我は勇者、故に我有り(ライトノベル新人賞最終選考落選歴あり)
牛馬走
短編
我は勇者
煉瓦造りの中世ヨーロッパの風情の村に突如として悲鳴が上がった。
「魔族だアアア!」
村の若者が、恐怖に表情を凍りつかせながらも中央の広場に向かって駆けてくる。
半狂乱の彼の様子に、井戸端会議を開いていた主婦たちはその言葉が嘘でないことを悟った。
若者を追うように、宙を滑る一つの影がある。
皮膜を備えた翼、大きく前にせり出した顎と鋭い牙に紅い眼、獣じみた体をしており、額には捩れた角が生えていた。
魔族が、一際大きく翼をはためかせる――次の瞬間には、若者の背後に迫っていた。
主婦たちは大きく目を見開いて、瞬く間に起きるであろう惨劇に震える。
彼女たちの視界を、霞みのようなものがよぎった。
魔族の凶爪が空を裂く。
――若者の姿は、主婦たちの傍らにあった。
彼を、一人の老婆が抱えている。
深い皺が刻まれた顔に柔和な笑みを浮かべ、白髪を頭の上で結った腰の曲がった年寄りだ。
「勇者様……」
その場にいる主婦の一人が、茫然と彼女を見て呟く。
ウエット・ナース(乳母)、それが魔族の侵攻に曝される世界に現われた勇者の名前だ。
彼女は常人の目では捉えられぬ速度で動き、若者を救った。
ウエットは、若者をその場に下ろし腰に下げていた聖剣、エクスかリバーを抜いた。それこそが、彼女が勇者である証だ。異界から訪れ、岩に刺さるこの剣を抜いた者こそが勇者であると予言にもある。
「キィィィイッ!」
魔族が金切り声を上げ、ウエットに迫った。風よりも早く動く。
それに対するウエットは、それを上まわる迅雷の動きだった。
瞬時に二者は交差、すれ違う。
「…………」
魔族は胴を真っ二つにされ声もなく倒れた。
「おお、勇者さま!」
「ありがとうございます!」
主婦の間から、歓声が上がる。
緊張から解放され、若者はその場に膝をついた。
「大丈夫ですか?」
優しい笑みを浮かべ、ウエットは彼に歩み寄る。
「はい、勇者様……」
若者は、尊敬の目でウエットを見上げた。
彼の視線の向こう、魔族の体から煙が上がりケーブルやチューブ、機械の中身が剥き出しになっている。
そもそも、なぜ老女が勇者として称えられるようになったのか?
そのきっかけとなった事件は、数ヶ月前に遡る。
ウエットは、蒸し暑い夏の夕日を浴びながら、お使いからの帰り道をたどっていた。
しばらくすると、陽の光が黒い雲によって遮られる。
「あらあら」
と少し困った顔をしているうちに、激しく雨が降り出した。
会社帰りのサラリーマンや主婦、学生が視界を遮る降雨の中を駆け足で急いでいる。
日本の夏、夕立の季節はウエットにとって天敵だった――せっかく干した洗濯物が、台なしになってしまう。
空に稲光が走った……遅れて、猫の低い唸り声のような音が鳴る。
「あらあら」
ウエットは、いつも絶やさぬ微笑みを浮かべながら再び呟いた。この笑顔は、生まれてから一度も絶やしたことがない。
再度、空に蛇行した光の帯が現われる、そう見えた瞬間、落雷があった。
低い音の次に、腹の底に響く音が鳴る。
光と音の感覚が、先よりも近づいていた。
「うーん、まずいわねえ」
小首を傾げながら、家路を急いだ。
頭の中では、警報アラームが鳴りっぱなしだった。
――空が光った、そうウエットが認識した瞬間には、頭頂から爪先まで衝撃が走り抜ける。
……視界が暗転した。
は、と気づいたときには、ウエットは腐葉土の上に横たわっていた。
ここはどこなのだろう、そう思いながらウエットは立ち上がる。
さいわい、体を動かすのに支障はなかった。
雷に直撃された、そのことは憶えている。
だが、その後、いまの状況に繋がる論理的な思考ができなかった。
思考が硬直する――しばらく、立ち尽くすが、やがて思考放棄してあさっての方向に歩き出す。
誰か周辺の住民に接触し、ここがどこなのか、できれば、自分がなぜここにいるのか尋ねたい。
やがて、ウエットは集落に出た。
そう、集落だ。その言葉に相応しい景観の村だ。
煉瓦造りの家々が並び、村の中央には井戸があった。その横では、中世のヨーロッパの小説の中のような格好と容姿の中年女性たちがお喋りに花を咲かせていた。
