第八話 新生活

(一)陰陽寮

   §




『次は帝国想軍本部、帝国想軍本部。お降りの方は……』

「あっ。お、降ります!」


 路面電車の車内。

 華は右手を勢いよく挙げて叫んだ。

 真似をするように足元で火の精霊たちも手を挙げる。


「ありがとうございましたっ」


 紺色のワンピースの裾が、ふわりと揺れた。

 流行からは少し遅れているそうだが、白い襟の形が気に入っている。

 そもそも流行色を取り入れたからといって最先端の人間になれる訳でもない。そう卑屈になってしまうのは、田舎者の悲しい性である。


 それでも、帝都を歩いていても違和感がないように努力はしてみた。

 くずはに選んでもらった帽子は淡い白色のクロッシェ。

 革靴は履きなれないので、なんだか足が窮屈に感じる。


 お守りは、緑色の輝きを放つ、翡翠の腕輪だ。


 やがて目的地の前に立つと、手のひらにじんわりと汗が滲んできた。

 見上げるのは眼前にそびえたつ堅牢な洋風建築だ。


(つ、ついに来てしまった……)


 帝国想軍本部。

 左右にどこまでも伸びる鈍色の塀。中央の切れ目、つまり正門には、屈強そうな男が立っている。

 鋭い視線を向けられただけで華は跳び上がりそうになってしまった。


「華さん! 待ってたわよ!」


 石造りの階段の向こうから、少し低めなのによく通る女性の声が華を呼んだ。

 土御門つちみかどくずは。金髪金目、帝国想軍陰陽寮おんみょうりょうの責任者である。

 くずはの登場でほっとした華は声を張り上げる。


「おはようございます! 今日からお世話になります!」


 なんと、華は陰陽寮での臨時事務職員として採用が決まったのだ。

 引っ越し資金を貯めるために帝都での働き口を求めた結果であり、あくまでも期間限定の雇用ではある。


「いやぁねぇ、堅苦しい」


 近づいてきたくずはに、華は、目を丸くした。

 くずはの、海松みる色の狩衣姿に驚いたのだ。一度、港町で目にしたことはある。しかし。


「普段の仕事着も、これですか」

「そうそう。似合うでしょ」

「……くずはさんは美しいので、何でも似合うと思います」

「あら。上手なんだから!」


 ばしばしとくずはが背中を叩いてくる。

 それから華はくずはに促され、並んで階段を昇った。くずはとのやり取りを見たからか警備員は何も言ってこなかった。


「調子はもういいの?」

「はい。おかげさまで」


 華は無理がたたったのか、帝都へ帰ってきて七日ほど熱を出して寝込んでしまった。それでも、今回の回復はに比べると早かった。


(もう簡単にはめげないんだから!)


 さらには、気力も十分である。華にとっては初めての就職だ。


「さぁ、向かいましょうか」


 くずはが建物内へ華を招く。

 薄暗い廊下の中央には立派な赤絨毯が敷かれていた。


 華が近代的な建物で中を知っているのは、帝都中央駅と一条家の客室、百貨店、港町のホテルくらいだ。それらとは対照的な、厳格で、物々しい空気が流れている。


(これはなかなか……)


 華はまばたきを繰り返した。

 口を開くのが躊躇われるような厳粛さとは対照的に、軽やかにくずはは華へ振り返った。


「初めて来る人は全員もれなく迷うのよ。ただ、一度で覚えられるとは思うから安心して」


 こくこくと華は頷いた。

 しかし、どの扉もかたく閉ざされていて、似たような景色が続いている。


(くずはさんはそう言うけれど、一度で道を覚えられるか不安……)


「陰陽寮は三階。同じ階に尊の執務室があるから寄っていきましょうか」

「は、はいっ!?」


 必死に道を覚えようとしていた華は、くずはの突然の提案に素っ頓狂な声を上げた。


「……え? 邪魔になりませんか?」

「ならないならない。あはは」


 すれ違う軍人たちはくずはへ深く頭を下げる。

 改めて、帝国想軍内におけるくずはの立ち位置が分かるようだった。

 

 立派な階段を昇り、ふたりは三階へ上がった。

 廊下を挟んで扉と細長い窓。やはりどこか物々しい、同じような景色が続く。

 くずはは迷うことなくとある扉をこんこんと叩いて、反応が返ってくる前にがちゃりと押し開いた。


「華さんが来たわよー!」

「……知ってる」


 部屋の奥から低い声が聞こえてきて、華はびくりと肩を震わせた。

 くずはの後ろから華は部屋を覗き込む。

 すると、部屋の奥にある執務机に書類を広げていた尊と視線があった。


「今朝ぶりだな」


 尊は立ち上がると部屋の入り口まで歩いてきた。


「路面電車には問題なく乗れたか」


 執務室の後ろ、壁際には、華の鍛えた神剣が飾られていた。

 華は口元がわずかに緩むのをなんとか隠して首肯する。


「はい」

「過保護すぎなんじゃない」

「くずはは黙っていろ」


 尊がくずはをぎろりと睨んだ。


「しかし、本当に働くつもりなのか。資金ならいくらでも援助するというのに」

「衣食住をお世話になっているのに、これ以上望む訳にはいきません」


 ふるふると華は首を横に振った。

 尊からは神剣を鍛えた礼ということで援助すると言われているが、こうして丁重に断り続けている。


「陰陽寮の奴らから迷惑を被るようなことがあれば私に相談しろ。厳重な処罰をくだす」

「過保……なんでもないわ。あたしもいるんだから大丈夫だよ」


 すると、くずはがぐいっと華を引き寄せた。


「お前が一番心配なんだ」

「大丈夫ですよ。くずはさんはとてもお優しいですから」

「……」


 何故だか尊は苦虫を嚙み潰したような表情で華たちを送り出した。


 陰陽寮。

 帝国想軍の本部でも、奥のさらに奥にある部署だ。物理的な場所も、政治的な立ち位置も。


 くずはが予告もなく部屋に入ると、ざっと軍人たちの視線が集中した。


(ひゃっ!?)


 華に向かっても敬礼するので、驚いて背筋を伸ばす。

 よく通る声でくずはが宣言した。


「皆、聞いてちょうだい。今日から臨時の事務職員として働く火宮ひのみや華さんよ。怖がらせたりしないように!」


(こ、怖……?)


 華は両手を揃えて頭を深く深く下げた。


「火宮華です。宜しくお願いします!」

「変なことをしたら、あたしと一条中将が黙っていないからね」


 空気がざわめく。

 華は引きつり笑いを浮かべた。

 視線をあてもなく彷徨さまよわせると、見たことのない置物に視線が留まる。

 気づいたくずはが、その置物に触れた。


 華の胴くらいの大きさで、いくつもの金属製の輪が立体的に組み合わさって

球になっていた。輪の平面部分や土台には数字のようなものが刻まれている。

 何もかも、見たことのない意匠だ。


「渾天儀よ」

「こんてん、ぎ?」

「太陽、月、星。かんたんに言うと、天体の動きを立体的に示す道具ね。あくまでも陰陽寮の主要業務は、暦を作成して、吉兆を占うことだから」


 華は身を屈めて渾天儀を眺める。


「たとえば、季節によって見える星が違うのも、天体の動きによるものなんですか」

「その通り。知れば知るほど、面白いわよ」


 くずはが片目を瞑ってみせた。

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