ペースメーカー 心ある心臓と心ない僕の戦いの記録

織部

ペースメーカー 心ある心臓と心ない僕の戦いの記録

「君の心臓はね。AIで動いているんだ」

 若い医師は、嬉しそうに僕に言った。

 恐らくまだ、20代後半くらいだったのかな?もう昔過ぎて顔も輪郭程度しか覚えていない。

「えーあい?」

 4歳の僕は、当然、そんな横文字の意味なんて分からず舌足らずに聞き返す。

 むしろ何で分かると思ったのかは甚だはだは疑問だ。

 しかし、医師は、そんな僕の疑問なんて欠片も読み取らずに話しを続ける。

「君の心臓に埋め込まれたAIは最新のペースメーカーだ。君のように酷い洞結節の異常にも瞬時に対応して整えてくれる。しかも予期せぬトラブルも瞬時に学習して私達の治療を待たずに応急処置をしてくれる。しかも有機媒体だから身体への負担もなく、しかも君の心臓と共に成長し、しかも君の栄養をエネルギーとするので永久的に動く。まさに第二の頭脳、心だよ」

 医師の言っていることは、ほとんど理解が出来ず、"しかも"って言うことが多いなと思っただけだ。ただ、生まれた時からずっと苦しまされ続けていた病気が治ったことだけは理解出来た。

「あの先生」

 僕の隣でママが心配そうにしている。

「AIなんて本当に大丈夫なんですか?」

 ママの言葉に医師は、眉を顰める。

「大丈夫とは?」

 その声は、少し不機嫌そうだったのを覚えている。

 今にして思うとあの医師は優秀なのだろうが人間としては少し欠損していたのかもしれない。

「私が作ったAIは、しっかりと彼の心臓を支えていきますよ。それこそ死ぬまで」

「ええっそこは疑ってません。疑ってませんが・,」

 ママは、じっと僕を見る。

「AIって人工知能ですよね?ロボットとかパソコンとかに使われる」

「そうですが・・・それが何か?」

 医師は、ママが何を言わんとしているかが分からず少し苛立ち始める。

「この子を乗っ取ったりしないでしょうか?」

 ママの質問に医師は、口を丸く開ける。

「ほら、映画とかで良くあるじゃないですか?AIが暴走して人類を破滅に導くと言うようなことが・・」

 ママの言葉を聞いて医師は、大笑いする。

「お母様は、想像力が豊かだ」

 医師は、腹を抱えて笑う。

 ママは、医師にこんなに笑われるとは思わなかったのか、顔を真っ赤にする。

「この子の心臓のAIは、心臓の動きを収縮したり、心房細動を抑えたりする等の治療レベルのことしか出来ません。しかも心臓を破裂させたり,止めたりすることも出来ない。しかも強いて言うなら知能はありますが思考はない。感情もありませんので乗っ取るなんてこと1000%あり得ません」

 この医師は"しかも"が口癖なのだとようやく気づいた。

 医師の言葉にママは、恥ずかしそうにしながらもほっと胸を撫で下ろす。

 医師の言っていることは間違っていない。

 しかし、正しくもなかった。

(心配いりませんよ。私は、貴方を乗っ取ったりしませんから)

 胸の辺りから直接声が送られてくる。

 その度に少しだけど胸に熱が灯る。

 これは手術が終わってからずっと聞こえてくる声。

 僕の心臓の声だ。

 そう確かに僕の心臓は破裂することも止まることも乗っ取ることもない。

 しかし、知能と思考、そして感情を持ち合わせていたのだ。

「このAIが与えるものは彼の命とそして愛です」

 医師は、自分の胸の辺りで両手を合わせてハートの形を作る。

「彼は、科学と技術、しかも文明による愛を与えられたのですよ」

 そして僕は、意思を持った自分の心臓に"愛"と名づけた。


 愛のお陰で僕の生活は劇的に変化した。

 どれだけ走っても疲れなくなった。

 身体中に血が巡り、細かった手足に硬い筋肉が付いた。

 不整脈が整ったからか緊張することが減った。無意味に鼓動が速まってしまうことがなく、冷静に物事を考え、どんな環境でも学んだことを活かせるようになった。

 そして・・・・。

 僕から感情を奪い去った。


 12年後・・・。


 重い闇に包まれたくる埃臭い倉庫の中に汚らしい悲鳴が走る。

 僕は、自分の足元でくだらない苦悶の表情を浮かべたまま死んだターゲットの1人を見て嘆息する。

 突然、現れた僕と、何が起きたのか分からないままに殺された仲間を見て他のターゲット達に動揺と恐怖が走る。

 僕は、そんな彼らをゴミでも見るように一瞥しながら愛に話しかける。

「愛、右手に血を集めて硬くして」

(了解しました)

