第50話 ジュディちゃんはアメリカ人かえ?

 真奈の子供のジュディが4歳で大阪の幼稚園に通っていた時、真奈は日米の混血である彼女を日本とアメリカのどちらの国で育てるべきかと考えてみたことがあった。


 日本の幼稚園では、100%日本人の子供たちから、

「ジュディちゃんはアメリカ人かえ?」と言う質問が出始めていた。名前がアメリカ名だっただけに、これは無邪気な質問であることは分かっていたが、良い意味でも悪い意味でも、特殊扱いを受けるのは良くないと判断した。


 それにしても、大阪の子供たちがジュディに、「ジュディちゃんはアメリカ人かえ?」と聞いた時のジュディの返事が愉快だった。


「ううん、日本人やで。アメリカ人はママとパパだけや。」


  どうしてママまでアメリカ人になってしまったのかは分からないが、周りに合わせようとする子供らしい返答だった。


日本で生まれたにも拘らずアメリカ名を付けたのは、後にアメリカで育つ時に周りに順応し易いようにと真奈のアメリカの母が強く念願したからだった。


アメリカの学校に戻ってみると、半分メキシコ人とか、半分フィリピン人などの混血の子もたくさんいて、半分日本人の子供など少しも珍しくはなかった。


 結局、普通の子供の一人として育てることを重視して、「人種のるつぼ」である国、アメリカを選んだわけだった。その結果、全く普通にアメリカ人として育ったことは確かだった。


 特別に日本人と見られることはあまりなかったが、後にティーンになったジュディが、突然、

「ママ、私はアメリカ人?それとも、日本人?」と聞いてきたことがあった。


「ジュディは半分日本人だから国際人だね!すごいよ!」と言うと満足して、嬉しそうに微笑んでいた。


 そのせいか、アメリカにおいてアイデンティティー問題に悩むこともなく順応した生活をしてくれて、友達も豊富に持っていることは嬉しいことであった。


 幸い、彼女の友達たちは、ジュディのママが日本人であることもクール(カッコイイ)なことだと思ってくれたようだった。


 ただ、時折思うのは、日本の伝統の一部だった恩とか義理とかそういったことを日本で教えられて育っていたら、どうだっただろうかということである。


 皆が皆ジュディのようにラッキーだったわけではない。アメリカの学校の歴史の授業中に、日本軍による真珠湾攻撃の話を先生がした途端に、皆の目が日米混血の子に向けられて、可哀想な子供たちは家に帰って泣いていたという話は何人かの日本人の友人から聞いた。そういう話を聞く度に胸が痛む。真珠湾攻撃の真実が、これまで人々が一般に信じて来たことと異なっているということまで言われるようになった今日、一体何を信じれば良いのだろうか?


 また、アメリカで生まれて国籍もアメリカだから、自分はアメリカ人以外の何者でもないと信じていた日本人の青年がいた。ところが、周りはそう見ていなかったようだ。両親が両方共日本人であるために、見た目は完全なる日本人である。だから、周りは彼をいつもアメリカ人ではなく、アジア人として見ていたらしい。その青年はアイデンティティーの問題で何年も苦しんで、ずっとカウンセリングを受けていた。


 ある時、その青年が運転をしていて後ろから車をぶつけられて、彼の怒りが頂点に達した。彼は車から出て、車をぶつけて来た女性に怒りをぶちまけた。同じように車から出て来ていた彼女のお腹に車のドアを何回もぶつけた。その彼女が妊婦だったために、彼は大きなトラブルに直面することになった。


To be continued...

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