(四)五行相克 五行相生
§
台所から漂ってくる煮物のにおいに反応するように、華の腹はぐぅと鳴った。
「食欲がありそうで安心したわ」
いたたまれなさで俯く華へ、くずはが台所から声をかける。
神社から退避した華はくずはと共に美代の平屋へ戻ってきていた。
くずははてきぱきと華の着物を脱がせ、腕にこびりついた血を拭き取り、箪笥から勝手に着物を引っ張り出すと華へ着せた。
さらに勝手知ったるように台所に立ったくずは。
当然、泥棒にならないかと華は焦った。しかし、くずは曰く、この家は想軍の管轄として扱われるらしい。
食材を腐らせるよりはいいでしょう、と華はくずはから押し切られてしまった。
「まずは食事。お腹が空いていては、前向きに考えることすらできないもの」
ちゃぶ台の上には、麦飯と汁物と煮物が置かれる。
美代が華たちと食べるために用意しておいたのだろうと考えると、息が詰まった。
「さぁ、食べましょう」
言い終わるや否やくずはは口をもごもごと動かしはじめた。
華は黙って立ち上がる。そして、台所まで歩いて行くと、床下収納を開けた。
そこにはぬか漬けの壺がしまわれてある。
華は袖を捲って、壺へ腕を突っ込んだ。
家主を失ったぬか漬けは、これから誰がかき混ぜるのだろうか。
「ごめんなさい、美代さん……」
華はぬか漬けを切って皿に乗せると、居間へ戻ってきた。
「いただきます」
(あなたの仇は、わたしが討ちます)
そして一心不乱に麦飯をかきこむ。ぼろぼろと涙が零れたけれど、構わずに食べ続ける。
(苦しい気持ちは全部後回しだ)
泣くことも自分を責めることもいつだってできる。
だからこそ、もう、うずくまったり立ち止まったりする訳にはいかない。
死中に活を求めるしか、ないのだ。
§
「この世界は、五つの要素からできている」
食事を終えると、くずははおもむろに説明をはじめた。
「水、火、木、金、土。
くずはが宙に人差し指で五芒星を描く。
木は土に勝つ。
土は水に勝つ。
水は火に勝つ。
火は金に勝つ。
金は木に勝つ。
それが、五行相克という考え方。
(火は、水には勝てないんだ)
華は自分を守ろうとしてくれた火の精霊たちを思い出す。
きっと精霊たちも勝てないことを承知で動いてくれていたのだ。
「……もしかして、神剣が土の力を持てば、八岐大蛇を倒せるということですか?」
「飲み込みが早くて助かるわ」
にっ、とくずはが笑みを浮かべた。
華は居住まいを正す。
「わたし、神剣を鍛えたいです。どうやったら土の力を宿せるんでしょうか」
「手っ取り早いのは精霊の力を借りることね」
「精霊……」
(唯一見えていた火の精霊たちですら、あの日以来見ることができないのに)
「そんな不安げな表情にならなくても大丈夫。あなたの周りにはたくさんの精霊がいる。誰でもそう。それが見えるか、見えないかだけ」
「わたし、実は、火の精霊が見えていた時期があるんです」
くずはになら大丈夫だろうと判断して、華は思い切って打ち明けた。
「一度だけ父に逆らって、短刀を鍛えたことがあります。そのときから、帝都に来るまでの間、火の精霊が見えていました。わたしは全然気づいていませんでした」
恐らく、朔夜の禁術からも守ってくれていたに違いない。
確かめる術はもうないけれど。
朔夜に対して、華は、特別な感情を抱いていなかったのだ。
(今なら、分かる)
今なら。
尊への恋心を自覚してしまった、今ならば。
「火の精霊たちは、きっと、わたしのことを守ってくれていました。また見えるようになったら、あのときのお礼をしたいんです」
くずはが目を丸くする。
それから、華に近づくと、そっと翡翠の腕輪に両手を伸ばした。
「……くずはさん?」
「その気持ちがあればきっとまた見えるようになるわ。あたしは、あなたに賭ける」
§
華はひとりで美代の畑へと向かった。
昨日、尊と一緒に雑草取りをした畑。一日しか経っていないのに、既に、不要な緑がちらほらと見える。
その一方で、かつて美代が植えたであろう野菜の芽も、すくすくと伸びていた。
この畑も、想軍の管理下に置かれるのだろう。
そう考えると鼻の奥が熱くなった。ずずっと鼻水をすすり、唇を噛む。
(わたしは神剣を鍛える。一条さまを助ける。……朔夜を)
――朔夜を?
