第27話 手詰まり
……困った事になった。
昨日の昼過ぎ頃から今日の夕方まで、二手に分かれて行った聞き込みは結果として大きく行き詰っていた。
往来の非常に多い大通りとそこにある露店を初め、同区画にある酒場、訓練施設に娯楽施設をシャルと共に聞き回ったものの集まった情報は極小。
しかも集まった情報はてんでバラバラで要領を得ない。
山に居たり森で見たり既に海で溺れて死んでいたりなどなどなどなど……。とっかかりが少ないだけならまだしもあんまりにも滅茶苦茶過ぎて関連付けようにも付けられない状態だ。
おまけに困った事にそれまで普通に話せていたはずの相手に獣人界の巫女の容姿を出して尋ねたら途端に態度を一変。殴られるまではいかずともそのくらいの拒絶を受ける始末。
常に自動で発動している翻訳魔法が解けて粗相を働いたのかとも思ったが、影響下にあるシャルが他で話を聞いている時には何の不便も起きていないし、その逆もまた同様であるために考えられない。
場所が変れば違うのかと思い、当初予定していた昼過ぎの集合の際にフィルオーヌとファズと話したもののやはり似たような状況で実りのある時間とは到底言えなかった。
そんな態度を総合するにここの巫女は相当恨みを買っているって事なんだろうが肝心の恨みの理由は分からず仕舞いだし、理由を聞いたところで嫌な顔をされるか追い払われるかのどちらかだから聞く事自体正しくないと判断するしか無くなったしではっきり言って手詰まり状態になっている。
「……どうしよっか」
「……どうしような」
念のためにと一旦返していた二本の戦斧を再び受け取りつつシャルと共にため息を吐く。
いや、お互いどうすればいいのかは分かってはいる。
分かってはいるが、やはり死闘祭に出るのは腰が重いし、シャルとしても勧めるのが嫌なんだ。
「……とりあえずもう一回合流しよっか、フィルオーヌさんとファズちゃんの話も聞いてみよう?」
「だな。進展があればいいんだが」
情報自体は得られているせいで『どれかは正しいかも』という思いが拭いきれず聞き込みの時間を延長までしたのに……。かなり困った。
せめてフィルオーヌ達と話す事で信憑性のある仮説が一つでも出来上がればいいが……。
「……噂をすればか。そこにいるな」
二人して肩を落として歩き出して少し。フィルオーヌとファズを見つける。
向こうも俺達に気が付いたようでこちらに向かって歩き出してくれた。
「フィルオーヌさん達はどうだった?何か……」
間近まで迫り、足を止めたシャルは藁にも縋るつもりで尋ねるが彼女達の表情は暗い。
……あまり察したくはないが収穫は無かったのだろう。
「駄目ね。やっぱり情報は集まらないわ」
「それどころかいろんなところで死んでるって話よ。日にちも時間帯もバラバラ。実は死んでいなかったって事で無理に繋げようと思えばできなくは無いけど、成立させるにはとんでもない移動魔法の持ち主じゃないと無理って状態ね。百キロを十秒かからずに移動できる、みたいな」
口を開いた瞬間に更に表情が陰るフィルオーヌと、いっそ清々しくも感じる様子で話すファズ。
ところ変われば、なんてのは甘い考えだった事を痛感する。どこでやっても恐らく同じなんだろうと考えを改めるしかない。
「はぁ…やっぱりそっちも駄目か。俺達も変わらず役に立ちそうな情報は無い。無理矢理なら繋げられる話を聞けてるそっちが羨ましくなるくらいだ」
「ね…。酷いと『土の中に暮らしてる』くらい突拍子の無い事言われたもんね…」
立ち尽くして行う情報交換は察した通り芳しくなく、いよいよもって暗礁。
幾らシロウトの聞き込みとは言えこれではまるで話にならない。
……そうなってくると、取れる手段は一つだけになってしまう。
「やっぱりあんたが出るしかないんじゃない?ねぇ、リューン」
「まぁ、そうだよなぁ…」
死闘祭への参加ーー。
最終手段でありながら最大の手段だと分かってはいてもやはり気が引ける。
「認めたくはないけれど…それしかないかしらね」
「うん……あんまり出て欲しくないけど」
ファズが発した途端に暗々とした空気が呼び込まれる。
ファズ自身それを感じているのか普段とは違い少しばかり申し訳なさそうな口調で続けた。
「見学してから考えるって手段もあるにはあるけど、あんた的にどうなの?」
「無駄……とまでは言わないが、まどろっこしいとは思うな。見学して出ないと決めたとしても結局は聞き込みをするしかない以上、時間を無駄にしていると言えなくもないし」
「出るなら出るで早い方が勝利した後の要件を受け容れてもらいやすくなる、かもって話よね?」
