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  • 拝読致しました。
    藩主とは言え入り婿であり、さらに奥さんには先立たれて、小藩とは言えその立場は微妙だったことでしょう、特にあのイデオロギーでキーキー叫ぶ粗忽者が横行しそうな時代ですし。
    さらに周囲はどちらかと言えば佐幕……いや、時流に乗り遅れて強制的に佐幕に追いやられた藩に囲まれ、その血筋も相まって、さぞや居心地が悪かったことだろうと推察してしまいます(^^;)
    その中で、あえて消極的な舵取りをして、しかも時流を乗り切ったその潮目を見る力は素直に凄いと思います。
    どっちかに偏りたくなりますよねぇ...どこまでも不安定ですし。
    それを、夭折した親子ほども差のある奥さんへの想いと結び付けることで、とても味のある物語になったと感じました。
    面白かったです!
    ありがとうございました(^▽^)

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    ホントに複雑な立場だったと思います。
    マスオさんの立ち位置なんでしょうけど、サザエをはじめ、みんないなくなった磯野家にまだ身を置いている、みたいな……そんな状況です。

    それでいて幕末の東北。
    これで西国だったらまだ薩摩と連絡と援軍が期待できたろうに、ほぼ孤立無援です^^;

    ……それでも信順は逃げませんでした。
    逃げられなかった、というのが正確かもしれませんが、とにかく信順はのらりくらりでしのぎます。
    この辺が実は、かみさんへの想いがあるのかなぁ、というのが、執筆のキッカケでした^^;
    その辺をお褒めいただき、恐縮です!

    ありがとうございました^^;

  • 拝読致しました。
    二十六人の子供!?
    まずそこに引っ掛かってしまいました(^_^;)
    信順さんのおままごとみたいな結婚、どんな風景だったのだろうなぁ。
    南端の鹿児島から北端の八戸に行くのだって、気候的に大変だったでしょうに。
    それでも、薩摩隼人として、というより堅実な藩主として行動している雰囲気が伝わります。
    時代のうねりの中で、どんな行動をとって、どんな結末を迎えるのか、楽しみです(・∀・)

    作者からの返信

    島津重豪って、相当な性豪だったと知られているんです^^;
    まるで徳川家康のように、たくさん子どもがいました(笑)
    そしてこれも家康のように、養子や婚姻で外交を進めていき、その中で信順も八戸へと行かされました。

    信順の行き先が八戸だったのは、先取になりますが、昆布をはじめとする、北海道の物産の移送ルートを念頭に置いていたのでは、と思います。
    いずれにせよ、信順が南北大移動をさせられたのは、相当なことだったと思います^^;
    さて、この信順、幕末、しかも東北というシチュエーションで、いかなる動きを見せていくのか。
    お楽しみいただければ幸いです。

    ありがとうございました!

  • 野辺地戦争、そして南部信順という人物については知らなかったのでとても勉強になりました。奥羽列藩同盟側の諸侯にも当然それぞれの利害関係や思惑があって一枚岩ではなかったということでしょうね。
    しかしこういったマイナーな(失礼!)人物を四谷軒さんはどこで知られたのでしょうか?
    また他の作品も読ませていただきます。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    結構マイナーな出来事と人物で、「受け」ないかなと思っておりましたが、こうしてご評価いただき、ありがたいです。
    奥羽越列藩同盟は、やはり同盟ですので、対等かそれに近しい立場同士だと、決めるものも決められず、紐帯も薄かったと思います。
    ……そんな微妙な空気を、南部信順は察して、のらりくらりと泳ぎ抜いたようです^^;

    マイナー好きなので、むしろマイナーは褒め言葉です(笑)
    ちなみに、大体はWikipediaをネットサーフィンしているうちに、目が留まる感じです。
    リンクをたどっていくと、意外な人物や出来事にたどり着くのです^^;

    ありがとうございました!


