(四)決意表明

   §




 尊から連絡を貰うまで、華は、一旦家に帰ることにした。

 どんどん華の上にやわらかな雪が重なっていく。玉鋼が落ちないように両手を体の前で交差させ、少し前屈みになりながらよたよたと歩く。


 行きと同じように精霊たちのおかげで、誰にも出会わずに屋敷まで帰ってくることができた。

 さらに幸運にも、縁は倫と一緒に昼寝していた。ふたりの寝顔を見ると笑みが零れる。


「……ふぅ」


 部屋に入って、ようやく、華は緊張を緩める。

 隠していた玉鋼を取り出した。

 大きなかたまりはさまざまな色の光を瞬かせている。


(やっぱり、きれい。だけど、どこか、さびしい感じがする)


 十五歳のとき、初めて目にしてから、ずっと焦がれてきた玉鋼。


「今度は止められるかな……」


 両膝を抱えて見つめていると。


 ――一度起きてしまったことの取り消しはできません――


「!」


 華は顔を上げた。

 この場所に連れてこられたときと同じ、声のような音が響いたのだ。


「どういうことですか……」


 華は虚空へ呼びかける。


「あなたはこの玉鋼を授けてくださった神なんですよね? 教えてください。どうすれば、わたしは失わずに済むんですか……」


 ――私は神ではありません。ただ、知りたいのです。あなたが、神剣を生み出すのに相応しいかどうかを―― 


 答えになっていない。

 華は拳を握りしめた。


(じゃあ、ここは過去じゃないっていうこと? ただただ、試されているっていうの?)


 それきり、部屋の中は静まり返ってしまう。

 外から雪の降る音だけが静かに聞こえてくるだけ。


「神剣……」


 不意に言葉が漏れた。

 華は立ち上がると玉鋼を抱えて部屋を飛び出す。


 だだだっ!


 勢いよく向かったのは鍛冶工房。

 作業中だった仁志が華へ顔を向けた。


「どうした? 体調はよくなったのか」


 入口に立っただけで、ごおおと燃え盛る炎に目が眩む。

 工房の中では火の精霊たちがまるで華を待っているかのように立っていた。

 華は背筋を正し、腹に力を入れる。


「父様」

「何だ。この期に及んで、鍛冶師になりたいとでも抜かすか? まだ熱があるのか?」


 華のいつになく真剣な声色を受けて、仁志の眉間に皺が寄る。


「まぁまぁ、師匠」

「別の用事があって来たのかもしれないし、まずは話を聞いてあげましょうよ」


 仁志を弟子たちが諫める。

 かつて、朔夜に誘導されていたかもしれないとはいえ、華を手伝ってくれたふたりだ。


 炎は勢いを増す。

 火の精霊たちが、華へ手招きをする。

 ごくり、と華は唾を飲み込んだ。仁志から、視線を逸らさない。


「父様。わたしには、火の精霊が見える」


「え?」

「お嬢。いきなり何を言い出すんです」


 弟子たちは困惑した様子だったが、仁志は、じっと華を見つめ返した。


「今も父様の足元にいる。わたしに向かって、おいでって手招きしてる」

「……」


 ごおおお、ぱちぱち。

 炎が、激しく静かに燃え盛る。


「……そうか」


 諦めたかのように、仁志は華から視線を逸らした。


か?」


 あのとき。

 十五歳の華が、初めて、短刀を鍛えたときだと理解して、華は頷いた。


「だとしたら、お前を認めない訳にはいかないな。火の精霊が認めたことを人間は覆せない」


 仁志はゆっくりと座って、火の精霊を撫でた。

 華とは違って触れることができているようだった。火の精霊は一つ目を細めて、満足そうにしている。


「火宮の鍛冶師が一子相伝なのは理由がある。火の精霊を見ることができるかどうか。それが最初の関門だからだ」


 華は鍛冶工房へ足を踏み入れた。


「鍛冶師への道は決して楽なものではない」

「うん」


 一歩。


「それこそ、火宮の一族でなかったとしても、女というだけで蔑まれる。父親として、お前をそんな苦しい道にはやりたくない」

「うん」


 また、一歩と。

 仁志は華を咎めない。

 ようやく仁志が顔を上げて、華を見上げた。


「それでもお前は鍛冶師になりたいのか? 何のために?」


(何のために?)


