第七話 神剣の名前は

(一)玉鋼を鍛える

   §




「嬢ちゃん!」


 ひさしの大声で、華ははっと我に返った。


(ここは……央さんの鍛冶工房? 戻ってきた? 元の世界に)


 華は、へなへなと床にへたり込んだ。手のひらを握ったり開いたりして感触を確かめる。

 確かにここは現実だ。

 それならば、一体、あの体験は何だったというのか。

 神剣を鍛える覚悟はあった。

 そこにもたらされた過去のあたたかな日々。その喪失の、再現。


(母様。とも。たとえ幻でも、もう一度抱きしめておけばよかった。父様から、刀の鍛え方を教えてもらいたかった)


 結局、父の衣鉢いはつは継げなかった。火宮の技術は永遠に失われたままだ。


(朔夜を止められなかった。一条さまの助けになれなかった)


 それでも。

 たとえそれが過去とは違う、どこか別の世界での出来事だったとしても。


(……玉鋼を手にした。父様に、認めてもらえた)


 華はゆっくりと顔を上げた。

 ひとつ、気づいたことがある。


(どんな形で出会ったとしても……わたしは一条さまに恋をするんだ)


 その確信は、まるで、心に炎を点してくれるようだった。


「大丈夫か? ちょっと横になるか?」

「央さん……」


 央の表情と外の明るさからして、そこまで時間は経っていないようだ。

 華を心配するかのように、火の精霊と土の精霊がわらわらと集まってきている。


(あれは過去じゃない。過去だとしたら、きっとわたしはここにいないだろう)


