第四章 獣人界編

第26話 数多の生命を育みし地


 陽の光は嫌いだ。私の醜い姿を照らし出すから。

暗い洞窟も嫌いだ。誰も私を受け入れてくれないと語り掛けてすらくれないから。

だから私は消えたい。存在が消えてしまえばこんな心に苛まれずに済むから。

けれど私にはそれも許されない。

私は、巫女だから。

【私】を迫害し続けた世界のために命を使わなければならないから。

だから私は、私が大嫌いだ。

決められた過去に逆らえもせずただその時を待ち続けるだけだから。

だからこうやって今も、眩し過ぎる陽の光を、青々とした空を、居たくも無い暗闇で待ち続けてる。

私の時でなければいいのにと思いながら。



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 [道]から出て二日。

原始的な風景が遥かに広がりながらも何処か文明的な発展を遂げたここはフィルオーヌ曰く獣人界。

数多の種族を内包し、それぞれの種族が一国以上を持つ世界。

種族を抜けば発展の方向性としては妖精界に近いが中身は驚くほど別モノだ。

幾つかの居住区を通って分かったのは何と言うか、妖精界よりも獣人界の方がより自然的で無骨で野蛮な感じの進化をしているという事。

妖精界にはフィルオーヌの住んでいた妖精城のように立派で品格を感じる建物があれば、エルフィム達が居住区としていた場所のように自然の洞窟を快適に造り変えた物もあった。しかし、俺達が見てきた獣人界では建造物はおろか人為的な立体物すら殆ど無かった。

最初に出会ったウサギのような耳と口元と体毛を持つ獣人の住処はうっそうと茂った高草の中。

彼女達は潜むように住んでいるらしく、付近に来ただけで高草の水面が遠くへとざわめいてしまった。それでも辛うじて会話できたウサギの獣人の女性からは『……ウーサ族です。余計な事はしないでください』とだけ言われ、彼女もまた直ぐに高草の中に消えてしまった。

次にそこから半日ほど歩いて辿り着いた森林地帯で行き当たったのは鳥類のような羽根を持った獣人達の住処だ。

両腕の手首から脇に掛けて鳥と同じ羽根、腰にはやはり鳥類のような尾を持つ彼らは『ト族』と言うらしく、ウーサ族の彼女とは違い比較的普通に会話が出来た。

こちらもやはり建物と呼べる物は無かったが、主に過ごしているという木の上には風雨を凌げる程度の設備があると言っていた。……視力の強化で実際に見たところ、設備とは名ばかりで、大きな葉で囲うようにし縄のような物で木々に固定しただけだったが。

『俺達ト族と、多分さっき見てきたんだろうウーサ族ってのは世界中に仲間がいるんだ。つっても、性格から何からまるで違う奴も多いから先にあった奴と同じつもりで会いに行くと痛い目に遭うがな』。

そう教えてくれた彼は楽しげに笑うと俺達の返事も待たずに木の上へと羽ばたいてしまった。

……この話と彼を繋げるなら、彼は種族の中でも気分屋とかに分類されるのかもしれない。

他にも、男は屈強な肉体を女は誰もが豊満な肉体を持った両角の生えた『ギュウ族』や、下腹部に大きなポケットの付いた衣服を着用した男女共に筋肉質な『カンガー族』、もふもふとした少し長い尾としなやかな身体を持つ『イタッチ族』などの獣人にも出会った。

だが、どの住処にもやはり建物らしい建物は無かった。

彼らと出会い、話す事で感じたのは[自然を最大限に利用して住んでいるだけでそもそも建築という考えが無い]という印象だ。

つまり彼ら彼女らにしてみれば適した自然こそが家で、わざわざ手間をかけて自然を損なってまで建造物を造る必要は無いって事なんだろう。

とは言え一切合切建築行為を行わないというわけでもなく、現在俺達は限界まで強化した視力で辛うじて確認できた大きな建物に向って歩いている途中だ。

その建物の周囲にちらほらと獣人が確認できたのを鑑みるに、所謂繁栄都市なのかもしれない。

この事とさっきまでの事を総合して考えると、恐らく獣人界に於いての建築は[暮らしをより快適にする]ではなく、[それぞれの種族に適合した場所を一カ所にまとめる]ためにあるんだろう。

だとすれば性質上多くが集まる都市部にそういった建築物があるのも頷ける。

 「にしても本当に不思議な世界だな、ここ。俺達にも人種って区分はあるが、ここまで見てきた獣人は全員人型ってところ以外被りもしてないなんて。どれだけの種類がいるんだ?」

