第10話 愛についてのレッスン
子供というのは無邪気な生き物だ。沙織の教え子たちは色々な情報を先生である沙織に投げ掛けてくれる。
「昨夜ね、お父さんとお母さんがすごい喧嘩をして、お母さんが怒って、ついに椅子を持ち上げたんだよ」
日本人のお母さんたちも、アメリカのウーマンパワーを身につけたようだった。
何かの連絡で沙織が父兄に電話を入れると、教え子自身が電話に出たことがあった。
「山本君だね。トンプソン先生だよ。ちょっと君のお母さんとお話したいのだけれど、電話を代わってくれるかな?」
「あー、ママね、今一生懸命ウンコしてるよ。トイレに行って呼んでこようか?」
「いやいや、いいよ。終わってからで・・・」
そんなことを先生が聞いているとは知る由もないお母さんたち、
「あら、先生、お元気でいらっしゃいますか?」などと、とてもスマシしたお顔で挨拶を入れてくる。
ある時子供たちの一人が、
「先生ー!吉岡君はクラスの谷川百合子ちゃんのことが好きなんだよ」
という新情報まで提供してくれた。
通常、日本の先生たちはそういった発言を聞くと、先生自身、なんだか居心地が悪くて、
「そんなことを言ってないで勉強しなさい」となる。
ところが、少なからずアメリカナイズされていた沙織は、ちょっと違った発想をして、クラス全体に向かって提案してみた。
「なーんだ。吉岡君、好きな女の子はたったの一人だけ?男の子たちよ、どうせ女の子を好きになるなら、みんなクラスの女の子全員を好きになろうよ」
「クラスの女の子全員?」皆のびっくりした顔が見えた。
その瞬間、沙織は、
「これは人生で一番大切なことである愛を教えるチャンスだ!」と思った。
「誰でも人に好かれたいよね。皆に好かれるような人間になりたかったら何をすれば良いか知っているかな?」
クラス中が静かになったが、どの子も、
「分からない」という顔ばかりだ。
「皆に好かれる人間になりたかったら、まずは自分が皆を愛すればいいんだよ!」
とはトンプソン先生の言葉。
子供の中でも、特に日本の子は「愛する」なんて言葉に慣れていないから、照れて騒ぎ出した。そこで、すかさず沙織は続けた。
「どの人間も皆何かいいところがあるもんだ。見廻してご覧。」
「坂田君はサッカーが上手だ!」
「恵ちゃんは絵が得意だ」
「僕は算数が得意だよ」
「私は漢字に強いのよ」
「森本君は優しいよ」
「京ちゃんはいつも僕にお弁当に入っているお菓子をくれるよ」
「そうそう、その通り!皆何かしらいいところを持っているもんだ。だから、そこに集中して、皆を愛するんだよ。つまり、一人の女の子が好きになったら、それが第一歩、他の女の子一人一人の良いところも見つけてあげて、クラスの女の子の全員を愛するんだよ。それができたら、今度はクラスの男の子、一人一人のいいところを探そう。そして、クラスの男の子の全員も愛してしまおうよ。それこそが愛に溢れた心の大きい人間というものなんだ」
子供たちはふざけるのが大好きだ。
「オー、アイラブユー!」なんて戯け出した。
「君たちが皆のいいところを愛すれば、皆も君たちのいいところを愛してくれるから、愛がそこら中に散らばって、このクラスは愛に満ちた素晴らしいクラスとなるよ。先生も君たち一人一人のいいところをよく知っているから、皆が大好きですごく愛しているよ」
愛というのは不思議な力を持っているものだ。こうやって愛の話をすると、皆がいい気分に浸り始めたから嬉しい。
「さぁ、愛に満ちた皆さん、愛に満ちたその手で教科書をそっと開いてください」とトンプソン先生が神妙な面持ちで教科書を開くと、実際、子供たちも同じように神妙な顔に笑みを浮かべ、教科書にも愛を込めて丁寧に開いてくれたのが可愛くてしょうがなく、沙織自身も、本当に自分の生徒たち一人一人をもっともっと深く愛せる気持ちになってきた。
そんな中で、その日の授業がすんなりと進んだことは言うまでもなかった。
こうやって、沙織のクラスの男の子一人の発言で、予期せずも「愛についてのレッスン」までできてしまった楽しい午後だった。
Tobe continued...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます