第15話 ダンシングクィーンは踊り続ける!

 確かに沙織のしたことはアメリカナイズされていると批判されても仕方のないことだっただろう。日本人学校とはいえ、アメリカに存在していたことが日本の学校とは一味違ったという事実もあった。


 なぜなら、アメリカでは、様々な背景の人々がいるため、「・・・らしい」という日本のような「典型的パターン」の傾向が少ないからだ。


 沙織自身、日本でずっとこの「らしさ」という言葉に縛られていたような気がする。皮肉なことに、日本を抜け出した後でさえも、この「らしさ」を気にして「日本人らしく」していた時期があった。

「女性らしく」

「母親らしく」

「日本人らしく」

「先生らしく」

「らしく、らしく・・・」


 誰がそれを強いていたのだろう?沙織は自分に問いかけてみた。


「自分以外の何者でもない。自分で自分を縛り付けていただけだ!」

 どうせ、「らしさ」を気にするのなら、「自分らしく」生きよう!


「アメリカナイズされた変な先生だね」と噂されたことなどは、子供たちとの間で結ばれた深い絆と比べたらなんでもないことだった。正に、沙織は自分らしい人生をすでに歩き始めていたのだから・・・。


 遠いアメリカにて見つけた「自分らしい人生」を諦めるようなことは、「心地よい故国だった日本を離れてアメリカに渡る」という自分から敢えて選んだ沙織の「チャレンジに溢れた人生」の惨めな敗北を認めてしまうことになる。


 沙織は教師のみならず、通訳、旅行会社のマネジメントの仕事に加えて、日本語雑誌の編集、日本語ラジオ放送制作など数々の新しい仕事も次々と同時にこなしていった。


 地元で日本語の雑誌を編集し始めた沙織は、ある時、第二次大戦中カリフォルニアの日本人収容所に入れられていたという日本人にインタビューを入れるチャンスを得た。


 その人、杉山さんは収容所を出た後デトロイトにやって来ていた。ところが、まだまだ第二次世界大戦直後だったため、日本人に対する偏見は強く、アパートを探していても、「空き部屋あり」とあったサインが、日本人と分かった途端に、「空き部屋なし」に変わったと言う。


 またあるときは、杉山さんがバスに乗ろうとして拒否されたので警察に連絡すると、バスの運転手は彼が酒に酔っ払っていたから引きずり降ろしたと嘘をついた。杉山さんはまったくお酒をやらない人だった。


 その杉山さんが沙織の方を向いて真剣な表情で質問してきた。


「今までデトロイトにおいて、トンプソンさんが日本人だからということで個人的に差別をされたことがありますか?」


 沙織は、「地獄に堕ちろ!」と書いてあった手紙などを思い出していた。しかし、あれはあくまでも狂ったアメリカ人の言葉であって、良識あるアメリカ人から差別的な発言や扱いを受けたことなどは一度もなかった。


 そこで、

「日本車に関するジャパンバッシングの被害や子供にチンク(中国人に対する軽蔑語)と呼ばれたことはありますが、普通の良識あるアメリカ人からあからさまに差別を受けたことは一度もありません」と答えると、


 杉山さんは、

「そうでしょう。それは先にデトロイトに来た我々が、どんな嫌がらせに遭っても日本人の評判を悪くしてはいけない、日本人であることに誇りを持ち続けたいというその想い一心で、ずっと耐え忍んだからなのですよ。


 我々の次の世代であるあなた方も、お願いですからそのことをけっして忘れないで下さい」と真剣な表情で念を押してきた。


 沙織は、どんな嫌がらせに遭ってでも、我々は我々でまたその次の世代のことを考える責任があるのだと認識。


「分かりました。どんなことがあっても忘れません」

 彼女もきりりとした口調で自分の先輩を前に誓ったものだった。


To be continued...

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