 愛は、無機質で丁寧な口調で僕の言葉に答える。

 親の声よりも遥かに身近なこの声が鼓膜を通して聞こえているのか?それとも脳に直接声をかけられているのか今だに分からない。

 16年生きてきた中で最大の謎の一つだ。

 赤血球によって身体中の鉄分が右拳に集まる。

 普段は、部活で管楽器を弾く為に枝垂れ桜のように滑らかな僕の指が肉詰めのように太く、赤黒く変色していく。

 異形に変じた僕の右拳を見てターゲット達は悲鳴を上げて逃げていく。

「愛。脚力を増加して」

(了解しました。両足の血流を増加します)

 両足が熱を帯び、血管が激しく脈打つ。

 僕は、熱くなった両足で思い切り地面を蹴る。

 その瞬間、足の裏から炎が浮き上がる映像が脳裏に浮かぶ。

 僕は、一瞬にしてターゲットの1人との間を詰め、彼の前に踊るように立つ。

 ターゲットの顔に恐怖が浮かぶ。

 まるで幽霊でも見たかのように。

 つい一瞬前まで自分の後ろにいた人間が前方に立っているのだから無理もない。

 ターゲットは、何か言いたそうに震える唇を動かす。

 しかし、僕は彼にそんな暇を与えない。

 赤黒く膨れ上がった僕の右拳が彼の腹を障子紙のように突き破る。

 ターゲットの口から愉快なくらいに大量の血が流れ出る。

 僕は、右拳を彼の腹から抜く。

 彼は、そのまま仰向けに倒れる。

 僕は、じっと魂の抜けた抜け殻を見る。

(鉄分を開放し、血流を正常に戻します)

 愛が僕に語りかける。

 しかし、僕は、それを拒否した。

 乾いた音が空気を裂き、胸や腹、肩に痛みが走る。

 僕は、痛いなあと思いながら身体を見ると組織から支給された鉄繊維で編まれた黒装束に穴が開き、赤黒く染まっている。

 撃たれたんだ・・・と僕は思った。

 特製の黒装束に穴を開けるなんて中々良い銃じゃないか。

(血液を凝固し、血流で筋肉を操作。弾を取り出します)

 愛が急いで僕の身体を修復しようとする。

 急いだ方がいいよ。僕が死んだら君も死ぬんだから。

 そんなことを思いながら振り返るとターゲット達が大振りな銃を構えてこちらを向いている。

 あの銃・・確か大蛇パイソンとか言う防弾チョッキも容易く貫くとかで最近売り出された銃だ。

 しょぼい組織の癖に良い武器を持ってるじゃないか。

 しかし、そんな良質な武器を持っているのに奴らの顔に浮かんでいるのは恐怖だ。

 得体も知れない化け物でも見たように表情が引き攣り、全身が震えている。

 遥か昔に僕もその感情を味わったことがあると思うがもう覚えていない。

 僕は、彼らを見据えて目を細め、赤黒く染まった右腕を構える。

「一掃する。血を動かして」

 僕は、愛に語りかける。

(拒否します。それよりも身体の修復が優先です)

 僕は、心臓のある部分を左の拳で思い切り叩く。

「もう一度言うよ。血を動かして」

(・・・了解しました)

 愛の言葉を受け、僕は、赤黒く染まった右手を男達に向ける。

 5本の指が男達を指す。

 五指の先端の皮膚がみかんの皮のように音を上げて裂ける。傷口からとろりと紅玉ルビーのような血が滲み出る。

 確か血の色のような紅玉ルビーのことを鳩の血ピジョンブラッドって言うんじゃなかったかな?

 つまり僕が鳩で奴らはミミズか。

 そんな場違いな冗談ジョークが頭を過って僕は笑う。

 その笑みがあまりに恐ろしかったのかミミズ達の顔が青く引き攣る。

「放て」

 僕の声と合わせて心臓が大きく高鳴る。

 右手から赤い弾丸が激流のように放たれ、ミミズ達の身体を無惨に貫く。

 僕は、彼らが人間の身体を留めなくなったのを確認してから愛に撃つのをやめるように言った。

 ミミズ達の身体は穿ち、削れ、引きちぎられてそのまま己と僕の血の海に沈んだ。

 (血を全て治療に回します。よろしいですね)