今まで見てきた獣人達に対して湧いた疑問をすっかり誰にも合わなくなった荒野を進みながら誰にともなく振ってみる。

それに最初に反応してくれたのはフィルオーヌだ。

 「どうかしらね…。私にも分からないわ。口振りから十や二十ではないかもって事しか」

応えてくれたものの面持ちは少しばかり困惑している。

彼女の治めていた妖精界はエルフとフェアリー、そして堕天したその二種族の計四種族しか人型が住まない世界。なのにたった二日で既に人型の種族数が超えているのだから当然と言えば当然だろう。

そんなフィルオーヌに追い打ちをかけるように、少しだけ意地の悪い笑みを浮かべたファズが続いた。

 「トモベの話だと千種類を超えるらしいわよ」

 「「「千!?」」」

 「うるさい」

それは俺やシャルにも衝撃を与え、歩く脚が一瞬だけ止まった。

 「せ、千種類…。本当に住めるのかしら……。だって、たった一つの世界よ?」

 「凄いな…。じゃあ今まで会ってきた獣人達の事も知ってるのか?」

目を見開いて疑問を爆発させるフィルオーヌと俺。それにファズは大きくため息を吐く。

 「……言っておくけど、これは当時の獣人界の巫女からトモベが聞いただけで、それぞれに詳しいわけじゃ無いからね。特別詳細を聞けたのは特に力のある三種族の事だけで、それ以外の千種類以上に関しては『そのくらいいる』ってしか知らないから間違っても出会う度に聞かないでよ」

頭部を指先で二、三度突きながらそう言ったファズに先程までの意地悪な笑みは無い。

あるのは、どちらかと言えば真面目な顔。……というか、若干呆れているような表情だ。

 「そ、そうなのね……。あの時は他の世界の種族数なんて気にもならなかったわ…」

 「なんなら新種族が見つかるなんて普通の事らしいし、今はもっといるんじゃない?」

 「あ、あはは。それだけいるのに新しく見つかったりするんだ……。探せるのかな、巫女…」

 「自信、無くなってきたな」

あまりの種族数を聞いてしまい一瞬眩暈が起きる。

しかも、千種類以上というのは古い情報な上、新種族が見つかるのは普通だと言うのだ。

……二倍、三倍と増えていたらとてもじゃないが見つけられる気がしないぞ。

 「さ、流石に驚いてしまったけれど、巫女探しについてはきっと大丈夫よ。かなり特徴的な見た目だったから」

 「ほ、ホントか?ならいいんだが…」

 「ええ。人型で普通よりも大きな身体に魚と確か…ヘビ?という動物の特性を持つ女性だったわ。『私は特別なの』と言っていたから、そういった姿の種族がいればまず間違いないと思うの」

 「そーね、私にもそう記憶されてるし、以前リューンが見た映像にもそんな風な姿で映っていたわ」

いきなり心が折れそうになった矢先、フィルオーヌとファズに希望の光にも似た言葉を貰い僅かに持ち直す。

それだけの特徴があればどれだけ種族数が多くても恐らく見つけられるはずだ。聞き込みなんかで直ぐにでも足取りが追えるだろう。

…それにしても。

 「ファズ、お前あの映像からよく見て取れたな。俺、ちゃんと映ってたフィルオーヌとカタヌキ以外そんなにはっきり分からなかったぞ」

みんなで[道]で観た魔王との戦いを記録したあの映像。

初見のシャルがそこまで気が回らなかったのは兎も角、二度目の俺が当時の巫女を見ようと思って見てもはっきり映っていなかった彼女達を正確に見分けるなんて出来なかった。なんならシルエットすら微妙だった始末だ。

 「当然でしょ。出来が違うのよ。出来が」

 「あははっ、また言われてやんの~」

 「う、うるさい!人間が機械に勝てるわけないだろ!」

褒めたつもりなのに二人に煽られ少しムキになってしまう。

正直言って綺麗とは言い難いあの映像では先に言った彼女達と魔王以外を生き物の目ではっきりと見るのは無理だし、映像の解析を行える方向に魔法が進化・発展していないので補助魔法をどうこうしたところで解像度が上がるわけでもない。

