第九話 心に生きる人のこと

(一)突然の解雇

   §




 帝国劇場へ行った翌朝。

 華が路面電車でいつものように陰陽寮へ出勤すると、何やら慌ただしい様子で職員たちが動いていた。


「おはようございます」


 くずはは出張でいないと聞かされている。

 少し違和感を覚えて自分の席についたところで、職員のひとりが華にささっと駆け寄ってきた。

 三十代半ばらしい彼は、何かと華を気にかけてくれる存在のひとりだった。今日は、こころなしか表情が青ざめて見える。


「火宮さん。第一応接室でとある御方がお待ちだ」

「とある御方……?」

「くれぐれも粗相のないように。気をつけて」

「はぁ」


 ただならぬ様子に気圧されつつ、出勤してすぐだというのに華は第一応接室の扉を叩いた。


「失礼いたします」

「来たか」


 少ししゃがれた声が華を出迎えた。

 上座に座っていたのは、和服姿の老人だった。


(どこかで見たことがあるような気がする……?)


「座れ」

「は、はい」


 ステッキで下座を示されて華は素直に従った。


(なんだか、いやな感じの人)


 不快感がない訳ではなかったが、で散々訓練された笑顔で、華は老人と向かい合った。


「火宮華だな。須佐村の生き残りと聞く」


(生き残り、って。客観的に見たらそうだろうけど。何で初対面の人にそんな風に言われなきゃいけないの!)


 かちんと来たが、まだ、顔には出さない。


「……さようでございますが」


 華は警戒心を最大にしたまま低い声で答えた。


「単刀直入に言おう。一条家から荷物をまとめて即刻立ち去れ。金がなくて陰陽寮で働いていると聞いた。支度金は望むままに与えよう」

「は……?」


 どさっ。乱暴に、机に置かれたのは分厚い封筒。

 華にだって分かる。ここには札束が詰まっている。


 突然の、見知らぬ老人からの命令。

 華は眉をひそめて黙り込んでしまった。


「言っている意味が分からないか? これだから女は」 

「あ、あの、失礼ですがあなたさまは」

「儂は一条正。帝国想軍元大将であり、一条家の前当主だ」


(一条さまの、お父さま……!)


 華は腹落ちする。見たことがある気がしたのは、尊と、どことなく目元や鼻筋が似ているからだった。


「我が一族は代々、神の力をお借りして妖を滅ぼしてきた由緒ある家系。縁を結ぶ相手にも相応の異能が求められる。貴様のような何の異能も持たぬ女が一条家にいつまでも居座られても迷惑なのだ。たった今から暇を与える。帝都からさっさと出て行け」


(!!??)


 いろんな意味で驚きしか出ない、まさしく暴言だった。

 流石にこのまま黙っていることはできなかった。華は反射的に立ち上がる。


「お待ちください。どうしていきなりそんなことを言われなきゃならないんですか!」


 目の前に置かれた札束入りの封筒を、とりあえず掴んで突き付ける。


「これは受け取れません。わたしだって多少のお金はあります」


 正がぎろりと華を睨んでくる。

 その鋭さに怯みつつも、華は、ぎゅっと拳を握りしめて耐えた。


「婚約前に、理由があれど女と同棲していたなど、外聞が悪いからに決まっているだろう」

「……こ……?」


 正は返された封筒を受け取った。

 華が出て行かないのなら自分が出て行くことにしたようで、立ちすくむ華の脇を、杖をつきながら退出した。


「二度と息子に近づくな」


 すれ違い様に一言を残して。ばたん、と扉が閉められる。

 心臓の鼓動がいやにうるさい。指先がどんどん冷えていく。


 すとん、と椅子に腰を下ろした。


(婚約、前?)


 突然のことに思考が追いつかない。両膝の上で、拳を握りしめる。

 あの様子だと一条家に行っても中へ入れてもらえないかもしれない。

 頼みの綱であるくずはは、今、帝都にいない。


(どうしよう……どうしよう……)


 応接室を出たところで先ほどの職員が走り寄ってきた。


「火宮さん! 今、一条元大将が君を解雇したと通達してきたんだけど……すぐに土御門様に連絡を入れるから」

「だ、大丈夫です。今までお世話になりました……」

「火宮さん!?」


 深く頭を下げると、小走りで陰陽寮から……帝国想軍の建物から出た。

 振り返る。

 堅牢な建物は、もう、華を歓迎していないように見えてしまった。


(態度は失礼極まりなかったけれど、一条さまのお父さまは間違ったことは言っていない。わたしのせいで一条さまの評判に傷がつくようなことは、あってはならない)


 胸がずきんと痛んだ。涙が零れる前に、華は帝国想軍を後にした。




   §




 華にとって行く当てといえばひとつしかない。

 ひさしのところだ。予定はかなり早まってしまったがしかたない。


(港町まで行く交通費はあるけれど、家を借りるには心もとない。あのお金をもらっておけばよかったとは思わないけれど……)


 華は盛大な溜め息をこぼした。

 悩んだ末、帝都中央駅まで歩いてきた。足はじんじんと痺れている。

 火の精霊と土の精霊が、華を労わるように寄り添ってくれていた。


 ……ぐぅ。腹の音が鳴った。数時間ひたすら歩いた結果、陽はすでに高い。


(屋台で何か食べようかな……。でも、お金……)


 ふらふらと顔を上げた華は、己の目を疑った。

 雑踏、視界の奥によく知った人物を見つけてしまったのだ。


(朔夜!?)

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