「ああっ」

 身体中の血が駆け巡るのを感じる。

 赤黒く膨れ上がった右手の色が肌色に戻り、元の枝垂れ桜のような細い手に戻る。指の先端の紙袋のように破れた皮膚からの出血も止まる。

 痛みは酷いがどうでもいい。

 僕は、ポケットからハンカチを取り出して右手の血を拭う。

 声が聞こえる。

 女の子の啜り泣く声だ。

 僕は、声のする方に足を向ける。

 そこにあったのは大きな銀色のジュラルミンケースだ。

 僕は、膝を落とすと左手でジュラルミンケースの鍵を開ける。闇を砕くような音を上げて鍵が開き、僕はゆっくりとケースを開ける。

 その中にいたのは折り畳まれた女の子であった。

 手足を決して曲がることのない方向に曲げられ、身体を無理やりジュラルミンケースに収まるように曲げられた女の子だ。

 恐らく僕と同じ年くらいだ。

(組織からの報告通りですね)

 僕の視覚を共有して見ている愛が固い声で言う。

 

 僕は、ある組織に所属していた。

 ある組織と言ってるのは僕自身にもその組織がどんなものなのかがよく分かっておらず、名前すら知らないからだ。

 12歳の頃、友達と呼べる存在が変質者に絡まれていたのを愛と一緒に助けた時にその組織から声をかけられた。

 

"君たちの力を世界の為に使わないか"。


 正直、何の興味もなかったし、怪しい勧誘か詐欺かとすら思ったが彼らの用意した報酬があまりにも破格で、僕の手術費用を払う為に両親が死に物狂いで働いてるのを見ていたから愛が止めるのも聞かずにそのスカウトを受けることにした。

 愛は、猛反対したが一度決めた僕の決意は変わらない。

 それにもし、怪しい組織なら粉微塵に潰せばいいだけの話しだ。

 そして現在、僕は組織の言われるがままに世界の脅威となると思われる組織を潰し回っていた。

 

 女の子の顔は、相当に殴られたのか見る影もないくらいに腫れ上がり、分厚く腫れて歪んだ唇から啜り泣く声はするものの意識があるかどうかも分からない。

 商品に顔と意識はいらない。

 必要なのは内臓と保存のために生きていることだけだ。

 彼女は、内臓の保管庫として生かされている。

 ただ、それだけだ。

 僕は、自分でも分かるくらいに冷たい目で彼女を見下ろす。

 彼女が元通りになることは恐らくない。

 命はあっても地虫のように惨めな人生を送るようになるだけだ。

 僕は、近くに落ちていた拳大の石を拾う。

 そして彼女に向けて思い切り振り下ろそうとした。

 その瞬間、強烈な痛みが胸を走る。

 僕は、息をすることが出来なくなり、石を地面に落とす。

(殺してはなりません)

 愛の声が脳に響く。

「・・・彼女はもう助からない」

 僕は、痛みに耐えながら声を発する。

(それを決めるのは貴方ではありません)

愛に促されるように僕は、彼女をもう一度見る。

 彼女は、膨れ上がった瞼の下にある目で僕を見ている。分厚く膨れ上がった唇をは虫のように動かす。

 た・す・け・て・と動いている気がした。

「・・・分かった」

 僕がそう口にした瞬間、痛みが消える。

 僕は、大きく息を吐き出して両手を地面に着く。

(警察と救急に連絡を)

 愛は、変わらない口調で僕に言う。

 組織は、命令を下すだけでその後の後処理なんかをしてはくれない。

 あくまで自己判断だ。

「自分で連絡すればいいだろう」

(私には貴方の心臓を動かすことしか出来ません)

 愛のつまらない返答に僕は舌打ちをしてスマホを取り出し、警察に連絡しようとした。

 その時だ。

 首筋が焼けるように粟立つ。

 この熱は・・・殺意。

 僕は、ジュラルミンケースを抱えてその場を跳ぶ。

 一瞬前まで僕達がいた地面が地鳴りのような音を上げて砕け、破片が飛び散り、埃と粉塵を巻き上げる。

 勢いよく飛んだ振動でジュラルミンケースの中の女の子が苦鳴を上げる。

 ・・・邪魔だな。

 僕は、ジュラルミンケースを置くと思い切り蹴り上げてスライドさせる。勢いよく良く滑るジュラルミンケースは、奥の壁にぶつかり、静止する。

(何を!)

