(二)いじわる
§
華の予想通り、降り続く雪の影響を受けて、想軍一行は宿泊することとなった。
……というよりは、そもそも、彼らは宿泊予定で訪問してきたのだと縁から聞かされた。
なるべく関わり合いにならないよう、華は自室に引きこもって過ごした。
翌朝。
集落は一面銀世界に変わっていた。
空は澄んで明度が高い。空気が凛と冷えている。
息を吸い込む度に、ぴりりとした感覚が全身に走った。
「ねぇねぇ」
働きに出ようと門をくぐったところで、華は声をかけられた。
近所に住む女性が数人。期待に満ちた眼差しでこちらを見ている。
「……おはようございます?」
「華さん、華さん。昨日いらっしゃったお客さん、すごくかっこいいって本当?」
「あー」
(噂が回るの、早すぎでは?)
華は顔を引きつらせる。
「そうですね。帝都にはあんな美丈夫がいるんだと驚きました」
「昨晩は泊まられたんでしょう。何かお話はされたの?」
「いえ。わたしは客間へは一切近づかなかったので」
「やっぱり、そうよね」
「華さんには朔夜坊ちゃんがいるから、若い男性には近づけさせないわよねぇ」
「はぁ」
いまいち同意できず、生返事になってしまう。
「まだお屋敷にはいらっしゃるのよね?」
「ここで待ってたらお顔を見られるかしら」
きゃあ、と女性たちの声が弾む。
頬が紅いのは寒いからだけではないのだろう。
しかし、彼女たちだってそれぞれ仕事を持っていて、朝から悠長におしゃべりに興ずる時間はないはずだった。
だからこそ華は適当にあしらいながらその場を後にした。
§
客人たちはどうやら今晩、集落の男たちの宴に招かれるらしい。
ということで、華は集会所から早く帰らされた。給仕係をしろという無言の圧力である。
(あーあ。宴会、嫌いなんだよな。下品な会話ばっかりだし、お酒臭いし)
それでも華に拒否権はない。
とぼとぼと帰途についたところで、足元には一つ目の火の精霊たち。
「ん?」
精霊たちの様子が普段と違う。まるで華を帰らせないように、足元にまとわりついてきていた。
実体はないので妨害にすらなっていないが、気になるものは気になる。
「あなたたち、どうしたの」
精霊たちが一つ目しかない顔を上げる。
何かを訴えているように見えるが、口がないので言葉は聞こえてこない。
「わたしはこれから朔夜の家に行かなきゃいけないのよ。どいてちょうだい」
「そんなに大声を出したら目立つのではないか」
「ぎゃっ!」
涼やかな声が聞こえた。
前方には、美丈夫の軍人が立っていた。
「見えることを誰にも言っていないのだろう」
「そ、そうです、けど」
華がまごついていると、精霊たちはぴゃーっと蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「どうやら私は怖がられているようだ」
はぁ、と華は生返事をした。
道端で出会うとは思っていなかったので、とりあえず、質問を投げかける。
「これから長のお屋敷に行かれるんですか」
昨日は分からなかったが背が高く、かなり見上げる形となってしまう。
男は首を縦に振った。
「日中は集落を見て回る時間をもらっていたが、夜は屋敷へ来るように言われている」
(宴会って聞かされてないのかな。まぁいっか)
「軍人さんは……えぇと」
「一条
端的に名乗られて、その名を、華は反芻する。
「一条さまが、中将さまなんですか? お若いのにご立派ですね」
「日々の鍛錬の賜物だ」
淡々とはしているが謙遜はしないという予想外の返しに、華は面食らった。
素人でも分かる鍛えられた肢体。
この男は言葉以上に努力をしているに違いない。
「えーと。今回は、父に、刀を鍛えてもらいに来たんですよね?」
昨晩の会話を聞いていないていで、華は言葉を続ける。
「彼は帝都でも名高い刀匠だ。実際の刀を見せてもらったが、どれも素晴らしかった」
言葉としては仁志を褒めているが、表情が乏しい。
ここまでの短い会話のなかで、それが彼の通常なのだと華は察する。集落の男たちは喜怒哀楽が激しい分、新鮮に映った。
「あのっ」
