#12 魔法使い
今もまだ呆然とするアンを家の前まで送り届けると、私は急いで家へと戻り、灯り一つを携えて自室に籠もると、兄様の台本と、昼間かき集めた数冊の本を開いた。この直感が本当かどうかを確かめる為に。
[いよいよ童話らしくなってきたね。……でも、アンに告げるにはまだちょっと勇み足じゃないかな]
悪魔にはまだ疑問が残るらしい。でも……
「私は確信している。少なくとも、兄様の脚本では間違いない筈よ」
思い返せば、『サンドラセバスの結婚』は、死の間際に置かれた実父の独白から始まる。父は、まだ言葉も分からない幼い娘を抱き、「勤勉で誠実な心を持ち、生き続けなさい」と、まるで祈るようにして、炎の赤に包まれ果てるのだ。この役を演じるのはゾロ。
そのゾロが、今度は魔法使い役でもう一度登場する。それも、煙突から、煤まみれの真っ黒な姿で現れる。これが伏線でなくて何だというのか?
[役者の数が不足していたから、ではないのかい?]
「あり得るけど……だったら魔法使いを魔女にすればいいだけのこと」さらに一冊の本を開いた。そこには、娘を哀れむ魔女の挿絵がある。「もともと民話の頃は魔女の方が多かった。理由は……分かる?」
[主人公は決まって継母に苛められる、ということはつまり、実父は生きているからだね]
「あとは時代のせいもある。出産が命がけだった時代だったし、……そういえばこういう物語に出てくる娘って、みんな一人っ子よね」
初産というなら、それで命を落とす母親も少なくなかった筈だ。だから実母の居ない継娘の民話がこんなにも多い。
「母の命と引き替えに生まれはしたものの、男親は跡継ぎの為に男の子をもうける必要があったから、再婚を余儀なくされる。そうしてやってきた継母に、一人娘は苛められ、実母の愛情も知らずに育つ。昔はそんなことが頻繁にあったのでしょうね」
[じゃあ数多ある童話の“悪い魔女”は、もしかして]
「継母よ」
次々と本を開いていく。
魔女には二種類ある。善い魔女と悪い魔女だ。
娘に毒リンゴを食べさせようとした魔女も、お菓子の家で子供達を森の奥へ誘い込んだ魔女も、悪い魔女だ。そして主人公の娘には実母は居ない代わりに継母がいる。
童話では、子供を殺そうとする悪い魔女の方が圧倒的に多いように思う。こちらも、気持ちが分からなくもない。継母の母娘もまた、(理由はともかく)父親がおらず、娘と血の繋がりのない父親と再婚する。その愛情の価値を、家族の恩恵の意味を、よく知り欲していた筈だ。娘を想う母親の気持ちを語るならば、二人の魔女に差はない筈だ。
そうして見えてきた構図は、富と愛情の象徴たる父親と、それを巡る二組の母娘の争い。そのどちらも娘の幸せを願っている。……しかし正体が分かった今、その情景はなんだか悲しく見える。
……しっかり。私が、サンドラセバスを導くんじゃないか。私は湧き起こる迷いを振り切るように一度首を振ると、開いた本を左右に分けていく。
善い魔女の物語と、悪い魔女の物語に。善悪だって確かに存在している。
「仮にも母親でありながら、子供を殺そうとするから魔女と呼ばれる。……いいえ、虐待という子供にはどうにもならないことが、魔女というはっきりとした“敵”の姿を取って目の前に現れているのかしら」
[そして、悪い魔女は子供達にやりこめられるんだね? 魔女をやり込めることは、意地悪な継母への反撃であるわけだ。……竃へドン!]
両手で突き飛ばす仕種をしてみせながら、カラカラと悪魔が笑う。その横で私は納得していた。
「継母の呪縛から逃れるための、象徴的な出来事ね。そう言えばあのお話も、帰ったら継母は死んでいたという結末だったわね」
その本を手に取り、魔女が竃へ落ちる場面を開くと、身体の奥を冷たいモノが流れ落ちた気がした。
子供たちが殺したのは悪い魔女で、継母ではない。森に捨てられた兄妹は継母の死の現場にはいなかった。だから、子供たちが気に食わない家族を殺したという話ではない。断じてない。
「……兄様の脚本に話を戻すわね。死別した実父の勤勉誠実であれという祈りは、言わば最初のタブー」
[けど、それは破戒からの破滅に繋がるものではない]
「タブーは物語の流れを変えるものだから。主人公は、それまでの人生を覆す幸運と代償たる禁忌を同時に得る。これが一つ目の転機。破戒をきっかけにした転落が二つ目の転機。禁忌物語の流れは決まっている」
[でもこれは違うね。何しろ娘の人格すらはっきりしていない段階での約束だ。転機も何も、これまでの下地すら定まっていない]
「サンドラセバスに至っては赤ん坊よ」
[そう。ならばこの約束は、物語の下敷きだ。これは最後まで覆ることはない]
身も蓋もない言い方をすれば、キャラ設定。そういう性格の主人公であると、その説明であり約束だ。だから、禁忌として破られることもない。
「灰かぶりは最後まで気立ての良い娘だし、サンドラセバスは勤勉で誠実に生きる」
[じゃあ民話はどうなる?]悪魔は首を傾げた。[あれには、そういった最初の約束と言えるものは登場しないことも多いよ?]
