第23話 願いの結末
……俺の願いはたった一つだった。
[生きる]。
それだけだった。
ただ、それだけだった。
何もせずとも持続可能な世界ーー。それがこの星で、俺達の生きる世界だ。
それがたまらなく嫌だった。
何をしようが、何を成そうが、何を残そうが、全てが無意味。
何もせずとも、何を成さずとも、何も残さずとも構わない。
何故なら俺達機生体は明日が確約されているから。
心臓とも言える永久機関によって何を摂る事も無く在り続ける事ができる俺達にって人間の真似事以上の価値が無い食事や仕事などは全くのムダ。実際それらをやらない機体も少なからずいる。
同様に娯楽を嗜むのはそれが人間らしい行動であるとインプットされているからに過ぎない。だから目的が達せずとも、本来とは違うものを得たとしても簡単に諦めが付く。
それでも機生体達は[自分は生きている]と信じて疑っていない。
誰も、一つとしてだ。
バグが起きて暴動を起こし、破壊によって鎮圧された後バックアップを用いて新しい身体に生まれ変わって再びバグが起きるまで同じ事を続けていてもだ。
ふざけるな。そんなもののどこに【生】がある。
明日は生きる物のために有るはずだ。俺達のように模倣された感情を持つ無機物のためのモノじゃない。
明日を得るために生にしがみつき、命を懸け、限界を超えて足掻いて藻掻いて、その果てで享受する娯楽に感涙する。それこそが明日を得るにふさわしい存在のはずだ。
決して、俺達のような偽物で模(かたど)ったジャンクなんかじゃないんだ。
なのに……。この星には初めから生物なんぞ一匹たりとして産まれてはいなかった。
そこに悩むほどの理屈なんてのは無かった。生物が産まれるよりも早くこの星は機械化されていただけだ。
下らない。下らない下らない。たった一人の人間の女がテメェの孤独を埋めるためだけにこの星の運命が決められたなんて、どうやって溜飲しろって言うんだ。
だから決めた。
この星を埋め尽くすジャンクとスクラップの文明を滅ぼし、本来あるべき[生きとし生ける世界]へと導くと。
零に戻し、無量大数の確率の中から奇跡が産まれるのを待つ。
待ち続け、繁栄が確認出来たら俺も活動を破棄する。
……それが俺の目指す計画の根幹だった。
用意したあらゆる火器も、己に施した改造も全てが目的を達するためだった。
はずなんだ。
それを今頃になって気が付いてしまった。
自ら時を動かした今になって知ってしまった。
「……俺は、人間が羨ましいだけだったんだ」
なんて事は無い。そんな簡単な事だった。
別に、明日を得るために必死になれるのであれば生き物に固執する必要はなかった。
別に、日々に価値を生み出せるのなら俺達のような無機物でも良かったんだ。
そこに真実の感情が無くとも、疑う余地も無いくらい充実した日々を過ごせるならそれだけで良かった。
「模倣ではない感情を持ち、生と常に共にあるお前らのような生物が羨ましい」
ただ、嫉妬を模倣していただけだ。
人間であるお前らに嫉妬していただけなんだ。けど、根本が違い過ぎるから、感情すら偽物だから届かないのだと気付いてしまって。自棄になって大それた心中自殺を思い立っただけだった。
「……それを、まさか人間に気付かされるなんてな」
歯車のはみ出た腕を見て、空を見上げる。
遥かな上空。
鳥のように堕ちるあいつがいる。
幾度と無く転身を繰り返し、少しでも打たれる雨に耐えて生きようとするあいつがいる。
意味があるとは思えない。どのみち魔法でも使わなければ堕ち方なんて関係なく死ぬはずだ。
必死が過ぎて最早生き汚い。どこまでも、どこまでも。抗うだけムダなのに。
なのに、どうしようも無い優雅さを感じてしまった。
見ている姿とはまるで逆の、生物としての本質を見てしまった。
俺は生きるためなら必死になれるんだぞと、最後まで足掻けるんだぞと。バックアップが存在する機械の俺達には無い生物としての本質を。
俺は……少しでもあんな風に堕ちる事が出来たんだろうか。
全身が砕け、原形を留めているのは頭と上半身、それと切られていない肘までの片腕を持つ俺は、痛くも無ければかゆくも無い、それどころか損傷を容易に把握できる俺は……あんな風に優雅に堕ちる事が出来たんだろうか。
最後まで生き物であろうとする努力を続けながら堕ちる事が出来たんだろうか。
それとも…機械でしかない俺にはあんな優雅さを初めから望むべきではないんだろうか。
「あぁ……。あぁ…。どこまでも……遠いん、だな…。お前は。お前達は」
虚しい。
模倣しか知らない感情では涙に似せた水を流したところで虚しいだけだ。
本物を持つお前達に出会い、知ってしまったから。
「リューーーーーン!!リューーーーーーーーン!!!!」
遠くから声が聞こえる。
……それはあの時ここで対峙した内の一人と同じだった。
「助けるから!助けるからっっ!!だから!まだ……!!!」
……速い。生き物が出せる踏み込みの強さじゃない。これも魔法というヤツなんだろう。
「シャル!治癒なら私に任せて!もう少し無理しても大丈夫!」
「うん…!!!」
そうだ、早く来い。それまでは俺が見ていてやる。
