第56話 最終話 霧の中に消えたネオン
真智子の話で、原野商法で詐欺を働いてたのは、乙川でないことが分かった。
乙川は自分に会いたくて、釧路まで来ていたのだった。
だが乙川はあと半年しか生きれない体になっていた。
それを知ったとき、翔馬の心の中に「乙川を許してもいいと」と言っている自分がいるのを感じた。
翔馬は自分に問いた。俺は何故乙川を許そうとしてるのだ。
蛇蝎のごとく忌み嫌ったあの男を今になって、許そうとしてるのは何故だ!何故だ!と、翔馬の心は激しく揺れ動いた。
鬼畜がごとき行為によって、汚された血が流れる己の身を何度恨んだことか。
だが、今はあの男に許しを与えようとしている自分の心を、恨めしく思った。
「真知子さん、ありがとうございます。おかげで僕はあの人を父と思えそうな気になってきました」と深々と頭を下げ、パールを出ると、霧が一面に立ち込めていた。
「翔馬さん、これからどうするつもり?」と真知子にいわれて、また心は揺れた。
余命いくばくもない父が、自分に会いに来ているのに、黙って会わずに返してしまうのか。
少なくとも自分がここまで生きて来た道は、沢山の人たちによって作られて来た。
あの人も、いやあの父も、自分を育ててくれた一人だ。
「父は今日、東京に帰るのですね、僕は是非とも父に会いたいです」と真知子に告げると「お父さんは4時半のJAL に乗ると思うわ、タクシーに乗れば間に合うかも知れないわ」と真知子にいわれた。そうだ、俺には悦子さんから借りているキャデラックがある。あれを走らせたら、4時半発のJALに間に合うかも知れない。
翔馬はパールの電話を借りて凛々子に電話を掛けた。
「凛々子、俺だけど、今から家に戻って車で釧路空港に行くから、今日は一人で出勤してくれないか、それと悦子さんに電話して俺は休むと言っていくれ」と言うと凛々子はもう翔馬の気持ちを分かっていた。
「お父さんに会いに行くのね。悦子さんには言っておくわ、でも空港には私も行くわ」と言って、二人は空港に向かった。
☆☆☆
乙川は正午ごろ、オーシャンホテルの前からタクシーで、釧路空港に向かっていた。「運転手さん悪いけど、釧路工業高校に寄ってくれませんか」と、乙川がいうと運転手は「お客さん、釧路工業高校と空港の方向は正反対ですよ、いいんですか?」
「大丈夫です、時間はたっぷりあるし、見るだけですから」
「そうですか、それならいいんですけどね」と言ってタクシーは春採の釧路工業高校の前に着いた。タクシーを降りて金網越しにグラウンドを見ると、真っ黒に日焼けした運動部の選手たちが、ボールを蹴っていた。どうやらサッカー部の選手のようだ。目当てのアイスホッケー部の選手ではないらしい。
タクシーに戻ると運転手が、「うちの倅は江南高校のアイスホッケー部にいるんだけど、今日は柳町アイスアリーナで、ここの生徒と地区予選をやってるよ、見ていきますか」と言って、家族招待券を見せた。
「そうですか、お宅のお子さんもアイスホッケーの選手なんですか。じゃあちょっとだけ見ていきますか」と言って、乙川と運転手は柳町アイスアリーナの、ゴールポストの真後ろに陣取って、乙川は釧路工業高校を、運転手は釧路江南高校を、声を枯らして応援した。
釧路江南高校のゴールキーパーがどうやら、運転手の息子のようだ。応援の声が一段と高くなって、ゴジラの悲鳴のようだ。乙川も名前も知らない釧路工業高校の選手を運転手以上の迫力で応援した。
第一ピリオドが終わったとき、スコアは0対0だった。ゴールキーパーの息子が、ゼロに抑えたことで、運転手は満足したようだ。「お客さん羽田行きの時間が迫ってますから、そろそろ行きますか」と言って、再びタクシーは釧路空港に向かって走りだした。
タクシーが新釧路川の鳥取橋に差し掛かったとき、左前方に十条製紙の白い煙が見えてきた。翔馬はここに入りたかったのに、それを潰したのはこの俺だ。許してくれ。と、涙が止まらなくなった。
すると、白い霧が立ち込めて、十条製紙の白い煙を包み込み、一寸先も見えなくなった。
「お客さん、この霧じゃ、JALは欠航かも知れませんね、ラジオをかけますね」と言って、運転手がスイッチを押すと丁度、北海道放送釧路放送局の交通情報の時間だった。
「濃霧のため出発を見合わせていたJAL350便は欠航となりました………」
