(三)漆黒に光の粒

   §



 

 帝都へと戻る列車内で、華は、くずはからいくつかのことを聞かされた。


 『一条尊は八岐大蛇討伐のため異世界へと渡っている』


 そのようにくずはが各方面へ通達していて、大きな問題になってはいないらしい。妖との戦いは時として異なる世界で行われることもある、らしい。

 そういうものなのよ、とくずははあっさりしたものだった。


「あいつがあの年齢であの地位にいるのは、それなりの業績があるからよ」


 華を気負わせないためだろうか、くずははひらひらと手を振った。


「くずはさんと一条さまは幼なじみだと伺いました。子どもの頃から、共に陰陽術を学んでいたと」

「あら、そんな話までしたの?」


 尊の異能は、正確には陰陽道には基づいていないのよ、とくずはが言った。


「あいつにとっては、あくまでも敵を知るための基礎みたいなもので。実際のところ一条家が使役するのは、式神ではなくて神話の登場人物そのものなの」

「……神様、ということでしょうか」


 建御名方たけみなかた

 迦具土かぐつち

 いずれも、華のおぼろげな記憶に残っている、尊が呼びよせていた強大な力だ。


「そうね。あたしみたいな一般人には口にすることすら恐れ多い名だわ」


(くずはさんは一般人ではないと思うけれど……)


 話の腰を折ることになるので、華は敢えて黙っておく。


「それでも、一条さまは、くずはさんのことを姉のような存在だと言っていましたよ」


 くずはがきょとんとした表情になる。それから深く溜め息を吐き出した。


「……どうかされましたか?」

「華さんは気にしないで。もうほんと、あいつってば……」


(あまり詮索しない方がよさそうだな)


 華は話題を変えて、できあがった刀身がどのように刀となるかを説明した。くずははそれを興味深そうに聞き、質問を交えながら会話は弾んだ。

 ふたりはその日のうちに帝都へ戻ってきた。とはいえ黄昏時。華はくずはの屋敷に泊まることになった。


「さて、着いたわよ」


(一条さまのお屋敷も豪邸だったけれど、くずはさんのお屋敷も恐ろしく大きい……!)


 外から見て、一条家と同じくらいの広さだというのは容易に想像がついた。

 ただ一条家とは違って洋風部分はなさそうだった。


「お、お邪魔します」

「緊張しなくてもいいのよ? ただ広いだけの家だもの」


 はぁ、と華は生返事になってしまう。


(ただ広いだけ、の程度がおかしいんですよ……?)


 故郷の、朔夜の屋敷だって広かった。しかしそれとは比べ物にならないのだ。


「それで、用意させているもの、とは」

「ふふふっ。ついてきてちょうだい」


 すっかり陽の落ちた中庭には灯りが点っていた。

 煌々と照らされていたのは、華ではとうてい抱えきれないような巨大なかめだ。

 それが全部で八つ並んでいる。


(あれが、秘策?)


 しかし、華にはそれが何か分からない。


「酒よ」

「さ、け?」


 予想外の答えに、華は、くずはの言葉を繰り返した。


八塩折之酒やしおりのさけ素戔嗚尊すさのおのみことが八岐大蛇を退治したときに用いたと言われている強力な酒よ。実際はどんなものだったか分からないから、とびきりの貴醸酒で再現してみたわ」

「これをどうするんですか。まさか八岐大蛇に呑ませると」

「? それ以外に何があるの?」

「……えぇと」

「最後まで聞きなさい。酔っぱらって眠ってしまえば、誰でも容易く首を斬り落とせるわ」


(……そんなにうまくいくんだろうか)


「そんなにうまくいくんだろうかって顔に出てるわよ」

「あっ」


 華はよほど不安そうにしていたらしい。指摘され、申し訳なさそうに縮こまった。


「……すみません」

「大丈夫。さっさと尊を救い出して、神剣を押し付けちゃいましょう?」


 ふわぁっと風が吹く。

 くずはの髪と瞳が、鮮やかな黄金へと戻っていく。


「神話の再現をするのよ、あたしたちで」




   §




 数日後。

 神剣が完成したという連絡を受けて、再び、華とくずはは港町の鍛冶屋へ向かった。

 もちろんくずはは黒髪黒目に変装している。ふたりで揃いの柄の着物を着ていると姉妹みたいだとくずはは言ったが、平たい顔の華としてはとても同意できなかった。


「おぅ! 早かったな!!」


 無精ひげを生やしたままの央は、華たちを大声で歓迎した。


「本当にすぐ来たな! いやはや、式神ってのはすごいもんだ」

「ご無沙汰しています。それで、完成した神剣は」

「これだこれだ」 


 ことん。鞘にきちんと納められた刀剣を央が台の上に置いた。


「……っ!」


 華は、息を呑んだ。言葉を発することができなかった。


 鞘はまるで、玉鋼の煌めきを写しとったような漆黒に光の粒。描かれているのは曼殊沙華だ。それは刀を鍛えるときに散る火花の輝き。

 鍔は金。柄巻は紅、覗く柄は漆黒だ。


「どうだ。どことなく、嬢ちゃんっぽいだろう」


 持ってみな、と央が促した。

 恐る恐る華は刀に触れて、ゆっくりと両手で持ち上げた。


「重たい……」


(鍛えているときは無我夢中で分からなかったけれど)


 刀の重みだけではない。装飾の分が増えているが、そういう意味でもない。

 華の周りの精霊たちもじっと刀を見つめている。


「刀は託したぞ。それで、どうするつもりなんだ」

「神剣を持つべき人へ届けに行きます」


 華は言葉に力を込める。

 八岐大蛇のなかで、今も、尊は生きているのだ。


「そうか。神剣を扱えるなんて、さぞ強い奴なんだろうな」

「はい」


 ふたりは央の鍛冶屋を後にした。


「豪快よね。こちらの事情に踏み込んでこない気遣いもできて」

「ありがたいことです」

「正式に弟子入りするつもり?」

「すべて終わったら、そうしたいと思っています」


 華が刀を鍛えられたのは、央や精霊たちのおかげだ。

 ひとりでは何もできない。足りないものの多さにおののくばかりだ。


「いい表情ね」


 くずはが立ち止まって、華を見つめた。


「あたしも、かつて思っていた。どうして自分は男に生まれなかったんだろうって。もしあたしが男だったら、と呪いのように散々刷り込まれてきて、苦しい時期があった」

「くずはさん……」

「最終的に力で強引にねじ伏せたんだけどね。あはは!」


(それでも、並大抵のことではなかったはず)


「世の中はこれからどんどん変わっていく。女性もまつりごとに参加できるようになっていくでしょうね。通ってきた身として、誰もが望む権利を獲得できるようになってほしい」


 くずはがそっと目を細める。


「行きましょう。陰陽寮の職員が結界を張って、酒瓶を用意しているわ」

「……はい!」


 華は、改めてしっかりと両腕で刀を抱えた。

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