第二話 十八歳、冬。

(一)黄金との出逢い

   §




 薄い灰色の空を見上げると、待っていたかのように六花がふわりと舞い降りてきた。

 畦道あぜみちは地面から冷たさを伝えてくる。

 華は、ぶるっと身震いした。羽織があっても寒いものは寒い。

 遠くの山々は白い帽子を被っている。これからこの集落にも本格的な冬がやって来る。


「くしゅんっ」


 初めて、そして、一度だけ刀を鍛えてから三年が経っていた。

 十五歳のあの日以来、鍛冶工房へ足を踏み入れることはかたく禁じられていた。


 幼心の決意も虚しく、仁志は頑として華が鍛冶師になる道を用意しないのだ。

 背は伸びたし、体つきもふっくらと丸みを帯びてきた。どうしたって、華は女性だった。


 荷物を脇に挟むと、華は両手を擦り合わせて、息を吹きかけた。わずかに温かくなるものの、水仕事に酷使されている指先ではあかぎれがはじまっている。


(早く帰って温まろう……)


 集会所で、農作業をする人々に向けた食事の炊き出し係。それが華の日中の仕事だった。

 家に帰れば帰ったで今度は家族と弟子たちのだ。

 火元の前にいれば、多少は体温も上がるだろう……あかぎれは悪化するかもしれないが。


 てててっ。

 視界を何かが横切った。


 十五歳で短刀を鍛えたときから誰にも打ち明けていない秘密。

 それは、異形が見えるようになってしまったということ。

 とはいっても特定の一種類のみであり、危害を加えようとするわけでもなく、ただただあちらこちらに存在しているため、放っておいている。


 ぽて、とが地面に躓いて転んだ。

 はぁと華は溜め息を吐き出す。それの前にしゃがむと、両手を差し出して起こしてあげた。


「足元に気をつけなよー」


 華の言葉を理解しているのかどうかは分からない。

 現れたときと同じ速度で、異形は去っていった。


「驚いた」


 静かな、言葉とは対照的にちっとも驚いていない声が降ってきた。

 聞きなれない男性の声に華は肩越しで振り返る。

 そして思わず息を呑んだ。


(金色……!)


 背後に立っていたのは、黒髪に黄金の瞳を持った美丈夫だった。


 正しくは、軍服姿の男が三人。

 声をかけてきたのは真ん中の男のようだった。左右のふたりよりも明らかに若い。しかし、瞳の金色が一番濃い。

 意志の強さが垣間見える眉の形。すっと通った鼻梁びりょう。薄い唇にはきちんと血が通っている。

 肩に届きそうな長さの黒髪は、この集落の男性では見かけない髪型だ。

 というか、黄金の瞳だけではなく、軍服を着た人間を初めて華は目にした。


「火の精霊を見ることができるとは」

「火の?」


 初対面の男に、立ち上がった華はおうむ返しで尋ねる。


「気づいていなかったのか。あれは火を司る特別な妖だ」


(妖だというのは分かっていたけれど、火を司っているだなんて)


 華は心のなかで驚く。


「……軍人さんにも見えるんですか」

「私の瞳は妖を映す」


(そういえば、聞いたことがある。黄金の瞳を持って生まれた人間は、異能を持っている、って)


 失礼とは思いつつ、華はじっと軍人を見上げた。

 一切表情を変えず彼は薄い唇を開く。


「君はよほど火に愛されているようだ」

「火に……」


 華は記憶を探る。

 それらが見えるようになったのは、短刀を鍛えたときからだったような気がする。

 勿論、関係があるかどうかは分からないし、この男に尋ねても答えようがないだろうから黙っておく。

 青年も青年で、華と長く会話をするつもりはなさそうだった。

 そのまま三人は背を向けて歩いて行ってしまう。


(こんな辺鄙へんぴなところに帝国軍人さんが何の用だろう)


 華の疑問は、すぐに解決することになる。




   §




 華は、ようやく家が見えてきたところで、今日は何かがいつもと違うと気づいた。

 門の前に立派な、というよりは見慣れぬ馬車が停まっていたのだ。わだちへ視線を落とすと、まだ新しい。どうやら来たばかりのようだ。


(来客、にしてはずいぶんと仰々しい。どこの金持ちだろう?)


 この家の住人ではないような、まるで物見遊山にでもなったような仕草。あるいは探偵気取りで、華は家の中を覗き込んだ。

 玄関へと続く人間の足跡を確認する。複数あるが、どれも立派な革靴で、規則正しい歩幅を残していた。


(成金ではなさそう)


 雪は、はらはらと降り続けている。

 来客者たちはもしかしたらこのまま、客間に宿泊するかもしれない。

 そんな可能性と食料の残りを頭で天秤にかけながら、華は屋敷の扉を引いた。


「ただいま戻りましたー……」


 空気が、しん、と冷えている。

 たたきに丁寧に並べられた先のとがった革靴は三足。すべてぴかぴかに磨かれていた。


「華、おかえりなさい」


 ともを紐で背負った母親、ゆかりが廊下に顔を出した。

 産後の肥立ちが悪かった時期を乗り越えて、今はこの家に戻ってきている。

 倫は倫で、母の背中ですやすやと寝息を立てていた。


「お客さんがいらっしゃってるから、すぐに手伝ってくれるかしら」

「うん、分かった」


 台所に入った華は、割烹着を被りながら尋ねた。


「今日は、どんな方たちなの?」

「軍人さんよ。帝国想軍の中将さんと、その部下の方たち」

「……帝国想軍?」


(もしかして、さっきの軍人さんたち?)