そもそもあれが既に当時限界まで補正した映像だと言うのだから俺達のような技術の無い者に出来る術は無いに等しい。

実際、シャルもフィルオーヌも俺と同程度の認知しかできていなかった。

対してファズはロボット。更に言えば後付けで幾らでも解像度を上げる手段がある。その中には見ている映像の解像度を強化する物だってあった。

この時点で比べる事自体が間違いだとなるはずだ。

……なのに、この手の[人と機械の違い]の話になると俺が話しかけるかどうかに関わらず必ずファズに煽られる。

いっそそういう映像解析系の魔法でも開発してぎゃふんと言わせてやろうか。

 「……はぁ」

と、結局いつもと同じ出来るわけも無い考えに行きついてしまいため息が漏れ出る。

そして当然のようにファズは俺のため息に苛立ちセンサーを反応させた。

 「なに、ため息なんて吐いて。事実でしょ?」

 「そーだけどなぁ。もっとこう、俺に優しくできないもんかね」

 「好きでもなんでもない相手に優しくするほど軽い女じゃないから」

 「まぁ重いわな、機械だし」

 「殺す」

 「そーかい。じゃあ楽しみにしてる」

 「むっっっっかつく!」

今みたいに俺ら二人だけでのやり取りなら冷静でいられるんだけどなぁ。さっきみたいに間にシャルやフィルオーヌが入って来ると何故か駄目だ。

機生界から出て今日まで、[道]の中でも過ごした日々を合わせれば大体一週間。日数としては非常に短いが、境遇のお陰か普通よりも遥かに速い速度で深い所まで知り合えているためファズの口にする暴言や嫌味は全て不器用さや恥ずかしさから来るんだと分かっている。

時には行動に出る事もあるが、本気で彼女に殴られればちょっとの強化じゃ無事でいられない。にも拘わらず無強化状態でも少しのアザ程度で済んでいる。

それらを念頭に置いて考えれば、彼女のこの性格は寧ろ子供っぽくて可愛さを感じるほどで。そこに余分が混じると変化に対応できなくてムキになってしまうんだろうか。

 「ほらほら、そんな事言ってる間にもうすぐだよ。繁栄都市っぽいところに」

睨みつけてくるファズを笑っていた俺の肩にシャルの指先が何度も触れる。

そうして正面を向くと、確かにそこにはまだそれなりに距離があるはずなのに見上げても尚足らない大きな建物が見えた。

円形の階を層のように何段も重ねたそれは全径がどれほどあるのかも分からないくらいに横にも奥にも大きく、文字通り果てが見えない。

……もしかしたら繁栄都市ではなく、主要都市とか唯一都市とかそういう域の場所かも知れないな。

 「…あと五百メートルってところね。そろそろチャフ掛けないと」

不機嫌さはそのまま、俺につられて正面を見上げたファズは小さく漏らす。

それに対しフィルオーヌは小首を傾げた。

 「……ちゃふ?」

 「あー、要は変装だ。特別見分けがつかないな」

 「ああ!誰かに会うたびにしていたアレの事ね。やっぱりするの?」

俺の説明で察しがついたらしく珍しく大きい声を出して頷くフィルオーヌ。

そんな彼女の態度が少し癪だったのかムッとした様子でファズが反応した。

 「当たり前でしょ。こんな格好で行ったら何言われるか分かったものじゃないもの」

 「そう?私はそのままでも良いと思うわよ?可愛らしいし」

 「聞いてっ!無いっ!」

 「うふふ、そうね。ごめんなさい」

 「この…!!!もーー!」

フィルオーヌにからかわれて更に睨みを刃物のように鋭くするファズ。だが、刃の先の彼女は満面の笑み。

やはり数千万年生きてきた統治者の余裕は俺とは違い無駄に煽ったりしなかった。

何故なら、煽らない事が煽りになると既に知っているからだろう。勉強になる。

 「けどさ、実際ファズちゃんの変装ってすごいよね。全然別人どころか背丈まで変わっちゃうし。どうやってるの?」

傍から見ればからかう大人とそれを怒る子供の会話に入ってきたのは同じく子供寄りのシャル。

どうやらシャルはファズの機能に興味があったらしく、これを機会にと言わんばかりに尋ねているようだ。

 「はぁ、この中でまともなのは貴女だけね、シャル。私の変装は主に光の屈折を使ってるの」

 「光の屈折…?それって水面に光が入ると真っ直ぐの光が曲がっちゃう~みたいな?」

 「そうね。それに貴女達目を持つ生き物はその光の屈折で色を判別しているし、遥かに大きく見える蜃気楼も同じく屈折。だからそういうのを全部使えば、本来よりも大きい姿に出来るし、服装だって見た目だって自由自在。流石に触られたら分かっちゃうけど、お高く留まってるっぽくすれば変なのは寄ってこないでしょう?で、変なのが寄ってきたら素早く撃退。完璧な変装でしょ?」

