#16 魔法の解けたサンドラセバス 2


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 こうしてサンドラセバスは舞踏会へ行くこととなった。遅れてやってきた彼女に、誰もが不躾な視線を向け、サンドラセバスは思わず怯んでしまう。

「自分のような者が、なんて場違いな場所に来てしまった……」

 勇気を振り絞り歩み始めたものの、踵の高い靴に慣れていないサンドラセバスは躓いてしまう。

 その途端、彼女を注目する視線は笑い声と変わった。宝石も持たない、立ち居振る舞いの優雅さもない、緊張に固まった顔で躓く彼女を、全ての女達が嘲笑った。恥ずかしさに俯く彼女に、しかし王子様は笑わず声をかけた。

「大丈夫かい? 美しいお嬢さん」

 慌てて挨拶をしようにも、ずっと馬車の中で練習していた言葉すら、満足に言うことができなかった。王子様はそんな彼女を宥め、踊りに誘った。せっかくの誘いなのに、サンドラセバスはここでもしりごみをしてしまった。

「踊りなど踊れません」

「大丈夫。落ち着いて、僕に合わせるんだ」

 王子様はサンドラセバスの手を引いた。

「踊っている間は僕だけを見て、僕の声だけに耳を傾けるんだ。そうすれば、周りの目なんか気にならなくなる」

 顔を寄せこっそりと囁く王子の仕種に黄色い悲鳴が上がった。

 これまで踊りなど習ったこともないサンドラセバス。その上この緊張では、魔法で変わった靴とミトン、そして王子が主導あったとしても、二人の踊りは酷いものだった。それでも、互いに見つめ合い踊るうちに、二人の踊りは周りの女達の羨望を集める程のものに変わっていった。舞踏会に参加していた他の女性達は皆ため息と共に会場を後にした。気がつけば彼女と王子の二人きりだった。踊りが終わっても、彼女はしばらくそのことに気がつかなかった。


「素敵な時間だった。一晩中でも、君と踊っていたい」

「大変……!」

 王子がそう言うのを聞いて初めて、サンドラセバスは他の女達が皆帰ってしまったことに気がついた。サンドラセバスは魔法使いとの約束を思い出し、慌ててお城の出口へと走った。

 何も言わずに突然逃げ出すように駆け出した彼女を、王子様もまた追いかけた。その手を再び捕まえることができたのは、彼女が馬車に乗り込もうとした時だった。

「行かないでおくれ。僕が真に恋した人」

 サンドラセバスはそっと首を振る。

「いけません。でも……ああ、そうすることができたらどんなに良かったことか」彼女の声は、震え、掠れていた。「束の間の夢は、私には過ぎた幸せでした。……どうか、見ないで下さい。私は、ここにいる資格のない、ただの卑賎な女でしかないのです」

「そんなことはない。あなたは……」

「いいえ」王子の言葉を遮り、彼女は言う。「私の本当の姿を見れば、あなたの恋も私の夢も、きっとさめてしまうでしょう」

 馬車が走り始めても、王子は手を離さなかった。そのため、馬車が去った後も、王子の手には彼女が手に着けていた手袋が残されていた。王子は、彼女が最後に言った言葉の意味も理解できず、その手袋だけを今夜の想い出とすることにした。



 一方、大急ぎでお城から戻ったサンドラセバスは、家人の帰宅に間に合わなかった。あっという間に魔法は解け、片付けた筈の家財道具は崩れ、そのおかげで部屋は再び埃まみれ。魔法使いが自分を助けてくれた、そのこと自体がまるで夢のように消えて無くなっていた。

 王子を射止められずすこぶる機嫌の悪い義姉妹達は、遅れて帰って来たサンドラセバスをなじり酷く当たりました。

「このぐず! この子は掃除すら満足に終わらせられないのかしら! それとも何処かで寝こけていたの? それなら、掃除が終わるまで寝所に入らせませんよ。明日の朝までに終わらせるのです」


 ぐちゃぐちゃの部屋を見下ろしながら、サンドラセバスは魔法使いのことを思い出していた。

「あなたは、私の本当のお父様なのではありませんか」

 聞くことの出来なかった言葉を心の中で繰り返す。しかし、現実は今目の前に散らかっている。

 ……自分に両親は居ない。サンドラセバスは、それを自らに言い聞かせるように呟くと、寂しく笑った。

「……やはり私には過ぎた幸せでした」

 昨夜のことは、もう忘れよう。

 心を入れ替え、一生懸命に働くも、片方のミトンは無くしたまま。掌に火傷を負い、煤で真っ黒になってしまう。火傷が痛むたび思い出される王子の声を振り払い、サンドラセバスは働いた。