華は思い切って声を大きくする。
「わたし、知っているんです。長の屋敷の蔵には、神さまが授けてくださった玉鋼があるって。きっと、一条さまの刀はその玉鋼を鍛えてもらうんですよね? 父が刀を鍛えるとき、わたしも同席を許してもらえるように、一条さまから頼んでいただけませんか!」
立て板に水。中断されないように一気にまくしたてた後、華は肩で息をする。
表情こそ分かりづらかったが、尊の眉がぴくりと動いた。
「昨日今日と話をして感じたが、君の父上は、君が刀鍛冶に関わることを是としていないのでは? 私がいくら話をしたとして、首を縦には振らないと思うが」
突き放したような物言いだった。
さっきまで静かだった少女からの、突拍子のない提案に驚きでもしたのだろうか。
「うっ」
華が退席した後にどんな話をしたのかは分からない。
しかし、それは紛れもない事実でもある。
「そ、そこを何とか。わたしも、神さまの玉鋼を見たいんです……」
「無理だろう」
ぴしゃりと否定されて、華は地面に視線を落とした。
うっすらと降り積もっていた雪は融けかけて、道が汚れてしまっている。
(……いじわる)
それは、決定的な印象づけだった。
言葉を飲み込んで、華は屋敷へと駆けこんだ。
§
「――大将の心意気は素晴らしかった。皆、もっと後に続くべきだったのだ。軍人にとって殉死は本懐ではないのか?」
「お前さんはその話になると熱くなって困る。軍人さんたちが困っているだろう」
がはは、と周りを気にしない笑い声が広間に響く。
赤ら顔で話の中心にいるのは集落の長と仁志だ。そして、想軍の三人を囲むようにして、集落の男たちもたわいのない会話に興じていた。
「女の良し悪しは尻で決まるんだぞ」
「いいや、胸だね! なぁ、華ちゃん」
「やめろよお前。おやっさんにぶっ飛ばされるぜ」
給仕係として呼ばれた華は、偽物の笑顔を貼り付けて男たちに対応していた。
(もうやだ。お酒臭いし、下品でくだらない会話ばかりだし)
表情に出せばたちまち酔った父親に叱責されるのは分かっていた。
(あーあ。早く帰りたい)
ちらりと尊へ視線だけ向けると、誰の会話にも相槌を打たず、静かに酒を飲んでいた。
騒々しさのなかで、彼の周りの空気だけが凛として澄んでいるようだ。
(……ざまぁみろ、とは思わないけれど。どちらかというと、不憫)
恐らく、宴だと聞かされていなかった彼も不本意に違いない。あまりに無愛想すぎて、このような場が好きそうには到底見えなかった。
とん。
肩を叩かれて華が振り向くと、朔夜が、廊下から手招きしていた。
「やぁ、華」
朔夜もまた三年前より背が伸びた。幼さは消え、喉仏も出てきた。精悍な顔つきの青年に成長した彼は、口元に笑みを浮かべていた。
婚約関係にはあるが、恋愛関係にはない。
このまま兄妹のような状態を経て、家族となっていくのだろう。
それはそれでいいと華は考えている。変な男に嫁がされるよりも、幼い頃からお互いをよく知る朔夜となら、嫌ではないと。
「どこに行ってたの」
「成人でもないのに飲まされるのはごめんだね」
わざとらしく朔夜が肩をすくめてみせたので、華はぷっと吹き出す。
「ところで、顔が死んでるぞ」
「……。笑顔のつもりだったんだけど」
「僕だけしか気づかないだろうね。もう帰っていいよ。父さんたちには適当に言っておくから」
「いいの?」
「ほら、一気に元気になった」
朔夜が、つんと華の額をつついた。
「分かるのは、僕だけだよ」
「ありがとう。お言葉に甘えてお
「送って行こうか?」
「平気よ。今日は月もまんまるで眩しいし」
広間の誰にも挨拶をせず、華は玄関をくぐった。
ちらりと土蔵の方を見遣る。
(蔵、……は、流石に入れないか)
ちり、と胸が痛んだ。
想軍の男たちは、よそ者だというのに見ることができたのだろうか。神が授けてくれたという玉鋼を。
そして、神剣を鍛える相談をしたのだろうか。
想像は尽きない。
少しだけ後ろ髪を引かれながら、家路につく。
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