第十話 翡翠の意味
(一)直接対決
§
翌朝。くずはは早々に出勤してしまったので、華は再びひとりになってしまった。
夜は越したので不安は和らいだが、心細くないといえば嘘になる。
華は、くずはから土御門家の離れでの待機を指示されていた。
火の精霊たちがいろりを囲むように集まっている。火はついていなくても、火にまつわるものは好物のようだ。
(……手持ち無沙汰だ)
いつになるかは分からない。
ただ、確実に、尊と朔夜は雌雄を決することになるのだろう。
(わたしは、朔夜にどうなってほしいんだろう)
まだ考えあぐねている。
復讐心から、死を望む? それとも、更生してほしいと願う?
罪の意識があれば償いを求めることもできる。
しかし朔夜には己が悪だという認識が欠けているように見える。
いくら説得を試みても無駄だろう。賀茂朔夜とはそういう人間なのだ。華が、周囲が知らなかっただけで。
(このまま何もしないで、ここにいていいんだろうか)
自分には何もできないことくらい、足手まといなことくらい分かっている。
それでも、華はすっと立ち上がった。
反応するように精霊たちが華を見上げる。
「危ないのは重々承知してるよ。でも、ただここでじっとしてるのは性分じゃない。力を貸してくれる?」
こくこくと精霊たちが頷くような仕草を見せた。
「行こう。帝国想軍へ」
(わたしはわたしで、朔夜とけじめをつけなきゃいけない)
§
今年は空梅雨だと誰かが言っていた。
空が梅雨を思い出したように、ひときわ雲が分厚い。
陽が差していない分、視界も暗くて、重たい。
華はなけなしの金で路面電車に乗り、帝国想軍本部へと向かった。
堂々たる門構えが、今日はいつもと違って見えた。何故だかぼやけているように感じるのだ。
門横の警備員に近づいても、何も反応してこない。
「……?」
真正面に立ってわざと大きく腕を振ってみても、瞬きひとつしない。
結論。華は、堂々と正面突破することにした。
ぽてぽてと精霊たちが後に続く。
「お邪魔、しまーす……」
しんと冷えた廊下は薄暗く、人の気配が感じられない。静かな足音だけが響く。
目的地は尊の執務室だ。神剣『八重垣』は、朔夜の目的でもある。
(もしかして、ここも、現実とは違う世界なんだろうか)
だとすれば、華を助けてくれているのは翡翠の腕輪だろう。
堅牢な階段を昇って三つめの部屋の前で正面に立ち、扉を叩いてみるが返事はない。
「失礼します」
一応声に出してから、華は扉を開けた。
部屋の奥には『八重垣』が納められている。
「あった……! !?」
踏み出そうとした華だったが、足が突然動かなくなる。
ぴし。
何かが割れる音が、した。
「♪~」
懐かしい子守唄がどこからか聞こえてきた。
歌えるのは、もう、華ともうひとりしかいない歌だ。
「はぁ。こうも分かりやすいと助かるね」
さらに、華の首元には短刀が当てられていた。
「そう行動するように育てたのは僕だから、当然といえば当然か」
「……朔夜」
「安心して。多少は動いても死にはしないよ」
刃は氷よりも冷たい。
いつ以来か分からない死の恐怖がせり上がってきて、華は、目をかたく瞑った。
「君も散々見てきただろうけど、人間は簡単に死にはしないからね」
「あなたが全員手にかけたくせに何を言うの。人間は、簡単に死ぬわ」
ほぅ、と朔夜が驚いたように息を漏らした。
「試してみるかい」
「嫌よ。少なくとも、あなたに殺されるのだけは勘弁」
華は深呼吸をして、動揺をなるべく外に出さないよう、己に言い聞かせる。
(大丈夫。ここでわたしをすぐに殺さないということは、わたしを何か利用しようとしている。冷静に向き合えば、こわくない……)
「なんだかつまらないな。僕の知っている君じゃない」
「だったら、どうするつもり?」
「どうもこうもしないさ。今華を殺さないでいるのは、君が、神剣の
まるで人間が息をする理由を説明するかのような声色で、朔夜は言った。
「火宮の生き血に七日七晩浸せば、祝福は呪いに転ずる。これは儀式だよ」
「……!」
殺さないだけ。死なない程度に血を流し続ける器。
美代をあんな目に遭わせた男なのだ。それくらい造作もないのだろう。
平静を装う努力をしていた華だったが、ここにきて背筋が粟立った。
(……ま、負けないんだからっ!)
華は歯を食いしばり、ようやく目を開ける。
足元には精霊たち。
土の精霊の上に、何故だか火の精霊が載っている。
(一体、何を、っ)
土の精霊が勢いよくその毛玉を振り上げた。すると、火の精霊は空中に放り投げられる。
ぱんっ!
目くらましのように、大きな音と光で爆ぜた。
「何だ?」
(今だっ!)
華はしゃがんで、そのまま前に転がった。
不格好だがそれくらいしか逃れる方法が思いつかなかったのだ。
「痛……」
執務机に腰を打ちつけてしまった。じんじんと痺れている。
首に手をやると、うっすらと指先に血がついた。流石に無傷で逃げるのは無理だったようだが、これくらいならかすり傷だ。
華は机を背にしてなんとか立ち上がって、朔夜と向き合った。
ふたりの間には精霊たちがいる。
「流石に驚いたよ。異能を操れるようになったの? 黄金の瞳なしに?」
「さて、どうしてでしょう」
「理由はさておき、ますます華の生き血が欲しくなった」
(えええ……)
緊迫した状況ではあるものの、華は気の抜けた声を上げそうになってしまった。
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