  • 編集済

    とても面白かったです。
    明治維新の東北での戦争というと、会津戦争ばかりが注目を浴びがち、東北や越後などのほかの地でも数々の戦役があったのは知りつつも、ついつい忘れがち、見落としがちです。
    でも、こうした小さな藩の小さな消息を見逃さず、エピソードを拾い上げ、ドラマを描き上げられた手腕に感服し、敬意を表します。
    タイトルも秀逸です。

    作者からの返信

    この時期のこの地方にはさまざまな戦いがありました。
    それは悲しい出来事ではありますが、そんな数々の戦いの中、このような「戦わない戦い」を目指して足掻いた小藩があったことを知り、いつか書こうと思っていました。

    「戦わない戦い」なので、どのように書いていくかを四苦八苦しましたが、いただいたコメントを拝見しますと。どうやらうまくいったようで、ホッとしております^^;

    ありがとうございました!

  • 巻き込んでゴメン……奥羽列藩同盟や幕末の東北諸藩に対しては只々申し訳ない気持ちになってしまいます。

    同盟……当初は新政府との積極的対立を意図したものでは無かっただけに、東北諸藩の方々は困惑、混乱、苦渋の決断……辛過ぎる。


    そんな中、南部信順さん実に見事な手腕!
    あの時代、絶妙な舵取りで難局を乗り切った藩主の物語、年の初めから良いお話を読ませて頂きました✨
    背景にある鶴姫さんとの絆がじーんと心に染みてくるラストも素敵でした。

    作者からの返信

    南部信順を書いた者としては、こちらこそ距離を置いてすみませんという感じです。
    奥羽越列藩同盟、最初は互助というか、そこまでしないでほしいという集まりだったのですが……行きつく先が哀しいですね。
    まあ、新政府側も強引というか人選が酷かったですし……。

    しかし南部信順さん、何というか冷静に時勢を見極めているところが凄いと思います。
    久保田藩や弘前藩がキツい展開になった中、野辺地戦争という奇禍に遭いながらも、すぐさま詫びを入れて、榎本艦隊の脅威を背景にソフトランディングを目論んだところは、ホント凄いなと思います。

    久光のいる薩摩に帰れなかった(笑)という裏事情もあると思いますが、やはりここは鶴姫への想いを出させていただきました。
    そこを素敵とおっしゃっていただいて、とても嬉しかったです。

    ありがとうございました!


  • 編集済

    南部信順という人を全く知らなかったので、とても興味深かったです。

    島津重豪の子供なんですね。普通に考えたら久保田藩と新政府軍として戦列に参加しそう。
    秋田戦争の被害を知る後世の人間からしてみれば、いかに英断だったかわかりますね。

    この小説ではそこを鶴姫の計略としてしているのがまた面白かったです。うまい史実の使い方と言いますか、感心しながら読んでいました。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    ほとんど知られていない殿様なので、そういう人こそ書きたいという私にとっても、興味深かったです。

    そして南部信順、島津重豪が何を思ってか八戸藩に養子に出した子どもでした。
    これで戊辰戦争に臨んで、すぐさま官軍サイドに立つというのが予想されたでしょうが、そうはしなかったところが面白い人です。
    久保田藩が思想信条の「推し」が強くて官軍サイドに立ったのとは対称的で、印象的です。

    南部信順としては、かつて家督相続でダメ出ししてしまった島津久光に「味方します」と言えなかったでしょうし、薩摩に帰れなかったという裏事情があると思いますが、それだと小説的に面白くないので、亡き妻・鶴姫との関係から、ということにしました。
    そのあたりをお褒めいただき、恐縮です。

    ありがとうございました。

  •  戦争を回避して、何人もの子どもの命を救いましたねぇ。

     素晴らしい名君だと思いますよ。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    維新派であることを表明して、周囲の藩から攻められた挙句、領土が戦場と化してしまった藩もありますから、一概に錦の御旗を掲げることは賢明ではなかったと思います。
    であれば、南部信順のように、旗幟を鮮明にせず、のらりくらりが正解だったと思います。
    ……藩を戦火にさらさず、領民、特に子どもたちを救うという意味では。
    私も名君だと思います。

