第六話 ここではなくても

(一)もう一度

   §




 ひさしの鍛冶屋の奥。

 畳の間で、華と央は向かい合って座っていた。


火宮ひのみやといえば伝説の鍛冶師一族だ。妖によって集落が滅ぼされたというのは風の噂に聞いてはいたが、まさか嬢ちゃんがその生き残りだったなんて」


 胡坐あぐらをかいて座っている央が、ぽりぽりと頬をかく。

 対する華は居住まいを正した。

 そして、華の前には、風呂敷に包まれた玉鋼。闇色の塊のなかに、きらきらと、玉虫色の輝きがある。


「それにしても、妖を倒すための神剣とは。とんでもない御伽噺だ」

「すぐに信じてくださいとは言いません。ですが、央さんの力を借りたいんです」

「信じるさ。なにしろ、こんな立派な玉鋼、今まで見たことがない。神さんが授けてくださったっていうのも頷ける」


 神妙な面持ちで、央は言葉を区切った。


「鍛錬、一度だけやったことがあるって言ってたな」

「はい」


 央が空中に刀身を指で描く。

 華は、それを目線で追った。


「切先から茎尻なかごじりまでが刀身。なかごの部分は柄に覆われるから、実質的な刀の部分は、刃長はちょうという。この刃長の長さで、太刀たちとなるか刀となるか、はたまた短刀となるかが決まる訳だ」


 華はこくこくと頷いた。

 

「さて、一般的に形状と呼ばれる造込みには、二つの種類がある。しのぎ造りと、ひら造りだ。歴史としては平造りの方が長いし神剣らしい形状になるかもしれんが、妖を倒すことが目的ならば、強くて折れにくい鎬造りにした方がいいだろう。まぁごちゃごちゃ言ったが、結局のところ『美しくて強い』。それこそが、刀の究極形だ」

「美しくて、強い……」


 華は玉鋼へ視線を落とす。

 既に美しい。そこへ、鍛えることにより、強さを与えるというのが鍛冶師の仕事なのだ。


 ぱんっ! 央が勢いよく両手を叩いた。

 あまりの勢いのよさに、華はびくっと肩を震わせた。


「何はともあれ、神剣を鍛えるだなんて一生に一度できるかどうかだ。そんな大仕事に携われるだなんて、鍛冶師冥利に尽きる!」


 さらに勢いよく央が立ち上がる。


「俺の工房は裏手にある。ついてきな」

「えっ、あっ、はい」


 華は玉鋼を風呂敷に包み直し、両腕で抱えると、央の後に続いた。

 勝手口から出ると、石造りの工房があった。


(実家より、小さい。だけど、同じ……)


 懐かしさがこみ上げてくる。華はぎゅっと玉鋼を抱きしめた。

 足元には土の精霊たち。

 工房では既に火の精霊たちが華を待っている。もしかしたら待ちきれないのかもしれない。

 当然のように央には見えないようで、ずかずかと歩いて行く先にいる妖たちは、ばらばらと逃げていく。


「入っといで」


 央の呼びかけに華は頷いた。

 そして、工房に入ろうとしたとき。


 ――その覚悟が本物か、見せてもらいましょう――


「嬢ちゃん!?」

「!?」


 きらきら……。

 輝きを声にしたような音が空から降ってきて、華の姿はその場から消え失せた。




   §




「痛……」


 華は地面に倒れているようだった。

 目を開けると、明らかに、先ほどまでいた央の店ではない。


(ふしぎな声が聞こえた瞬間に視界が真っ白になった。今のは、一体)


 急に消えてしまって、央は心配しているだろう。


 ゆっくりと上体を起こして、目の前に広がる景色が、よく知っているものだと気づく。

 雪で白く染まっている山々。

 四方を山に囲まれた自然豊かな場所。


 水の底に沈んでしまった、永遠に帰れない場所。


「!」


 今度は勢いよく立ち上がると、華は、地面を蹴って走り出した。


 どっどっどっ。

 心臓の鼓動がうるさい。

 見えてきた。

 華の生まれ育った屋敷。記憶のなかと、何ひとつ、違わない。


(早く、早く)


 がらっ!