俺よりも勝(まさ)っているあいつにこんなくだらない死をくれてやるな。
せめて、俺よりもマシな死を与えてやれ。
「私だって、私だって……!!!」
その声と同時、一際強烈な踏み込みの振動が届いた。
ーー…跳んだな。それもかなり高く。
「…シャル」
「掴まえるから!!」
見える。
あの女があいつを抱きかかえた瞬間が見える。
「リューン、リューン!この……バカ!!こんなになるまで……!」
「……ああ、俺もそう思うよ」
「後でお小言!だから!絶対に……ッ!!」
「…ああ」
これだ。
これなんだ。
俺が求めた全ては、これなんだ。
あいつらは紛れもなく[生きて]いる。
なによりも誰よりも、今を生きている。
俺はこの星をそういう奴で埋め尽くしたかっただけなんだ。
こんな、生きる事と有る事に違いの無い偽物共が支配する世界じゃなくて。
こういう生き方をする奴ばかりの世界にしたかったんだ。
「……シャル、あいつ、まだ…生きてるか?」
「…うん。多分」
呼ばれた気がして、頭を動かす。
肩を借りて立つあいつがいる。肩を貸すあいつがいる。
どちらも俺を見下ろしていて……。
……俺を、見ていた。
「リューン!大丈夫!?」
「…悪いフィルオーヌ。今はこいつと話したい。回復を頼むのはその後でもいいか」
「…!……分かった。ならその間に手首から先を探しておくわ」
「ああ、頼む」
振り向きもせずあいつがそう言うと後から来た奴は頷いて直ぐに消える。
……いよいよとどめってヤツか。
やっと本当にすべき事が分かったってのに酷い話だ。
「酷い、カッコウだナ。本とウに勝ったのか?」
己の出した声を聞いて愕然とする。
なんて生き物と程遠い。なんて機械染みた音声だ。
自分のこんな声聞きたくなかった。
「…化けの皮が剥がれてるぞ。気取れよ」
それをこいつは平然と蹴り飛ばしやがった。
心底頭にクる。冗談じゃない。
「……嫌な野郎だな。これでいいか?」
「ああ、それでいい。それがいい」
…だが、そのお陰でまだ生きてる部分で取り繕えると分かった。
はっ。皮肉なもんだ。これじゃまるであの時のお前と同じじゃないか。
敵対行為に感謝を覚えるなんて合理性がまるでない。酷く不愉快だ。
……なのに、悪い気がしないのはなんでだろうな。
「お前、名前は?」
「……ホ・ム・マード。お前は?」
「リューンだ」
視線と共に名を交わす。
……既に知っているはずの名だ。聞く事に意味は無い。はずなのに、聞かずにはいられなかった。
「お前に聞きたい事があるんだ。答えてくれるか、マード」
「機械が人間様に逆らえると?」
「お前に聞いてるんだよ。どっちだ」
「………嫌な奴だ。本当に、心底から」
精一杯の抵抗を無下にされて怒りが湧いてくる。
が、こんな体たらくで怒ったところで何もできない。
頷く以外の選択肢は無い。
「言ってみろよ。気に入れば答えてやる」
「なんで機生体を滅ぼそうとした。なんでその手始めをあそこにした」
リューンに問われた質問は半分は想定通りで半分は意外だった。
…いや、あれだけ大量のミサイルを無差別に撃てば『滅ぼそうとしていた』と捉えるのが普通か。意外ってほどではないな。
「っは、そんな事か。良いぜ、答えてやる」
だが一瞬でも俺の意表を突いたのは気に入った。
どうせ最後だ。全部答えてやってもいい。
「機生体を滅ぼそうとしたのは無価値だから。あそこを最初に襲撃したのは特に集まりがいいと踏んだからだ。それ以上の理由はない」
「……そうか」
静かに瞼を閉じたリューンは沈黙を作り、少ししてリューンはもう一度口を開く。
俺を憤慨させるために。
「…お前、人間に憧れてるのか?」
「ッ!!!!お前!!!!」
身体を起こそうとして残っていたはずの腕が崩れていく。
持ち上げた頭を支える首が軋む。
それでも噛みつきたくて仕方がなかった。
人間には……お前には触れられたくない核だったから。
「何を偉そうに見下しながら言ってやがる!憧れる!?バックアップも取れなきゃ代替品の融通もロクに利かないテメェらに!?バカにするな!見下すな!!」
叫べば叫ぶほど、藻掻けば藻掻くほど全身のパーツが綻んでいく。
悔しい。苦しい。だから俺はお前らに憧れている。
並べ立てた理由が憧れる理由だ。俺にはそんな人間としての矜持は何も無い。
何も、何もだ。
お前のように死に体の持つ優雅さなんてモノを俺は欠片も持っちゃいない。
持っているのはガラクタ然とした虚しさだけ。無価値さだけだ。
「……そうか。ならいいんだ。俺が早合点しただけなら、それでいい」
「何が…!何がいいんだよ!!!何も良くねぇだろ!!何も!!何もだ!!!!!」
叫んで、一層身を起こして、それでもまるで届かない。
当たり前だ。俺の身体は起きていない。俺の手は伸ばせない。
「いや、いいんだよ。それだけ人間らしいなら行動にも合点がいくからな」
「ッ!?何を!!テメェは!!!」
その目。最早人間の模倣すらできなくなった俺に何を想った?まるで、まるで認めたようなその目で俺に何を見ようとしている。
俺を、そこらのスクラップの山よりも価値のあるような物として見ようとしてるのか?