「お客さんやっぱり欠航ですね、どうします」
「仕方ないですね、オーシャンホテルに戻って下さい」
「でもお客さん、オーシャンホテルは今日の分は予約してないんでしょ。大丈夫ですか」
「大丈夫です、空いてなければどこか他のホテルを紹介してもらいます」と言って、オーシャンホテルに着くと「運転手さんここでちょっと待っててくれませんか。フロントに行って、聞いてきますから」と言うと「お客さん、ほんとに悪いんだけど、帰庫時間になっちゃって、決まった時間までに帰らないと所長がうるさいんですよ」と言った。
「いやあ、こんな時間まで付き合わせちゃって悪かったね、じゃあ、これで間に合いますか」と、運転手に5万円渡し「つりは取っておいて下さい」と言って運転手と別れた。
乙川がフロントに聞いてみると、運転手が心配した通リ、今日は満室であった。
その替わり、南大通リの宝屋と言う旅館を紹介された。
ホテルの前にはさっきのタクシーとは違う、港交通というタクシーが止まっていた。
「運転手さん南大通リの宝屋旅館までお願いします」と言って港交通のタクシーは、南大通リに向かって走りだした。
☆☆☆
翔馬と凛々子のキャデラックは新釧路川を渡って、鳥取大通リを走っていた。
「ここは翔馬が住んでいた家の近くね。覚えてる?新富士駅からここまで歩いてきたのを」
「覚えてるよ、あの日凛々子は俺のユニホームの名前のことを聞いたね」
「そうね、それと翔馬は私に十条製紙アイスホッケーチームの優勝記念テレカをくれたのよ、ほらまだ持ってるわ」凛々子は財布にしまっていたテレカを取り出した。
「このテレカをお守りにしてたから、辛いことも乗り越えれたわ」と4年間の出来事が走馬灯のように思いだされた。
そのとき、二人の思い出をかき消すように白い霧が立ち込めて、一寸先も見えなくなった。
「大丈夫かしら、この霧でJALは飛ぶのかしら」
「そうだね、この霧じゃ欠航かもね、ちょっとラジオのスイッチを入れてくれない」
凛々子がラジオのスイッチを押すと丁度、北海道放送釧路放送局の交通情報の時間だった。
「濃霧のため出発を見合せていたJAL350便は欠航となりました……」
「やっぱりダメか、どうしようかな」
「きっとお父さんも引き返えしたと思うから、私たちも戻りましょうよ」
「じゃあ、親父はオーシャンホテルに行ったと思うから、俺たちも行ってみようか」
「待って、公衆電話があったら止めてくれない、オーシャンホテルに聞いてみるわ」と言って凛々子がオーシャンホテルに電話を掛けると、ホテルのフロントマンが、「生憎当館が満室でしたので乙川様には南大通リの宝屋旅館を紹介させていただきました。それと、乙川様は港交通の黄色いタクシーにお乗りになりました」
「翔馬、お父さんが乗った港交通の黄色いタクシーは、南大通リの宝屋旅館に行ったわ、私たちも行きましょうよ」と言って、二人は南大通リに向かって走り出した。
☆☆☆
乙川が乗ったタクシーが幣舞橋に近づいたころ、末広町にネオンが灯る時間となっっていた。
霧に浮かぶ幣舞橋から見る末広町のネオンは世界三大夜景の一つと言われている。
「運転手さん悪いけど、この景色をじっくり眺めたいので、ちょっと車を止めてくれませんか」
「お客さん、霧で足元が見えにくいから気を付けて下さいね、よろけたとこに車が来たらお陀仏ですからね」と言われ、乙川は幣舞橋の真ん中に向かって歩いて行った。
「凛々子、黄色いタクシーが止まってるよ、あれが港交通のタクシーじゃないかな」
「霧でよく見えないわ、もう少し行ったら分ると思うけど」
「凛々子、見えたよ港交通の黄色いタクシーだよ」
「ほんとだ。ちょっと見て、橋の真ん中に向かって歩いてる人がいるわ、あの人がお父さんじゃない」
「そうかも知れないね、俺たちも降りて走ろうよ」と言って車を降りた時、
「キキィーッ」というタイヤの悲鳴のあと「ドスン」と、鈍い音がした。
倒れた乙川の目には、霧の中に瞬くネオンの灯がはっかり見えた。だがその灯は少しづつかすんでいき、そして瞬きを止めて、霧の中に消えていった。
ネオンの瞬きは霧の中に shinmi-kanna @shinmi-kanna
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