【尊視点】伍

もうひとつの決着

 尊の腕の中で、華は意識を失っていた。


 顔色は悪く、肩で息をしている。額には脂汗。

 腹からの出血は止まっている。

 適切な処置を施せば命に別状はないだろう。しかし、痕が残る可能性は否めないのが悔やまれた。


(……翡翠が)


 尊は、華の左手首を確認する。

 翡翠の腕輪はまるで炎を固めたような紅い色に変わっていた。


(みどりは、のか)


 感傷に浸りかけた思考を無理やり断ち切り、尊は扉の外へ出た。

 廊下へ出れば結界はおのずと解除される。複数の聞きなれた足音が近づいてきた。


「中将! ご無事で!」

「彼女を病院へ。出血は止まっているが式神による加護の可能性がある。しっかりと治療をするように医師へ伝えるように」

「承知しました。担架をこちらへ持ってこい! 中将の保護した少女を搬送する!」


 華を部下へ預け、担架で運ばれて行くのを見届ける。

 誰にも気づかれないくらいの小さな嘆息を漏らすと、再び、己の執務室の扉を開けた。


 人型の常闇は部屋の中央に浮かんでいた。

 尊の使役するなかでも『月読』は封印装置の役割を有する存在だ。尊が亡くなっても、異能を継承した者へ封印は継承されていく。

 尚、『月読』に封印したものは式神として操ることはできるが、そのつもりはない。

 金輪際、賀茂朔夜が現世に現れることは、ない。


 二拝二拍手一拝の後、『月読』は消失した。


『尊。久しぶりね!』


 代わりに懐かしい声が聞こえてきて、瞳を閉じる。


「……みどりか」

『前から思ってたんだけど、その喋り方は何を意識してるの? 全然似合ってないわよ』


 窓のへりに、少女が腰かけて、歯を見せて笑っていた。

 ぶらぶらと楽しそうに足を揺らしている。


「……。変わらないな」

『あなたは変わったわ』

「十三年経った。……それに」


 尊は、敢えて言葉を区切った。

 まっすぐにみどりを見据える。


「君も今回の一件で、翡翠から出ることにしたのだろう。それは大きな変化だ」


 ――かつて、みどりが妖に命を奪われかけたとき。

 なんとか助けようとしたくずはの無意識によって、魂は、翡翠に封印されてしまった。それはくずは覚醒のきっかけともなった。

 尊とくずはにとって、決して口には出さないものの大きな出来事だった。


 ただ、みどりはそこから出ようと思えば出られたのだ。


『そろそろ、大丈夫かなって思って』

「……?」

『いい? 彼女からの質問に、答えてあげるのよ』


(質問……?)


 尊の脳裏に浮かぶのは、華の姿だ。




 ――幸せって、何だと思いますか。




(そうだ、約束した。答えを見つけたら教えると……)


 尊が再び顔を上げた、そのとき。


『彼女は大きく花開く。歴史に名を残す鍛冶師になるわ』


 ざぁっと強い風が吹き、勢いよく両開きの窓が開け放たれる。

 きらきらと、光の粒が舞う。

 少女の姿はどこにもなかった。




   §




「芦屋家との婚約は受けません。私は、火宮華との結婚を考えています」


 尊が告げると、正は青筋を立てた。

 しかし尊は正の威圧に一切揺らがない。沈黙の後、根負けしたのは父の方だった。


「……勝手にしろ」

「えぇ。そうさせてもらいます」

「立派な男児を産まねば許さんからな」

「あなたに許されなくても問題ありません。私は、何があろうと彼女のことを愛していますから」

「糞餓鬼め! 後悔しても知らぬぞ!」

 

 ずかずかと退出する正と入れ替わりに執務室へ入ってきたのは、くずはだった。

 何とも言えない表情で尊へ問いかける。


「やだー、怖い。大丈夫だったの」

「好きにしろと言われた。だから好きにさせてもらう」

「え? 吹っ切れすぎじゃない? 何かあった?」


 尊は答えない。

 しかし、みどりと華が言葉を交わしたことをくずはは気づいているだろう。

 言語化するにはお互いまだ時間を要する。

 何事も、簡単に解決したら誰も苦しまないのだ。


「時間をかけて理解してもらうしかない。長期戦だ」


 そうね、とくずはは微笑んだ。


「好き、といえば。華さんが目覚めたらちゃんと伝えるのよ。……ちょっと! そんな睨まないでくれる?」

「睨んではいない。元々こういう顔つきだ」

「知ってるけど」


 すると珍しく、尊は肩を落とした。

 くずはだからこそ弱音を吐いてもいいと言わんばかりに、視線を落とした。


「告げたら困らないだろうか。婚約を提案したとき、演技だと思い込んでいた」

「ちゃんと言わないから誤解されるのよ」


 近寄ってきたくずはが、ばしばしと尊の背中を叩く。

 やめろと言っても聞かない。


「自分の言葉で伝えなきゃ、ううん。伝えても、伝わらないこともあるのが……愛、だから」


 くずはの黄金のまなじりには、真珠のような涙が光っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る