拝読致しました。
藩主とは言え入り婿であり、さらに奥さんには先立たれて、小藩とは言えその立場は微妙だったことでしょう、特にあのイデオロギーでキーキー叫ぶ粗忽者が横行しそうな時代ですし。
さらに周囲はどちらかと言えば佐幕……いや、時流に乗り遅れて強制的に佐幕に追いやられた藩に囲まれ、その血筋も相まって、さぞや居心地が悪かったことだろうと推察してしまいます(^^;)
その中で、あえて消極的な舵取りをして、しかも時流を乗り切ったその潮目を見る力は素直に凄いと思います。
どっちかに偏りたくなりますよねぇ...どこまでも不安定ですし。
それを、夭折した親子ほども差のある奥さんへの想いと結び付けることで、とても味のある物語になったと感じました。
面白かったです!
ありがとうございました(^▽^)
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
ホントに複雑な立場だったと思います。
マスオさんの立ち位置なんでしょうけど、サザエをはじめ、みんないなくなった磯野家にまだ身を置いている、みたいな……そんな状況です。
それでいて幕末の東北。
これで西国だったらまだ薩摩と連絡と援軍が期待できたろうに、ほぼ孤立無援です^^;
……それでも信順は逃げませんでした。
逃げられなかった、というのが正確かもしれませんが、とにかく信順はのらりくらりでしのぎます。
この辺が実は、かみさんへの想いがあるのかなぁ、というのが、執筆のキッカケでした^^;
その辺をお褒めいただき、恐縮です!
ありがとうございました^^;
野辺地戦争、そして南部信順という人物については知らなかったのでとても勉強になりました。奥羽列藩同盟側の諸侯にも当然それぞれの利害関係や思惑があって一枚岩ではなかったということでしょうね。
しかしこういったマイナーな(失礼!)人物を四谷軒さんはどこで知られたのでしょうか?
また他の作品も読ませていただきます。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
結構マイナーな出来事と人物で、「受け」ないかなと思っておりましたが、こうしてご評価いただき、ありがたいです。
奥羽越列藩同盟は、やはり同盟ですので、対等かそれに近しい立場同士だと、決めるものも決められず、紐帯も薄かったと思います。
……そんな微妙な空気を、南部信順は察して、のらりくらりと泳ぎ抜いたようです^^;
マイナー好きなので、むしろマイナーは褒め言葉です(笑)
ちなみに、大体はWikipediaをネットサーフィンしているうちに、目が留まる感じです。
リンクをたどっていくと、意外な人物や出来事にたどり着くのです^^;
ありがとうございました!
編集済
とても面白かったです。
明治維新の東北での戦争というと、会津戦争ばかりが注目を浴びがち、東北や越後などのほかの地でも数々の戦役があったのは知りつつも、ついつい忘れがち、見落としがちです。
でも、こうした小さな藩の小さな消息を見逃さず、エピソードを拾い上げ、ドラマを描き上げられた手腕に感服し、敬意を表します。
タイトルも秀逸です。
作者からの返信
この時期のこの地方にはさまざまな戦いがありました。
それは悲しい出来事ではありますが、そんな数々の戦いの中、このような「戦わない戦い」を目指して足掻いた小藩があったことを知り、いつか書こうと思っていました。
「戦わない戦い」なので、どのように書いていくかを四苦八苦しましたが、いただいたコメントを拝見しますと。どうやらうまくいったようで、ホッとしております^^;
ありがとうございました!
巻き込んでゴメン……奥羽列藩同盟や幕末の東北諸藩に対しては只々申し訳ない気持ちになってしまいます。
同盟……当初は新政府との積極的対立を意図したものでは無かっただけに、東北諸藩の方々は困惑、混乱、苦渋の決断……辛過ぎる。
そんな中、南部信順さん実に見事な手腕!