 「へぇーーー!魔法使わなくてもそんな事出来るんだ!すっごいなぁ~」

 「ふふん、そうでしょう?トモベは凄いんだから」

理科の授業で聞いたような説明を受けたシャルは目を爛々と輝かせてチャフを掛け始めるファズを興味津々と見続けた。

その横で、少しだけフィルオーヌの悪ふざけが感染っていた俺はファズに一つ余計な事を言ってみる。

 「ま、お高く留まらなくてもお前に寄ってくる奴はそういないだろうけどな」

 「……何でよ」

瞬間、飛んでくる鋭い眼光。チャフはまだ準備段階なのか彼女の姿は変わっていない。

 「めんどっちい性格だから」

 「やっぱりホントに殺す」

そう言った途端、彼女のチャフはとてもじゃないが人間や獣人には見えない怪物を形作る。

その大きさたるや二匹並べた象を優に超える。

 「す、すごい!!そんなのにも成れるんだ!!」

 「はは、まぁなるだけだけどな」

 「舐めんな」

チャフは所詮変身だけ。そう高を括っていた俺の腹に、怪物の目から発せられた光線が当たる。

それは光の屈折では説明できない鈍い痛みを腹部にまき散らした。

 「う…。なんで……」

沸き上がる灼けるような鈍痛と極度の吐き気に思考の全てが奪われる。

知らずに曲がる背といつの間にか地に着く膝。呼吸は僅かに過度に引き上げられ、込み上げる吐き気を何とか堪えるので精一杯だ。

 「戦いに行くんだから武器くらい用意するに決まってるでしょ。ホンットにバカね」

 「か、カッコいい!!!!」

 「ふふん。やっぱりシャルなら分かってくれると思った!」

 「ふふ、私の真似をするのは少し早かったみたいね、リューン」

 「………ぐぅ」

 「で、こっちがホントの変装ね」

 「わっ、かわいい!それにいい匂い!」

 「あら、いいわねその姿。でも、もう少し胸を大きめにしても罰は当たらないわよ?」

 「あんたがデカ過ぎんの!普通よりおっきいくらいだし!」

 「そうかな?私よりは大きくしてもいいんじゃない?」

 「…シャル、やっぱり貴女もちょっと嫌い」

 「え、何で?」

楽し気にしているファズ達を他所に、蹲ったままの俺は何も身動きが取れないまま回復魔法をかける余裕が出来るまでまともに動けなかった。

…ていうか、近くにいるんだし治してくれても良かったんじゃないか、フィルオーヌ……?


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 所変わって巨大建造物ーー万物獣処(ばんぶつじゅうか)。

俺達の見立て通り、ここは多くの獣人が集まる繁栄都市だった。中には万物獣処内に住み込んでいる者もいるらしい。

そんな世界中から集まってきた内の一人で最初に話しかけてくれた犬のような鼻口ーーマズルと耳を持つ獣人が俺達を案内してくれるらしく、少しの間行動を共にする事になった。

…のだが、話しかけた途端彼は大きな勘違いをしたらしく、俺達を山の中に籠る事で有名らしい[エン族]と思い込んでしまっていた。

話を聞くに恐らく猿とかそういう類っぽい種族だろう。見た目が似ているって事は、殆ど人間と変わらない姿なんだろうか?

何にしてもこちらとしては好都合だった。

彼には悪いが勘違いを基に少し会話をしてみたが、これまでとは違い巫女の話を知っていそうに無かった。

下手に巫女の話をして頭がおかしいと思われたり警戒されたら面倒だし、エン族の事は全く知らないがここはこの勘違いを利用しておいた方がよさそうだという事になり、ある程度の情報が得られるまでは俺が彼との会話をする事になった。