「それね、実際聞き込みの時についでに聞いたら『いい顔はされねぇだろーね。条件とか付くんじゃねーかしら?』って言われたわよ。最初のあんたの懸念が当たってる可能性は充分あるわ」
「そんなぁ…。運営側が決めた規則なのに……」
欲しい情報は無いくせに無くていい情報はある……。
となるといよいよ聞き込みは無駄かもしれない。
少なくとも、[獣人界の巫女以外についての情報なら話す気はある]と分かってしまったからだ。
単に[よそ者だと気が付かれたから情報は与えない]、なら手段はあるだろうが、[気付いていない]または[気付いていても気にしていない]状態での返答だとするなら打てる手は強硬手段しかなくなる。しかしそれは最後の最後まで絶対にしたくない。
……見ないようにしてきたがここまでつきつけられれば認めるしかないか。
獣人達は意図的に嘘を吐いている、と。
「…これがギンの言っていた『聞いても無駄』という意味の真意かしらね」
「ああ。[知らない]ではなく[教える気はない]って事だ」
「薄々気付いてはいたけどね。こうも露骨だと笑えてくるわよ」
「笑えないよ、こっちは困ってるんだもん…」
「……まぁ、そーだけど」
「「「「はぁ……」」」」
ため息が四つ重なる。
聞き込みでは完全に手詰まりだ。
しかし、どれだけ広いのかも分からない獣人界を徒歩で回って虱潰しというわけにもいかない。
まずもって、死闘祭が終わる残り六日間で世界一周が終わるわけも無い。
そうなれば後は一つだ。
「…………仕方ない。出るか、死闘祭に」
当初予定していた時間を大幅に増やしても情報がまともに得られないとなれば、曲がりなりにも【なんでも】と銘打たれている商品につられて赴くしかないだろう。
「気は進まないけれど……、そうするしかないわね」
「やる事やっての~だから仕方ないんじゃない?あんたがそうそうやられるとも思えないし、だいじょぶでしょ」
「まぁ、所詮は見世物の場所だしな。本物の戦場に比べれば幾分楽なのは間違いないか」
「……そうだけど」
フィルオーヌ、ファズと続けて出た渋々の納得を横目にまだ少しだけ抵抗を示すシャル。
……実際俺は今、彼女が科した機生界での戦いの罰を受けている状態だ。そういう意味では賛同するのはまだ難しいんだろう。
「……今度は怪我、しないよね?」
少しだけ怯えたような表情で問われ、一瞬喉奥が締まる。
…忘れていた。シャルがあの状態の俺を触っていた事を。骨折どころでは済まなかったあの身体を。
「…努力はするけど約束はできない。けど、あんなに酷い事には絶対にならないはずだな」
「…………そう」
短いのに長い沈黙から一言だけが発せられた。
…胸の奥が窮屈になる。直ぐにでも『脚を使おう』と言いたくなる。
だけど、そんな時間は無い。今日の残りを使って悩む時間すら惜しい。
剣魔界を出てどれだけ経った。一週間?二週間か?その上で更にここで五日。それもグズグズしていたらもっとかかるかも知れないと分かってしまった。
もしここで六日以上足止めを喰らって手遅れにでもなれば、俺は当初の目的で今も最も重要な事の一つである【恩返しにシャルに平和な世界を】が守れなくなるかもしれない。その上同等に大事な【巫女の命】を無為にしてしまうかもしれない。
それだけはあってはならない。怪我がどうとかなんだとか言ってる場合じゃない。
だから。
「だから、分かってくれシャル。やらないとならないんだ」
「……………………うん。分かってる」
シャルの優しさに付け込む物言いだった。
それでも引き出さなければならない返事だった。
だから、この窮屈さは……感じるべきじゃない。
「じゃあ、私が持つから、斧。戦うならいつも通りじゃないと」
「……戦う直前に渡すよ。それまでは持たせてくれ」
「…うん」
そう言うとシャルは少しだけ笑ってくれた。
その顔を見ると、胸の奥の窮屈さが嘘のように晴れたが……。
こんな解放のされ方は所詮、思い込みでしかない。
「じゃあ、行こう」
沸き上がる自己嫌悪には気が付かないふりをしてみんなに声を掛ける。
向う先は万物獣処だ。
ーーーー
「珍しいね、今日から参加?」
多種多様な獣人族でごった返す万物獣処内一階の大広間。
死闘祭参加を示すため、大円の卓に等間隔で並んで座っている受付嬢の内の一人であるカピバラのような少女……いや、話し方的に女性?に手続きをお願いした。
「そうなんだ。いつから戦える?」
「好戦的でいいねぇ。安心していいよ、今夜からだ」
「そうか、助かる」
どうにも見た目と話し方、それと声質に差を感じる女性だが何も知らない俺ですら分かるくらいに仕事の手際がいい。
俺らで言う所の童顔とかなのだろうか。もしくは種族的な特性?
