(四)ためらわない
§
晴れ空の下、山の上の神社を目指して、華とくずはは歩いていた。
刀を抱えながらの山道は楽ではない。華の額には汗が滲む。
(鍛冶師になるために、これからは体も鍛えなきゃな……)
肩で息をしながら華は決意をひとつ増やした。
隣のくずはは、荷物がないとはいえ涼しい顔をしているし、背筋もしっかりと伸びている。敢えて華と歩幅を合わせてくれているのも明らかだった。
視線が合うと、くずはがわずかに首を傾げる。
「休む?」
「いえ。大丈夫です!」
代わりに刀を持とうか、とは決して言わない。それは華の役目だということをお互いに承知しているのだ。
やがて視界に入ってきた鳥居や本殿は、元通りに修復されていた。
(あんなことがあったなんて、嘘みたい……)
華はぎゅっと刀を抱きしめた。
美代の最期を思い出して足が竦む。朔夜のいいようにされて失われた命。こんな場所で死なずに済む人生だってあったというのに。
不安げに火の精霊たちが華を見上げていた。
「大丈夫、だよ」
不意に口をついて出たのは、火の精霊に向けてか、自分に対しての言葉だったのか。
華が顔を上げ直すと、淡い水色の軍服姿の人々があちらこちらにいた。酒瓶を設置しているようだ。
この場でいちばん弱く、場違いなのは華だ。足手まといなのも、華だ。
せめて己の役目は全うしなければならない。
「全員、陰陽寮の職員。つまり、私の部下よ」
「ということは、くずはさんも普段は軍服なんですか?」
(だとしたらすごく格好いい……!)
華は胸を弾ませたが、くずはから返ってきたのは予想外の回答だった。
「いいえ。あたしは形から入りたいから、
「へぇ……?」
(八岐大蛇が現れて消えたときに着ていたものかな)
場違いだと思い質問は口には出さない。
軍服のひとりがくずはに近づいてきて敬礼の姿勢を取った。
「山全体に酒瓶の配置が完了しました!」
「ご苦労様」
さて、とくずはが言葉を区切る。
「――」
何かを唱えると、さーっとくずはの髪と瞳が金色に戻る。
「華さんはあたしから離れないように」
「はい」
「すべての首を斬り落としたら術で尊を掬い上げるわ。神剣に触れ、魂を目覚めさせる」
切られる九字。すばやくくずはが両手で印を結ぶ。
「『朱雀・玄武・白虎・
言葉は光を帯びる。
力を持たない人間でもそうだとしたら、陰陽師にとっては殊更に強力な武器となる。目に見えないうねりが起きる。華でも感じられるほどの大きなうねりだ。
「八岐大蛇よ! とっておきの美酒を用意した。味わうがいい!」
ぶわぁっ……
言葉に反応したのか、貴醸酒の香りに反応したのか。
半透明の妖が山の向こうから姿を現した。
尊に刺されたはずの首は元に戻っているようだ。
(来た……!)
どきん。心臓が大きく跳ねる。華にとっては三度目の邂逅だ。
しかし足はもう震えない。怯まない。奥歯を噛みしめ、ぎゅっと刀を抱きしめて対峙する。
目論見通り、地鳴りのような声を上げながら、八岐大蛇のそれぞれの首は酒瓶へくねりながら向かっていった。
がぶがぶと飲んでいるのだろうか。
そして、そのくせ下戸なのだろうか。あっという間に一つ目の首が目を回しながら倒れていった。
(にわかには信じがたかったけれど、これならいける……!)
華の心臓の鼓動が早鐘を打つ。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
順調によっつ、いつつ、むっつと、八岐大蛇の首は泥酔して倒れていく。
高かった陽は徐々に沈んでいき、間もなく日没を迎えようとしていた。
ここで誤算が起きた。
軍人たちがざわめき出して、華はようやく異変に気付く。
「酒を……呑まない……?」
最後に残された首は、境内に置かれた酒瓶に全く興味を示さなかったのだ。
ば……ん! それどころか瓶を割ってしまった。
軍人たちが飛び散る酒を浴びる。華が無事でいられるのはくずはのおかげに他ならなかった。
ぐぉぉぉ……ん……。咆哮で突風が吹きすさぶ。
きゃっ、と声を上げて華はしりもちをついた。
華の前にすかさずくずはが立つ。
「『臨む兵、闘う者、皆陣をはり烈を作って前に在り』!」
くずはが印を結ぶと、その中心から光の矢が放たれた。
光の矢は最後の首へ向かうが致命傷にはならない。
「っ!?」
そのとき、華は左腕に熱を感じた。
(翡翠が……光っている……?)
……最後に力を込めてくれたのは、異なる世界の尊だ。
(一条さまが呼んでいる。きっと、こいつが飲み込んだんだ!)
それならばやることはひとつ。
華にできることは、ひとつ。決意してしまえば早いものだ。
「くずはさん。わたし、行ってきます」
「えっ? 華さん!?」
飛び出したのは華だった。
刀を抱えたまま、迫ってくる八岐大蛇の朱い口へ、飛び込んだ。
§
「わあああああああ!」
八岐大蛇の口へ飛び込んだ華は、滑り台のように一気に滑り降りた。
どすんっ! しりもちをついて顔をしかめる。
「あいたたた……」
腐臭が鼻をつく。思わず、指で鼻をつまんだ。
恐る恐る目を開けると、明るく、赤黒く、ぬめっている。ぴちゃん、ぴちゃん。何かが天井から滴り落ちていた。
ぞわっと背中が粟立つ。分かってはいたものの快い場所ではない。
ゆっくりと華は立ち上がった。
(早く一条さまを見つけてここから出なきゃ)
「一条さまー……」
『いちじょうさまー……』
声が反響して返ってきた。ただ、それだけ。
いつの間にか翡翠の光も熱も収まっている。手がかりは消えてしまった。
ぴちゃん、ぴちゃん。変わらず滴り落ちてくる液体は透明だ。
慣れてきたのか、においに対する吐き気は治まってきた。
まるで洞窟のような八岐大蛇の体内を進んでいく。
ぐに、ぐに、ぐに。弾力と凹凸のある地面は歩きづらく何度も足を取られてしまう。
「わっ!」
隆起に足を取られてつまずく。それでも、神剣は離さない。
どれだけ進んだだろうか。
やがて、赤黒い色ではない何かが遠くに見えてきた。その正体を認識した瞬間に、大きく心臓の鼓動が跳ねる。
華は迷わず走り出した。
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