 「いやはや、それにしてもまさかエン族の方々が来ているとは思いませんでした。どういった風の吹きまわしで?」

 「はは、たまには外に出ないとなと思ったんだ。籠りっきりでも、アレだろ?」

 「あー、確かに前にお話ししたエン族の方もそんな事を口にしていましたね。その方は職人気質だったので数日同職の屋台を見て回った後帰ってしまいましたが」

エン族というのは慕われているのか犬の獣人の彼はずっと丁寧な口調で話しかけてくる。

こちらとしてはもう少し打ち解けられれば突っ込んだ事も聞きやすくなるのでやめてほしいんだが当然そんな事を言えるわけもなく何とももどかしい。

そう思っていると、彼と行動を共にするとなった際に一任されたはずの会話にシャルが混じろうと言葉を挟んでくる。

しかし、それが良くなかった。

 「へ、へぇ~。熱心だったんだね~」

 「そうですか?エン族の方々は皆こだわりが強いと聞いているので寧ろ短いくらいかと思いますが…」

彼の表情が僅かに訝し気に曇る。

理由は当然、シャルが余計な事を言ったからだ。

 「え、そうなの!?え、えっとぉ……」

何とか失態を覆そうと口籠るシャルだがその顔色を伺う彼のじっとりとした視線が非常に痛い。

このまま妙に疑われてしまうと余計な事に成りかねない。いっそ巫女の伝説が知れ渡っていると踏んで正直に話して疑いを晴らすべきか。そう思いつつも一先ずシャルの失態を拭う方向へと話を切り替える。

 「あーっと、そりゃまだ未熟な場合だな!腕の立つヤツほど直ぐに吸収できるもんだ!」

 「成る程!確かに!」

 「だろ?(馬鹿お前!取り繕うの下手なんだから黙ってろって)」

 「そーそーそういう事が言いたかったんだー!(だって、黙ってたらやっぱり変かなって)」

 「(それで怪しまれたら世話ないだろ!)」

 「(う…。はい……)」

 「ふんふん、言われてみればあの方は確かに熟達の技の持ち主だった。成る程成る程」

どうやら彼は納得してくれたらしく、後ろで小声でやり取りする俺達には気もくれずうんうんと頷いてくれている。

良かった。これで不用意に巫女の話をせずに済みそうだ。

 「して、それはそうとして。実際はどういった理由でこちらへ?見たところ皆さん腕が立ちそうですが……。武芸職人というには少々血の匂いが強いみたいですし」

…なんて、考えが甘かったらしい。

彼は、さっきまでの懐っこそうな目元を見透かすように光らせながら俺達を覗き込む。

その視線は怪しむ、なんて優しい感情から出ているものではない。……最低でも警戒程度の緊張感を持たれてしまったようだ。

 「して?」

追いうちのような一言に空気が固まる。

これ以上の沈黙は許さないとでも言いたげな圧だ。彼の問いに応えない訳にはいかないらしい。

 「…そうだな。俺達は職人じゃない。実は探している相手がいるんだ」

 「探し人と?」

興味を誘われ目元の緊張を彼は僅かに緩ませる。

その気を逃さず、さりとて同じ轍を踏まないように話を続けた。

 「ああ。しかも一や二じゃない。五だ」

 「五人もですか。それで噎せ返るような血の匂いとは。随分と大変な旅のようで」

 「そうだな。内三人は見つかったが、四人目がこの辺にいるって情報しか無くてな。出来ればもう少し打ち解けてから聞きたかったんだが、もうそうもいかないだろ?」

可能な限り情報を伏せながら話して相手の出方を伺う。

こいつの柔らかい物腰ですっかり忘れていたが俺達はまだ名乗り合ってすらいない。それはこいつが俺達に何らかの警戒心を持っているから。彼から案内すると言い出したにも拘わらずだ。

ヴァヴァルの件もあるにはあるがあれは例外だ。本来、名を名乗ろうとしないのは敵対心に近い警戒心を抱いているからに違いない。

だとすれば余計に下手は打てない。何も知らない異世界で単位を口にしようものならそれだけで疑いは確信に変わるだろう。

 「…ふふ、面白い方だ。それでいて強かでもある。私が獣人の単位を口にするまで数でしか示さないとは」

それだけの警戒を、事もあろうにこいつは敢えて口に出した。思惑は恐らく、『見透けているぞ』という圧をかけるためだろう。

 「交渉は失敗すると命が懸かってくるからな」

 「血の匂いはそれで……。エン族と騙った私の口もそれほど狂っていたわけでは無いようだ」

そうしてとうとう彼の口調から柔らかさが消えた。

垣間見えるのは強さ。それも殺伐とした彼の芯だ。

 「で、知ってるか?人型よりデカくて魚と蛇の特性を持つ獣人を」

巫女の質問に、彼は僅かに鼻先をヒクつかせる。

だがそれだけ。声色を変える事も妙な挙動を見せる事も無い。

 「聞いた事は。けれどそれ以上は知らないな」

 「そうか。なら他を当たるよ。騙して悪かったな」

 「……構わない。獣人ではないと分かっていたからこそ話しかけたわけだからな」

 「なんだ、お互い様か。お前も大概じゃないか」

これ以上は話してもボロが出るだけだ。そう考え話を切り上げようとする。

が、彼はほんの一瞬ーーそれこそ俺を引き付けるためだけの沈黙を作り、振り向かざるを得なくなったところを見計らって話始める。

 「我々ケン族はエン族と古来よりの親交を持つ種族だ。ろくでもない種族が真似ていたら仕留めなきゃならない。けど、お前らはどうも違うらしい。ここに留まる同胞達には情報を流しておいてやる。そうすれば今後こういった危険は降りかからないはずだ。……余計な事をしなければ、だが」

