第63話 部下も自分の競争相手の一人となり得るアメリカ

 アメリカは日本より競争が激しい社会だと言われている。


 確かにその傾向は、職場でよく目撃される。


 パフォーマンスによって昇進して行くから、あまり自分の部下が優秀になってしまうと、部下が上司を抜いて、上司の座を乗っ取ってしまうことも多々あるため、油断ができないという苦しい状況があるのだ。個人主義、能力主義の国、アメリカでは、どうしても自分の座を守ることがメインになってしまうのだろう。


 真奈の日本文化レッスンではこのことに関してもアメリカ人社員に質問してみた。


「もし、あなたの上司が自分の父親のような存在であるかと聞かれたら、なんと答えますか?」


 またしても、せせら笑いが聞こえた。

「NO WAY, JOSE! まさか!(冗談じゃない!あり得ない!)」と、リズムを付けた返事が返ってきた。その後に、上司が父親という感覚など全くないと強く否定してきた。


 そこで、真奈は更にそれをプッシュした。上司をファーストネームで呼ぶアメリカ。答えは明らかだったが一応次の質問も加えてみた。


「日本では上司を自分の結婚式に主賓として招待することがよくあるのですが、あなたは自分の上司を結婚式に招待するつもりはありますか?」


「アー、ハッハ!」と、もうここまで来ると大笑いになった。


 その後には、

「プライベートな席に上司が現れて仕事の話をするなんてのはお断りだね」と片付ける。


 言葉を失っている真奈を見て、彼らもちょっと思い直してくれた。


「まぁ、普通と違ったクールな上司がいて、その人が上司であるだけではなく、友人にもなった場合は別ですが、そういう場合は、その人が友人だから招待するだけで、その人が上司であることはプライベートには関係がないので、あまり表に出さないようにするでしょう。」という返事だった。


そして、

「上司自身も、上司としてより友人として紹介されることをむしろ喜ぶだろう」との更なる説明に、真奈は日本の場合を思いやった。


 日本の結婚式に上司を招待して、その上司を友人としてだけ紹介して、その人が自分の上司でもあることを全然表に出さなかったらどうだろう?


 もしかしたら、日本の上司は気を悪くして、最悪の場合は、帰ってしまうのではないだろうか?もちろん、例外もあるだろうが、これほど日米では上司と部下の関係にも大きな違いがあるのだった。 


To be continued...

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