「ふふ。見ない顔だけど、初めて?規則とか聞いとく?」
手の動きはそのままに雑談のような雰囲気で話を振られる。
見世物なんだしおおよその見当は付くが聞いておいた方が良いだろう。
「…そうだな。禁止されてる事だけ教えてくれ」
「ん、りょーかい。と言っても、意図的に殺す事以外は何でもいいんだけどね。参ったって言うか気を失うかすれば試合は終わりだ。あーあと念のため言っとくと、観客に被害が出るような行為は絶対禁止。あくまで祭、見世物だからね。使用する素振りを見せた時点で権利の剥奪と、場合によっては以降の参加停止、最悪は追放ってとこか」
やはり思っていた通りの規則を告げられ内心ほっとする。
死闘祭なんて言うもんだから最悪は死ぬまでやらされるかもと予想してはいたがそんな事は無くて安心した。
「……確認、なんですけど」
一通り規則の説明を終えた受付嬢に対し、真後ろからシャルがおずおずと手を上げる。
「その、不慮の事故でそういった事が起きた場合は……」
「おかしな事を聞くおねーさんだね。不慮の事故は意図的ではないんだから黙認されてるに決まってるでしょーよ」
「ふ~ん、物騒なんだ」
シャルの不安に答えてくれた受付嬢に少しばかり嫌味な雰囲気を醸して会話に参加しようとするファズ。
当然受付嬢も彼女の語気から何かを感じ取ったようだが直ぐに飲み込んで説明を補足した。
「ま、安心しなって。ここ二百年は起きて無いからさ。それに起きる周期も大体決まってて、今だと五十年後くらいからが危ないかな?って感じだから気にしなくていいよ。意図的ってのはほぼ無いし、そもそもそんな弱い奴でてこないしさ」
少しだけ砕けた口調でそう付け足されると、ファズは更に何かを言おうと僅かばかり前のめりになる。
が、シャルがそれを止めるようにして割って入った。
「…ありがとう、ございます。それだけ聞ければ充分です。助かりました」
「あーいあいっと。ならついでに確認取るよ」
営業用と分かる笑みを浮かべた受付嬢はついでとばかりにシャル、ファズ、そしてフィルオーヌを見回す。
そして、俺の参加表明を記入した紙と同種の物を三枚取り出した。
「そちらのおねーさん方の参加は?団体戦は無いけど、願いが共通ならその分叶いやすくはなるよ」
少しだけ、挑発的な視線だった。
けどファズの態度が気に入らなかったからというわけではないのは瞳の奥で分かる。
一人でも多く参加して盛り上げてほしい……。そんな目の色だ。
「いえ、私達は結構です。今回は彼だけで」
が、フィルオーヌはきっぱりと断り、シャルとファズも次いで首を振った。
「はいはいっと。ま、身内同士で当たったらなんであれ悲惨だしね。そのほーがいい」
さっきの雰囲気を一切消し去り、出した紙を端に寄せると彼女はどこか残念そうに言った。
それだけの会話をしながらも必要な処理を進めていた彼女は一瞬受付の下に屈むと独特の法則性が読み取れる図…?が描かれた名札のような物を手にして再び顔を出す。
…名前は教えても書いても無いし、数字だろうか。中級の翻訳魔法だと文字の翻訳性能までは付いてないので分からない。
「じゃあこれが君の参加証明書ね。再発行できなくは無いけど、失くした理由と手元に戻せない理由が明確じゃないと無理だから。って言うか、基本的に不可能だから。対戦中に攻撃受けて破損した~みたいな誰もが観てたくらいの証拠がないと無理だから覚えといてな~~」
受付嬢的には最後の説明だったのか送り出すような雰囲気を出されながら告げられる。