 華は心のなかで問いかけを反芻する。


「きっかけは父様に憧れたから。今は、大事な人を死なせないために」


 くくく、と仁志が笑いをかみ殺した。


「人を殺せる刀で、人を死なせないという目的が果たせるのか?」

「そう信じてる」


 華の真っ直ぐな回答に堪えきれなくなったようで、仁志は、今度は声を上げて笑い出した。

 その表情は一変して、とても愉快げなものになっている。


「仕方ないな。明日からしごいてやるから、覚悟しておけよ」

「父様……!」


 ぎゅ、と華は懐の玉鋼を抱きしめる。

 腹の底から熱が生まれて、全身に広がっていくようだった。


 認めてもらえた。

 諦めない。

 さまざまな感情の正体は、喜びだ。


(明日じゃ遅い。今からでも)


 華が口を開こうとしたとき。


『賀茂朔夜を見つけた』


 聞こえてきたのは、尊の声だった。




   §




(たぶんわたしは、人より鈍いんだと思う)


 華は走りながら考えていた。


(小さな頃から、怒ったり泣いたりしなきゃいけない場面でかたまってしまう。うまく言葉にできない)


 家族を失ったとき、すぐに泣ければよかった。


(後からじわじわと痛みが広がっていく。感情ができあがったときには、終わってしまった後で)


 朔夜に裏切られたとき、すぐに怒れたらよかった。


 決して、何も感じていない訳ではないのだ。

 だけど感情が現実に追いつけない。


(今度こそは……!)

 

 走っているうちに体は徐々に温まってくる。


「来たか」


 木の下から、尊が華を一瞥した。

 尊に呼び出された場所は集落の北側。山のふもとの小さな祠の近くだ。


「玉鋼を無事に持ち出せたようだな」

「……はい」

「よくやった」


 尊の黄金の瞳に、華がくっきりと映る。


(!)


 突然の誉め言葉に華は肩を震わせた。

 慌てて両頬をはたく。


(平常心、平常心)


「どうした?」

「いえ、何でもないです。それよりも、朔夜は」


 華は真剣な表情をつくろうと、眉間に皺を寄せた。


「道祖神とは何か知っているか?」

「えぇと……」


 華がうまく説明できずにいると、尊が答えを述べた。


「道祖神とは路傍に祀られるものだ。境界を越えて、悪しきものが侵入してこないようにすることを目的とする、結界の役割を果たす神。しかし、ここは集落の境界でも何でもない」


 幹からほんの少しだけ顔を出して、華は、尊の示した方向を見る。

 子どもの頃からよく朔夜と遊びに来ていた場所だ。

 走ってきて温まったはずの体が、指先が、ゆっくりと冷えていく。


「恐らく、ここが『はじまりの場所』なのだろう。……彼にとって」


 立っている。

 朔夜が、そこに。

 深い二拝の後、朔夜は両手を合わせて、瞳を閉じた。


「古代より常世を支配する神よ、かしこみかしこみ申す。今こそあなたの力を世に知らしめる時」


 その祝詞のような言葉に華は息を呑んだ。


(まさか)


 華が悟ったくらいなのだ。


(ここが、八岐大蛇を召喚した……場所!?)


 尊は腰に佩いた刀へ手をかける。


「まずい。ここで止める」

「わたしも行きます」


「……?」


 言い切った次の瞬間、華は異変に気付いた。

 自らの手が、体が、どんどん透けていくのだ。

 まるであの日の八岐大蛇のように透明になっていく。

 流石に華も何が起きているのか理解できた。


(どうして今、元の場所に戻らされるの……?)


 振り返った尊が、ほんの少しだけ驚きを浮かべた。

 それからすぐ口元を一文字に引き結ぶ。


「君は君の世界の続きで、世界を救え」


(そんなっ)


 華は抵抗を試みる。

 しかし、声が音にならない。視界もどんどんぼやけていく――

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