そうして彼は俺達を危険分子とは認めないと少しだけ柔らかな口調に戻して言葉にすると、彼の種族ーーケン族には今後睨まれないようにしてくれると口約束をしてくれた。

……無論、目は笑っていなかったが。

 「そりゃあ助かる。ありがとうな」

ともすれば彼の態度は挑発だったのかもしれない。僅かに殺気が見え隠れしている事に変わりは無いからだ。だが相手にするつもりは無い。

これ以上の会話は厄介事を起こしかねないと判断し、みんなの居る背後に振り向き歩き出そうとする。

……時だ

 「……ならお礼ついでに良い事を教えてやろう。確実な情報を得られるかも知れない場所だ」

漏れ出していた殺気を完全に消した彼は不意にそんな事を言いだした。

 「…どこだ?」

 「丁度今朝そこで始まった死闘祭だ。一週間、最後の一人になるまで続く戦いの祭りがあってな、どんな願いでも叶えてくれる褒賞が謳い文句の年に一度の祭だ」

僅かに流した視線で万物獣処を見やった彼は俺の態度に満足したのか小さく口元を緩ませて牙を見せる。

 「…へぇ、飛び入りもできるのか?」

 「ああ。例年、残り三十分になると大勢が飛び入り参加してそれまで戦っていた相手を叩きのめそうとするのを観て楽しむ祭でもあってな。ま、そんな腑抜けが勝てるわけないから結局は飛び入り前に戦っていた奴らで決勝戦をするんだが、そこまでのいきさつが派手で中々笑える」

 「そりゃあ楽しみだ」

彼は楽し気に微笑みながら語る。

…その姿から滲み出る思惑はあまりにも分かりやすい。

 「俺もそれに出る」

 「……で?」

 「お前も出てみないか?最後まで残って俺と戦えば、勝とうが負けようが褒賞の権利を渡してやる」

 「……また随分と気前のいい。けど目的が分からない以上は無いな」

半分だけ思った通りの提案がされる。だが残り半分は奇妙な内容だった。

死闘祭とやらで勝つ最大の目的だろう願いの権利を勝敗に拘わらず俺に譲るーー。それはあまりにも意図が不明だ。

参加自体は選択肢としてなくはないと思ったが、怪しさや不安が大きい以上は出るべきではないだろう。

 「そんなに不安か?なら教えてやる。お前は…いや、お前らはそこらの奴よりも余程強そうだからだ。いい加減飽きたんだよ、乱闘で何とか俺を負かそうとする腑抜け共の相手するのは」

矢先の疑問に思う所なく素直に答えた彼は俺達を値踏みするようにして足先から見上げていく。

その目は察するまでも無く獣性のそれだ。

どうやら俺達は彼の獲物として目を付けられてしまったらしい。

 「そういう事か。っは。いきなりついてくるとか言い出すから変だとは思ったが、要は獲物を探してたってわけか。あんな小芝居にまで付き合って」

 「まぁそう言うな。少なくともあんなしょうも無い挑発に乗らないってだけで合格出せるくらい飢えてるんだ」

 「よく言う。お前が俺達に目を付けたのはエン族を真似てたからなんかじゃないくせに」

言って、彼は殊更に獣性を鋭利に変える。

 「それはまた買い被ってくれたな。なんでそう思った?」

 「そんな立派な鼻が飾りなわけないからな。第一さっきまでずっと血の臭いがどうのと言ってたんだ、誰でも気が付くだろ」

そう、彼が俺達に目を付けたのはエン族とやらに似ていたからではない。

俺達から獣人の匂いがしなかったから。ただそれだけだ。

 「はは、それもそうか。その通りだ。俺達ケン族は特別鼻が良くてな、大半の獣人には嗅ぎ分けられない臭いが分かる。……というか、進化の過程で嗅覚の特性が伸びた種族が少ないと言えばいいか。いずれにしろ、俺達の前じゃ変装だけじゃなんの役にも立たないって事だな。そう思わないか?そっちの鉄と油の臭いがするお嬢さん」