しかし、俺には聞かなければならない事がまだあった。
「…じゃあ最後に一個だけ聞きたい」
「ん?」
「例えば、今夜の対戦の時に他の参加者もまとめて倒したりってのは許されてるのか?」
……途端に空気が変った。
ざわついていた大広間にいる全員の視線がーー殺気が、俺に集まる。
当然、受付嬢すらも。
「できる。そしてやった奴もいる。が、成功した奴は何千年と続く歴史の中でも数人しかいないよ」
僅かに声色の変わった彼女に答えを貰い安堵する。
とすればもう一つの問題だ。
「…そうか。その場合、開催終了日が前倒しされる可能性は?」
「大いにあるね。最短だと二日……いや、閉会を合わせると三日か?あんまりそいつが強過ぎて別日に予選行ってた奴らが軒並み逃げたんだ。当然雑魚集団の乱闘も無くなって、主催者達が翌日に終了を言い渡した。あれは堪んなかったね。今でも夜のお供にしてるよ」
………完璧だ。ここに来るまでに思いついた手段だったが可能だというのなら試さない手は無い。
俺がまとめて全員ぶっ倒し、その圧倒的な力を見せつけて全てを即終わらせる。それだけで良い。
しかし、最後の部分が気になる。
彼女が受付として長いのかは定かではないが、今の口振りだと十年も前の話ではないように感じる。
「そいつ、今回も居るのか?」
最短で死闘祭を終わらせた獣人の存在ーー。それがまだいるというのなら間違いなく最大の難関になる。
「いるよ。何なら初日に参加表明してたね。ま、それ以降普通に参加してるけどね。怒られでもしたんじゃない?主催者達にさ」
どこかおかしそうに微笑みながら答える受付嬢とは逆に俺の脳裏に面倒な予感が走る。
そしてその予感を確かめるため、名を尋ねた。
「……名前、聞いてもいいか?」
誇るような、興奮するような視線が届く。
その直ぐ後に面倒な予感の正体をこれでもかと理解する羽目になる。
「ギン」
「……野郎」
「なんだ。あんたもうあいつに目ェつけられてたのか」
「ああ。ここ着いて直ぐにな」
「ははっ、手が早い早い」
受付嬢は一層楽しげに笑った。
だがこっちにしてみれば盛大に踊らされた事になる。
とんでもない侮辱だ。舐めやがって。
あいつは鼻っから負ける事なんか想定していなかったんだ。
「教えとくと、ギンはここ十年の覇者。優勝目指すんならあんたも気を付けなよ。少なくとも、そこらで殺気飛ばしてる奴らを十人二十人まとめて相手取ったってギンのが強いだろうからさ」
挙句あいつは覇者ときた。道理で褒賞に興味がないわけだ。
既に満足いくまで貰ってるって事なんだろうからな。
「分かった。助かったよ。…遅くなったけど、君の名前は?」
受付時の目的だった全てを終え、無礼ながらも今更名を尋ねる。
それを彼女は不快に思った様子も無く、営業用の笑み……とは少し違う柔らかさを浮かべた表情で応えてくれた。
「カピーノ。本当は勝ち残った時に聞くんだけど、面白そうだから今聞いとこうか。あんたらの名前」
「リューン」
「あ、あんたらって事は私達もだよね…?えっと、シャルです」
「フィルオーヌ」
「ファズよ」
「そ。じゃ、楽しみにしてるよ」
名乗りに満足した受付嬢ーーカピーノは片肘突いた左手を広げてひらひらと振る。
そんな彼女に……どんな対応が正しいのか分からず、とりあえず感謝を乗せた目配せだけをして出口へと向かった。
途端だ。
「っと、おいおい待てよ」
殺気を向けてきていた一人が俺の肩に手を置いた。
「そらないだろ新人。あんなデカい口叩いといて流石に直ぐ帰るは無理だろうよ」
