(二)刀鍛冶の店

   §




「ここが帝都中央駅だ」


 わぁ、と華は声を上げ、瞳を輝かせた。


 左右対称に続く均整の取れた赤煉瓦の建築物は、東西南北すべてにおける交通の要所だ。中央では大きな掛け時計が正確に時を刻んでいる。


 この国は長く長い鎖国を解いてから、確実に変化しているらしい。

 故郷から出たことのない華がちっとも知らなかったのことのひとつが、この国の歴史だった。

 一条家で時間を持て余していたときに、借りた本で学んだ。そして今眼前に広がっている光景は、文字で読むより何倍も立派なものだった。


 行き交う人々の数は百貨店の比ではない。

 ごく自然に尊が手を差し伸べてくる。


「はぐれないように」

「か、かしこまりました」


(これでももう十八歳なんだけどな。子ども扱いかぁ……)


 ふたりは手を繋いで歩きはじめた。

 尊の手は大きく、かたく、そして少しだけ冷たい。華がはぐれてしまわないように強く、しかし痛くならないように優しく握ってくれているのが伝わってきた。

 華は、横並びというよりは少し遅れて続く。


「ねぇ、あの人。すごく背が高い」

「なんて美しい御方なのかしら。すてき……」


 時折、尊の美貌に惹かれるような視線や話し声が届く。

 華も尊のことは端正な顔立ちの青年だと思っていたが、帝都においても、類まれなる美貌の持ち主のようだ。

 たとえ瞳の色が黄金ではなくても、その存在感は圧倒的なものだった。


 華は、初めは俯いていたものの、何もかもが初めての連続。

 見るものすべてに驚いていたら俯いている余裕なんてなくなってしまった。


 ふたりがようやく乗車したところで、出発を告げる爆音。華は肩を震わせ飛び上がった。


「わ、わぁっ!?」


 くく、と尊が笑いをかみ殺した。


「賑やかだな」

「……すみません」

「いや、いい。君は活発でいる方が安心する」


 四人掛けの個室で、斜めに向かい合ってふたりは腰かけていた。

 苔色の椅子の背もたれは直角。長時間座っていると疲れるから適度に散歩でもするといい、と尊は言った。


 ゆっくりと車窓の景色が動き出す。


「帝都を離れたら窓を開けてもいい」

「今は駄目なのですか?」

「空気がよくない」


 そう言って尊は両腕を組み、瞼を閉じた。

 さらりと黒髪が揺れる。


 華は窓の外へ顔を向けた。


 やがて、車窓は帝都を抜けたと思わせるような田園地帯に変わっていく。両腕を伸ばして窓を開けると、身を乗り出して、枠に両腕を載せた。

 くずはから預かった翡翠が、太陽の光を受けて穏やかに煌めいた。


「♪~」


 自然と口ずさんでいたのは、慣れ親しんだ子守歌。

 ともの寝つきが悪いときにはよく歌っていたものだ。


「……上手だな」

「す、すみません。起こすつもりは」


 華は窓枠からぱっと身を離して尊へ頭を下げた。


「いや、寝てはいなかった。母のことを思い出した。幼い頃に亡くなっているが」

「……そうでしたか」


(無意識とはいえ、申し訳ないことをしてしまった)


 華は両膝の上で拳を握った。


「先回りしておくが、謝罪は要らない」

「は、はい」


 再び、尊が瞼を閉じた。

 華は少し躊躇したものの、歌の続きを口ずさむ。


「♪~」




   §




 目的地へ辿り着く頃には陽が傾きかけていた。

 宿泊先は洋風建築のホテル。一条家の洋館に似ていて、華は少しだけ安心した。


 ただ、華にとっては久しぶりの外出が連続で続いたため、流石に疲れが顔に滲んでいたらしい。 

 尊から部屋で休むように言われて素直に従った。その晩は、夢も見ずにぐっすりと眠ることができた。


 翌朝。

 ホテルの廊下で、尊は華に対して提案した。


「この町は意外と広い。私が探し人を見つけるまで、ゆっくり休んでいてはどうだ」

「問題ありません。一晩寝たおかげで、ばっちり回復しました」


 その口ぶりからして、尊は昨晩も調査に出ていたらしい。

 華とは部屋が離れているのでいつ戻ってきたのかも分からなかった。


(何もできないのは承知でついてきているんだから、休む訳にはいかない)


 そんな華の決意を感じ取ったのか、尊はふっと表情を和らげた。


「頑張り屋だな」

「ばっ、馬鹿にしてます?」

「そんなつもりはない」


 真面目に返されてしまい、華は面食らう。


「私はできるだけ君の意志を尊重したいと考えている」

「は、はい……」


(今さらながら、一条さまは変わってる。いちいちわたしみたいな居候、かつ、足手まといの意見なんて聞かなくてもいいのに)


