(二)銘切り

   §




 あっという間に一日目の作業が終了した。

 汗を拭きながらくずはが華に話しかける。


「刀身って、こんな風に作られていくのね。すごく面白いわ」

「そう言ってもらえてうれしいです」


 華も華で頬を紅潮させている。


(横座に座ったなんて嘘みたい……。まだ、どきどきしている)


 今晩は眠れる気がしなかった。しかし作業は明日も続く。

 刀身は一朝一夕で仕上がる代物ではないのだ。

 華はぺちぺちと両頬を叩いて気合を入れ直す。それからくずはに向き合い頭を下げた。


「来てくれてありがとうございます、くずはさん」

「当然に決まってるじゃない。……?」


 くずはは何かに気づいたように華に近づいた。

 翡翠の腕輪にそっと触れる。


「尊の力が込められている? 何故……?」


 くずは以上に驚いたのは華だ。

 翡翠の力で飛ばされたのは過去ではなかった。尊だって本物とはいえない。


(くずはさんなら、あれが何だったのか分かるかもしれない)


 意を決して華は口を開く。


「実は――」




 華は、過去のような世界に飛ばされてしまったことを説明した。

 聞き終えたくずはは珍しく神妙な面持ちになる。


「……なるほどね」

「一体、あれは何だったんでしょう」

が華さんの気持ちに呼応したのかもしれないわ。翡翠は好きだから」

「翡翠が……?」


 華は腕輪を見つめた。今は何の反応もない。

 どたどたっ、と央が割り入ってくる。


「ふたりともご苦労だったな。結が晩飯を用意しているから、食べていきな」

「いいんですか?」

「おぅ。立派なもんは出せないが、結の料理は何でも美味いぞ!」


 央を先頭に、華とくずはも後に続く。

 ちゃぶ台の上にはおかずが並んでいた。根菜の煮物や小ぶりの魚の干物など、奮発した様子が見える。


(おぉ……!)


 ぐぅ。華の腹が勢いよく反応した。慌てて抑えてみたものの今さら遅く、恥ずかしさに顔が赤くなる。


「おかえりなさい。どうでした?」


 ふわりと微笑み、結が出迎える。

 割烹着姿で手にはしゃもじ。台所からもおいしい香りが漂ってくる。


(母様!?)


 華は瞬きを繰り返す。

 一瞬、母と結の姿を重ねてしまったのだ。慌てて目を擦る。


「どうもこうも、嬢ちゃんたちは筋がいいぜ!」

「あなたが人を褒めるなんて、初めて聞きました」


 結の言葉に華は目を丸くした。

 央を見遣ってから、ぶんぶんと首を左右に振る。


(お弟子さんたちがいないのって……いや、深く考えないようにしよう!)


「ん? そうだったか?」

「そうですとも。さぁ、久しぶりに働いて疲れたでしょう? お酒も用意しましたよ」


 結が華とくずはへ顔を向ける。


「おふたりも、召し上がっていってください」

「ありがとうございます。お言葉に甘えます」

「手伝いますわ」


 くずはがさっと結へ近づく。


「あっ、わたしも」


 出遅れた華も声を上げる。


「おふたりとも無理なさらないでください。ご飯と汁物をよそうだけですから」

「は、はい」


 結に押し切られる形で、華とくずははちゃぶ台を囲む。

 央は既に一升瓶を開けて上機嫌だ。


「それにしても火宮一族に生き残りがいたとは、嬉しい話だ。それが嬢ちゃんで、女だ男だ関係なく鍛冶師を目指してくれるなんて、親父さんもさぞ喜んでいるだろうよ」

「……そう、でしょうか」

「当たり前に決まってらぁ」


 央が、がぶがぶと酒を飲む。

 そこへ結がお盆を運んできた。


(そうだと、いいな)


 華は茶碗へ視線を落とす。


『人を殺せる刀で、人を死なせないという目的が果たせるのか?』

『そう信じてる』


 異なる世界で、仁志と交わした会話を思い出し、瞳を閉じた。




   §




 刀は一朝一夕では完成しない。

 皮鉄かわがね心鉄しんがねを合わせて造り込み、さらに作業は続いた。

 最初はかたまりだった玉鋼も、七日も経てば立派な刀身へと変化していた。

 薄さも長さも申し分ない。これならば、一振りの刀として成立する。


「いよいよ銘切りだな」

「……はい!」


 華は大きく頷く。


 銘切り。

 刀鍛冶が、己の存在を刀に刻む作業でもあり、刀鍛冶としては仕上げの作業でもある。己の名前や鍛えた日付を入れるのが一般的だ。

 道具置き場からたがねを手に取ると、華は央へ差し出した。


「央さんからどうぞ」

「何言ってんだ。俺はあくまで助言をしただけで、鍛えたのは嬢ちゃんだ」

「へ?」


 華は目を丸くした。隣でくずはがうんうん頷いている。


「は、はい!」


 たがねを持つ手が震える。

 ごくりと唾を飲み込んだ。そして、木槌でゆっくりと鏨を押し込む。

 くっ、と鏨が刃に食い込んだ。


 鏨で、華は、刃の表側に少しずつ己の名前を彫る。それは、存在を刻む作業だ。




 『火』


 『宮』


 『華』




 ぶわぁっ!


 そのとき、土の精霊たちが舞い上がり、刀の上に乗った。ふわりと精霊たちが刀身の上で、銘切りしたばかりの名前を磨くようにしてするすると左右に動く。

 踊るように。優しく、撫でて。

 やがて、土の精霊たちは刀身の上で、ゆっくりと融けて消えていった……。


 言葉がなくても、華には分かった。

 土の精霊は己の役割を理解して、神剣に力を注いでくれたのだ。

 火の精霊たちと、残った土の精霊たちに、華は深く深く頭を下げた。


(ありがとう。この刀で、必ず八岐大蛇を倒してみせる……)


 ついに刀身が完成した。

 正確には、この後、研ぎ師の元で磨かれる。つまり。


「これで鍛冶師の仕事は終わりだ」


 華たち鍛冶師がすることはもう何もない。

 央が節くれだった右手をにゅっと華へ差し出した。

 華は応じて、手を強く握り返す。


「ありがとうございました」

「後は最高の職人仲間へ託す。最短で仕上げてもらうつもりだが、完成するまでどうするかい?」


 すると答えたのはくずはだった。


「一旦、帝都へ戻るわ。私たちには神剣を用いて妖を滅ぼすための準備が要る」

「そうか、分かった。連絡はどうすればいい?」

「あたしの式神を一体置いておくので、完成したらたちまち伝達するようにしておきましょう」


 央の工房を出ると、陽はまだ高く、木枯らしが吹いていた。

 華は振り返って工房を眺める。

 数日間過ごしたことで、より、一人前の鍛冶師になりたいという想いが強まっていた。


(鍛冶師になる。もう、諦めたりなんかしない)


 名残惜しいが、八岐大蛇を倒したら、またここに戻ってこればいいだけのことだ。


「さて、行きましょうか。妖殺しのために用意させているものがあるの」

「神剣のほかに、ですか?」

「ええ。とびきりのものを、ね」


 愉快気にくずはが片目を瞑ってみせた。

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