鱗の発達した巨躯を持つ大口のそいつはワニ男っぽい見た目の獣人。
その外見の通り、置いてあるだけのはずの手からかなりの力量を感じる。
「ちょ、ちょっと!なにするんで…!」
「いいよシャル。間違った事は言って無いし」
「けど…!」
「なんだ?えらく物分かりがいいな」
「言った言葉に責任持つってだけだ。おかしな話じゃないだろ」
間に割って入ろうとしてくれたシャルを制止してワニ男を睨みつける。
自分に発端があるとは言えなんて言うか典型的だな。本当にこんな事起きるんだ。
「じゃ、俺も責任持って説明してやるよ。まずはここで零次審査だ。どんだけ強いか参加者の俺が確認してやる」
かと思えばワニ男も結構律儀だし。この手の事してくる割りにはどーなんだ?その対応。
……なんか引っかかるな。
「んだそれ。今夜まとめて相手してやるからいいだろ。そういうつもりだし」
「…リューンはなんでわざわざ挑発するのかしらね……」
「馬鹿だからじゃないのー?」
とは言えこれは恐らく新人いびりか何かなのは間違いないし、やられたらやり返せばいいか。
「いいね、ますます生意気だ。気に入ったぜ」
ワニ男は大きく切り開かれた口を開けて笑うと、置かれていた手に力が籠められる。
痛い。が、図体の割には痛くない。少なくとも身体の強化はまるで不要だ。
「じゃ、まずはあいさつ代わりに……!」
身体が引き寄せられると同時、頭部目掛けて拳が飛んでくる。
速度は速く、恐らく重い。けど、やはり強化するまでも無く、避けるほどでもなさそうだ。
…なんて考えているうちに拳が届いた。
「…避けねぇのか?」
頭蓋を走り抜ける微かな揺れ。こめかみ辺りからなんとなく温かい筋が垂れていくが、思った通りそれほど痛くは無かった。
……と言うより、寧ろ力抜いてないか?このワニ。
「おい、絡んできてそれか?狙うなら顎だろ。それとも自分の口が薄過ぎて分かんねぇか?口ぺったん」
「…あぁ?」
「そーだぞーー。ちゃんとやれー」
ファズの雑な煽りを尻目に一際強く肩が握りしめられる。今度は強化しないと耐えられないと一瞬で理解できた。
なんだ、やればできるじゃないか。
「あ、今度はちょっとまずそー?」
「…ファズちゃん、後でお説教だからね」
「えー」
再び振りかぶられた拳が持つ威圧感が明らかにさっきまでとは違う。どういう理由かは知らないが手を抜いていたのは間違いなさそうだ。
「小手調べのつもりだったが止めだ。覚悟しやがれ猿野郎」
「んだよ、直球ど真ん中だったか?ワニ君」
「殺す」
ワニ男がそう言うと同時、先ほどまでとはまるで違う雰囲気が漂う。
殺意……ほどではないが、向こう一週間は起き上がれないようにしてやるというような迫力があった。
それなら、だ。
「あ、ちょっと待てワニ男」
「あぁ!?今更謝るってのか!?」
「んなわけあるか。さっき発言に責任取るって言ったばっかりだろが。カピーノに確認だよ確認」
「……早くしろ」
「じゃあ口挟むなよ。おーいカピーノ!」
半ばキレ気味のワニ男に断りを入れてカピーノの居る受付に顔を向ける。
てか、やっぱりこのワニ男は本当はいい奴なのか?普通許可しないだろ。怒りの鮮度落ちるのに。
「なーにー?」
どうやら成り行きを楽しげに見ていたらしいカピーノは楽しそうな声色で返事をくれる。
と言うか、少し冷静になって周りを見てみればシャル達以外の皆は楽しそうな顔をして見守っている。なんなら聞こえていなかっただけで野次を飛ばす連中もいた。
………つまり、エンタメ的にした方が良いって事か?