「はぁ、はぁ、……」


 鼻の奥が熱くて痛かった。

 そして、華の勢いとは対照的に、のんびりとした声がかけられる。


「そんなに慌ててどうしたの?」

「かあ、さ、ま」


 華は息を切らしながら台所へ飛び込む。

 ちょうどゆかりが料理をしているところだった。

 背中ではともがすやすやと寝息を立てている。


「華?」


 華は勢いよく、縁と倫を抱きしめた。


「母様。倫。……大好き……」

「あらあら。突然甘えん坊さんになっちゃって」


 くすくすと縁が笑みを零す。


「落ち着いたら、手伝ってちょうだい」


 うん、と華は呟いた。




   §




 華は訳が分からないなりに、自分に起きたことをいくつか整理する。

 着ているのは美代のものではなく自分の着物。

 空気は冷たく、疑いようがないくらいに冬。

 まるで時間が巻き戻ったかのようだ。


(というより、戻ったのかも、しれない)


 日付を確認したところ、尊たちが仁志のもとを訪ねてくるのは、なんと明日だった。


(そうだとしたら、これから起きる悲劇だって食い止められるのでは?)


 ひとりでは朔夜には敵わない。

 それでも、やれること、やるべきことは幾つかある。


 ひとつ。神から授かったという玉鋼を朔夜の屋敷の蔵から持ち出す。

 ふたつ。未来を知らない尊へ事情を説明して協力を持ちかける。

 みっつ。宴会の夜に、集落の人々を助ける。


 持っているのはくずはから預かった翡翠の腕輪だけだった。

 しかし、それはそれで好都合。


(この翡翠を見たら、一条さまだってわたしの話に耳を傾けてくれるはず……!)


 華はあまり眠れないまま朝を迎え、気もそぞろに集会所の炊き出しを終えた。


「ふわぁ……」


 帰り道。

 あくびをしながら歩いていると、目の前に、火の精霊が現れた。


 ぽて。それは華の目の前で、やはり転ぶ。

 華はしゃがんで火の精霊に声をかけた。


「足元に気をつけなよー」

「驚いた」


 心臓の鼓動が、大きく跳ねる。

 華は固く目を瞑る。


(来た……!)

 

「火の精霊を見ることができるとは」


 一条尊が脇に立っている。

 はやる気持ちを抑えて、華は、ゆっくりと顔を上げた。


 黒髪に黄金の瞳を持った涼やかな美丈夫。

 水色の軍服の腰元には日本刀を差している。


(あぁ。一条さまだ……)


 出逢ったときは、恋をしてしまうなんて思ってもみなかったというのに。

 失礼な男だと憤慨したのに。

 今は姿を見るだけで、力が湧いてくるようだ。


 すっと華は立ち上がって、両手を体の前で揃えて重ねた。


「帝国想軍中将、一条尊さまですね」

「何故私の名前を知っている」


 尊の表情に、僅かな警戒が浮かぶ。

 華は怯みつつも、ぐっと堪えた。


「わたしは火宮華と申します。今からお話しすることは到底信じられないかもしれません。ですが、どうか、お力を貸してください」


 翡翠の腕輪を翳してみせると、尊の眉がぴくりと動いた。

 見逃さず、華は言葉を続ける。


「これが何かお分かりですね? 土御門家当主のくずはさんがわたしに託してくださいました」


 華は深く頭を下げた。うさんくさいのは自覚しているが、これ以外に方法はないのだ。


「くずはからこの集落に知り合いがいると聞いたことはない」

「それは、現時点では、です」


 視線を地面に落としたまま、華は答える。


「わたしはこの先にこの集落で起きることを知っています。わたしも命を落とすところでしたが、あなたに助けられました。そして、今度はあなたを助けるために、こうして過去に戻ってきました」


(お願い。信じて、一条さま)


 しばらく、無言。

 やがて口を開いたのは尊の方だった。


「確かに、その翡翠からはくずはの力を感じる。……妖がくずはの翡翠を手に入れられるとは思わないし、君の言い分を聞こう。しかし、少しでもおかしいところがあれば、容赦はしない」


 華はぱっと顔を上げる。


(よかった。なんとか、伝わった)


「ありがとうございます! ありがとう、ございます……!」

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