(三)健闘を祈る
§
翌日。
華は、朝から布団のなかにいた。
炊き出しへ行ってもどうせ早く帰らされることは分かっていたので、仮病を使って休むことにしたのだ。
「体調が戻ったら、夜は朔夜くんの家に行ってちょうだいね」
「……うん」
様子を見にきた
掛け布団をすっぽりと被る。
縁の足音が遠ざかっていくのを確認してから、そろり、布団から這い出た。
窓を開けずに外の景色を窺う。
雪はすっかり止んでいた。
(過去のあの日と、同じだ)
華はありったけの服を丸めると布団の中に隠す。まるで自分が寝ているかのように装うためだ。
それから、
「寒……」
青空は限りなく澄み渡っていて、高く感じる。
地面こそ雪は積もっていないものの、遠くに臨む山々はうっすらと雪化粧を施されている。
肌を刺すような冷たい空気。吐く息は白い。
寒さに、ぶるっ、と身震いを一回。
「よしっ」
気合を入れて、華は、一歩踏み出した。
足元には火の精霊と土の精霊がいるし、翡翠の腕輪には、くずはと尊の力が込められている。
なお、尊が翡翠に口付けたのは……記憶から消し去ることにする。そうでないと心臓が爆発してしまいそうだった。
(大丈夫。わたしは、ひとりじゃない)
砂利道を歩いていく。
目指すは、物心ついた頃から通ってきた朔夜の住む屋敷。
やがて敷地の広大さを示す長い塀が視界に入ってきた。集落の長の屋敷は、どの家よりも広い。
てててて、と火の精霊たちが華を先導するように駆け出す。
華もまた徐々に歩みを速めた。
ぴたり。
ひんやりとした塀に背中をつけて、中の様子を窺う。
「すみません。愚息が、挨拶もせずに」
長の声と数人の足音が聞こえてきた。
「いや、構わない。息子殿もお忙しいのだろう」
答えているのは尊だ。
そして、話題の中心は、朔夜のことだろう。
(この時点で、一条さまと朔夜は出会っていなかったんだ)
華は思い出す。
この夜の宴会に朔夜はいなかった。
ふてくされていた華を廊下から呼び寄せて、早く帰らせてくれたことを。
(待って。ここにいないというなら、朔夜はどこにいるの)
そこで思い至る。
(もしかしてこの時点で八岐大蛇を呼び寄せようとしていた……?)
自分の予想の甘さに、背筋が凍った。
しかし朔夜の居場所が分からない以上どうしようもない。まずは玉鋼を手に入れよう、と華は塀に耳をそばだてる。
「玉鋼は蔵の奥にあります。元々は鍛冶師である火宮一族の家宝でしたが、刀匠が、我が家で預かっていてほしいと申し出たのです」
(なに、それ……。初めて聞いたんだけど!?)
