第三幕 いつか私がいなくなっても
「と、まぁ……前もちらっと言ったけど、大方こんな感じ」
バスに揺られながら、隣に座る蓮夜に深雪は言う。
「え、ええと……」
なんと返せばいいのか言葉を探していれば、それまでスマホに目を落としていた深雪が視線をこちらに寄越してきた。
「あんたが聞いてきたんじゃない、私とアケビについて」
「それは、そうだけど……」
言葉が出てこなくて、つい下を向いて黙ってしまう。
逢坂深雪は死んでいる。
なぜ、死んでしまったのか。
死してなお、なぜ生きているように振る舞い続けているのか。
夏休みということで隣町の図書館へでも行ってみようかとバスに乗れば、そこに深雪が乗っていた。幸いにも車内は空いていて、蓮夜に気がついた深雪が「隣、いいよ」と声をかけてくれたのだ。
女子の隣に座ることに若干の緊張を覚えつつ、最初こそ他愛もない世間話をしていたが、ふと深雪の荷物に花束があることに気がつく。そういえば行き先を聞いていなかったと思って何気なく質問した。それが始まりだった。
「……今日はね、花でも供えに行こうかと思って」
深雪が感情のこもらない声で言った。「どこに?」と控えめに問えば、窓の外を見たまま、彼女が言ったのだ。
「私の死体がある場所」と。
深雪は「気になってるんでしょ、私がこうなった経緯」と蓮夜が考えていたことを見透かすようにして笑う。それから窓枠に左肘をついたまま、まるで音読をするかのように淡々と己の身に降りかかった一連の流れを説明してくれたのだ。
そして、冒頭に戻る。
聞いておいてなんだが、思ったよりも重たい事実に、蓮夜は言葉を失っていた。
デリケートな部分という認知はしていたつもりなのに、それを自らの口で説明させることが、こんなにも罪深いとは想像していなかったのだ。
デリカシーがなかったな、と思う。
冷房の効いた車内で、ただエンジンの音だけが響いた。
「あんたも来る?」
「え?」
沈黙を破ったのは深雪の一言だった。
「私が今から行くところ」
一瞬、息が止まりそうなくらい心臓が跳ねた。今から行くところとは即ち――逢坂深雪が死んだ場所という事だ。そしてそれは、一つの命が奪われた場所を見るということでもある。
「…………」
ちらりと深雪を見れば、それまで窓の外を眺めていた彼女は、真っすぐな目でこちらを見ていた。
「……うん、行く」
彼女の真剣な目に、思わず蓮夜は頷いた。
これは、きっと受け止めなければならないことだと……そう思ったからだ。
***
バスから降りた先は、港だった。
この港には大きな施設があって、数々のイベントを開催している。長期休暇中や土日こそ人で賑わうが、幸いにも今日は特にイベントが開催されているわけではないようで、人の姿は疎らだった。波止場を散歩したり、自転車で通り過ぎる程度の人影しかない。
深雪は停留所からすたすた歩き出すと、そのまま一直線に施設のすぐ横の波止場に向かった。手すりのすぐ向こう側は海面で、夏とは言え落ちたら風邪をひいてしまうだろうと思う。
その手すりに体を預けるようにして、深雪が振り返った。
背後で煌めく水面が、彼女を余計にでも陰らせる。
「ここが、そう」
言いながら花束を右手だけで持ち上げると、海へ向かって大きく振りかぶる。
「私が――死んだ場所」
右手から花束が離れ、宙を舞う。
そのまま綺麗な弧を描いて、海面へぽちゃりと墜落した。
「…………」
波に揉まれるようにして、花束はただ海面を揺蕩う。
その光景を暫く二人は黙って見ていた。
ウミネコの声だけが、頭上で鳴る。
空は晴れているのに、どうしてか曇り空の下で海を見ているような気持ちになった。
「……さっきも言ったけどさ、」
「……うん」
「死体を満春に見せたくなかったから、この海の底に沈めたの。行方不明ってことにでもなれば、せめてまだ心が楽かと思って。もう、本当に死ぬんだって理解してたから」
でも、と続ける。
「結局アケビ――火車が、私の魂だけを引き上げてくれた。その時ようやくアケビがやっぱり妖怪だったんだって確信したわ。妹のそばにいたいのなら、恩返しとして協力してあげるって。私が元々言霊を使えることをアケビは気がついていたらしくて、歌に言霊の力を混ぜて、聴いてくれた人の心の力をある程度集め続けられれば、それを糧に生きた人間のように振る舞えるって」
もちろん火車の妖力で補助はしてもらう前提でだけどね、と深雪が続ける。
「私は……生きていたかった。せめて満春が大人になるまで……独りで生きていけるようになるまでは……」
「深雪さん……」
「だから、本当は私を殺したあいつを許せないし、悪い怪異も許せない……」
ざわざわ。
港に強い風が吹いた。
飛んでいたウミネコがどこかへ流される。
木々がまるで悲鳴を上げるように、その葉を激しく振り乱す。
これは、怒りだとすぐにわかった。
逢坂深雪という少女は、その心を……本当の恨みをまだ、隠したままにしている。
人でもない、だが妖にしてはその振る舞いは人に近すぎる。
酷く中途半端な存在になった己を、一番受け入れたくないのは……本当は彼女自身なのだ。
「…………っ」
どんな思いで、彼女はここで息絶えたのだろう。
他の誰も不幸にならないようにと、傷ついた体を冷たい海の底に沈めて……。
最期の瞬間まで、彼女はきっと、自分のことよりも残される人のことを考えていたのだ。
その優しさを思うと、胸がつまりそうになる。
吹きすさぶ風を受けながら、蓮夜はゆっくりと深雪に近寄る。
そしてそのまま、顔をあげた深雪をぎゅっと抱きしめた。
突然の蓮夜の行動に、一瞬深雪がその体を強張らせたのがわかったが、なぜだか放す気になれない。
抱きしめた事に関して、彼女の事だからきっと怒りだすだろうと覚悟をしていたが、耳元で生まれたその声色は、酷く落ち着いた色をしていた。
「……何で、あんたが泣いてるのよ」
ざわざわとした風が、止んだ。
「泣いて、ないよ」
そう口にして、初めて自分が涙を零していたことに気がつく。深雪の服や髪を濡らさないように、彼女の肩に回した自らの腕に顔を押し付けるようにして嗚咽すれば、蓮夜の背中をぽんぽんと優しく叩き返してくれる。
「……馬鹿ね、あんたが背負うことない」
言い聞かせるように、深雪が言う。
「もう過ぎたことよ。悔やんでも、仕方ない」
それでも、と言う。
「いつか、私がいなくなっても……せめて蓮夜、あんたくらいは私の事、覚えていてね」
約束よ。
そう言って深雪は、まるで母親のように蓮夜の頭を撫でた。
ふと視線をあげれば、海に投げ入れた花束が、随分と遠くに流されていくのが見える。
右に左にと揺らされて、やがていつかあの花達も海の底へ消えるのだろうか。
彼女が眠る、冷たい海の底に――。
(――ああ、神様どうか)
もしもいつか、彼女が本当の眠りにつく日が来るのなら……その時はどうか、温かい場所でありますように。
心の奥底で蓮夜はそう願い、今確かに感じる彼女の気配に、ただ身を預けたのだった。
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