    ありがとうございました。

  •  うわっ

     難しい立場ですねぇ。あちらを立てれば、こちらが立ちません。

    作者からの返信

    佐幕や維新といったスタンスはあるでしょうけど、いかんせん、中央から遠い。
    錦の御旗を掲げたら、周りから攻められる。
    かといって奥羽越列藩同盟に加わったままだと、新政府に責められる。
    なかなか難しいところです。

    ありがとうございました。

  • 南部信順、このような人物がいたのですね。恥ずかしながら、まったく存じませんでした。
    幕末動乱に巻き込まれて諸藩が右往左往する中、冷徹に時局を見極めた眼力は、傑物というにふさわしいでしょう。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    私もwikipediaを渉猟していて知ったというか見つけた方です^^;
    いつか書こうと思っていたのですが、このたび、機会を得て書かせていただきました。
    おっしゃるとお、この時代のこの地域において、旗幟を鮮明にすることの危険を回避し、それでいて密かに新政府サイドに連絡を取り合ったりするという、稀有な殿様だと思います。

    ありがとうございました。

  • とても面白く、

    更新が待ち遠しいでした。

    争うだけが、侍の有様ではない。

    藩の存続は、民の為。

    その思いが有ればこその、結末。

    演説の演出を含めて、とても良い作品でした。

    作者からの返信

    まずはレビュー、ありがとうございます。
    南部信順は薩摩島津家の出身であるにもかかわらず、最後まで八戸の藩主としての務めを果たした、この時代の隠れた英傑だと思います。
    その英傑の、藩の生き残りをかけた、「戦いではない戦い」。
    それを知ると、この人がいなければ、八戸藩はかなり危うかったと思います。
    たしかに、薩摩に残って家督をめぐる争いに巻き込まれなくて良かったです^^;


    ここからコメントへの返信です。
    更新を待ち遠しいという、作者冥利に尽きるお言葉、恐縮です。
    一歩間違えると、民を巻き込んでの戦火となる、その鉄火場にて。
    ぎりぎりまで踏ん張っての、「戦いのない戦い」でした。
    最後の演説の演出は、書いているうちに思いついて書きました。
    何というか、藩の民の人々も殿様も家臣もみんなでこの難所を乗り切ったという感じを出したくて^^;
    「良い」とおっしゃってもらい、嬉しかったです。


    ありがとうございました。
    それでは、旧年中はお世話になりました。
    今年もよろしくお願いします!

  •  こんばんは、御作を読みました。
     八戸南部家、こんな風に立ち回ったのかと、刺激的な物語でした。
     鶴姫への墓参りのシーンも、静かな、良い閉幕でした。
     面白かったです。

     四谷軒様、本年もお世話になり、ありがとうございました。
     どうぞ良いお年を!

    作者からの返信

    ここは同盟にも官軍にも一定の距離を置くのが正解だったと思うんですよ。
    大藩ならともかく、小藩ですし^^;

    南部信順は薩摩へ逃げるという選択肢もあったろうに、それをせずに藩主としての務めをまっとうした、稀有な人物だと思います。
    そしてそれは、やはり亡き妻との何かがあったんだろうなぁと思って、最後のあのシーンとなりました。
    お褒めいただき、恐縮です^^;

    ありがとうございました。
    こちらこそ、旧年中はお世話になりました。
    今年もよろしくお願いします!