華は声を出しそうになるのを、なんとか堪える。
「家宝を預けるだなんて、よほど、信頼関係がおありなんですね」
「そうですね。愚息と火宮のとこの長女は、許嫁でもありますし」
もしかしたら、華と朔夜が婚約したことすら、最初から仕組まれていたことだったのかもしれない。
腹の底から、ふつふつと怒りが湧いてきていた。
気遣うように土の精霊たちが足元に集まってくる。華はしゃがみこんで、土の精霊たちを撫でるように手をかざした。
「大丈夫だよ。ありがとう」
やがて足音は遠ざかっていく。方向からして、土蔵へと向かっているようだ。
立ち上がって正門へ視線を向けると、いつも通り開放されていた。
(平常心、平常心……)
華は呼吸を整えて正門まで歩く。
きょろきょろと辺りを見回して誰もいないことを確認してから中に入った。
目的の蔵は屋敷の右奥、西北にある。
植木に身を潜めながら華は目的地を目指す。華を先導するのは火の精霊たち。先を行っては振り返り、一つ目で訴えてくる。
ふわ。
手の甲に、やわらかな雪が舞い降りて消える。
空を見上げるといつの間にか雪が降りはじめていた。
そして、華は誰にも見つかることなく蔵まで辿り着いた。
蔵の中から話し声が聞こえる。長と尊、それから尊のふたりの部下だ。
(さて、どうやって忍び込もう)
ぽぅ、と手元の翡翠が内側から光を帯びた。
「!?」
『健闘を祈る』
尊の声だ。
聞こえたのではなく、例えるならば、頭のなかで響いたようだった。
(一条さま。ありがとうございます)
それだけで力が湧いてくるようだった。
冷たい蔵の壁に張り付いて、華は、呼吸を潜める。
やがて話し声が大きくなってきて、四人が蔵から出てくるのが分かった。
「皆さんを歓迎する用意ができています。是非とも、今宵は仕事を忘れて楽しんで行ってください」
長の楽しげな様子が声から伝わってきた。
宴会好きは集落の男たちの性分だ。
「ありがとうございます。ただ、もう少しこの集落を見て回りたいと考えています。後ほど、再びお伺いしてもよいでしょうか」
「勿論ですとも。そのときは必ず、息子の朔夜も挨拶させます。では、門までご案内しましょう」
(……今だ!)
華は、そっと飛び出した。
蔵の中自体は、ほのかに暖かかった。
記憶を辿って、華は階段を昇った。
そして厳重に納められた箱に手をかける。中では玉鋼が静かな光を放っていた。
「……」
華は、息を呑んだ。
蘇るのは、三年前のあの日。朔夜に初めて見せてもらったときの昂り。
ぎしっ、ぎしっ。
「!」
誰かが昇ってくる音に、華は、反射的に身を隠した。
奥に置かれた、桐箪笥の裏。ぎゅっと身を縮こまらせる。
(しまった。玉鋼……)
玉鋼は華の両手に抱えられている。しかも、箱は開けられたままだ。
もし昇ってきたのが朔夜ならば企みに気づかれてしまう。
どっどっどっ。心臓が早鐘を打つ。
うるさくて、周りにも聞こえているのではないかと不安になり、冷や汗が流れる。
ふぅ、と誰かが息を吐いた。
「父さんったら、開けっぱなしにして不用心だな」
のんびりとした、朔夜の呟き。
しかし華は声を聞いた途端、震えが止まらなくなってしまう。
(どうしよう。どうしよう?!)
朔夜はまさに箱の前にいるようだった。
「よし」
箱を閉める音。
それから階段を降りていく音。
華は、動けないでいた。
玉鋼は華が持っているというのに、何故、朔夜は箱を閉めたのか。
まだ震えの残る体を慎重に引きずって、華は、箱の前まで戻ってくる。ゆっくりと開けると、そこには玉鋼が納められていた。
(嘘!? 何で、どうして)
混乱する華に応えるかのように首元の翡翠が光った。
『箱には幻術をかけておいた。無事に、神の玉鋼は手に入れたか?』
「い、一条、さま……」
へなへなと力が抜けてしまった。
(そういうことは、先に言っておいてください!)
文句を言いたくなったが助けてもらったことは事実なので心に留めておく。
なんとか気力を取り戻すと華は翡翠へ語りかけた。
「朔夜は蔵から出て行きました。すらりと背の高い細身の男性です」
『承知した。見つけ次第、尾行を開始する。また連絡する』
そして華もまた、蔵から外に出た。
懐に玉鋼を隠す。
(まずは、ひとつ)
目標を達成した。
もしここが本当に過去ならば、これで、美代の命は助かるかもしれない。
(……とはいえ、朔の力が及んでいる以上は、集落のどこも安全じゃない)
まだ雪は止んでいない。このまま降り続けば確実に積もりそうな勢いだ。
かじかんだ指先をこすり合わせて、少しでも温まろうと試みるも、寒いものは寒かった。
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