 愛が抗議の声を上げる。

「死んではいない」

 僕は、冷徹に返し、立ち上がる。

 粉塵と埃が沈み、巨大な影が現れる。

 それは歪な建造物のように見えた。

 色の染まってない鈍色の鉄、直立に伸びた大きな鉄板にそれに張り付いた丸い筒に大きな腕、鎧のような凸凹したボディにキャタピラ、そして猛牛を模した鉄の頭。

「ゴリアテか」

 僕は、目を細める。

 最近、中東の方で売り出していると言う対テロリスト用の強化戦闘スーツ

 確かこれ一つで戦車が5台は買える値段のはず。

 まさか子どもを誘拐して内臓を売る程度のチンピラ集団が大蛇パイソン以外にもそんな高い買い物を出来るなんて驚きだ。

 組織のリサーチ不足に腹が立つ。

 猛牛の頭を通して乗り手の殺意が僕の身体を焼く。

遠隔操縦機能オプションまでは高くて付けれなかったのかな?

『お前がブラッド・プールか』

 ゴリアテの中から雑音の混じった音声が響く。

 僕は、ゴリアテの発した言葉の意味が分からず眉を顰める。

『最近、俺たちの縄張りを悉く潰している輩がいるって話しを聞いた。そいつの去った後は一面、血溜まりブラッド・プールが出来ていると・・・』

ゴリアテは、雑音の混じりの音声で憎々しく言う。

『お前みたいな小僧だったとはな』

 ふうん。

 僕ってそんな名前で呼ばれてたのか。

 ・・・カッコ悪い。

 まあ、いいか。

 これからいなくなる奴らになんて呼ばれようが関係ない。

 僕は、拳を高く上げて構える。

「血を手に集めて。破壊する」

 僕は、愛に命令する。

 しかし、愛から返ってきたのはある意味では予期した言葉だった。

(拒否します)

 僕は、固く目を閉じる。

(貴方の身体はこれ以上の負荷に耐えられません。逃げることを推奨します)

 ゴリアテがキャタピラを激しく回転させ、地面を削り、不快な轟音を上げ、一瞬で僕との間合いを詰めて巨大な拳を振り下ろす。

 僕は、咄嗟に後ろに飛ぶ。

 僕が立っていた地面に巨大な拳が叩きつけられ、地面が破壊される。

 しかし、攻撃はそれだけでは止まない。

 ゴリアテは、素早く拳を上げると巨大な身体からは考えられない速度で拳を振るい、僕を攻撃し続ける。

 僕は、避け続けることしか出来ない。

「愛・・このままじゃ僕死ぬよ」

(その前に逃げてください。そのくらいの余力が残っているのは分かっています)

 さすがペースメーカー。

 僕以上に僕のことをよく知っている。

「でも、僕が逃げたらあの子達みんな売られちゃうよ」

 僕は、拳を避けながら愛に語る。

 愛は、押し黙る。

 僕は、亀裂のような笑みを浮かべる。

「優しい愛はそんなこと出来ないでしょう?」

(貴方と言う人は・・・)

 心臓がぎゅっと収縮するのを感じた。

(それでも血を使わせる訳にいきません)

「血じゃなくていいよ。洞結節を過剰に振動させてくれれば」

 僕の言葉に心臓が大きく高鳴る。

 僕までびっくりするからやめて欲しいな。

(しかし、それだと・・・)

「一瞬・・数秒でいいよ」

 僕は、そう言ってゴリアテから距離を取る。

 ゴリアテの中の人間が非常に苛立っているのが伝わる。

 世界でも有数の戦闘兵器をフル稼働しているのに子ども一人倒せないのだからそれは腹も立つだろう。

 しかも訳の分からない独り言をずっと言ってるのだから。

 ゴリアテの両肩の鉄板が開き、団子のように並んだ放出口が姿を現す。

 グレネードランチャー。

 一気に片を付けようと思ったようだ。と、言うより今の今まで飛び道具を出さなかったのは単に砲弾の費用がバカ高くてケチってたんだろう。

 まったく浅ましい。

 僕は、両手を大きく広げる。

「愛」

(了解しました)