 ただ、うれしくないと言えば、嘘になる。

 華は尊と共にホテルの外に出た。


「……っ!」


 石畳で舗装された幅広の道路。その両脇にはずらりと商店が立ち並んでいて、人々が活発に出入りしている。

 見た事のない服装、聞いたことのない言葉。賑やかな音楽。嗅いだことのない、におい。

 かと思えば、片隅では猫が呑気にあくびをしている。


 道は平坦というよりは坂が多く、所々曲がりくねっていた。

 外国人居留地の点在する、国内随一の港町。まず初めに帝都と線路で繋がったこの地は、帝都以上に異国情緒で溢れている。

 先帝の時代には文明開化の象徴としてもてはやされていたらしい、と華は本で読んだ。


「わぁあ……!」


 その鮮やかさに華は瞳を輝かせる。

 そもそも故郷には店らしき店がなかった。大体が物々交換で事足りていたのだ。

 だからこそくずはに連れられて行った百貨店でしり込みしたのだが、それとはまた違う騒々しさに、ただただ圧倒されてしまう。


「海は見えないんですか?」

「そうだな、もう少し先の方まで行かないことには」


(今回の旅では見られなさそうだな)


 華はほんの少しだけ気落ちしたが仕方ないと割り切る。

 今回この町へ来たのは、観光目的ではないのだ。


 ふたりは商店を横目に曲がりくねった坂を歩いていく。

 華は、その内のひとつに視線が釘付けになった。

 商店の壁に埋め込まれたショーケースに飾られていたのは、紛れもなく刀だった。


「刀鍛冶の……店……?」


 ガラス越しでも分かるくらい、どの刀も鈍く美しい輝きを放っている。

 尊が華の隣に立った。


「入ってみるか?」

「いえ。そんな寄り道をしている時間はありませんから」

「承知した」

「って、一条さま!?」


 躊躇わず尊が店内へと足を踏み入れる。


「……誰もいないな」


 華は入り口から中を覗き込んだ。

 薄暗い店内。当然のように刀は危険物なので飾られてはいない。

 外見こそ異国風だが、中は昔ながらの和風な造りだ。半上がりの畳の間には机と飲みかけの湯呑みが置かれている。

 どうやら店主は一時的に離席しているようだ。


「お? お客さんかい?」


 どたどたどた、と足音がして顔を覗かせたのは、赤ら顔の大男だった。

 全体的に、無骨。鼠色の着物を着崩している。


 尊が答えて質問を重ねる。


「返事がなかったので勝手に上がらせてもらった。御主人、ここは刀を売っている店か」

「おうよ。というよりは俺が鍛えた刀を、よそで仕上げてもらっている。注文取りくらいしかここではやっていない」

「……鍛冶師なんですか?」


 華は店の外から尋ねた。


「あぁ、そうだ。今は閑古鳥が鳴いているが、俺は立派な鍛冶師だぜ。嬢ちゃん、そんなところにいないで中に入ってきたらどうだい。基本的にうちは暇だから、茶のひとつくらいは出すぜ」

「お構いなく」


 尊がやんわりと断るが、男は気にしないそぶりで店の奥へ、茶と声をかける。

 おずおずと華は店内へ足を踏み入れる。

 そして、尊と華は促されるままに腰かけた。


「俺の名前はひさしってんだ。ここで代々刀鍛冶をやってる」


 そこへ着物姿の女性が三人分の緑茶を淹れて現れた。


「こいつは妻のゆい


 央とは対照的に線の細い女性だ。ぺこり、と会釈して、再び店の奥へと消える。


「は、華といいます。父が鍛冶師だったので……」

「だった、ってことは廃業したのか?」

「いえ。亡くなり、まし、た」

「そうか。お前さん、若いのに苦労してるんだな」


 華は目を伏せた。

 改めて自分の口から父の死を告げることで、急に実感が湧いてきてしまったのだ。


「嬢ちゃんは跡を継がないのかい?」


 央の能天気な問いかけに、華は、え、と声を上げた。


「目指していたときもありましたが……もう、教わりたい相手もいないので……」

「そんな理由か。うちでよければいつでも訪ねてくれよ。うちもうちで跡取りがいなくて困ってんだ。暇すぎて弟子たちも故郷に帰しちまったし」


「いいのではないか?」


 華が言い淀んでいるところに、淡々と言葉を添えたのは尊だ。


「一条さままで何を仰るんですか」


(わたしが玉鋼を見たいと言ったら拒否したくせに)


「ほら、旦那もそう言ってることだし。まぁすぐにとは言わないから、考えておくれ」


 初対面だというのに央の闊達な気性はすぐに伝わってきた。


(……目指して、いいの?)


 ほんの少しの会話が、心をにわかに駆り立てる。華は首を左右に振って思考を打ち消そうと努めた。

 そうしている間に、尊と店主の会話は進んでいく。


「ところで店主殿。この辺りで贈答品を扱っている店はあるか?」

「そうだな。旦那は羽振りがよさそうだし、角の文房具屋なんてどうだ?」

「分かった。行ってみることにする」

「おぅ。嬢ちゃん、またな」


 店を出たところで、尊は華に言った。


「よかったな。なりたいのだろう? 今も」


 ――鍛冶師に。


「……」


 華は黙って頷いた。


(そうだ。わたしはまだ、鍛冶師になりたかったんだ……)


 無意識のうちに押し込めていた願望が、尊によって緩やかに蘇ってきてしまう。

 鍛冶師を目指しても、いいのだろうか?


(だけど、まずは朔夜のことをなんとかしなきゃ)


 涙を引っ込めて、華は、尊を見上げた。


「行きましょう」

「ああ」

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