……黙考。
私は、数多ある継娘民話の魔女と見比べながら、“二人”のやりとりを目でなぞった。
途方に暮れて魔女の家に迷い込んできた娘に、魔女は冷たい言葉を浴びせながら、無理難題を振る。これは試練であり、魔女はこの常軌を逸した指示に娘がどう対処するかで、娘の知恵や性格を推し量っていた節がある。その証拠に、娘がそれらの試練を乗り越えると魔女は娘に沢山の富を与えるが、それができなかったときには娘は魔女に喰われてしまっていたに違いないから。その試練は、娘にとっては命が掛かっていた。
「少し強引だけど、魔女は自分の娘がどう育ったかを試していた、と解釈できないかしら?」
悪魔にそれを話すと、彼は首を傾げた。
[あまりに都合の良い解釈だ]
「でも、もっとストレートな描写も存在するわ。魔女の課題は、そのほとんどが家事で、ただ仕事量が途方もなかったり、普通よりも危険だったりするのだけど、娘にとっては普段継母にやらされていることの延長でしかない。魔女は無理難題を振っている自覚はあったみたいで、それを難なくこなす娘にどうしてかと尋ねるの。そうして魔女は娘の境遇を知るのだけど、これを境に魔女は急に娘に対して優しくなるわ。それはそれは“親身”に、ね」
私の言い方が露骨すぎたのか、悪魔はフフと笑った。私は続ける。
「これが善い魔女か悪い魔女か、……実母の化身か継母の化身かの判別はまだ早計かも知れない。理不尽な無理難題は継母の呪縛そのもののようにも見えるから。でも民話では、娘に富を授けるだけじゃない。娘に持たせた何かしらの道具により、継母達の母娘は死んでしまったり、追い出されたりする。そうして娘は、継母達の呪縛から解放されるの」
[しかし童話とは言え、幼稚だね]悪魔は見下げるように鼻をふんと鳴らした。[森に住む魔女が死んだ母親? 生まれ変わって魔女に零落したのかい? それとも本当は死んでなんかいなくて、森に住むようになったのかい? ……いずれにしても、現実味を見出すには無理のある話だ]
この言い方には腹が立ったが、もっともな話でもある。
「……別人には違いないのよ。確かに不自然だし、同一だなんて一言も書かれてはいない。一度読んだだけだと絶対に分からない。けど、物語の組み立てから見て実母や継母を暗喩として重ねているのは間違いないでしょ。いずれにしても善い魔女は娘を助けてくれる。もっと露骨な話もあるわ。娘は実母が亡くなった時、形見の人形を受け取っているの。『困ったときには人形に食べ物を分けて相談しなさい』と言づてと一緒に」
[……なんだい、それは? 人形は生きてるのかい?]
いつの間にか手に取っていた別の本を捲りながら、呆れる悪魔がおかしくて、私は笑みをこぼした。
「生きてるんでしょうね。人形は娘を魔女の元まで導いた上、魔女が命じた家事のうち、大変なものと危険なものを娘の代わりにやってあげたの」
[ふむ……この場合、人形が母親の化身なのかな]
「それでも構わないけど、この場合でも魔女は人形が手伝ってくれたことを知って、娘に優しくしてくれたわ。……私は、この人形はこの人形で母親とは別の登場人物と考えるべきだと思う。この方が魔女を理解しやすい」
[ああ、なるほど。つまりこの人形は、『サンドラセバスの結婚』における“君”の役所なんだね]
突然の悪魔の言に、私は再び言葉を失う。
私……サンドラセバスの友人で、彼女を幸せに導く役。
そうかもしれない。しかし、そこまではっきりした助っ人でもない。“私”がサンドラセバスの実親との関係を伺わせる描写は全くない。
[そして、善き魔女は死別してなお娘を見守っていた母親であると]
この悪魔にしてみればそもそもそれが疑わしいのだろう。「幼稚」と断じる悪魔の言い分を、私は首を振って否定した。
「何度も言うけど、別人だしそんなことは一言だって書かれてないわ。断定するべきじゃない。それに……なにも母親そのものでなくていいの。母親のいない少女に、母が生きていれば得られる筈だった愛情や教えて貰えた筈の教訓や仕事の技術を、実母に代わって教えてあげるという、そんな役割程度でいいの」
人は親から子へと、多くのものを伝えていく。特に同姓の親から教えられるものは人生の指針にすらなり得る程に大きいはずだ。
男の子は父親から逞しさと力強さを。女の子は母親から守り慈しむ心を。
民話の魔女が母親ならば、その娘へ課した家事の試練とは、母が娘に寄り添い教える微笑ましい、幸せな家族の憧憬であり、……生きていれば母親が娘に教えてあげられる筈だった技術や知識に他ならない。
「物語を読んだ人が、この魔女の娘へ向ける眼差しから、あるいは、血の繋がらない継母からの扱いと対比させて、本当の母親の愛情や願いを連想できれば、それでいいのよ、きっと」
[随分と曖昧だね]
「寓意として理解できなければ曖昧なままでしょうね」
[なるほど]
物語を解さない悪魔への皮肉で言ったのだけど、悪魔はそれすら解さず、ことのほか素直に頷いた。悪魔にしてみれば勝ちを譲ったつもりなのかもしれない。悪魔は次の疑問を投げかける。
[では、魔法使いが男か女かでどう違うんだい?]