  • 海にも目を向けて大局を読み切った小藩の藩主、このような美談はあの混乱の時代、他にもあったことでしょうね。変な不正とかやる今の変な会社の社長が知るべき。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    薩摩の島津家出身ということが、この視野の広さの理由だと思います。
    おそらく薩摩から情報が寄せられていて、最新の状況もわかっていて、こういう行動に出たのでしょう。

    ……こういう読みができる人のことを知ると、もうちょっとマシな行動に出られるかもしれませんね^^;

    ありがとうございました。
    旧年中はお世話になりました。
    今年もよろしくお願いします。

  • 派手な活躍は伝えられていませんけど、南部信順さんはうまく動乱期を乗り切ったというだけでその才が知れますね。

    江戸開城後の新政府軍のやりようは少し強引すぎるところもあったことを考えるとなおさらに上手くやったなと思います。

    余韻を残すいい作品でした。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    へたに官軍に抵抗しても攻められて、かといって錦の御旗を掲げても同盟から攻められて……というキツい情勢でした。
    藩としての生き残りを考えるならば、のらりくらりと両天秤が正解だったと思います。
    それをやり切った南部信順は、おっしゃるとおり、やはり傑物だったのでしょう。

    この時代のこの時期を描くとなると、戦いが主体となることが多いですが、こういうのもいいかなと思って書きました。
    それをお褒めいただき、恐縮です^^;

    ありがとうございました。

  • ほんと面白かった。ここに至る城主の先見の明によって、人々は救われましたよね。

    野辺地戦争。
    弘前藩は奥羽越列藩同盟を抜け、新政府側である立場で、勝っても負けても、利がない。

    それをうまく切り抜けた城主、尊敬です。
    面白いお話で、年末、楽しめました。
    よいお年をお迎えください。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    たまにはこういう、戦いを避けて人々を守った殿様の話もいいかなと思いまして^^;

    野辺地戦争は、参戦したどの藩にとっても利がない戦いでした。
    ホントに何でこんなことしたんだろうという、一日で終わった戦いです。
    さすがの新政府軍も、まさか降伏した藩同士が戦うなんて予想がつかなかったでしょう。
    それをうまく立ち回った藩主がいると知り、これは凄いと思い、筆を執った次第^^;
    尊敬していただいて、作者としても嬉しい限りです。

    ありがとうございました。
    それでは、旧年中はお世話になりました。
    今年もよろしくお願いします。


  • 編集済

    動乱ものには珍しく、しんみりとしたいいお話でした。
    武士として卑怯の誹りも受けかねない謹慎を選択した明晰&剛毅に拍手です。

    仙台以北の陸奥には、まだまだ眠っているネタがたくさんありそうですね。
    最北という地の利を生かした歴史小説を楽しみにお待ちしております。

    作者からの返信

    幕末の話はあまり突き詰めると酷い話になってしまうので、こういう、サッと書ける&読める短編がいいかなと思って書きました。
    今回のお話の場合、内容が内容なので、争いごとをあまり書かずに済みますし^^;

    南部信順は島津の出にしては珍しくまっとうな穏健派でした。
    自分が婿養子であるということを意識していたのかもしれません。
    だから藩の命運も、その客観的な視点で分析して、逃げに徹したのでしょう。
    卑怯といえば卑怯ですが、あの時代、藩士や民を守り抜いたのはかなり凄いことだと思って、書かせていただきました。

    北国の歴史小説、確かに面白そうですね。
    しかしネタのストックはもうないので(笑)、また渉猟して、見つけられたら……となります^^;

    ありがとうございました。

  • お久しぶりです。

    中国大返しのほうは、

    明日から読みます!


    年賀状で昨日は躓いて…

    作者からの返信

    お久しぶりです。
    お星さま、ありがとうございます。

    中国大返しのお話もお読みいただけるとのことで、ありがたい限りです。
    何かと忙しい歳末なので、お時間のある時にでも、息抜きにお読みいただければ幸いです。

    年賀状、私も悪戦苦闘しております^^;

    ありがとうございました!