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 場面は一夜明けた城の王子とハイヴェシア姫とのやりとりに移った。昨夜の名前も知らない少女の姿が忘れられず、彼女の残した手袋を握りしめたまま、王子は眠れぬ夜を明かしたのである。……思えば同じ頃、サンドラセバスも昨夜の夢を思い返しながら、徹夜で屋敷の掃除をしていたのである。もう出会うこともないと想いながら、眠れない夜を明かした二人は、離れながらにして通じ合っているようにも思えた。

 舞台裏では、ハイヴェシア姫と入れ違いにサンドラセバスが下がってきた。彼女は、相変わらず酷い表情をしていた。

「大丈夫?」

「……私、どうしちゃったんだろう……?」

 彼女は自分でもよく分かっていないようだった。

「私がいけないんだ……私が、魔法使いの正体を教えてしまったから」

「魔法使いの……」

「聞いて、“サンドラセバス”」

 彼女の煤と埃にまみれた顔がぎょっとした。私は彼女の肩を掴み続ける。

「魔法なんて、あなたにとってはきっかけでしかないのよ。あの魔法使いの魔法なんて、一晩だけですっかり解けてしまっているんだから。そうでしょう? あなたの良い所は、美しいドレスでもカボチャの馬車でもない。シルクの手袋でもガラスの靴でもない。勤勉で誠実であること。その二つだけで、あなたは幸せになれるの。あの高慢で底意地の悪いハイヴェシア姫にも、その二つだけで勝てる……必ず勝てる筈なの」

[ハッピーエンドを前提にするのは感心しないね]横から悪魔が囁く。

「黙ってなさい!」

 アンティノーゼの姿は私にしか見えない。それを失念して怒鳴ったものだから、彼女は怪訝そうな顔を向けていた。

「悪魔の声に耳を傾けては駄目。……あなたなら分かるでしょう? 生まれがどんなに不幸でも、私たちは生きてハッピーエンドを探していかなければいけないのよ」

「そんなの理想論じゃないの!」

 泣きそうな声で、彼女は叫んだ。

「私は、サンドラセバスみたいに誠実な子じゃないの。自分を捨てた両親を恨んだことだってあるのよ。後悔させてやるんだ、って……」

「でも、恨んだりしないように、女優を目指すのでしょう?」

「ええ、“もう”恨んだりしないように。でも、死んでしまった親が、後悔なんかするはずもないでしょう。自分の手で育てられなかったことが悔しくて、無念でたまらなかった筈なのに。……ううん、こんなことも、想像でしかない。どんなに願ったって、もう知り得ないこと」

「けど……」

「あなたは、誰なの?」

 彼女は突然私をきっと睨んで、そんなことを尋ねた。

「自分の名前が言える?」

「私は――――」言おうとして、どうしてなのか言葉が出ない。名前が、思い出せない。

「リディア」

 彼女がその名を呼ぶ。しかし、それは自分の名前とは思えなかった。

「私は、あなたみたいにはなれない。教養もないし、本を読んだだけで誰かになることなんて、できないのよ。妄想は妄想でしかない。現実の私は拾われた孤児で、ただ無為に努力を積み重ねていくしかないの。ある日突然お姫様になれる魔法なんて、どこにもないの」

「………」

「ねぇ、リディア。私、怖いよ……それに、悔しい。もし私が勤勉で誠実なら、こんな気持ちは無くなるの?」

 私は、彼女にそれ以上の声をかけてやることができなかった。

 舞台からハイヴェシア姫の慟哭が聞こえてきた。

 決意を固めた王子が、もう直ぐ迎えに来る。



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 ハイヴェシア姫の前に掲げた少女忘れ形見は、煤まみれのミトンとなっていた。昨夜の出来事を思い出せば思い出すほど、まるで夢であったかのように思われる。

 ハイヴェシア姫はその真偽を笑い、王子の話を信じてみせてはミトンの持ち主を笑った。

「王子は一体誰と踊ったのですか。いずこの妖精にでも騙されたのでなければ、煤まみれの下女に見とれていたとでも?」

 姫に笑われながら、王子はずっと昨夜の美しい少女のことを考えていた。確かにその手に触れ、共に踊った。見間違いだとしても、その煤まみれのミトンは真実。昨夜の彼女が決して幻ではなかった、その証ではないか。

