第五話 残酷な再会
(一)いつの間にか
§
ところどころに白い雲は浮かんでいるものの、濃い青空。
今日も晴天だ。
華はホテルから下町までの道を、緊張しながらもひとりで歩いた。
美代の住む平屋は下町のわりと手前側だったので、華もひとりで歩けるという判断になったからだ。
(だけど、この場所にも人が住んでいて、それぞれの暮らしがあるんだよな)
『羨ましいです。私は、ここ以外の景色を知りませんから』
美代の言葉がきっかけになって、考えるようになったことだ。
今でこそ居候の身だが、これまでの人生で衣食住が保障されなかったことはない。それは、言語化の難しい、ふしぎな感覚だった。
やがて到着した美代の平屋の前。
華は、すぅ、と大きく息を吸い込んだ。
「おはようございまーす!」
しかし、返事はない。
「美代さん?」
玄関が開いていることを知っている華は、心配になって扉を開けた。
視線を落とす。草履が、ない。
(出かけてるのかな)
すると背後から声をかけられた。
「おはようございます」
「美代さん!」
華が肩越しに振り返ると、美代が立っていた。
美代は愛おしそうに腹をさする。
「すみません。朝は毎日、神社へ安産祈願に行っているんですよ」
「そうでしたか」
「山の上にあるので、運動も兼ねて歩いているんです。あ、山といっても、高くはないので、そんなに激しい運動にはなりませんからね?」
朝ごはんにしましょうか、と美代が提案して、華も賛同する。
「ところで旦那様は?」
(ぎゃあ!)
「き、き、昨日の続きで、畑の様子を見てから来るって言ってました」
旦那様という言葉に華は肩を震わせた。わずかに声が裏返ってしまう。
しかし、美代には気づかれていないようだった。
「支度ができる頃にはいらっしゃるでしょうか? 本当にどうお礼をしていいのか……」
「いえいえ、お気になさらず。美代さんこそ、体調第一ですよ」
華はわざとらしいくらいに明るく声を張ってみせる。
「それより、今日も美代さんのぬか漬けが食べたいです」
「ふふっ、嬉しいお言葉です」
顔を見合わせて笑う。立って並ぶと同じくらいの背丈だ。
ふたりは平屋に入り台所に立った。
「ところで、華さんと旦那様との馴れ初めって?」
「ひゃっ!?」
「私の話ばかりじゃ申し訳ないですし、というよりも、私が華さんの話を聞きたいだけなんですが」
美代がきらきらと瞳を輝かせる。
華は視線をさまよわせる。たらり、冷や汗が流れた気がした。
(本当のことは絶対に言えないし、どうしよう)
「……第一印象は、嫌な人だと思ったんです。きっかけは、わたしが窮地に陥ったときに助けてくれたことでした。気づいたら、」
(気づいたら?)
華は、言葉を止めた。
それ以上は言えない。言っては、いけない。
「華さん?」
美代が、華の顔を覗き込んだ。
そのとき。
がらっ。
「おはよう」
尊の通る声が玄関先から聞こえてきた。
美代が残念そうに片目を瞑る。
「話の続きはまた後で」
台所へ顔を覗かせた尊の左頬には、泥がついていた。
「失礼する」
「一条さま。泥が」
「ん?」
尊が、華の視線を追って、左頬の泥を手の甲で拭う。
その仕草がなんだか幼く見えて、華はぷっと吹き出した。
(かわいい、と言ったら怒られるかな)
絶望とは対照的な、じんわりとした温かさが腹の底から広がる。
(……あぁ。わたし、どうしたってこの御方が好きなんだ)
§
尊が畑へ戻るというので、華と美代もついていくことにした。
のどかな畦道を進む先頭は尊。少し離れて、華と美代は並んで歩いて行く。
頭上を鳥が連なって飛んでいった。
「大半は祖父が亡くなったときに売り払ってしまって、今は、自足自給分しか残っていないんです」
美代が説明する。
「だからこそ、大事にしたくて」
故郷と重ねて、華は目を細めた。
農作業をする人々のおさんどんをしていたことが遠い過去のように思える。
そして、畑は縮小されたということだが、妊婦一人で作業するには広すぎるくらいだった。
「今の時期は一日でも目を離せばどんどん雑草が伸びる」
尊が袖をまくった。鍛え上げられた尊の腕はしっかりと太く、筋肉がついている。
服の上からでは分からないということは着やせするたちなのだろう。
何故だか華は気まずくなって視線を逸らした。
「わたしも手伝います。美代さんはのんびりしててください」
「すみません、おふたりとも。お言葉に甘えさせてもらいますね」
黙々と尊は雑草取りを始めていた。
華は、尊から少し離れて中腰になる。少しだけ視線を送って、溜め息を吐き出した。
(余計なことは考えない、考えない)
華は首を左右に振って雑念を払おうと努める。
ある程度雑草取りが終わったところで、三人は引き上げた。
「明日は一緒に安産祈願をしてもいいですか?」
「もちろんですよ」
「では、早めにお邪魔しますね」
何度も美代はお礼を言って自宅へと戻って行った。
四六時中一緒にいる訳にはいかない。
そもそも、華たちの目的は、朔夜かもしれない美代の主人なのだ。
「一条さまは今日も街中の調査を?」
「ああ」
尊が頷いた。少しだけ言い淀み、言葉を続ける。
「痕跡があるかどうか、罠がないかどうかを調べている」
それは華に初めて告げられる内容だった。
恐らく、尊は華へ説明するかどうか考えあぐねていたのだろう。
華の故郷も朔夜の術中にあり、集落の人々は皆、八岐大蛇の贄となって消えた。
心の傷は簡単には癒えない。一方で、華の内には、まだ朔夜のことを信じたいという気持ちがある。
「今度こそ裏をかかれないようにしなければならない。最大限にくずはの式神の力を借りている」
「信頼されているんですね。くずはさんのことを」
「そうだな。幼なじみという言い方が適切だろうか。子どもの頃から共に陰陽術を習っていた。姉のような存在だ」
ぱっ、とふたりの視線が合う。
先に逸らしたのは華の方だ。代わりに、くずはから預かった翡翠の腕輪を掲げてみせる。
「わたしもくずはさんから翡翠のお守りを借りました。力がなくても使えると言われましたが、もし、修業すればわたしも式神使いになれたりするんでしょうか」
華の突拍子もない問いかけに、尊が声色を落とす。
「……この件が片付いたら、君は、普通の人生に戻るんだ。そのための援助は惜しまない。鍛冶師になりたいのであれば、目指せばいい」
(普通の、人生)
それがどんなものだったのか、知っていた筈なのに思い出せない。
起きたことを忘れるなんてできないというのに。
鼻の奥が熱くなるのを堪えながら、華は無理やり笑顔を作ってみせた。
「そう、です、ね」
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