「ここでこいつぶちのめしても参加取り消しとかにはならないのかー?」
「て、てめっ…!」
「は、あっははは!うん、ならないよー。吹っ掛けて来たのはアゲーターだしねー!」
「あいよー」
敢えて強い言葉を使っての確認を終え、ワニ男に向き直る。
そこにあるのは憤怒の形相と、より力を籠められ数段跳ね上がった威力を持っていそうな腕。
そしてより大きくあがった周囲の野次だ。
「なら…、やれるもんならやってみろよ……!!」
いよいよ限界を超えたのだろう。声を掻き消すだけの轟音を鳴らしながら腕が振り下ろされる。
握られた拳は空気を押し退け、接近するほどに音が大きくなっていく。狙うは顎先だ。
……けれど、こんなモノでは何も感じなかった。
「…な」
顎に当たる数ミリ前に俺の拳をワニ男の拳に衝突させる。
同時に響く衝突音は烈波の如く高鳴り、周囲全員の野次を黙らせた。
「最初っからやれよ。格下だと思ったのか?見ず知らずの相手を、何の判断材料も無しに」
拮抗する拳を押し払う。
「うおっ…!?」
よろめくワニ男の足元を右足で掬い上げ転倒を誘う。
背後に倒れ込む後を追うようにして左手を握り、口先の真上に来るように振り落とす。
…口先で寸止めだが。
「……これでいいか?零次試験。なんかイキってるみたいで恥ずかしいからさっさと辞めたいんだけど」
幾らか伸縮自在なのか拳が降りた瞬間より少し縮まった口元がゆっくり開く。
「そっ……その発言がイキってると思うが……?」
「あ……」
そしてその口から出たのはぐぅの音も出ない正論なせいで気分は完全に敗者だった。
「ま、まぁ…その、ご、合格だ。今後同じ理由でお前に絡んでくる奴はいなくなるだろうよ」
「そうか。ならまぁ、恥をかいた甲斐はあったかな…?」
拳を解いて、ワニ男の手を取り立ち上がらせる。
彼の言った通り、さっきまで集まっていたはずの殺気は見る影も無く掻き消え、皆が本来の目的に戻っている様子だ。
「…悪かったな。俺の名はアゲーター。お前と同じで今日受け付けたんだが……、取り消すよ」
「は?あ、いや止める旨味は無いが、なんでだ?」
口の長さも元に戻り、口調もすっかり気のいいアニキのようになったワニ男ーーアゲーターは唐突にそんな事を言い出す。
俺には彼の意思を止める権利も理由も無いがいないと助かる理由はあるので考え直させるつもりはまるでない。しかし興味本位で思わず理由を尋ねてしまった。
「お前に言われた通りだと思ってな。何度か死闘祭で優勝した事があるんだが、いつからか慢心が身についててな。直ぐに分かった気になって見た目で判断するようになっちまった。お前が剣も斧も背負ってるのは自分を強く見せるための見せかけだと断定してたようにな。普通に考えて有り得ねぇし」
「え?あ、あー。まぁ、そうだよな。はは……」
アゲーターは自身の背を親指で何度か指す。
それでやっと今はシャルの斧を背負っていたのだと思い出し、同時に少し悪い事をしてしまったのかもと反省した。
「実はこれ、斧二本は俺のじゃなくて仲間のヤツなんだ」
「…なに?」
シャルに向けた視線に沿って斧の持ち主が誰なのか理解したアゲーターは彼女を二度見する。
「あ、あはは。そうなんですよね…」
「俺のはこの特大の剣だけ。まぁちょっとした理由で代わりに俺が持ってたってだけだから、アゲーターの判断が全部間違いってわけじゃない」
その後もう一度俺に顔を向けて、さっきよりも縮んだ口を見せてくれた。
「ぶ、武器を他者に預けるのか……?ありえるのか、そんな事」
「あー、まぁ、普通はしないな。今回は偶々だ。普段はシャル……彼女が二本とも背負ってる」
「そ、そうか…。いかなる理由かは知らないが、余程信頼されているんだな、お前」
「ま、付き合いはこの中じゃ一番長いからな。俺がしてるくらいにはしてくれてるんじゃないか?」
まっとう過ぎる意見に今更ながらちょっとした危機感が芽生える。
そうだよな。自分が一番安心できるはずの武器を他人に持たせるってある種の自殺行為だよな。
ーーか……返した方が良いのかな?