「いえ、平気です。今からでも鍛錬はできますか」

「そんなに顔色が悪いっていうのにか」


 央に気遣われるも、華は首を横に振った。

 そこへ明るい声が差し込んだ。


「間に合ったかしら?」

「くずはさん!」


 くずはが、両腕を組んで工房の入り口に立っていた。

 黄金のはずの髪の毛と瞳は深い黒色に変わっている。尊と同じで、幻術を使っているようだった。


「あたしも助っ人として参加させてもらおうと思って。いいでしょう?」

「勿論です!」


 意気込む華とは対照的に、央はいきなり現れたくずはに目を白黒させている。


「おいおい。このべっぴんさんは、嬢ちゃんの知り合いかい」

「土御門くずはと申します。よろしくお願いいたしますわ」

「ふむ。腕っぷしは強そうだな」


 央は央なりに何かを納得したようだ。

 話が早いというべきか、鷹揚と評するべきか。


「面白れえ。いっちょ、やってやろうじゃないか! 結に作務衣を用意させるから、ふたりとも着替えてくるといい!」




   §




 静かに炎が爆ぜている。

 火の粉が舞うのに合わせて、火の精霊たちが踊る。

 土の精霊たちはそれを見てゆらゆらと揺れていた。


 くずはが口角を上げた。


「いい空気だわ。不浄なものが何ひとつない。神剣が生まれる場所として、これ以上、最適なはない」


 華もくずはも、真っ白な作務衣に着替えて立っていた。

 ふいごの横に座って、火床ほどの炎を調節しているのは央だ。


 ごぉぅ。ごぅ。

 空気を食べた炎は勢いよく燃え盛る。

 何十年もやってきたのが分かる慣れた手つきに、華は瞳を輝かせた。


「すご……」

「嬢ちゃん。基本的な鍛錬の仕方は、分かるか?」

「はい!」


 勢いよく華は返した。

 先に、央に確認してもらっていたことがある。


 玉鋼のことだ。

 いくら神から授けられたものとはいえ、通常と同じようにそのままでは使うことができないと央は判断した。


二貫7.5㎏もなさそうだな。いや、やってみないと分からんか」


 また、央は、日本刀一振りを作るには量が足りないかもしれないとも言った。

 華が両手で抱えて持ち運べるくらいなのだ。

 もしかしたら、それほど大きなものにはならないかもしれない。

 ということで、まず行うのは、玉鋼のだ。


 火床の脇。横座に座る央が、まず、玉鋼を火ばさみで掴んだ。

 十分に熱された炭火のなかに、玉鋼が投入される。


 ごくり。華は唾を飲み込んで、その様子を見つめる。


 ぱちぱち……。炎はわずかに色を変えながら猛り、玉鋼をどんどん熱していく。

 黄色く白く色を変えた玉鋼は藁灰に一度置かれてから、金敷かなしきという小さな台に置かれた。


 きんっ! 央が小槌で玉鋼を打つと、華の耳に懐かしい金属音が届いた。

 央は央で、目を見張る。


「質がいい。流石というべきか……」


 玉鋼を構成するうち、硬い部分を皮鉄かわがね。刀の芯となるやわらかな部分は心鉄しんがねと呼ぶ。

 分別。

 玉鋼を熱して薄く、ひたすら薄くして、水で急速に冷やす。それを叩き割って、硬い部分とやわらかい部分に分けるのだ。

 まずはそれらを央が長年の経験に基づいて行う。

 そして、皮鉄と心鉄、それぞれを折り返し鍛錬という作業で鍛えていくところまで一気に進んだ。


「さぁ、やってみな。嬢ちゃんの番だ」

「はい!」


 今度は華が横座に座った。

 右手で仕分け後の玉鋼が乗ったてこ棒を持つ。左手で、ふいごの調節をする。

 鍛錬のために玉鋼を熱していくのだ。

 ふいごへ空気を送る度にごぉおと高熱の風が吹きつけてくる。少しの油断も許されない作業だ。

 熱風を受けて額に汗が滲む。


「うん。いい音だ」


 炎の状態を音と火花確認しながら、央が頷いた。そして柄の長い追い槌を手にする。


「あたしは後に続けばいいのね」

「あぁ。頼んだぞ」


 ごぉお……。炎の燃える音は激しいながらも厳かだ。

 華の脳裏にかつての記憶が蘇る。

 父の弟子たちと共に短刀を鍛えたとき、彼らは、何と言っていただろう?


『火の粉が細かく立ち昇ったら合図です』


 まさしく火の粉が煌めく光を放ちながら立ち昇っている。

 それだけではない。今回、合図を送ってくれるのは火の精霊たちだ。

 すぅ、と大きく深く息を吸い込んだ。


「出します!」


 じゅっ。

 熱された玉鋼は一度藁灰へ置かれ、すぐさま金敷へ。


 玉鋼にはわずかとはいえ不純物が混じっている。

 それを鍛えることで逃がしていくので、刀の部分自体は減量する。


 横座の者は、手にする小槌で金敷を叩き、追い槌を持つ先手さきてへ指示しなければならない。

 折り返しの回数や強度には見極めが必要で、本来ならば熟練の者が行う作業だ。

 しかし、華には火の精霊がついている。


(言葉はなくても分かる。どれだけの力を込めたらいいのか。どれだけ打ったら火床へ戻せばいいのか、火の精霊たちが教えてくれる……!)


 こんっ、こんっ。華が小槌で金敷を叩いた。

 

「よしきた!」


 追い槌で、央とくずはが玉鋼を打つ。

 ばんっ! 一番はじめは激しい火花。記憶よりも鮮やかな曼殊沙華。


 散るのは火花だけではない。不純物もこのとき玉鋼から逃がされる。


(……そうだ。わたしは、この火花をもう一度、見たかった)


 作業はシンプルながら緻密さを要する。

 やがてやわらかくなった玉鋼の半分にたがねで切り込みをつける。金敷のふちに玉鋼を置き、切り込みで折り曲げて、また叩く。

 冷えてきたらまた熱する、すなわち、沸かす。

 その繰り返し。

 丁寧に向き合えば向き合うだけ、玉鋼は純度を増す。

 華は、を、知っている。


「ははは! ふたりとも筋がいいな! こりゃ、最高だ!」


 央が快哉かいさいを叫んだ。

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