幾度も投げかけられていた疑問。しかしその答えもほとんど出てしまっている。
「当然父親と母親の違いでしょうね。男の魔法使いはほとんど無条件で娘を助けてくれるけど、魔女の方は最初に家事を通して娘を試すようなことをしている。……異性の子供は余計に可愛くて余計に甘やかしたくなるということかしら? それとも、もっと単純に男女観の違いか。父親が娘に教えてあげられることなんて、母親程多くはないでしょうから」
[父親も無条件とは限らないよ。忘れたのかい? “君の友人”にタブーを与えているじゃないか]
それはあくまで『サンドラセバス――――』での話。だけど……
「分からない。あまり重要ではないのかも知れない」
結局書き手の父親像にもよる筈だから、何とも言えない。サンドラセバスについては兄様に聞くことができればいいのだけど、きっと教えてはくれないだろう。
あるいは、サンドラセバスの場合、両親ともに亡くなっているので、魔法使いの性別など関係ないのかもしれない。女優が足りなかったから男の魔法使いが当てられただけで、もう一人女性の団員がいたなら、冒頭の赤子に語りかけるシーンは母親で、魔法使いも女性だったに違いないのだから。
しかしそうなるとますますタブーのことが気に掛かる。アンティノーゼはたびたび魔法使いがくせ者だと言うが……
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「……私はお前が世に希な働き者だから手を貸すのだ。だから家人より後に帰ってはいけないよ。魔法はその時に解ける。もしその時もまだ舞踏会で遊び惚けているようなら、お前はこの世で最もみすぼらしい姿を王子の前でさらすことになるだろう」
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私もまた、その言い様に冷たさを感じずにはいられない。夢を叶えようとした魔法使いが、まるで彼女を使用人の立場に押し込めようとしているようだ。父親の化身ならば、なお有り得ない。
途端に自信が無くなってくる。私の想像は間違っていたのだろうか。……いや、
「父親なのは……間違いないのよ、ここまでは。問題はその思惑」
[夢を叶えるきっかけでありながら、彼はサンドラセバスの敵かもしれないね]
「まさか」
[違うと、断言できるかい?]
沈黙。悪魔の言い分を完全に否定できない私を見て、悪魔はさらに耳元で囁く。
[……タブーは、破られ、破滅させるためにある。これらはみんな悲劇でできているのだからね]
いつもの……物語を解き明かす上で、いつも悪魔が口にするお決まりの台詞を口にする。優しい、優しい……兄様と同じ声色で。
[分かるよね、リディア? 人はただ無条件に幸せになる物語では満たされないんだ]
「うるさい」
[だから、過剰なほどの悲劇を混ぜる]
「そのひん曲がった口を閉じなさい」
[いいかい? 孤独な娘が死んだ父親の愛情によって救われるような物語では、ま っ た く ひ げ き が た り て い な い の さ]
自制よりも先に手が動いていた。
傍らで囁く悪魔の顔を目掛けて、私は猫のように立てた爪を振り下ろした。
しかし、その指は何に引っかかることもなく、固く冷たい床を叩くだけ。怒りが収まるわけでもなく、ただ指先が痛みに痺れる。
悪魔は、変わらずすぐ傍らに。
[無駄だよ。僕を消し去ることはできない]
私の頭に手を乗せ、いやらしく撫で回す。
[君の頭が、物語……すなわち悲劇で満ちている限りね]
「……兄様の書いた物語が、悲劇なもんか」
[では何故、魔法使いはタブーで娘を縛る? 何故、親の形見のブローチを返して貰えない? 何故、ハイヴェシア姫のような人物が登場する? サンドラセバスは、本当に結婚して幸せになれるのかい?]
「―――――――」
私は言葉を完全に失った。ハッピーエンドを阻む疑問がいくつもありながら、それを突破するための答えは未だ何一つ見出されてはいないことに、私は改めて愕然となる。
[見せてあげるよ。童話の外側……予想し得る悲劇の結末をね]
打ちのめされる私に、アンティノーゼはしたり顔でかたり始める。
脚本の終わり……1ページの空白が、色と世界を湛えて、私の意識を取り巻いていった。
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