 その瞬間、心臓が加速し、震える。

 砲撃が放たれる。

 グレネードランチャーの巨大な弾が6つ、湾曲しながら僕に飛んでくる。

 最先端のAI搭載式電子機雷だ。

 どこに逃げようが追ってきて相手を粉微塵に吹き飛ばす。

 ゴリアテの中の人間から勝利を確信したような喜びが溢れるのを感じる。

 しかし、彼が思い描いた光景が訪れることは決してない。

 僕の全身から放たれた電気の網が巨大な6つの弾を全て捉える。

 心臓が激しく震え、焦げるように熱い。

 身体中の穴から煙が出そうだ。

 ゴリアテの中の人間は、驚愕したのを感じる。

 6つの弾は蜘蛛の巣に絡め取られた虫のように動かなくなる。

 砲弾に搭載されたAIが放電された電流によって狂わされ、電子信管も無効化して不発となった。

 電子タイプの弾で良かった。

 昔ながらの火薬ならこれだけで爆発していた。

「最先端なんて碌なものじゃないな」

 僕は、嘲笑うように言うと電気の網を消す。

 砲弾が捨てられた空き缶のように無様に落下する。

 ゴリアテから恐怖の臭いが漂ってくる。

 僕は、その隙を逃さない。

 僕は、ゴリアテに向かって走り、胴体の下に潜ると電流を帯びた拳を叩きつける。

 こつんっと言う可愛い音が響く。

 やはり血で身体を強化、硬質化しないと威力がない。

 しかし、それで十分だ。

 僕の拳から放たれた電流がゴリアテの身体の中を血流のように巡り、精密な機械達を破壊していく。凶悪な装甲の中から爆竹のような弾ける音が響き渡る。

 装甲の隙間の至る所からオイルと血液が流れ出す。

 頭部から黒い煙が上がる。

 冷たい温もりを通して命が消えていくのを感じる。

 僕は、拳を装甲から離す。

 装甲の周りが熱で泥のように解け、拳の皮膚が醜く焼け爛れる。

 心臓の震えが静かになり、熱が治っていく。

 それに反比例するように口と目から血がとろりっと流れる。

(血を凝固し、心筋の機能を一時的に抑えます)

 焦る愛に反比例するように心臓がゆっくりと静かになっていくのを感じる。

 僕は、全身から力と血が抜け、激しい眩暈に襲われ、その場に座りこんだ。

 油の血の臭いが鼻腔の中を充満する。

 

 警察が死人も起き上がるようなサイレンを鳴らしてやってくる。

 パトカーから降りた警官達は惨たらしく散らばった死体の数々の数々と煙を上げるゴリアテに息を呑み、ジュラルミンケース詰められた女の子を見て声を上げる。

 ジュラルミンケースに詰められた子どもは、1人だけではなかったようでその後も数え切れない数のケースと子どもが見つかった。

 僕は、倉庫の屋根の上から彼らの動きを見る。

 血流が落ち着き、血が凝固して破れ、爛れた肌を粘土のように埋める。

 ようやく眩暈も治った。

 痛みは・・別にどうでもいい。

(子ども達は、全員助かったようです)

 愛が無機質に僕に語りかける。

「あれで助かったって言えるの?」

 僕は、愛に疑問をぶつける。

「恐らく一生、元の身体には戻らないよ。それに心も。楽にしてあげた方が良かったんじゃない?」

 心臓がきゅっと締め付けられるを感じた。

 痛みはない。

 不快でもない。

 ただ、何か嫌だった。

(4歳の頃を覚えていますか?)

 僕は、眉を顰める。

「4歳?」

(貴方の心臓に私が埋没させられた時です)

「ああっ」

 そう言われればそうだったか。

 あまりにも昔過ぎだし、愛がいないなんて考えたこともなかったから思い出すなんてことは一度もなかった。

 愛がいる。

 心臓が喋る。

 それは僕にとって空気があるくらい当たり前のことだ。

(貴方は、とても優しい子でした。空を舞う蝶を愛で、友達に温かい声をかけるような優しい子でした)

「そうなんだ」

 僕は、愛が何を言いたいのか分からなかった。

(貴方は、私と出会うべきではなかった)

「それは死んだ方が良かったってことかな?」

 僕の問いに愛は黙る。

 心臓の音が静かになる。

(私が・・・貴方から大切なものを全て奪ってしまったから)

 心臓が小さく高鳴った。

 これは愛の心の高鳴り?

 それとも・・・。

 僕は、自分の胸を、心臓のある部分を撫でる。

「僕は、君に会えて良かったよ」

 僕の言葉に愛は、何も答えなかった。

 僕は、空を見上げる。

 銀色の満月がブイのように暗い空の海に浮かんでいる。

 手を伸ばしたら届きそうだ。

 僕は、皮膚がズタズタに裂け、爛れた右手を伸ばす。

 4歳の頃の僕は、あの月を見て綺麗と言ったのだろうか?

「まあ、いいか」

 僕は、小さく笑みを浮かべて屋根を降りる。

「愛」

 僕は、胸に手を当て、愛に話しかける。

「怪我が治ったらゆっくり温泉でも入りに行こうか。コーヒー牛乳付きで」

 血行に良い温泉にでも浸かれば愛も機嫌を直してくれるだろう。

 コーヒー牛乳があればなお最高だ。

(・・・了解しました)

 そう言った愛の声は、少し嬉しそうだった。

 僕も思わず笑みを浮かべてその場を後にした。

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ペースメーカー 心ある心臓と心ない僕の戦いの記録 織部 @oribe33

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