第11話 日米では耳が痛い理由が異なる

沙織が画学生としてアメリカの大学に通っていた頃、キャンバスやスケッチブックを持ち歩いていて、いかにもアートスクールの生徒であることが明らかな沙織の姿を見て声をかける米人学生がいた。


"Are you an art student?"

"Yes, I am." 

 と答える沙織。


 すると、その米人学生は付け足した。

"I used to study art, too and I was very good at that"


 つまり、この人は、

「私はアートがとても上手だった」

 と、自分で自分を褒めていたわけだった。


 これは「謙遜の美」の国、日本から来た者には大変奇妙に聞こえた。なんとなく、耳に痛みまで感じてしまった。アメリカ人が堂々と自慢するのを聞いて、沙織と同様なことを感じる日本人も結構いるのではないだろうか?


 しかし、それとは全く逆に、沙織は日本人補習校にて日本人の父兄たちが「謙遜の美」を自分の子供にまで適応しているのも何回か目撃した。アメリカの親たちが自分の子供を褒め称えるのを聞くことに慣れてしまっていた沙織の耳にはこれも違った意味で耳に痛みを覚えるものだった。


 例えば、

「先生、最近うちの馬鹿息子はどうでしょうかね?」

 しかも、これを息子の目の前で堂々と言ってのける。これは繊細な子供のためにとても良くないことである。


沙織は、慌ててそれをひっくり返すように、

「お宅の息子さん、本当はとっても素晴らしい才能を秘めているんですよ。アメリカ生活に慣れると、きっと本来の賢さを見せてくれますよ」

 などと言って、必死で子供の弁護をしたものだった。


To be continued...

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