(二)決意と約束
§
ごつんっ!!
「……っ」
華はその大きな音に体を縮こまらせた。
鬼の形相で怒りの鉄拳を下したのは、華の父親こと
鍛え上げられた筋骨隆々とした体から繰り出された一発に、悲鳴を上げたのは弟子たちだった。
「い、いってぇー!」
「おぉぅ……痛い……」
「華を工房へ入れるなとあれほど言っただろうが!!」
弟子たちが床に転がる。華は、泣きそうになるのをぐっと堪えた。
(わたしの、せいで)
一方で、弟子たちは頭部をさすりながら己の師に向かって反論する。
「せめてちゃんと仕上げに出させてやってください。刀が可哀想です」
「お嬢さんは筋がいい。初めてでこれですよ?」
正座する華の前には、鍛え上げられたばかりの刀身が布にくるまれ、置かれていた。
仁志は眉間に皺を寄せたまま布を持ち上げた。眼前で布を開き、刀身を見つめる。
沈黙の後、しぶしぶ口を開いた。
「……だが、華は女だ」
(それって、つまり)
華は、ぱっと顔を上げた。出来に言及しなかったということは……。
「待ってください、おじさん。今回は僕が唆しただけです。あまり華たちを怒らないでください」
そこへ割って入ってきたのは朔夜だ。
むぅ、と仁志は口を尖らせた。
朔夜が言ったとおり、集落の長の息子である朔夜に対して、強く出られない部分があるのだ。
「……鍛えたもんは粗末にはできない。お前らに免じて、仕上げには出そう。しかし、華」
ずいっ、と仁志は華に顔を近づけた。
「二度と工房には入るな。火宮の跡継ぎは、男だけだ」
「……。父様の、分からず屋っ!」
華は唇を噛み、そのまま、部屋から走り去った。
§
(どうして父様は分かってくれないんだろう……)
遠くで蝉が鳴いている。
燦々と降り注ぐ陽射しに、走れば走るほど汗はとめどなく流れる。立ち止まって見上げる晴れ空は憎らしいほど、青い。
華が向かったのは、集落の外れにある祠だ。
母親の容体がよくなるようにと毎日欠かさずお詣りしている道祖神。鈍色の石でできていて、ころんとまんまるく、親しみのある見た目をしている。
ぱん、ぱん。
両手を合わせて、ぎゅっと目を瞑った。
「父様を認めさせて、いつか、火宮の鍛冶師になれますように!」
ぽこっ。
突如足元へ現れた違和感に、華は己の目を疑った。
「な、な、何っ!?」
見たことのない生き物が華を見上げていた。
しかしそれは常識で理解できる見た目をしていない。
背丈は華の膝の高さくらい。四肢はあるが、耳と鼻と、口がない。しかも、目玉はひとつだけ。
全体的に黄色と紅を混ぜたような色合いをしている。
「ど、どういう、こと?」
混乱する華だったが、ひとつの可能性に思い至る。
(ひょっとして、これは、あやかし……?)