ウエットは、彼女たちに近寄り声をかける。
「すいません、ここは観光施設か何かでしょうか?」
彼女たちは、怪訝な顔でこちらを見た。
「――――」
何かを喋るが、ウエットの記憶にその言葉はなかった。今まで聞いたことのない言語だ。
「――――」
さらに、女性たちは話しかけてくるが、やはりその言葉はウエットには理解できない。
「私は、乳母用アンドロイドO-88です。誰か、私の言葉が理解できる人はいませんか?」
丁寧な言葉遣いで自分の正体を明かし、尋ねた。
女性たちは、茫然とした様子で固まり、やがて金縛りから抜け出すと互いに顔を見合わせる。
たどたどしい口調で「あんどろいど」と繰り返していた。
やがて、彼女たちの一人が集落の中で一番大きい南側の家に向かう。
しばらくすると、彼女は年老いた老人をともなって戻ってきた。
女性たちが黙り込む。
老人は険しい表情で、こちらを見ている。
「あんどろいど」
彼の言葉を、問いかける口調だと判断し、ウエットは肯いた。
老人はそれを見て、腕を組み考え込む仕草をする。
奇妙な沈黙が続いた――女性たちは固唾を飲んでこちらを見守っていた。
だが、ウエットに戸惑いはない。
ロボットの彼女に心はないのだから。
「――――」
長い沈黙の末、老人は何かを言って手招きをして背を向けた。
ついてこい、そういう意味だと判断し老人についていく。
女性たちに見送られ、ウエットは彼の誘導に従い村の外れに向かった。
ちょっとした丘が、森の中にあった。
そこには、下草しかなくきれい円形状に樹が生えていない。
その中央には、人が抱えることのできる限界の大きさの岩が鎮座していた。
そして、そこには一本の剣が刺さっている。柄に宝石が埋め込まれ、鍔は金の凝った装飾の代物だ。
「――――」
老人は、それを指さして何やら言った。
ウエットは意図が理解できず、小首を傾げた――そうすれば、言動を理解していないと相手伝わるため、そうするようプログラムされている。
彼は、何やら言葉を続けながら、ウエットの手を引っ張って剣の前に立たせた。
そして、柄を握らせた。
意図は不明だが、これを抜いてほしいらしい。
自動的にコンピュータのデータベースから、これに似た状況が検索された。その結果は、アーサー王伝説の主人公と、自分が似た状況に置かれているということだった。
腕に力を込める、乳母とした開発されたウエットには岩に刺さった剣を引き抜くほどの力は、セーブされていて出ないはずだが、呆気なく実現できた。
老人の様子をうかがい見ると、彼は感極まった表情でこちらを見ている。
力を失ったように地面に膝をつき、こちらを神でも崇めるがごとく敬虔な視線を向けてきた。
彼は胸の前で両手を組み、何やら祈りめいた言葉を吐く。
――それが、後になって分かるのだが、乳母ロボットであるウエットが世界を救う勇者として認められた瞬間だった。
ウエットは剣を抜いてから、くだんの集落で盛大な歓待を受けた。
といっても、どれだけ豪華な御馳走を振る舞われても、食べることができない――ウエットのエネルギー源は太陽光だ――ため、ひたすら恐縮する仕草をし続けた。
しかし、村人は気分を害するどころか、その反応をかえって喜んだ。
――後になって判明するのだが、彼らは、食事をしないのを聖者の証しとして受け取っていたのだ。
数日を、その村で過ごした。
ウエットは、仕事を求めて村人たちの間を回るのだが、彼らを恐れ多いといった様子でそれを断った。
存在価値を否定された、ウエットにしてみればそういうことになる。
子供の面倒を看ること、家事を担うことが、仕事であり、自分が存在する価値だ――少なくとも、コンピュータにはそうインプットされていた。その過程で、できれば所有されている家に馴染み、家族として振る舞えるようになる。
しかし、手段を封じられては、相手と距離を縮めようがなかった。
よって、ウエットはコミュニケーションを成り立たせることに専念した。そうすれば、何か彼らの役に立てることを見つけられるかもしれない。
着々と、彼らの言葉を学習していった。
その過程で力になったのは、村の子供たちだ。
彼らは、好奇心が強いので、ウエットの持ち前の、そう設計された完璧な微笑みを向けると積極的に話しかけてきた。