あの時代、絶妙な舵取りで難局を乗り切った藩主の物語、年の初めから良いお話を読ませて頂きました✨
背景にある鶴姫さんとの絆がじーんと心に染みてくるラストも素敵でした。
作者からの返信
南部信順を書いた者としては、こちらこそ距離を置いてすみませんという感じです。
奥羽越列藩同盟、最初は互助というか、そこまでしないでほしいという集まりだったのですが……行きつく先が哀しいですね。
まあ、新政府側も強引というか人選が酷かったですし……。
しかし南部信順さん、何というか冷静に時勢を見極めているところが凄いと思います。
久保田藩や弘前藩がキツい展開になった中、野辺地戦争という奇禍に遭いながらも、すぐさま詫びを入れて、榎本艦隊の脅威を背景にソフトランディングを目論んだところは、ホント凄いなと思います。
久光のいる薩摩に帰れなかった(笑)という裏事情もあると思いますが、やはりここは鶴姫への想いを出させていただきました。
そこを素敵とおっしゃっていただいて、とても嬉しかったです。
ありがとうございました!
編集済
南部信順という人を全く知らなかったので、とても興味深かったです。
島津重豪の子供なんですね。普通に考えたら久保田藩と新政府軍として戦列に参加しそう。
秋田戦争の被害を知る後世の人間からしてみれば、いかに英断だったかわかりますね。
この小説ではそこを鶴姫の計略としてしているのがまた面白かったです。うまい史実の使い方と言いますか、感心しながら読んでいました。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
ほとんど知られていない殿様なので、そういう人こそ書きたいという私にとっても、興味深かったです。
そして南部信順、島津重豪が何を思ってか八戸藩に養子に出した子どもでした。
これで戊辰戦争に臨んで、すぐさま官軍サイドに立つというのが予想されたでしょうが、そうはしなかったところが面白い人です。
久保田藩が思想信条の「推し」が強くて官軍サイドに立ったのとは対称的で、印象的です。
南部信順としては、かつて家督相続でダメ出ししてしまった島津久光に「味方します」と言えなかったでしょうし、薩摩に帰れなかったという裏事情があると思いますが、それだと小説的に面白くないので、亡き妻・鶴姫との関係から、ということにしました。
そのあたりをお褒めいただき、恐縮です。
ありがとうございました。
とても面白く、
更新が待ち遠しいでした。
争うだけが、侍の有様ではない。
藩の存続は、民の為。
その思いが有ればこその、結末。
演説の演出を含めて、とても良い作品でした。
作者からの返信
まずはレビュー、ありがとうございます。
南部信順は薩摩島津家の出身であるにもかかわらず、最後まで八戸の藩主としての務めを果たした、この時代の隠れた英傑だと思います。
その英傑の、藩の生き残りをかけた、「戦いではない戦い」。
それを知ると、この人がいなければ、八戸藩はかなり危うかったと思います。
たしかに、薩摩に残って家督をめぐる争いに巻き込まれなくて良かったです^^;
ここからコメントへの返信です。
更新を待ち遠しいという、作者冥利に尽きるお言葉、恐縮です。
一歩間違えると、民を巻き込んでの戦火となる、その鉄火場にて。
ぎりぎりまで踏ん張っての、「戦いのない戦い」でした。
最後の演説の演出は、書いているうちに思いついて書きました。
何というか、藩の民の人々も殿様も家臣もみんなでこの難所を乗り切ったという感じを出したくて^^;
「良い」とおっしゃってもらい、嬉しかったです。
ありがとうございました。
それでは、旧年中はお世話になりました。
今年もよろしくお願いします!
こんばんは、御作を読みました。
八戸南部家、こんな風に立ち回ったのかと、刺激的な物語でした。
鶴姫への墓参りのシーンも、静かな、良い閉幕でした。
面白かったです。
四谷軒様、本年もお世話になり、ありがとうございました。
どうぞ良いお年を!
作者からの返信
ここは同盟にも官軍にも一定の距離を置くのが正解だったと思うんですよ。
大藩ならともかく、小藩ですし^^;
南部信順は薩摩へ逃げるという選択肢もあったろうに、それをせずに藩主としての務めをまっとうした、稀有な人物だと思います。
そしてそれは、やはり亡き妻との何かがあったんだろうなぁと思って、最後のあのシーンとなりました。
お褒めいただき、恐縮です^^;
ありがとうございました。
こちらこそ、旧年中はお世話になりました。
今年もよろしくお願いします!
