第44話 ジャパン・バッシング

 真奈の意に反して、アメリカは1990年代に入ると、何があっても悪いことは全て日本人のせいにするいわゆるジャパン・バッシングの時代へと突入してしまっていた。


 ニューヨーク・タイムズの社説にも、「すべて日本人のせい?」と茶化した詩が載ったほどだった。

「電話が壊れて使えず、屋根の漏れが広がって、ペイチェックのお金でその週が越せそうになくなって、赤ん坊がコリックにかかって、犬が蚤だらけになったら、ワシントンに文句を言うんじゃない。ただ日本人のせいにすればいい」と続く。


 太平洋戦争中ほどではなかったにしろ、日本人でいることが時と場合によっては危険であるような状況がアメリカで再び始まっていたのだった。それは、紛れもなくこの国でも日本車がよく売れ始めたことが原因だった。


 デトロイトはカーメーカーが集中していた街だったため、

「アメ車を買って地元をサポートしよう!」というのが流行り言葉となり始めていた。


 デトロイトのダウンタウンでは、ビンセント・チンという中国人が日本人と間違えられて、日本車のお陰で仕事を失ったと怒っていた米人労働者に殴り殺された。


 郊外の街でも、道路上で目に入る日本車という日本車の全てを目掛けて銃を撃ってくるような狂った人まで出てきた。その事件は、真奈がアートスクールに行くために通っていた道路で起きたため、日本車を運転し、しかも日本人の顔をしていた彼女は当然のことながら生きた心地がしなかった。常に左右を意識しながらの運転が続いた。日本人であることを恥じていたわけでもなんでもないのに、ただ我が身を守るという必死の防御策だけを目的として、天気の良くない日でも常にサングラスをかける習慣まで身に付いてしまっていた。

 

 真奈が日本からの客を近くのゴルフ場に連れて行こうと予約電話を入れた時には、

「日本人のグループがゴルフをしたいと言っているのですが・・・」と切り出すと、電話口の向こうから、

「我々は今でもパールハーバーを忘れてはいないぞ!」と怒鳴る声がから聞こえてきて、慌てて電話を切ったこともあった。


 真奈が大通りを運転していると、ただまっすぐ行っているだけなのに、クラクションを鳴らされる。

「なぜ?」と振り向くと、クラクションを鳴らしている米人の口が

“Buy American”と唱えているのが分かった。

“I‘m Japanese!”とやり返したいところだったが、そんなことをして撃ち殺されては元も子もない、


 そうやって、真奈も直接のターゲットとなり始めた。

 

 真奈のオフィスに真奈宛で実際にヘイト・メールが入ったのだ。

 「Go to hell, Japs!(ジャップよ、地獄へ落ちろ!)」と書かれており、手紙の終わりにはKKK(白人至上主義団体)とサインされていた。誰かの悪戯で、本当にKKKから届いたわけではなかっただろうが・・・。


 そのように、日本人であるがゆえに身の危険を感じるようなことが次々と起きた。日本の自動車産業の人々を助ける仕事をしていたのだから、憎まれるのが当然と言えば当然だったのかもしれないが・・・。

 

呑気な真奈もさずがに恐怖を感じ始めていた。


To be continued...

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