第17話 奇跡が起きた!

 沙織が六十歳を過ぎて間もない頃、恐ろしいことが発生した。左眼の網膜に亀裂が入って突然目の前で真っ黒な幕のようなものがサッと降りるのが見えたのだ。


 すぐ手術を受けたが、その後今度は両眼の網膜で出血が始まり、何ヶ月も止まらなくなってしまった。どんな薬を飲んでも効果が見られなかった。


「いずれ両眼失明も避けられないでしょう」という専門医の残酷な言葉が投げ掛けられた。


 沙織はまさに目の前が真っ暗になった思いだった。


 寝室から台所まで両眼を瞑ったまま歩いていく練習をしながら沙織はふと思った。


「自分には目の見える時間が後どのぐらい残されているのだろうか?医者の言うように時間がかなり限られているのならば、なぜすぐさまよく目の見えるうちにもっと自分が心より夢中になれることに取り掛かっていないのか?」という疑問が湧いてきて、その思いは日に日に強くなっていった。


 教師の仕事は風邪を引いてでも学校へ来る子供達に囲まれて、1学期に4回も風邪を引くようになり、生活を支えていた他の仕事に多大なる影響が出た頃にきっぱりと辞職していた。可愛かった子供たちとの別れは辛かったが、彼女はどんなに素晴らしいことでも終わりがあることを知っていた。


 その後長年やっていた通訳・翻訳の仕事もキッパリと引退した。


 絵や文の創作活動をするという沙織本来の夢があったからだ。以前からずっとやってみたいと思っていた日本の墨絵とカラフルなアメリカ的色合いの豊さをフュージョンさせたフュージョンアートを毎日地下室に篭ってなんと百枚以上も描き上げた。自分のウェブサイトも作り、そこでそれらの絵を紹介した。


 四〇年ほど前、ジュリアンが生まれた頃に書いた自作の絵本を引っ張り出してきては、英訳とアップデートしたイラストを加えてバイリンガル絵本として出版、日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパにて売るという夢のような出来事も実現していった。


 沙織は、アメリカに初めて移住した頃、なんでもいいからすぐに仕事をしなければ食べていかれなかった時代を思い出していた。


 理由こそ異なったが、今の自分が再びあの時のような切羽詰まった状況に陥っていたことを認識。


 今回も、のんびりと解決策が向こうの方からやってくるのを待っている余裕などなかった。


全てのためらいを取り除き、自らチャンスを作り出して動き初めていかなくては何も変わりはしない。頼れるのは自分の知恵と判断しかない。


沙織は日本での一年の滞在から戻った時、考えにもなかった補習校での教師の仕事を受け入れざるを得なかったことも思い起こしていた。

 

 失明。これも考えになかったことだ。これに関しては、毎日のようにネットで自分なりのサーチをした。


 そんなある日、世界的に有名なドクターが、

「失明をしそうなら人参ジュースを飲めばいい。それだけだよ」と、至極簡単に言ってのけているのを耳にした。


そこで、人参の他にビーツ、アップルを加えたA B Cドリンクなど様々な目によい自然治療を見つけては家で次々と実行していった。


 六ヶ月の月日が過ぎた頃、セカンドオピニオンとして、ある大学病院の網膜の大家に検査をしてもらうことにした。彼こそは何か決定的な治療法を知っているかもしれないと考えてのことだった。


 様々な機械を使って検査を受けた後、待合室で今の夫であるとバーナードと一緒に結果を待っていた。なんと名前が呼ばれるまで4時間も待たされてしまった。


 バタバタと音を立てて待合室を横切った検査員に様子を聞くと、とてもナーバスな様子で、

「申し訳ありません。後もうちょっと待ってください」という答えしか返ってこなかった。


 沙織はいつになく少し悲観的になっていた。

「自然治療は効果がなかったのだろう。あのナーバスな検査員の様子からすると、きっとかなり進行してしまっているのだろう」


わずかに残っていた希望が次第に消えていくのを感じていた。

 

 ところが、やっと名前を呼ばれて、網膜の世界的大家であったドクターが結果を前に沙織夫婦に向かって放った言葉はまさに奇跡だった。


「あなたが何をされたのかは知りませんが、あなたの網膜出血は完治しています。長い時間待たせて申し訳なかったです。あなたの町の専門医から送られてきたレポートには、網膜出血は止まらず、薬を投入しても全く向上が見られないと書いてあったため、もしかして、うちの病院の機械が壊れているのではないかと疑って、幾つもの機械を使って調べてみたのです。長い時間がかかったのはそういうことだったのです。


ところが、なんと、どの機械を使っても同じように全く問題のない健康な網膜が映し出されているではないですか!おめでとう御座います!」と、ドクターは笑みを浮かべて握手の手を差し伸べてくれた!


 それは本当に信じがたい出来事で、沙織はまるで夢を見ているような気がしたものだった。自然治療が不可能を可能にしてくれた驚くべき結果だった。


To be continued...

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る