ただ、一つ目は、華を攻撃しようとはしてこない。
「もしかして、わたしを慰めてくれてるの?」
そもそもここは祠の前なのだ。悪いものならたちまち退治されてしまうだろう。
華はしゃがみ込んで、一つ目に腕を伸ばした。
すかっ。撫でようとしたが、実体がないらしく、華の手は空を切る。
一つ目はしばらく華を見つめていたが、やがて、おぼつかない足取りでどこかへ去って行った。
「ふふっ。なんだかかわいい妖」
さっきまでの怒りもなんとなく収まり、華は、家へと戻るのだった。
§
数日後。
「これを僕に? 本当にいいの?」
「うん」
華は朔夜の住む屋敷を訪れて、仕上がったばかりの短刀を差し出した。
門の前で、朔夜は目を丸くした。
華が初めて鍛えた短刀は、今や、剥き出しの刀身ではなくきちんと鍔と柄がついていた。その身が収められているのは、立派な装飾の施された紺色の鞘だ。
鞘には橙色と緑色の組紐が結ばれている。
「初めての刀だもの。記念とお礼に受け取ってほしいんだ」
華が頷くと、ようやく、朔夜は両手で短刀を受け取った。
「重たい……」
それから、そっと組紐に触れて、朔夜が目を細める。
「もしかして、これは手作り?」
「うん。朔夜に似合うと思って」
「よく分かったね。僕の好きな色だよ」
朔夜が表情を綻ばせた。
それから、鞘に収められた短刀をゆっくりと抜いた。きらりと刀身が輝きを帯びる。
「すごく、きれいだ……」
まるで自分を褒められたような気持ちになって、華は照れながら俯いた。
「これから世の中はどんどん男女平等になっていく。華はきっとすごい鍛冶師になれるのに、おじさんは何も分かってない。価値観が古いんだよ」
短刀はすぐに鞘へと納められた。刀の輝きを瞳に残したまま、朔夜が言葉を続けた。
「そうだ! 華にいいものを見せてあげる」
「いいもの?」
華が首を傾げると、朔夜は、大きく首を縦に振った。
「ついておいで」
突然家の中へ向かって歩きはじめる朔夜。
華は、慌てて後をついていく。
眩い青空の下半分は入道雲。今日も容赦なく陽が大地を照りつけている。
華と朔夜は婚約者とはいえ名前だけの関係だ。
なかなか訪れる機会のない朔夜の屋敷は、集落の長の住居でもある。華の生家もそこそこ広いが、集落の長が住まう屋敷はそれ以上に広かった。
「ここだよ」
やがて、屋敷の端まで歩いたふたりは、立派な土蔵の前で立ち止まった。
開放されている観音扉の内側には、家紋と華美な装飾が施されている。
「待ってちょうだい。それこそ怒られない……?」
華は眉尻を下げた。
集落の長の蔵なのだ。子どもが、まして、部外者が触れていいものがあるとは到底思えなかった。
「大丈夫、大丈夫。華だから、見てほしいんだ」
半ば強引に朔夜が土蔵へと足を踏み入れた。
(えぇい、ままよ!)
恐る恐る華も後に続く。
常時開放されているからなのか、埃っぽさはなかった。
見上げると、天井が高い。外の暑さが嘘のように涼しい風が通っていく。
「こっち、こっち」
朔夜が華を手招きして、梯子を上りはじめる。
木製の梯子はぎしぎしと音を立てながらふたりを受け入れた。
上階の床に転がるようにして辿り着くと、朔夜は、ズボンのポケットから鍵を取り出した。
ひときわ目立つ黒い漆塗りの箱。その鍵穴に、朔夜が鍵を差し込む。
朔夜は鍵が開いたことを確認して、両手で箱を開けた。
「見てごらん」
華は言われるままに箱の中を覗き込んだ。
そこに納められていたのは、黒くてごつごつとした塊だった。よく見ると、内側にざらざらとした部分があり、藍色や紺色の光を帯びている。いや、それだけではない。朱色や黄色、数えきれない色がゆらめいていた。
華は、それが何なのかよく知っていた。
「
刀の材料である、特別な金属を玉鋼という。
眼前にあるものは、まさしく玉鋼に他ならなかった。
「どうして朔夜の家の蔵にあるの?」
「誰にも言っちゃだめだよ。この玉鋼は、神様が授けてくれたものなんだ」
(神様……)
華は、心のなかで言葉を反芻する。
(すごく、きれい……)
声は聞こえないけれど、呼ばれているような気がした。
触れて、と。
この世に形を作って、と。
とぷん。不思議な感覚に、華は溺れそうになる。
「選ばれた者しか鍛えることができないんだ。きっと、それは華のことだと思う」
華は、はっと我に返る。
朔夜がまっすぐに華のことを見つめていた。
「ありがとう、朔夜」
ずずっと華は鼻水をすすった。
泣きそうになっているのをごまかしたいけれど、幼なじみには見透かされているだろうと分かっていた。
「わたし、必ず父様を説得して、鍛冶師になってみせる」
それは十五歳の少女の、決意と約束だった。
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