第2話

ここは動物園か?

 

 日本から来た子供たちが毎日アメリカの学校に通い、土曜だけ日本語で勉強するために集合する日本人補習校。予期せずも、そこで担当教師となり、毎週国語と算数を教えることになった沙織の教師としての第一日目。


 沙織は明るい職員室を出て、暗く長い廊下を心なしか重い足取りで歩き、担当が決まった「小学校2年」と張り紙に黒字で書かれた教室のドアの前にやっとたどり着いた。大きなドアは沙織の決意を疑うかのようにデンと構えて彼女の目の前に立ちはだかっていた。そこで沙織は大きく一つ深呼吸をした。


 そして、モットーとしている言葉を口にして、いつものように自分で自分に命令を下したのだった。


” Just do it!"


 こういう時、沙織にはなぜかこの英語の表現がピッタリなのだ。なんとナイキのスローガンだったこの言葉。


「とにかくやってしまおう!」


 元々は、アメリカの死刑囚が銃殺刑の直前に吐いた言葉だったらしいが、沙織にとってこの言葉は、アメリカでサバイバルするために舞い込んできた数々のチャンスを前にして、ごちゃごちゃと考えている余裕などない、とにかくやってしまおう!という必然性から生じた彼女の必死の思いをそのまま表しているようで気に入って使っていた。


まさに、沙織は、アメリカという異国の地において、全て"Just do it!"の精神と勢いで人生を歩んで来た日本人女性だったのだ。


 思い切ってガラリと大胆にドアを開けた沙織の目の前をいくつもの紙飛行機が飛び交った。


意を突かれた沙織はクラス全体を見渡した。中の様子はというと、一言で言って、「動物園」そのものだった。


 猫のような声を出して、教室の隅で訳もなく泣き続けている女の子、ミツバチのように、「ブーン、ブーン」と言いながら腕を広げて走り続けて止まらない男の子、皆の机の上をドシドシと土足で歩き回って、クラスメートのノートを靴でグシャグシャに踏み潰している大柄でクマのような男の子、まるで猿のようにあちこちを飛び回って騒いでいる身軽な子などなど・・・。


「こりゃ、えらいこっちゃ」


 育ちは東京だったが、関西出身の親に育てられた沙織は、本音を吐く時にこういった大阪弁がよく出た。


「ここの子供たちは、なにかしら心に病いを持っているな」


 と直感。


迷わず前進して、素早く自分の名前を日本語で黒板に書いた。白いチョークのカツカツという音が緊張を増した。


「トンプソン先生よ。宜しくね!」


 とクラスに向かって言うと、40人を超える子供たちが一斉に拍手をして、


「わーい!」


 と歓声をあげてくれた。これを歓迎のジェスチャーと受け取った新米教師はちょっとホッとした。


 騒いでいる子供たちを眺めながら、自分自身に言い聞かせるように沙織は心の中で新たな決意をしていた。


「アメリカに来たばかりで何かと戸惑っているこれらの子供たちは、まるで過去の自分を見ているようだ。そういう子たち一人一人を指導していくことは、もしかしたら私にとってとてもやり甲斐のある仕事かもしれない」


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