(四)姉妹
§
警護つきで華は土御門家へと辿り着いた。
伝統的な日本家屋に宿泊するのは、二回目だ。
前回は、八重垣を鍛えて、完成するまでの間。そのときは客間に案内された。
今回通されたのは本邸ではなくて離れである。
離れは、本邸とは違う特別な結界で守られているらしい。
火の精霊や土の精霊たちがのんびりと過ごしている。精霊たちにとっては心地がいいかもしれないが、華は落ち着かない。
何せ、ひとりで夜を過ごしたことがないのだ。屋敷の中に誰かがいるという安心感がないと、それだけで不安になる。
「華さん! 今帰ったわよ!」
月が昇り切った頃、離れにくずはが現れた。
華がほっとしたのも束の間。
くずはは華の顔を見るなり勢いよく抱きついてきた。どさっ。勢いで華は畳に押し倒されてしまった。
「くっ、くずは、さん?!」
「聞いたかしら?」
柔らかでどこか寂し気な言い方に華は察する。
くずはが示しているのは、尊の元婚約者、つまり、くずはの姉のことだろう。
「……はい」
くずはが華から身を離す。
華はゆっくりと上体を起こした。そして、くずはの隣に座り直す。
「ということは、尊も覚悟を決めたということね。安心したわ。いい加減、自分の気持ちに素直になりなさいってやきもきしていたから」
話をしましょうか、とくずはは言った。
「疲れていませんか? 早くお休みになった方がいいのでは」
「大丈夫、大丈夫。あたしが華さんと話したい気分なの。というか、今日はここで寝ちゃうわ」
よく見ればくずはは寝間着のようなゆったりとした着物を着ている。
ふたりは押し入れから布団を一式ずつ出して、横に並べた。
「幼い頃のあたしは、自分自身で力を制御することができなかったの。簡単に言えば、周囲の人々を否応なしに傷つけてしまう不幸の象徴みたいな存在だった」
暗闇のなか、普段とは違う
「唯一、普通に接してくれていたのが姉のみどりだったの」
「……一条さまは?」
「ふふっ。勝手に話すなって怒られそうだけど、子どもの頃のあいつは本当に性格が悪かったのよ。まさしく、唯我独尊とでもいうのかしら。そんなあいつも何故だか姉には頭が上がらなかった。私も尊も、姉がいなければ世界と繋がっていられなかった」
ふたりにとってはみどりという少女の存在は別格だったのだろう。
その喪失をもってそれぞれが己の性格を変えてしまうくらいには。
「華さん。尊の傍に、いてあげてね」
「はい。精一杯、婚約者役を務めます!」
「……ん?」
くずはの声色が変わった。
「もしかして、尊にもそう宣言した?」
「勿論です。不安げにされていましたが……」
「……」
(しまった。くずはさんも不安にさせてしまった……。そうだよね。わたしと一条さまじゃ絶対に釣り合わないのは、くずはさんも承知の上だろうし……)
「……華さん、変なこと考えてない?」
「えっ? いえ。どうしたら一条さまの婚約者役を全うできるかを」
「大丈夫よ。華さんのままで、挑みなさい」
寝ましょうか、とくずはは言った。
暗闇のなかで華は天井をぼんやりと見つめる。
好きな人の役に立てる。
(それだけで充分。それ以上は、望んじゃいけない)
すぅ、と寝息が聞こえてきた。
(くずはさんも出張帰りでお疲れなんだろうな。それなのに、わたしのことを気遣ってくれて……。わたしにとってはくずはさんが姉のような存在だと、今度伝えてみよう)
華もまた、瞳を閉じる。
――その晩、華は、ふしぎな夢を見た。
格子によって世界と隔たれた座敷牢の片隅で、ぼろぼろの少女が三角座りをしている。着ているものの、頬のこけ方も、手首の細さも、まともに世話をされているとはとうてい思えないような見た目だ。
一方で、髪の色は見事な金。
瞳の色も同じ黄金だというのに、暗く澱んでいた。
『くずは。お菓子を持ってきたわよ! 食べましょう!』
くずはと呼ばれた少女が顔を上げる。
格子の外側に立っていたのは、身なりのいい和服姿の少女と少年。少年は無理やり連れてこられたのだろうか、むすっとして不機嫌そうだ。しかし目鼻立ちがはっきりとしていて、その不快げな表情すら映えてしまう。
そして声をかけた少女の顔は、何故だか墨で塗りつぶされたように、見えない。
『……要りません』
『食えよ。この俺が作った世界一美味い菓子なんだぞ?』
『もう、乱暴ね。尊のその自信はどこから来るのか今度教えてちょうだい』
『うるさいな、みどり。真実だろうが。ほら、受け取れ。拒否するなら無理やりその口に突っ込むからな』
するとみどりは容赦なく尊の後頭部をはたいた。
『何すんだよっ』
『くずはに乱暴なことはしないでちょうだい』
みどりは尊が手にしていた紙包みを奪った。格子の隙間から、くずはへ向けて腕を伸ばす。
『はい、どうぞ』
観念したのか、くずはは恐る恐る格子へと近寄って行く。
両手で紙包みを受け取るとゆっくり解く。中には茶色い焼き菓子が入っていた。
『ビスケットっていう西洋菓子だ』
つまんで、口に運ぶ。
ぱきっという乾いた音が響いた。
『……変わった、味』
『ねっ? 面白いでしょう? あたしたちも食べましょうか』
『海外ではこんな菓子が流行ってるなんてふしぎだよな』
『……あんた、さっき世界一美味しいって豪語してなかった?』
『うるさいな!』
みどりと尊のやり取りに、小さく、くずはが吹き出した。
すると見逃さないと言わんばかりにふたりはくずはへばっと顔を向けた。その勢いがあまりに揃っていたので、くずはは声を出して笑い、つられてみどりと尊も笑い出すのだった……。
華は、その光景を、まるで天井から眺めるように見ていた――
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