(二)無事でよかった

 紺色の和服を着た細身の青年は、右目に眼帯をつけていた。


 賀茂朔夜。

 華の幼なじみ。元婚約者。故郷を滅ぼした張本人。美代の胎に玉鋼を隠していた、卑劣な禁術者。


 華は胸の前でぎゅっと拳を握りしめる。

 息が苦しい。背筋を冷や汗が伝う。


 人違いだったとしても似すぎていた。

 一瞬前まで己の身の振り方に悩んでいた華だったが、朔夜を追いかけることに躊躇いはなかった。


 人混みをかき分けて、幼なじみの姿を追う。

 しかしあっという間に見えなくなってしまった。


「……見失っちゃった……」


(見間違いだったのかな)


 肩を落とす華。

 ところが、ぽん、と誰かがその肩を叩いてきた。


「尾行が下手すぎるよ、華」


 肩越しに振り返り華は飛びのく。


「さ、朔夜……!」

「久しぶり。元気そうで何より」


 気さくさを一切失っていない。

 そのことに、華は、はらわたが煮えくり返る思いだった。

 よほどの表情で睨みつけていたらしい。

 降参するような、あるいは馬鹿にするような仕草で、朔夜は両手をひらひらと振ってきた。


「やだなぁ、そんな威嚇しないでくれ。君なんかじゃ僕をどうにかすることなんてできないんだから」


 華は唇を噛む。朔夜の指摘は痛いくらいに正しかった。


「帝都に来て何をするつもり? また誰かを騙したり殺したりするの」

「物騒だなぁ」


 物騒なことを実行している本人だというのに、朔夜は他人事のようにのんびりとしている。


「取り返しにきたのさ。神剣は僕のものだ」

「……まだ諦めていなかったの」

「勿論。しかし、華も不運だね。一条家を追い出されたんだって?」

「どうして、それを」


 華は、しまった、という表情になったがもう遅い。


「情報網を張り巡らせているからね。異能がなくてもこれくらいは造作もないことさ」


 どうやら、朔夜の眼帯の下に黄金はないらしい。

 とはいえ華も緊張を解くつもりはない。


「まぁ、仕方ないよ。一条家は名家だし、然るべき相手との結婚は義務だ」


(婚約の話まで知っているということね……)


 華は敢えて隠すのをやめた。視線を地面に落とす。


「……まぁ、そうでしょうね」

「一条尊はかつて許嫁を死なせてしまったそうだし、今度の婚約は、慎重にならざるを得ないようだから」

「え……?」


 未知の情報に華は息を呑んだ。


(許嫁を、死なせた?)


「これまで君を保護していたのは、君が、僕と通じていないかどうか監視するためだったんだよ。白だと分かった時点で、そもそも置いておく理由はなくなっていた。君が追い出されたのは、遅すぎるくらいなんだ」


 朔夜の言葉はいつだって優しい。

 優しいだけではない。引っかかると抜けない棘のようなものが潜んでいる。


「とはいえ、こんなところで僕と話していたら、内通者だと思われてしまうよ。だとしたら、そんな君を匿っていた一条尊は、どんな処分を受けるだろうね?」


 するりと朔夜が離れていく。

 華は、足を地面に縫いとめられたかのように動けない。


「君のせいでが窮地に立たされないようがんばってね」

「……」


 地面へ視線を落としたままの華。

 そのとき、ごぅ、と風が吹いた。




「賀茂朔夜を捕らえよ!」




 華は弾かれたように顔を上げた。

 朔夜と華の周りからすーっと人波が引いていったかと思うと、和服やスーツ姿、様々な装いの男性が朔夜を羽交い絞めにしてそのまま地面へ押さえつけた。

 つかつかと誰かが歩いてくる。

 そして、朔夜を見下ろすように立ち止まった。


「……一条、さま」


 号令を出したのは他ならぬ軍服姿の尊だった。


「やぁやぁ、港町ぶりだね」


 その身が不自由となってもなお、朔夜は慌てる様子を見せない。


「華の監視を続けていたのかい?」

「……!」


(違います、一条さま。わたしは朔夜と通じてなんかいない……!)


 華は尊へ顔を向けて、ふるふると首を左右に振った。

 尊は、華を見ない。


「あいにくだが、貴様の言葉に耳を傾けるつもりはない。華を都合よく利用しようとするのはいい加減止めろ」

「へぇ。随分信用しているんだね」

「そうだ」


(……一条さま……)


 一体、尊にどんな根拠があるのかは分からない。

 しかし断言してくれたことは何よりも華を勇気づける。


「甘いね。何度も言うけれど、僕の方が華と過ごした時間は長いよ?」

「笑止。その積み重ねを崩したのは貴様自身だろう」


 尊が腰に佩いている『八重垣』をすらりと抜いた。

 その切っ先は躊躇いなく朔夜へと向けられる。


「すごい! これがあの玉鋼か!」


 突然、朔夜が左の瞳を輝かせた。


「やっぱり僕の見立ては間違っていなかった。華だからこそ、この神剣を鍛えることができたんだ!」

「な、なによ」


 華は、興奮し出した朔夜の反応にたじろぐ。


「夢で見たんだ。君じゃなきゃ、君じゃなきゃ駄目だって」

「聞くな、華」


 立ち位置を変えることなく尊が華へ語りかける。


「ははは。君もなんだかんだ言って不安みたいだね。いいよ、神剣を見られたし、大人しくお縄につくとしよう」


 なおも余裕を見せ、朔夜は抵抗しない。

 到着した帝国想軍の四輪自動車に押し込められてそのまま連行されていく。


 尊はそれに同乗しなかった。

 『八重垣』を鞘に納めると、ふぅと息を吐いた。

 華に向かい合うと、ぽつりと零す。


「無事でよかった」

「は、はい。おかげさまで」

「父がひどいことをした。本当に申し訳ない」

「あ……」


 瞬時に華は理解した。

 無事、の言葉の意味。それは、一条正の仕打ちも含めて、なのだということを。


「あの、わたしのことは気になさらないでください。お父さまのおっしゃることはもっともだと思います。一条さまの将来を考えたら、」

「私は誰とも結婚するつもりはない」

「……」


 遮られた言葉は、華にとっても刃のようだった。


「父は私ではなく、家の将来しか考えていない」

「そんな……ことは……」

「君にも理解できるだろう。かつて、君の父親は、女だからという理由だけで君を後継ぎにしなかったのだから」


 華は視線を地面に落とした。


「いや、違う。言いたいのはそういうことではなくて。……場所を変えよう」

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