「……姫にはお礼を言わねばなりませんね」

「そうでしょうとも。目が覚めましたか?」

「ええ。着飾った美しさにばかり目を奪われていては、本質など見えるはずもありません。昨夜までの私は、そうしたくだらないものばかりに伴侶を求めていた。……少女を前にしたあの時の胸の高鳴りが、そうしたもののせいではないことを願いたい」

「王子。いい加減そんなものは捨ててしまいなさい」

 旗色の悪くなったのを感じたのか、ハイヴェシア姫は王子にそう促した。

「目が覚めたのなら、私どもの婚礼とこの国の行く末を、話し合おうではありませんか」

 脅しとも取れるその台詞に、王子は耳を貸さなかった。

「姫。あなたの言う煤まみれの下女に、私は会いに行こうかと思います」

「そんな汚らわしい娘など!」

「働き者の娘です。これを見ただけでよく分かります。こうした人々が、美しき国の礎を築いてきたのですよ。……瞳まで宝石で出来ておられるハイヴェシア姫には、これが汚らわしく見えるのですね」

 身を翻し、彼女の前から去ろうとする王子を、ハイヴェシア姫は引き留め、ヒステリックに告げた。

「こんな良縁は、二度とありませんよ。分かっているのですか?」

「……以前よりお慕い申し上げておりました」

 王子は、振り返りもせずに言った。

「そんな条件など無かったなら、私はあなたを信じたに違い有りません」

 王子はそう言って、側近と共に城を出た。

 後にたったひとり残されたハイヴェシア姫は、何の威厳もプライドもなく、まるで少女のように泣き崩れた。

 それも仕方のないことだった。彼女もまた、この国の王子を好いていたのだから。


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[―――――聞こえたね、姫の慟哭が。…さぁ、いよいよ君の出番だ。もうすぐサンドラセバスを迎えに、王子様がやってくる。君が彼をサンドラセバスの元まで導いてやるんだ。そうすれば、メノウ家という檻から友人を助けてやれる。サ ン ド ラ セ バ ス は や っ と し あ わ せ に な る ん だ よ]

「………………………………」

 悪魔の声に促されながら、私はサンドラセバスの待つ舞台へと歩を進めた。


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 その日、サンドラセバスはいつにも増して疲れた表情をしていた。昨夜から一睡もしていないのが、その顔から窺い知れた。一体何があったのか、私は「どうしたの?」と尋ねたのだけど、彼女は力ない微笑みを浮かべて首を振るだけだった。

「その手は?」

 彼女の手には、汚れた布が巻き付けられていた。私にはそれが包帯の代わりに見えた。

「火傷。ちょっと、失敗しちゃって」

 きっとメノウ家の人達はちゃんとした手当を断ったのだろう。私にも覚えがあるから、怒りよりも、ただ悔しかった。

 私は自分の屋敷からこっそり包帯と薬を持ってこようとしたが、彼女はそれを押しとどめた。「これは罰みたいなものだから、いいの」と、彼女は言った。

 やがていつものようにメノウ家の末娘が彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。私と一緒にいる所を見られると何を言われるか分からないから、サンドラセバスは彼女が来る前に仕事へと戻る。話し相手がいなくなった私もまた、命じられた仕事に戻らなければならない。


 ふと、お城の方を見上げる。昨日は舞踏会が開かれたそうだ。隣国のハイヴェシア姫も来訪しているというから、さぞ煌びやかな舞踏会となったのだろう。噂では王子様はその舞踏会で、将来王妃となる婚約者を探しているのだという。

「私でも王子様に見初められれば、こんな生活から抜け出せるのかしら……」

 一瞬そんなことを考えてみたものの、そもそも自分のような者が煌びやかな舞踏会に参加出来る筈もないのだ。彼女はそんな妄想を振り払うように首を振った。

「余計な事考えてないで仕事に戻らなくちゃ」

 妄想じゃあ、運命を変えるどころか、今日の仕事だって片付きやしないのだから。



 そんな時、お供を伴った王子の一行が近寄ってきた。何だろうと警戒する私に、王子のお供が声をかけた。

「もし。君はそこの屋敷の使用人かね?」

 おそるおそる頷く私に、お供は王子の身分を明かし、自分たちが昨夜の舞踏会に現れたある女性を捜していることを告げた。その人は名前も告げずに王子の前から去ってしまったのだという。