「心配してくれるのは嬉しいですけど、私は彼を信頼しているのでその辺りは大丈夫です」
「そうか…?ならまぁ、俺から言う事は何も無いが……」
「だから引き続きお願いね、リューン」
「お?おう。任せろ」
沸き上がった不安に答えを出す間もなくシャルがアゲーターに断言したため、今夜の参加まで斧は俺が運ぶ事に決まる。
元々そのつもりだったし構わないんだが、何かあっても直ぐ渡せるように極力シャルの傍にいた方が良いのかもという意識は生まれたが。
「さて、期待の新人も視れた事だし、俺は帰る。頑張れよ、十年ぶりの【狂雷】」
「きょうらい…?よく分からないがありがとう。頑張るよ」
謎の単語を残しながら人差し指と中指を立てたーー閉じ気味のピース?のようなハンドサインを見せたアゲーターは何処か上機嫌な様子で他の参加者の群れに消える。
最後の一言といい、何と言うかよく意味の分からない獣人だった。
「さっきのアゲーターって人はさ、毎度新人狩りをやってるモノ好きさ」
獣人の群れに消えた彼の後姿を少しだけ探していた俺の耳に届く聞き覚えのある獣人女性の声。
振り向けば、そこにはさっきまでの受付然とした服装とは別の衣類に身を包んだカピーノがいる。
「…仕事、良いのか?」
「休憩中」
パンツスーツというのか、寧ろ今の姿の方が正装なんじゃないかと思えてくる彼女はアゲーターの事を少しだけ教えてくれた。
「アゲーターは十年前までかなりの頻度で優勝してた実力者だった。けど、自分でも言ってたように慢心が身についててね、本当なら勝てたかもしれないギンにぼっこぼこされて以来、一線を引いたのさ」
上着の内胸から取り出した白い棒ーー煙草?のような物を口に加えたカピーノは先端を人差し指で触れて火を点けると一息吸い込む。
「それで新人狩りぃ?見下げた強者様じゃない」
「まさか。寧ろその逆。ギンが数百年ぶりに……しかも歴代最速で死闘祭を終わらせて以来ーー狂雷を達して以来、真似しようとする新人が増えてね。当然軒並み病院送り。酷いと生きてるけど二度と戦えなくなったりしてね。見かねた彼が新人狩りと称して若気の至りを未然に防ぐようにしてるのよ」
手の甲に白い棒を乗せて大きく白い息を吐きながら彼女は少し笑い、もう一度加える。
「それでリューンも同様に…って事ね」
「俺が感じた違和感はそれだったのか。最初の手を抜いた一発も、あのくらいを避けられないようじゃって」
「そーいう事。ちょっとした名物だから知らない参加者はいないんだけどね。あんたら、相当のもぐり?」
「あ、あはは。多分そうです…」
周囲に漂い出した白い煙の匂い。
快不快では言い表せない不思議な匂いのそれをカピーノは再び白い棒から吸い込んで食むように楽しむ。
「ま、何であれ楽しみだね。大抵の新人はアゲーターに絡まれただけで腰が引けてくるってのにあんたらときたら止めに入るやら挑発やら野次やら。初めてかもね、ここ十年じゃあんたらみたいに普段通り?って言うのかな?対応した奴らはさ」
半分ほど吸い終わった白い棒の先端をつまんで火を消すカピーノ。
彼女は指を鳴らし、魔力で創られた丸時計を一瞬だけ出現させると俺達に背を向けた。
「さ、休憩は終わり。次にあんたらが来る頃には私は上がってるけど、引継ぎの子に良くするよう言っとくから。私の面目潰さないように頑張んなさいよ~」
「色々教えてくれてありがとな。また会えればそのうち」
「あは、嫌いじゃないよ、そういう別れの言葉」
一度だけ振り返り俺達を一瞥したカピーノは関係者室に繋がっていそうな扉の方へと向かう。
その背をみんなで少しの間見送った後、宿泊施設を見つけるために万物獣処を後にした。
ーーそうして夜。
昼間なんて目じゃないくらい血の気の多そうな奴らが集まる万物獣処へと俺達は再び訪れた。
可能な限り素早く全てを終わらせるために。
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