  •  こんばんは、御作を読みました。
     北と南の藩にこんな交流があったなんて……。
     そう言えば、秋田県は親官軍だったと改めて認識しました。興味深く面白かったです。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    島津重豪としては、金の卵である昆布の輸出(琉球経由、清行き)のために、北のこのあたりを押さえておこうという意志があったのでは。
    ところが維新回天の流れが、よりによって薩摩を源流のひとつとして、大きくこの国を洗い、それが今、北の八戸へと至ろうとして……^^;

    秋田県はこの時、維新側に立つと旗幟を鮮明にしました。
    しかしその結果、戦場と化してしまうという運命に。
    南部信順はこれを危惧して、あまり島津との接触を持とうとしなかったのでは……と思います。

    ありがとうございました。

  • この時期の東北各藩の大名も頭が痛かったでしょうね。
    南から迫る新政府軍の足音が迫る中、わざわざ北の方八戸まで押し寄せても背中から撃たれることになりますから。

    というのは後世の知恵で、南部信順さんは胃がキリキリしたことでしょう。

    作者からの返信

    何で島津がいるんだよ。
    ……それが東北諸藩の心の声だったでしょう(笑)
    それは南部信順も同じで、「何でおれがこの時代のこの情勢の東北に」と思ったことでしょう。
    どっかの藩の大名みたいに脱藩しても良かったかもしれませんが、信順の凄いところは逃げずに対処していくところにあります。
    おっしゃるとおり、じゃあ八戸攻めるかとなっても、薩摩が南からやって来るのがわかってるし、その状況により、にらみ合いレベルで何とか済まそうと……。
    うん、胃腸薬が必要ですね(笑)

    それと、近況ノートへのコメント、ありがとうございます。
    南部家ってホント江戸時代はアレでしたね。
    ここで信順が養子に入ったことにより、そういうしがらみから多少は自由になれたことが、八戸の運命を変えたのかもしれません。

    ありがとうございました。

  • この時代に薩長ではなく、南部信順から見た、この激動の時代。
    さすが四谷軒さま、面白いです。
    続きをお待ちしています。

    作者からの返信

    マイナー好きな私としては、薩長よりも、あまり知られていない人を書きたいと思い、南部信順をチョイスしました^^;
    激動の時代ですが、この東北の小藩にもその波が押し寄せるあたりに、その激動の凄まじさが分かるような気がします。
    お楽しみいただければ幸いです。

    ありがとうございました。

  • 2と26・・・実話ですか!?
    まさに養女をもらった気分

    作者からの返信

    実話だから困る、という奴です^^;
    実際は二歳の子との話なんで、約束しただけで、実際に婿入りしてなくて、ちゃんと年齢を重ねてから結婚したそうです。
    でも、二人の間に子はいなかったみたいで、そこは信順がわきまえていたからだと思います。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    面白い人物・時代・場所に目をつけられましたね~。
    こういうネタをどこで探して来られるのか感服です。

    島津重豪は開明的な藩主として知られるが、同時に性豪としても知られる。
    ← あ、やっぱり?! と思いました、血は争えないなあと。

    かつて拙筆を顧みず、ただただ妻を追い出した男への義憤に駆られ(笑)島津家久の正室・亀寿姫の物語を書いたとき、並みはずれた家久の好色ぶりを知りましたので。

    二歳の赤子を妻にせよと言われた……乳飲み子の妻をだっこして「よしよし」とあやしたのでしょうか。(´艸`*)
    後編が待たれます。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    何となく、Wikipediaを渉猟している時に見つけたお方です。
    たしか、幕末~戊辰戦争を調べている時に、ふと見つけた記憶があります^^;

    島津重豪は、開明的だったんですけど、浪費癖、女癖が悪く、しかも健康で長生きしていたという、わけのわからない人です(笑)
    そういえば家久もそういう人でしたね。
    何かそういう傾向でもあるんでしょうか……でも、徳川家とかもそういう将軍がいたし、泰平だと武家の関心って、そっちにいっちゃうのかもしれませんね^^;

    さて、信順と二歳の子と結婚ですが、まあさすがに「約束」だけで、正式な婚約というか婿入りは、もうちょっと時が経ってからしたそうです。
    お家を潰さないためとはいえ、珍妙な結婚となりましたが、これが八戸藩にとって、いかなる運命をもたらすのか……。
    お楽しみいただければ幸いです。

    ありがとうございました。