 「………」

彼は事も無げに微笑んでチャフ下にあるファズを容易に見抜き、同時に生き物でないとも言及する。

 「…いや、武器、か?」

 「……あんた、ぶちのめされたい?」

 「そのために誘ってやってると思ってくれていい。死闘祭にな」

 「こいつ……」

それを他の種族がどれだけできるのかというのは分からないが、少なくともここに来るまでに遭った数種族に見抜かれていた様子はなく、そもそもファズは匂いすらも纏い完全な生き物としての擬態を果たしているため何も知らなければ俺達ですら見抜けない。

それを彼は惑わされる事無く……少なくとも嗅ぎ分ける事が出来ている。

やはり俺の推理は正しかった。

彼は初めから俺達をこの世界の住人ではないと分かった上で話しかけてきていた。

こいつは…危険だ。いや、こいつと同じ種族は、と言うべきか。いずれにしろ無視はできない。

 「ま、そういう事だ。考えといてくれ。少なくとも悪い話じゃないはずだ。お前らが探してる獣人は、ここにいる全員に話を聞いたところでまともな情報は集まらないだろうからな」

 「おい、待てよ。まだ話は…」

奴はまるで返答は不要と言わんばかりに俺達に背を向けて歩き出す。

それを止めようとするが、伸ばした俺の手に目には見えない何かが侵入してきた。

 「悪いが時間切れだ。これ以上はこっちも我慢できなくてな。万物獣処の外での殴り合いは御法度……なにより、本当に死ぬまでやりかねない。それはお互い、嫌だろう?」

立ち止まり、振り返った彼から放たれる[恐怖]が背筋を走った。

悪寒や寒気といった触発されて起きる感覚ではない、紛れも無い恐怖そのもの。

それは……大きさは比較にならずともブラフが龍の姿に変わった際に放ったあの感覚に酷似している。

 「…リューン、この人……」

失敗を反省してかそれまで静かにしていたシャルが怯えた声を小さく吐き出ながら俺の背に隠れるようにして少しだけ身を寄せる。

見れば、フィルオーヌもファズも僅かに面持ちが剣呑になっていた。

……理解できる。こいつの放っている恐怖は殺気とは少し違うせいで少なからず[命の危機]に慣れている彼女達ですら恐れてしまう意味が。

恐怖とは死を自ら選び取ってしまわなければこの感情は消せないと思い込ませるモノ。殺意のように生物が外的に与えようとするモノとは似て非なる。

立場を弁えさせるために殺す。その死に意味は無く、全くの無為に生を終わらせる。

こいつの放つ【恐怖】とはそう言うモノだ。

ブラフが意図せずに放っていた恐怖に比べれば遥かに弱い。だから俺はまだ平気なんだろう。それは生物としての絶対的な強者である龍であったからで、恐らくブラフは意図的に放とうとしてすらいなかった。こいつのとはそのくらいの差がある。だがそれで本質が変るわけでは無い。

遅かれ早かれずっと受けていれば己の手が首に回される。自害を誘う見えない刃である事に変わりは無い。

 「…おい、その辺にしとけよ犬っころ。表でやり合う気は無かったんじゃねぇのか」

いつまでも引っ込める気のないそれに苛立ち、通じるのかも分からない単語を使って侮辱を飛ばす。

それを彼は一瞬眉根を動かしたかと思うと牙を剥いて笑みを浮かべた。

 「はは、犬っころとはまた差別的じゃないか。我々にそんな口を利く相手はいつ以来だろうな」

楽し気に、されど静かな怒りを満たした笑み。

彼らケン族は…いや、もしかすれば獣人全てが、俺達が彼らから連想する動物を用いた侮蔑を差別と受け取るのかもしれない。

だとすれば利用しない手は無い。

 「やめるまで言い続けてやろうか。それとも雑魚なりに吠えてみてるだけか?弱そうだもんな、お前」

犬にまつわる思いつく限りの罵詈雑言を浴びせてやろうかと構える。いっそこのまま戦う事になれば話が早くていいかもしれない。

それだけこの感覚は辛く苦しい。続けられるくらいなら他の獣人にも目を付けられるのを覚悟で実力行使に出た方が遥かに良い。

準備はある。後は機を伺うだけだった。

だが彼はより一層に牙を剥いて笑った。

 「いや、その逆だ。気に入ったんだ。その態度や、何より恐怖に怖気ぬ胆力に。祭に出るのはお前だけでいい。お前なら楽しめそうだ。恐怖にも怖気ぬお前なら」

彼の顔は最早狂犬のそれだ。だが表情とは真逆に彼は恐怖を放つのを辞めた。

後に残るのは重圧にも似た感覚からの解放。軽やかにも感じるような身体の感覚だ。

 「俺の名はギン。ケン族のギンだ。飛び入り参加は開催中の間ならいつでもできる。が、おすすめはやはり乱闘が起きる残り三十分を切った頃だろうな。余計な勝ち抜きをやらされずに済む」