派手な活躍は伝えられていませんけど、南部信順さんはうまく動乱期を乗り切ったというだけでその才が知れますね。
江戸開城後の新政府軍のやりようは少し強引すぎるところもあったことを考えるとなおさらに上手くやったなと思います。
余韻を残すいい作品でした。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
へたに官軍に抵抗しても攻められて、かといって錦の御旗を掲げても同盟から攻められて……というキツい情勢でした。
藩としての生き残りを考えるならば、のらりくらりと両天秤が正解だったと思います。
それをやり切った南部信順は、おっしゃるとおり、やはり傑物だったのでしょう。
この時代のこの時期を描くとなると、戦いが主体となることが多いですが、こういうのもいいかなと思って書きました。
それをお褒めいただき、恐縮です^^;
ありがとうございました。
ほんと面白かった。ここに至る城主の先見の明によって、人々は救われましたよね。
野辺地戦争。
弘前藩は奥羽越列藩同盟を抜け、新政府側である立場で、勝っても負けても、利がない。
それをうまく切り抜けた城主、尊敬です。
面白いお話で、年末、楽しめました。
よいお年をお迎えください。
作者からの返信
お星さま、ありがとうございます。
たまにはこういう、戦いを避けて人々を守った殿様の話もいいかなと思いまして^^;
野辺地戦争は、参戦したどの藩にとっても利がない戦いでした。
ホントに何でこんなことしたんだろうという、一日で終わった戦いです。
さすがの新政府軍も、まさか降伏した藩同士が戦うなんて予想がつかなかったでしょう。
それをうまく立ち回った藩主がいると知り、これは凄いと思い、筆を執った次第^^;
尊敬していただいて、作者としても嬉しい限りです。
ありがとうございました。
それでは、旧年中はお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。
編集済
動乱ものには珍しく、しんみりとしたいいお話でした。
武士として卑怯の誹りも受けかねない謹慎を選択した明晰&剛毅に拍手です。
仙台以北の陸奥には、まだまだ眠っているネタがたくさんありそうですね。
最北という地の利を生かした歴史小説を楽しみにお待ちしております。
作者からの返信
幕末の話はあまり突き詰めると酷い話になってしまうので、こういう、サッと書ける&読める短編がいいかなと思って書きました。
今回のお話の場合、内容が内容なので、争いごとをあまり書かずに済みますし^^;
南部信順は島津の出にしては珍しくまっとうな穏健派でした。
自分が婿養子であるということを意識していたのかもしれません。
だから藩の命運も、その客観的な視点で分析して、逃げに徹したのでしょう。
卑怯といえば卑怯ですが、あの時代、藩士や民を守り抜いたのはかなり凄いことだと思って、書かせていただきました。
北国の歴史小説、確かに面白そうですね。
しかしネタのストックはもうないので(笑)、また渉猟して、見つけられたら……となります^^;
ありがとうございました。
会津以外にも様々な藩の思惑
悲惨な戦いばかりが強調されますが
戦闘に参加せずともやはり近隣の国とは今まで助け合うこともあったでしょうし
いろいろ悩ましがったでしょうね
子供の出しゃばりが注意されてましたがあの言葉でまた閃を得るシーン良かったです
作者からの返信
最初は互助的なつながりだったらしいんですが、最終的には軍事同盟の色が濃くなってしまったそうです。
でも、近代化した薩長の軍に勝てるかというと、そういうわけでもなく……。
かといって、露骨に薩長になびいても、周りの国から攻められるし(実際、そういう藩がありました)、この時代のこのエリアは非常に「難しい」状態だったと思います。
南部信順は藩と人々を守った大名なので、その「人々」の象徴として、子供の発言を出させてもらいました^^;
そこを「良かった」と言っていただけて、嬉しい限りです。
ありがとうございました。