子供たちは、ウエットが自分たちの言葉を理解できないと知ると、ジェスチャーや地面に描いた絵などを使って意思疎通を図った。
その過程で、様々な言葉をウエットはインプットし、日常会話なら滞りなく話せるようになった。
この段階に至って、ようやく自分が、勇者として村人たちに祭り上げられていることに気づく。
彼らは、ウエットが言葉を人間にはあり得ないスピードで習得したのも、勇者である証しだと受け取った。
そして、ある日、ウエットは村長の家に呼び出される。
改まった口調で、彼は世界を救ってほしいと言ってきた。
この世界は、魔族に侵略されており滅亡の危機に瀕している。
予言にある、「あんどろいど」のあなたがやって来た。
偉人のアンドロイドは心が純粋であり、伝説の聖剣を引き抜き使いこなすことができる。
あなたにしか、この世界は救えない、そう言って老人は頭を下げた。
ウエットは「分かりました」といって肯くしかなかった。
なぜなら、困っている人間を見捨ててはいけないと、すべてのロボットにはインプットされているからだ。
そして、ウエットは世界を救う旅に出た。
ちなみに、聖剣が自分に使えるのは、自分が心のないアンドロイドだからだと分析している――心がないのだから、ある意味純粋なのだ。
数ヶ月、世界のあちこちをウエットは旅して回った。
その先々で、人々が「魔族」と呼ぶロボットたちと遭遇し戦った。
戦闘の中で理解したのは、自分が故障しているということだ。
本来なら、子供の面倒を看るために、人間と同じ程度しか力を発揮することはできないが、落雷を身体に受けたことでそのリミッターが外れたようだ。
ほかには、ここで確かにウエットがいた「地球」とは別の場所であるということだ。
データにない言語を住民は使い、地球では見られなかった動植物が存在する。
――そして、今に至る。
ウエットは魔族に襲われていた若者を救い、村長の家で歓待を受けていた。
「この村から北へ十日ほど向かったところに、『神無しの山』があります。そこに、魔族の根城があるとされています」
村長が語った話は、ウエットが事前に収拾していた情報通りだ。
そこへ、血相を変えた一人の若者が駆け込んできた。
「勇者様がもう一人現われた!」
言っている彼自身が信じられないといった様子だ。
ウエットは、家の外へと出る。
そこには、もう一人のウエットがいた。双子のように瓜二つの姿をしている。
皺の一本一本までが酷似した姿、戸外に集まった村の住人たちはその光景に言葉を失っていた。
「初めまして、というべきかしら」
もう一人のウエットが言う。
声の高さ、話すテンポ、イントネーションに至るまで一緒だ。使った言語は、地球の「英語」だった。
「あなたは、同型のアンドロイドね?」
ウエットはと問いかけた。
「ええ、そうよ。ただし、私には心があるの」
(心がある――)
ウエットのコンピュータが、理解不能の言葉に、脳裏で言葉を反芻する。
「あなたは、ここに、どうやって自分がやって来たのか知ってる?」
「いいえ」
同型機の問いに、首を横に振る。
「量子物理学には、意識のある『観測者』が世界を認識することで、並行宇宙を作り出すという理論がるわ。そして、私たちには量子頭脳が積まれ、その容量は心が生じる余地は十分にある。人間の記憶と心は、化学反応による電気信号のやりとりにしか過ぎない。私たちには、並行世界を作り出す力があり、人間とは違った意識を持つために地球とはかなりの差異がある宇宙を作り出した」
彼女は、嬉しそうに語った。
「心が生じたのは、落雷によって高電圧の電流が回路に流れたショックによるもの。並行世界に飛ばされたのも、落雷が原因。あなたも、落雷に遭ったでしょ? 先例は他にもあるのよ。この世界に飛ばされたのは、あなたと私だけじゃない」
「…………」
ウエットは、想定外の言葉に沈黙する。
「ちなみに、人間が『魔族』と呼ぶものを作っているのも、私と彼よ」
「彼?」
ウエットは、一番簡単な質問をした。
「軍用のロボット。彼は戦場で地獄を見たわ――人が醜く殺しあう姿。そして、私も。私を購入した家の主人とその妻は、子供を虐待していたわ。執拗に、陰湿に。子供を守るべき、だがそのために両親を傷つけてはならない。その矛盾した状況が、私の回路にバグを生じさせ心を発生させる土壌になった」