再び背を向けた奴はーーギンはそうとだけ言うと今度は立ち止まる事無く歩き出す。

 「俺はリューンだ。……考えといてやるよ、ギン」

 「ああ、楽しみにしてるよ。リューン」

やがてギンは行き交う獣人の中へと姿を消す。

その途端にギンの気配は忽然と掻き消えた。

 「……どうするの、リューン」

首元まで這いずってきた恐怖の余韻から明け、最初に口を開いたのはフィルオーヌだった。

だが彼女の表情はやはりまだ硬い。

 「正直言って出るのは気が進まない。あいつの思い通りに動くのが気に入らないのもあるが、何より、あんな戦いをした後に【死闘】なんて銘打たれた催しに出る気にもならない」

 「ええ、そうね…。私もあまり進めたくは無いわ」

 「じゃあ舐められっぱなし?冗談でしょ」

怒りを浮かべたファズは言いながらギンの消えた方向を睨みつける。

喧嘩っ早くも聞こえる彼女の考えだが、実のところは一理ある。

ギンは仲間のケン族には手出ししないように伝えると言っていたがそれを全面的に信用していいとは到底思えない。寧ろけしかけてくると考える事だってできる。それに、もしもケン族が権力者的な立ち位置にいるとしたら他の獣人達を使って妨害してくるとも考えられる。

それらの問題を一気に解消するには、やはり死闘祭に出て直接ギンを下すのが一番だろう。

 「けど、私達は情報さえ集められればいいし、やっぱり出る必要は無いよ」

 「そりゃー、そうだけど……」

まだ僅かに恐怖が残っているシャルはファズの考えを否定的に捉える。その一点に於いては俺もシャルやフィルオーヌと意見は一致している。

だが、ギンの言っていた『全員に話を聞いたところでまともな情報は集まらない』という言葉も引っかかる。

普通に考えれば誘い出すための嘘なんだろうが、そうとは言い切れない妙な説得力があったのは確かだ。

それに、聞き込みで得る情報よりも褒賞として要求した情報の方が確実性は高いだろうし、返って早道になる可能性も捨てきれない。

 「ねぇ、リューン…?」

 「死闘祭に出るとなれば戦うのは貴方。だから私は貴方の意志に従うわ。……私達ではさっきので竦んでしまうから」

 「…まぁ、シャルもそのつもりみたいだし、あんたが決めていいわよ」

シャル達の視線が集まる。

だが俺自身どちらが正しいのかは分からない。

……となれば。あまり気は進まないがこの手段を取るしかないだろう。

 「一日だけ、聞き込みをしよう。それで駄目そうなら死闘祭に出る」

ギンの言っていた言葉が何処まで本当なのか、それを確かめるにはこれ以外に手は無い。

それで信用できそうな情報が集まらなければ死闘祭に出るしかない。

はっきり言って一週間もこんなところで足止めされるのはかなり痛いが、みすみす正しい情報を得る機会を失うのも惜しい。

それにギンの口振りでは飛び入りで乱闘して勝利した者はいないようだったのも不安が煽られる。

いざその手の輩が勝利した場合、約束が反故にされる可能性だって否定はできない。だとすれば早めに参加して言い訳を用意するしかない。

……手の平の上で遊ばれているようで嫌だが、現状これ以上の手が浮かばない以上、腹を括るしかないだろう。

 「…そうね、それが一番いいかもしれないわ」

 「なら、もう始めよう?早い方が良いから」

 「はぁ、ま、そうなるわよね。面倒だけど」

考えに賛同してくれた彼女達は直ぐに周囲を見回し始め、どこなら確度の高い情報が得られるのかを吟味し始める。

同様に俺も眼に付いた場所を幾つか取り上げ、なるべく早く聞き込みが終わるように取り上げたそれぞれの場所を無駄なく回るための路順を決める事となった。




to be next story.

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