見上げれば降るかもしれない

新巻へもん

ツイていない男

「ありがとっ!」

 エクスクラメーションマークが目で見えるほどの感謝の声。

 銀座の路面店でプレゼントを買ってあげたサーヤちゃんは俺の腕にすがりつく。

 コート越しでもはっきりと分かる柔らかな感触が肘の触覚に刺激を伝えた。

 給料数ヶ月分の支払いをした甲斐があったというものだ。


「それじゃ、次はニシトさんのプレゼントを見に行こっか」

「そんな無理をしなくてもいいよ。まだ学生なんだし」

「でも、私がプレゼントしてあげたいの」

 俺の顔を覗き込むようにしてニコリと笑う。

 心臓の鼓動が早くなる。

 俺はニヤニヤと顔が笑み崩れるのに苦心した。

 ああ、これで救われる。

 思えば今年は最悪だった。


 二月には俺の推しだったアイドルがいけ好かない動画配信者と交際しているのが発覚する。

 しかも、お腹にはそいつの赤ちゃんがいるという嬉しくないおまけつき。

 さらに悪いことに動画配信者は妻帯者だった。

 ぐだぐだのうちに俺の推しは芸能活動から引退する。


 ぽっかりと心に穴の空いた俺は、四月に入社してきた新人に心を奪われた。

 若いのに気配りが素晴らしく愛想よく振る舞う河合さんはすぐに社内の男どもの人気者になる。

 事件は八月の夜に起きた。


 もうすぐ日付も変わろうかという時間にも関わらず、まだ日中の暑さが残っている。

 その日は、珍しく大学時代の友人と渋谷で飲んで帰る途中だった。

 派手な外観の建物に入っていく二人連れに思わず俺は立ち止まる。

 女性は河合さんで、その肩を抱いているのは社長だった。


 俺が一番最後まで知らなかっただけで、河合さんが社長の愛人というのは社内でみんな知っていたことを翌日同僚に教えられる。

 ショックでしばらく立ち直れなかった。

 そんな数々の不幸を乗り越えておれはマッチングアプリでサーヤちゃんと知り合う。


 その幸せを噛みしめながら、人通りの多い中央通りを二人で歩いた。

「ごめん。ちょっとお化粧直してきていいかな?」

 デパートの入口でサーヤちゃんが聞いてくる。

「ここで待っていてね」

 ブランドのロゴの入った紙袋を手に人混みの中に消えていった。


 この後のプランをおさらいする。

 予約してあるフレンチレストランで食事をして夜景を見てから……。

 幸せな妄想をしつつ時間を潰した。

 時計を見ると五分待っているのにサーヤちゃんは戻ってこない。

 女性用の化粧室が混んでいるのかな。


 さらに五分待った。

 これは何かあったと思ってスマホでメッセージを送る。

 既読にならない。

 思い切って電話をしてみた。

 やはり反応が無い。

 一時間待ち続けたがサーヤちゃんは戻ってこなかった。


 その頃には俺も理解する。

 二十四日は予定があると断ってきたことと合わせて考えれば答えは明らかだった。

 二度あることは三度ある。

 やはり俺の恋は実らないらしい。

 衝撃のあまり怒りも湧いてこなかった。


 デパートのエントランスで立ちつくす俺を皆邪魔そうに避けて通り過ぎていく。

 外に出ると顔に冷たいものが当たった。

 チラチラと白いものが落ちてくる。

 東京で十二月に雪が降るなんて珍しい。

 子供の頃は天気予報で雪と聞くと大興奮だった。

 今か今かと空を見上げて最初に冷たいものが顔に触れるとテンションマックスに。

 しかし、今では前世紀のヒットナンバーと同様に失恋の象徴でしかなかった。


 翌朝、重い足を引きずり出勤する。

 社長と河合さんがお休みということを知ってますます落ち込んだ。

 クリスマスイブをずっと二人で過ごすのだろう。

 それなのに可哀想な俺は淋しく外回りに出なければならない。

 

 会社の入っているビルを出た途端に寒風が俺の首をすくませた。

 思わずブルリと身震いする。

 体も寒いが懐の寒さは北極圏のようであった。

 社用車を停めてある駐車場まで歩く。


 クソ寒い。

 そんな余裕はなかったが自販機で缶コーヒーを買った。

 プルタブを引き開け、暖かい液体を口に含む。

 中層のビルに囲まれた狭い東京の空を見上げた。

 今日は気温が低いものの空は晴れている。


 上空に薄く白い雲がたなびいていた。

 アニメの中の少年のように美少女が空から落ちてこねえかな。

 車に歩み寄りコートのポケットからキーを取り出した。

 ガシャーン。


 ガラスが割れる音が響くと同時にダンッと車の上に何かが落ちてくる。

 顔の下半分をマスクで隠したスーツ姿の女はどさりと地面に飛び降り顔をしかめた。

 目ん玉を落っことしそうになっている俺に拳銃をつきつける。


「車を出して! 早く!」

 こんなときに思うのもおかしいが実に耳に心地よい声だった。

 マスクの上の目を見つめる。

 目がマジだ。

「撃たないでくれ。キーはほらここに」

「脚を怪我しているの。あなたが運転して」


 パン。

 乾いた音がして足元のアスファルトで何かが弾けた。

 音源を探して見上げると割れた窓から腕をつきだしている人影が見える。

 ここから先、どうして自分があんな行動をしたのか、機敏に動けたのかは今でも不明だ。


 ひょっとすると、性質の悪い女に引っかかって自棄を起こしていたからかもしれない。

 鍵を開けて車に乗り込み、キーを回した。

 女は後部座席の扉を開けて座席に身を投げる。


 俺はシフトレバーをドライブに合わせるとアクセルを踏んだ。

 隣のビルからわらわらと人相の良くない男たちが駆けてくる。

 それを避けるようにハンドルを切って道路に出た。

 後部座席のガラスが異音を発して割れる。

 うげえっ。


 アクセルをべた踏みにして急加速させた。

 バックミラーに見える男達の姿がみるみるうちに遠ざかる。

 後部座席でベルトを引き抜いて太ももにきつく巻き付けている女に問いかけた。

「どこへ向かえばいい?」


 女がマスクの下で笑った気配を感じる。

「意外と落ち着いているのね」

 それから都外の住所を告げた。

 俺は車を大通りに入れながら肩をすくめる。

「いや、めっちゃドキドキしてる。心臓が飛び出しそうだ。頼むから撃たないでくれ」


 女は拳銃をいじると筒先を下げた。

「無事に送り届けてくれたら、きちんとお礼はするわ」

「一つ頼みがある。マスクをちょっと外してくれないか?」

「どうして?」

「俺のやる気に大きく影響する」


 女は声を出して笑う。

「私はどうやらラッキーだったみたいね。東京にこんなタクシーサービスがあるなんて知らなかったわ」

 マスクに指をかけて下にずらす。

 バックミラー越しにご尊顔を拝した俺は俄然やる気が湧きだすのを感じていた。



-終-

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