、そこには見知った顔がいた。

「やぁ、深雪ちゃん。こんばんは」

「……夜笛じゃない。どうしたのよ」

 こんな時間に、と続ける前に夜笛がベッドの上に降り立って、深雪に思いっきり顔を近づけてきた。にこにこ笑ってはいるが、不思議と胸がざわつく。

「……何、どうしたの?」

「いい話を持ってきたんだよ~」

「いい話?」

「そう、いい話。深雪ちゃん、生き返りたいでしょう? ……オレの言う通りにしてくれたら、生き返れるよ」

 いい方法があるんだ、と笑う夜笛の前で深雪は思わず固まる。生き返れる? そんな馬鹿な、生き返る方法があるはずがないじゃないか。

「嘘……そんな、そんなことあるわけ」

 頭ではわかっていても、心は期待してしまう。

 深雪の瞳が揺らいだのを見た夜笛が、にやりと笑って耳元に口を近づけて囁く。

「忘れたの? オレは色んな場所を放浪してきた妖怪だよ? 物知りなんだ……そうだなぁ、深雪ちゃんが生き返るにはまず邪魔な悪者がいる」

 深雪の頬に触れて、それから前髪をかきあげるようにして深雪の額に触れる。綺麗な光彩を持った瞳を覗き込みながら、ゆっくりゆっくり……蝕むように言い聞かせる。

「レン君と一緒にいる……悪霊だ。あいつを消滅させるんだ。悪霊なんかこの世に必要ない。あいつを消滅させたら、その力を深雪ちゃんが貰って生き返るための糧にするんだ」

「そんなこ、と……」

「オレに任せて……深雪ちゃんがあいつを消せば、あとはオレが生き返らせてあげる」

 夜笛の目が不気味に赤く光、それを見た深雪の瞳もまた同じように染まる。焦点の合わなくなった目で虚空を見つめる深雪の耳元で、夜笛は一度ピューッと指笛を吹くとそのまま深雪を抱き寄せた。何の抵抗もなく腕の中に納まった彼女を愛しそうに撫でる。

「よしよし、いい子だ……聞き分けのいい子にはご褒美をやらないと、ね」

 窓の向こうが、かすかに明るくなり始めた。

 夜笛はそのまま深雪を抱きかかえると、窓から勢いよく外へと飛び立った。



 ***



 ただいま、と満春は家の玄関を開けた。

 昨晩は蓮夜達が四番目の怪異を封印に行くということもあって、念のため一晩だけ夏越家に匿って貰うつもりだったのだが、思いのほか蓮夜の祖母に気に入られてしまい、結局三日も泊ってしまった。初日の夜に深雪には連絡を入れているから、恐らく心配はしていないはずだと思いながら玄関に立つ。朝早く帰路についたこともあって、時刻はまだ八時前だ。

「……お姉ちゃん?」

 普段ならば必ず「おかえり」と顔を出す深雪の気配がないことに不信感を抱く。今週はずっと家にいると言っていたはずだ……靴を脱ぎながら視線を下げれば、深雪の靴は残ったままだ。ということは家の中にはいるのだろうか。

「お姉ちゃん?」

 午前中は家事をしつつ、リビングでテレビなんかを見ている場合が多い。廊下を進んでリビングの扉を開けてみるが、そこには誰もいない。

「……っ!?」

 段々不安になってきた満春は、足早に二階に駆け上がり、深雪の部屋をノックする。だが、やはり返事はない。思い切って部屋に飛び込むがそこには誰もおらず……ただ開けっ放しの窓と、掛布団がくしゃくしゃのままに残ったベッドが目の前に現れた。

 開けっ放しの窓に恐る恐る近寄って、窓から身を乗り出して下を確認する。ひょっとすると深雪が転落しているのではないかと思ったが、姿はどこにもない。

「どこ、行ったの……?」

『満春、落ち着きなさい』

 どこか様子がおかしい部屋を見渡しながら、満春は体を固くする。ついてきたアケビが諭すが声は耳に届いていないらしい。仮に深雪が急用で慌てて外に出たとして、窓を開けっ放しにすることはないだろうし、ああ見えて几帳面な性格だから、掛布団をそのままにしていくとも考えにくい。だから余計に、この部屋で起きた何かを嫌な方向に想像してしまう。

 ……まるで、誰かに連れていかれたような――

「――っ!」

 そう頭の片隅で思った途端、ズキンと背中の痣が大きく痛んだ。

 その場にしゃがみこんで歯を食いしばる。背中が熱くなって、息が荒くなる。

「お姉ちゃんに……何か、したの?」

 たまらず痣に問う。

 悪い可能性を考えた時背中の痣が反応したということは、ひょっとすれば深雪は何かに巻き込まれたのかもしれない。それこそ、七獄の年に関係する何かに……。

「…………っ」

 満春は痛みが和らぐのを待って立ち上がると、そのまま再び家を飛び出した。

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