どうしたいのか、そこだけは、まだ迷っている。
華はふるふると首を横に振ると、畑へ足を踏み入れた。
しっとりとしながらも決してやわらかくない感触が伝わってくる。中腰になると、黙って雑草を抜きはじめた。
指先はあっという間に土まみれになった。汗を拭うと、指先についた土のにおいが鼻に届く。
くずはから教えてもらったばかりのことを思い出す。
『五行にはもうひとつ考え方がある。それは、
木が火を生む。
火が土を生む。
土が金を生む。
金が水を生む。
水が木を生む。
そうやって世界は回っている、とくずはは言った。
世界がどんな風に成り立っているのか考えたことなんてなかった。
ただ、自分がいて、自分を取り巻く人間がいるのだと思っていた。
(だけど、わたしの知らない場所でも、わたしの知らない人間が生きている……)
見える雑草を抜き終わると、華は木桶に汲んでおいた水を撒こうと、
そのとき。
「……あなたたち……!」
華は目を見張った。そして、泣かないと決めたばかりなのに、瞳が潤んでしまう。
畑の上には一つ目の異形。つまり、火の精霊たちがいたのだ。
柄杓を木桶に戻すと、華は畑へ飛び込んだ。
触ることはできないがかまわない。しゃがんで、それらと目線の高さを合わせる。
「ありがとう」
わらわらと火の精霊たちが華の周りに集まってくる。
腕を伸ばしてきて、触れられないのに、華の肩や背中に触れてきた。
ひとしきり華に触れる仕草をした後、火の精霊たちは二体で一組になって、向かい合って手を繋いだ。
ぽこ。
その隙間から、何かが生まれる。
火の精霊よりも小さくて、栗色で、毛むくじゃら。
初めて見る異形だったが、華にはそれが何なのかすぐに解った。
ぽこ、ぽこ。
「土の精霊……!」
火の精霊が、華と土の精霊を引き合わせてくれたのだ。
華を想って。
華の、ために。
「ありがとう。本当に、ありがとう……」
§
華は、
緊張で手のひらに汗が滲んでいる。指先がやけに冷たいのも、緊張のせいだろう。
足元には火の精霊と、土の精霊たちがいてくれる。じっと華を見守ってくれているようだ。
(来ていいって言われたし、断られることは、ないはず)
ひとりで行くとくずはへ宣言した。
自分で説得できなければ、到底、神剣を鍛えることなんてできない。
拒絶されるのも否定されるのもこわい。
だが、やるしかないのだ。
恐る恐る扉を開けると店内はやはり薄暗い。
様子を窺いながら、店内へそろりと足を踏み入れた。
「こんにちはー……」
「あら」
声がして顔を上げると、央の妻、結が現れた。
「こんにちは。央さんはいますか?」
「ちょっと待っててくださいね。今、呼んできますから」
結が奥へ姿を消す。
しばらくして、どたどたという物音と共に、作務衣姿の央がやって来た。
「久しぶりだな、嬢ちゃん!」
「こんにちは」
「ん? 今日は旦那はいないのか?」
「一条さまは帝都に戻りました。今日はわたしひとりで来ました。央さんへ、弟子入りするために」
ほう、と央は顎に手をやって、目を細めた。
華は何も知らなかった頃の勢いを思い出すように己を奮い立たせる。口を開いて、一気にまくしたてた。
「わたしの苗字は、
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