第四話 夢と恋と
(一)翡翠のお守り
§
帝都が
もちろん、桜色のワンピースを着たままだ。
そんな華を玄関先で出迎えたのは尊だった。
「疲れてはいないか?」
「いえ、そんなことは」
華が否定するも、尊は、珍しく砕けた様子で溜め息を吐き出した。
「あいつは人を振り回すきらいがある。断りたくても断れないときは、相談してくれ。厳重に注意する」
「くずはさんは、とてもお優しかったですよ。一緒に食堂で食事をしましたが、オムレツかライスカレーか悩んでいたら、ひとつずつ頼んで半分こにしてくださったんです」
「……そうか」
華から紙袋を預かり、尊が廊下を歩き始めた。
慌てて華は靴を脱ぎ尊の後を追う。
「お待ちください。一条さまに荷物を持たせる訳には」
「何故だ?」
「何故と、言われましても」
振り返り立ち止まった尊に対して、華は俯く。
すると、尊が華に近づいた。
尊の翳が顔にかかって華は視線を上に向ける。暗くて、表情はよく見えない。
「……一条さま?」
「よく喋る君を見たのは、あの冬の日以来だ」
その意味を理解して、華は、眉を下げた。
「ご迷惑とご心配をおかけしてばかりで、申し訳ありません」
「謝る必要はない」
「すみません。あっ」
ふぅ、と尊が細く息を吐き出した。
「庭に出ようか」
紙袋を客室の中に置いてから、華は尊に従って庭へと出た。
暮れなずむ庭。空気はやわらかく、まだ暖かい。
人間の心がいくら立ち止まろうとも、季節は確実に移り変わっていくのだ。
ふたりは長椅子の両端に腰かけた。
そして、しばらくの間、無言。
「……今日は、楽しかったか」
質問というよりは確認のような言い方だった。
(このひとになら、言ってもいいだろうか)
華は、尊の顔を見ることができなかった。視線を両膝の上に落とす。
「楽しかったです。だから、楽しいって思う資格なんてないのに、と反省しました」
(
彼に、彼女に。帝都のおもちゃ箱のような賑やかさを、知ってもらいたかった。
次々と思い浮かぶ、思い出せる笑顔。それらはもう二度と現実で見ることはできない。考えれば考えるほど、華の胸は軋むのだ。
「華」
「えっ」
弾かれるようにして華は顔を上げた。
(い、今、名前で呼ばれた……?)
驚いたせいでわずかに頬が熱い。ぺちぺちと華は両手で頬をはたいた。
「君は、ワンピースも似合うな」
「あ、りがとう、ございます」
さらに恥ずかしくなって俯く華。
だがそんな華の動揺に、尊は気づいていないようだった。
「手を出してごらん」
「……はい」
落とされたのは、薄い包み紙に丁寧にくるまれている立方体の何か。
「これは?」
「ミルクキャラメルという駄菓子だ。支給されたのはいいが、私には甘すぎた」
(食べろ、ということ?)
それ以上説明がなかったこともあり、華は、恐る恐る包み紙を開けた。
薄茶色の立方体を、そっと口に運ぶ。舌の上で転がすとゆっくりと融けていくのが分かった。
「……甘いのに、苦いです」
心に染みる甘さだ。しかし、嫌いじゃないと華は思う。
「そうか」
またもや、沈黙。ふたりの間を夜風が抜けていく。
「君に話がある」
すると、尊の声色がわずかな緊張を帯びた。
「君の婚約者の、あらかたの居場所が分かった」
「朔夜の……!」
華の心臓が大きく跳ねた。
「私は明後日その場所へ向かう予定だ」
動悸が速くなり、指先がどんどん冷えていく。喉が渇いていく。
黙っていることは到底できなかった。
「お願いします。わたしも連れて行ってください! ……あ」
刹那、華の脳裏に蘇るのは、尊と出逢ったときの会話。
玉鋼を自分にも見せてほしいと頼んだときの、にべもない拒絶。
(どうしよう。また、駄目だって言われたら)
何せ相手は、華の知っている朔夜ではない。集落の人々を皆殺しにして消えた、禁術使いなのだ。
華が同行しても足手まといになることは明らかだった。
しかし、今回は違った。
「君ならそう言うと思った」
尊は華をまっすぐに見つめて、頷いたのだ。
「苦しい結果となるかもしれないが、それでもいいか」
「かまいません。これ以上傷つく場所などどこにもありませんから」
消えかけていた炎が再び点るような、そんな感情が華のなかに生まれる。
(それに、わたしはまだ朔夜のことを信じている。何かやむを得ない理由があってあんな行動をとっているのかもしれない。だからこそ、真意が知りたい)
§
爽やかな晴れ空の下。
くずはを前にして、華は悲鳴を上げた。
「由緒正しい陰陽師一族の当主だったなんて、大変失礼いたしました!」
「話してなかったんだし知らなくて当然じゃない?」
(確かに金髪金目で、かなり強力な異能の持ち主だとは思っていたけど……)
うろたえる華。
一条家の玄関先で、からからとくずはが笑う。そして、懐から何かを取り出した。
「こ、これは?」
「自分の身くらい、自分で守りたいでしょう」
くずはが華の左腕に嵌めたのは、石でできた細い腕輪だった。
透き通った緑色は、見た目通り、ひんやりとしていて硬い。
見ていると吸い込まれそうになるような濃淡は、まるで森の奥の空気を具現化したようだ。
「翡翠よ。特別な術がかけられているから、華さんも多少の異能が扱えるようになるわ」
つまり、朔夜が華の命を狙っているという前提でもある。
華は両腕を広げて、くずはを抱きしめた。
「ありがとうございます、くずはさん」
「これくらいお安い御用よ。ただ、ひとつだけ。懸けるものが大きければ大きいほど対価もまた大きくなるから、注意してね」
くずははやはり笑い声をあげて、華を抱きしめ返す。
そこへ遅れて尊が現れた。
「一日で随分と仲良くなったんだな」
「ふふん。羨ましいでしょう!」
「……」
尊は答えなかった。
華は華で、まだくずはと抱き合っていたために彼の表情を見ることはできなかった。
「その翡翠は、」
尊が何かを言いかけて止める。
「……君の体調も考慮してゆっくりと向かうつもりだが、疲れたら遠慮せずに言ってくれ」
「馬鹿ね。華さんは気を遣って疲れたなんてこと言わないから、強制的に休憩するのよ」
「承知した」
ようやくくずはが華を解放する。
「軍服ではないのですか?」
尊は、いつもの大島紬とも違う、
その上から薄めの外套を羽織っている。
見慣れないことに、帽子まで被っていた。
「今回は潜入捜査だ。軍服では目立つ」
しかも、よくよく見ると、瞳の色が墨色に変わっている。
「あぁ、これか? 変装の一環だ。自らに幻術をかけている」
「へぇ……」
華が感心する隣で、くずはが尊の着物をつまんだ。
「いい結城紬じゃない。こんなの持ってたのね」
「父のものを拝借した」
華は、尊の父親は早々に家督を尊に譲って、今は隠居していると聞かされていた。
母親については情報がない。敢えて聞こうともしていない。
「行こうか」
「はい。よろしくお願いします!」
華も着物を選んだので、ふたりとも和装姿だ。
大きめの旅行鞄を馬車に積み込む。これから馬車で駅まで送ってもらい、列車に乗る旅程となっていた。
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