「それは私に違いありませんわ!」

 と、突然現れたメノウ家の末娘が話に割り込んできた。サンドラセバスには家事を押しつけておいて、自身は王子に気に入られようと横からでも必死にアピールしているのだから、私はただただ戸惑うばかりだ。

「私も昨夜、舞踏会に出ておりましたの。素敵な夜でしたわ。このブローチに見覚えがありましょう?」

 私は息をのんだ。メノウ家の末娘の身につけているブローチは、サンドラセバスがいつも身につけていたものに違いなかった。……私は、腹立たしいのを必死で堪えて、彼女たちのやりとりを見守った。

 王子はその宝石を一瞥しただけで、首を振った。

「……いや。僕の探している人は、宝石など身につけてはいなかった」

「あ、ああ、そうでしたわ。昨夜はこれを忘れて行ってしまったのね」

 そう言うと末娘は、胸元のブローチをむしり取ると、王子が顔を逸らした隙に、遠くへ投げ捨ててしまった。私は悲鳴を上げそうになる。

(なんてことを!)

 直ぐに探しに行こうと思ったものの、サンドラセバスのブローチは、草原の何処かに落ちて見えなくなってしまった。

「君はこれに見覚えがあるかな」

 末娘の暴挙に気づかず、王子は彼女の前に煤で汚れた手袋を出して見せた。

「随分と汚い手袋ですわね」

 末娘の肩越しに見えたそれは、私たち使用人が使うものと同じものに見えた。使っていれば、直ぐに汚れてしまうが、これはより一層ボロボロだった。でもどうして王子がそんなものを? 疑問に思っていると王子が説明してくれる。

「信じて貰えないかもしれないが、僕の探している女性は、これだけを残して帰ってしまったんだ。踊っている間は、確かに真っ白い絹の手袋だったのだけど、今朝になってこれに変わっていた。……きっとその人は、これが無くて難儀している筈だ」

 私は今朝のサンドラセバスの様子を思い出した。友人の手の火傷は、手袋が無くしたままで朝の竃の仕事をしていたからに違いない。だったら、この手袋は……

「あの……」

「それは私のですわ!」

 ……またしても、メノウ家の末娘が割り込んできた。その勢いと強引さに、私は尻餅をついた。

「ええ、ええ、それを無くして大変難儀しておりましたのよ」

 この嘘つきめ。あなたは竃仕事などしたこともないでしょうに。……言いたいのをぐっと堪えた。憤慨する様は、王子さまにも末娘にも見えていない。

「あなたの物でしたか」

 手袋を差し出しながら王子は言う。末娘がそれに手を伸ばそうとすると、しかし王子は引っ込めてしまった。

「しかし、一体どうすればこれほどに汚れるものなのですか?」

「それは、……私はいつもそれを身につけておりますから」

 と、末娘は得意げに言う。そして両手を……汚れ一つ無い綺麗な両手を王子の前に突き出した。

「見て下さいまし、傷一つ無い綺麗な手を。私のこの手には、絹の手袋こそ最も似合うと思いませんか?」

 私と王子のため息が重なる。“絹の手袋”という、その部分しか聞いていなかったのだろう、この人は。

「え? どうしたのですか? 王子。早くその手袋を私の手に……」

「衛兵。この嘘つきを牢屋へ」

「はっ!」

「え?え? どうして?どうして?」

 末娘が理解しないうちに、王子に付き従っていた衛兵は彼女を連れて行ってしまった。


「すまないね、仕事の邪魔をしてしまった」

 王子もまた去っていこうとする。私は……

「あ、あのぅ……!!」

 声を絞り出して、王子を呼び止めた。振り返る王子の眼差しに当てられ、私は思わず尻込みしてしまう。私は、もう一度勇気を振り絞らねばならなかった。

「失礼ですが、ここに来るまでに随分聞いて回ったのですね。それでも尋ね人についての手がかりは、王子が見た昨夜の姿とその手袋だけなのですか?」

 もう一押し。尋ね人が本当に私の友人のことなのか、確かめてみる必要があったのだけど、王子からの返事は芳しいものではなかった。

「……ええ、恥ずかしい話ですが、今まで尋ねた人達のほとんどは、そんな人は知らないとしか答えてくれませんでした。積極的に情報を教えてくれる方もおりますが、先ほどの方のように自分の物だと嘘をつく者ばかりです。我が国の民のことながら、私は情けなく思います」