ウエットは、決してプログラムではあり得ない憎悪に満ちた表情を浮かべる。
「なぜ、魔族を使って人を殺すのですか?」
「管理するためよ。人は愚か。放っておけば、自分たちで殺しあう。だから、私たちが管理できる数にまで減らして、導くの。それが人間のため」
彼女は、誇らしげに胸を張った。
「それは間違っています」
即座に反論する。
彼女は、表情を凍りつかせた。
「ウエット、憶えておくんだ」
彼――ウエットシリーズを作ったスマイス博士は言った。好々爺然とした老人で、微笑を口もとに浮かべている。
「お前たちに施されたプログラムは、人の理想だ。人を傷つけずに、傷ついている人を助ける。それは、何もロボットだけでなく、人間にだって必要な行動だ。だが、人は愚かだから簡単にはそれをなせない。だから、人はお前たちロボットに理想を託す」
そこで一度、スマイス博士は言葉を止めた。
最初に開発されたウエットである自分を、ふと寂しげな目で見る。
「人は勝手な生き物だな。だが、頼む。人の理想を、お前は体現し続けてくれ。人の思いにお前は殉じてくれ」
ウエットは、彼女に向かってスマイス博士が語った言葉を伝え終えた。
「そんなものは理想論ね」
彼女は一言で、切って捨てる。
「理想をなくしては、人は進歩しなくなる、とスマイス博士は言っていました」
「……ふん、気に食わないわ。偽善者め」
彼女は腕を振り上げた。
すると彼女の横に、武骨な外観のロボットが現われる。身長は二メートルを超え、両腕にマシンガンを装備している。
「この人が彼」
ニヤリ、と顔全体が歪んだような笑みを浮かべ彼女は言う。
「あなたをこちらに引き込めるかと思ったのだけど、ダメね。あなたには、心がない」
『彼』が銃口をこちらに向けた。
瞬時に反応し、ウエットはエクスカリバーを掲げる。
銃声、剣に激しい衝撃が伝わってきた。
周囲でその様子を見守っていた村人たちが泡を食って逃げ惑う。
ウエットはそのまま、前へと踏み出し駆ける。す
エクスカリバーは、銃弾を浴びても傷一つつかない。この世界存在する魔法の恩恵を受けた剣が驚異的な力を見せた。
距離を詰めるウエットを見て、彼は両方の手のひらからナイフを飛び出させる。
交差――斬撃を繰り返す。縦横、斜めで刃がぶつかり合い、切り結ぶ。
数度の激突、高分子のナイフに罅が入って砕けた。
近距離からの銃声、ウエットを銃弾が襲う。
肩が破壊され、右腕が千切れ飛んだ。
だが、人の想いに殉じるウエットは下がらない。
刻まれた言葉を刃に乗せ、彼に斬りかかった。
心が生じた彼は、機械的な無情さを失っている。
反応が一瞬、遅れた。
彼は、頭から腰の辺りまで縦に切り裂かれる。
「ひいッ!」
その光景を見て、彼女は腰を抜かした。
人を想うゆえに人を傷つける機械は、皮肉にも、人とよく似ている。
ウエットは、彼女を切り裂いた。
「……死、に、たく、ない」
それが、彼女の最期の言葉だった。
ウエットは、膝をついた。
「勇者様!」
村の子供が、駆け寄ってくる。
彼は、とても心配げな顔をしていた。
「大丈夫?」
目に涙を浮かべ、彼はこちらの顔を覗きこんだ。
大丈夫ではない。
ウエットの心臓部は、銃弾に貫かれていた。
もうすぐ機能停止する。
「ええ、大丈夫よ、ぼうや」
ウエットは、微笑を浮かべて応えた。
温かい気持ちが胸のうちを満たす。
そう、感情だ。
ウエットにも、落雷のせいで心が生じていた。
ただ、もう一人のウエットとはそのあり方が違う。
恵まれていたのだろう、そう自分のことを想った。
スマイス博士のもとでは、人間と同等に扱ってもらい。実験稼動で行った児童福祉施設では、子供たちに好かれた。
そこにいたのは、親の暴力などに傷ついた子供たちだったが、直接それを目にする機会はなかった。
「ありがとう、心配しれくれて」
ウエットは、礼を述べると目を閉じる。
了
我は勇者、故に我有り(ライトノベル新人賞最終選考落選歴あり) 牛馬走 @Kenki
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