 長きにわたる鎖国が終わったとき、この国には軍隊が設置された。

 陸海空、それに

 四つの部隊からなる組織だが、中でも異質なのが想軍という、目に見えない妖の類を討伐する部隊だ。


 今上きんじょう天皇は生まれたときから病弱で余命いくばくかと言われていたが、実は、妖に好かれやすい体質だったらしい。

 そこで先代の天皇、すなわち現在の上皇が、息子を守るために対妖の組織を設立した。

 やがて現在では一個隊として力を持つまでになったというのが想軍の歴史である。さらに現在の内閣総理大臣は、かつて、想軍の大将を務めていた。軍事力だけではなく、政治力も兼ね備えているのだ。


「こーんな僻地までわざわざ足を運ぶなんて、父様の刀剣はよほど価値があるのね」

「価値があるに決まっているでしょう。由緒正しい鍛冶師の一族なんだから」


 華がたっぷりと皮肉を込めると、縁は空いている手で華の尻をはたいてきた。

 いたっ、と華は大げさに声を上げた。


「父様の刀は、妖も切れるの?」

「勿論、想軍の軍人さんだから、ってのもあるでしょうね。先ほどご挨拶させていただいたけれど、異能を操れる証だという黄金の瞳は、それはそれは眩いものだったわよ」


 しかも、と縁が付け加える。


「中将さんったらすごく男前でね。ああいう御方を、美丈夫って呼ぶんでしょうね」

「へー」

「もう。華ったら、朔夜くん以外に興味がないんだから。それはそれでいいんだけど」

「そ、そんなつもりで返したんじゃないんだけど?!」


 おしゃべりをしながらも二人の手は早い。

 前菜を小鉢に盛り付け終えると、配膳の役目は華に任された。


 興味がない訳ではないが、住む世界の違う人間だ。

 あくまでも仁志の客。華とは何の関わりもないし、できないだろう。


 てててっ。

 冷え切った廊下を小走りで進み、華は、客間の前で立ち止まった。

 膳を一度廊下に置くと、両膝をついてふすまを叩く。


「お食事をお持ちしました」


 それから両手で襖を引いた。

 中には縁が説明した通り、仁志と三人の軍人が向かい合って座っていた。

 淡い水色の軍服はまるでこの世の人ならざる者のような雰囲気を醸し出している。 

 不意にそのうちの一人が華を見た。黄金の双眸が、華を捉える。


「……!」


 それは、道端で華へ話しかけてきた軍人だった。

 中央に座していることから、恐らく中将その人なのだろう。


(たしかに、美丈夫よね)


 華は母親の台詞に心のなかで相槌を打った。

 両手を揃えて、深く頭を下げる。


「華と申します。ようこそいらっしゃいました」

「すまんな、華。まだ話の途中だから、適当に置いておいてくれ」

「はい」


 仁志の指示を受けて、華は膳を脇に置いた。

 温かいものはないので、冷めて味が落ちる心配はない。


「お嬢さんですか。えらい別嬪さんですなぁ」


 左の男が目を細める。


「うちのも今年十六になるんですが、いかんせんお転婆で困ってまして」

「いやいや。華も相当お転婆ですよ」


 睨みつけたい気持ちを押さえて華は微笑みを浮かべた。


「また頃合いを見て、お酒と次の食事をお持ちいたします。それでは」


 華はもう一度頭を下げて、客間から出て襖を閉じる。

 すると男たちの会話はすぐに再開した。


「……神が授けてくださった玉鋼……」


 立ち去るつもりだった華は、ぴたりと動きを止める。


(神の玉鋼……?)


 一瞬にして好奇心が上回ってしまった。

 話題の中心は、かつて朔夜に見せてもらった、玉鋼のことに他ならないだろう。

 耳をそばだてつつ息を殺す。


「先の時代には廃止されたと聞いておりますが」

「はい、表向きは。実際には想軍内に統合されたのです」


 仁志と誰かの会話。

 声が若いことから、真ん中にいた青年だろうと推測する。


(低いのに澄んでいて、ふしぎな声の人。異能があると、声にも力が宿るのかな)


 朔夜も変声期を経て声は低くなったが、それとはまた違うような気がした。


「占いで神剣の在処を辿ると、この集落を指し示していました。どうか、我々に神剣を授けてはいただけませんでしょうか」


(……神剣!?)


 信じられない単語に華は背筋を伸ばす。

 ただ、神の玉鋼ならば、神剣となってもおかしくはない話だった。


 華が壁越しに驚く一方。

 ふぅ、と仁志が息を吐く音が聞こえた。


「総理大臣の花押かおうを見せられてしまったら、拒否はできません」


 父親は何もかも知っているようだった。

 神から授けられた玉鋼で鍛えた刀は神剣と呼ばれる。そして、妖へ立ち向かうことができる。

 盗み聞ける言葉尻から、華はそう判断する。 


(あの玉鋼を父様が鍛えるってこと……?)


 華の心臓が早鐘を打ちはじめる。

 不意に蘇るのは、朔夜に託された期待。


『選ばれた者しか鍛えることができないんだ。きっと、それは華のことだと思う』


(朔夜、違うよ。わたしには神剣を生み出すことは……できない)


 華は唇を噛み、静かにその場を後にした。

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