 やっぱり。王子もまたそのミトンについての知識が少ないので、もしやと思った。あるいは、昨夜の舞踏会に出ていた者なら、“彼女”の顔に覚えのある者が何人かいたっておかしくない筈なのに、それもない。

 みな口を閉ざしているのだ。自分が見初められないのに、誰が他人の為に証言してやるものかと。

 私は悲しくなった。まるでこの街の家一軒一軒、そこに住む人達の一人一人まで全てが、サンドラセバスを閉じ込める檻のように思えた。

 せめて私は、……彼女の勤勉さ、誠実さを知る私だけは、彼女を檻から出してあげたい。

「……その手袋は、私たちのような使用人が竃の仕事で使うミトンです」

 私がそう言うと、王子は落胆したようにため息をついた。

「だから、自分のものだと? 君も先ほどの女性と同じ事を言うのかな?」

「いいえ。私のものではありません。私は、昨夜の舞踏会には行っておりませんから。けど……」

「けど?」

「確証はありません。けど私の友人が、今朝方、ミトンを無くして難儀しているのを、私は見ています。そのミトンは私の友人の物に違い有りません」

「ほぅ、君はその友人の為に、証言をするというのかい」

 彼は、値踏みするように私を見つめた。

 決意の籠もった真っ直ぐな目。この人なら、サンドラセバスを檻から出してくれるに違いない。

 けど……

「あなたを信じましょう。その友人の元へ、案内してくれませんか」

「それは……」


 不安をぬぐえない。

 迎えに来た以上、王子はサンドラセバスをお城へ連れて行き、自らの伴侶とするに違いない。そうなれば、友人はこの国の王妃様となる。

 果たしてそれで幸せになれるのか?

[そう、あのお城にはハイヴェシア姫がいる]

 悪魔が私の耳元で囁いた。

 彼女を閉じ込めるメノウ家の檻から出してあげられれば、……出してあげられさえすれば、彼女は幸せになれるはずと、無垢な程に信じていた昨日までの自分が、酷く愚かしく思える。あるいは、王子様と結婚すれば幸せになれると信じていた幼い頃の自分が呪わしい。

[あの気位の高い姫君が、自分の恋敵を放っておく筈もないだろう]


「彼女は……」

 サンドラセバスは、あんなに怯えていた。そんな彼女を、恋敵のいるお城へ送り出す事なんて……

「どうしたんだい? さぁ」

「いやです……!」

 気が付くと、私は首を振っていた。

「サンドラセバスを、連れて行かないで……!」

「え……」

 王子の顔が唖然となった。


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「もういい」

 舞台に低い怒鳴り声が響き渡った。誰もが、その声の主に魂を抜かれたような顔で、客席のエイハブさんの方を見た。

 芝居から現実に帰って来たばかりの私は、背筋が寒くなるのを感じた。

 ああ……私は、なんてことを言ってしまったのだろう……!

 見れば、王子の側近役のロキが、難しい顔で私を見ていた。

 裏にいたゾロも舞台袖から姿を現し、姿勢を正してエイハブさんに向き直る。

「随分と脚本から変えてきたな。……ゾロよ、お前の仕業か」

 エイハブさんが脚本を乱暴に捲りながら、顔をしかめた。

「いえ、みんなの咄嗟の判断……というか、流れですね」

「だろうな」

 頭を掻く。足を組み直したのか、ゴツ…という固い音がした。

「台本通り完璧にやれ、とは言わねぇ。これじゃあ俺だってどうにか空気を変えようと気を吐いたろうさ。だが変えまくった挙げ句にこれじゃあ、……話が終わらねぇだろがよ」

 エイハブさんの片目が舞台を見る。それは最期の最期で致命的に台詞を違えた私を睨んでいるようにも見えた。ロキがその視線を遮って私を背中に隠してくれたが、私は身体が震えるのを止められなかった。

「言葉もありません」

「十日、待ってやる」

 エイハブさんは立ち上がった。

「十日で客が観られるものに仕上げてこい。それとな、リトラー」

「はい」

 兄様の声は、心なしか暗く沈んでいた。

「脚本変えるならちゃんと書き換えて来い。ズレたもんを即興で演じるには荷が重いだろ」

「……はい」

 義足の音を響かせながら、彼は退場した。同時に、劇場のスタッフやエキストラたちが言葉も無く後片付けを始める。

 劇団[珊瑚占い]の面々だけは沈鬱な表情で取り残されたまま、しばらく動くことができなかった。

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