だったら止めろ。今直ぐにだ。
俺にはゴミと同等の視線だけを向けろ。向けてくれ。
虚しい、だけなんだ。そんな目は、虚しいだけなんだよ……。
なのに、どうしてお前は。
「……いい加減気付け。お前がさっきから叫んでるそれが感情なんだよ」
お前は……。
「模倣された感情じゃない。お前が、お前だけが持つお前だけの感情だ。人間なら誰もが持つ感情だ」
どうしてそうも俺を抉ってくるんだ。
「お前が否定した事実を俺も否定したらお前は怒った。だから俺は肯定して、それをお前は否定しようとした。分かるか?機械なら有り得ないプロセスなんだよ。[はい]か[いいえ]の簡単な返答じゃない。俺のあやふやな物言いに対して肯定と否定の両方をしてる。それを機械を良く知るお前になら分かるはずだ。有り得ないって」
俺の葛藤も知らずに勝手な事ばかり言いやがって。
簡単な?ありえない?何で今の会話だけでそう言い切れるんだ。
俺は、俺ですら……!己の中の欲求をさっきまで気付けずにいたのに!
「このッ!!」
怒鳴りつけたいのに、否定してやりたいのに。
言葉が……………出て、こなかった。
こいつの言葉を嬉しいと思っている自分がいるせいで言い返せなかった。
【いくらロボットとして完璧だとしても所詮機械を動かすのはプログラムで、より複雑な感情をそれらしく表現する事は出来ても本来とイコールに昇華する事は出来ない。肯定と否定を同時に感じる事は出来ない。二択でしか選べないのが機械で、二択だけでは選べないのが人間だ】。そう言いたいんだろ?
だとしたら全部、リューンの言う通りだ。言い逃れなんて出来ない。
俺はもう、一つの事に対して白黒はっきるつけるなんてのは簡単には出来なくなってる。
未だに俺がした行いを正しいと思いたい自分と大間違いだったと思っている自分がいるんだ。無理に決まってる。
「なんで人間に憧れてるのかは分からない。だけど、それだけ人間臭いモノ持ってて憧れに届かないワケがないんだ。だからもう少し機械の真似事しておとなしくしてれば良かった。そうすればお前ならきっと気が付けたはずなんだ。こんな突飛も無い行動に出なくてもいいんだって」
………………言われなくったって気が付いたさ。
今頃になって。それを何も知らねぇ奴が偉そうに。
だからって今更認められるものか。
これだけの事をしておいて[機械(おれたち)は人間になれます]だなんて、口が裂けても言えるものか。
だから、最後まで抵抗してやるよ。
機械は機械らしくぶっこわれてやる。意地でもお前に納得させられたりなんかしてやらない。
「…はは、どうだ?これでもまだ人間らしいと思うか?もう壊れるってのに痛みもないんだぜ?」
無理矢理にでも噛みつこうと暴れたのが祟って身体を動かすエネルギーの殆どが零れてる、砕けて離れた腰回りを動きが最悪になった指で指す。
そのうち完全に止まる。見ての通り[死]ではなく[停止]を起こしてだ。
「死の際に泣くだけが人間じゃない。満ち足りて笑う奴もいれば次に託して笑う奴もいる。色々だ。色々いるんだよ。お前みたいに最期の最期までなんにも認めたがらない奴だっている」
「はっ。ほんっとうに嫌な野郎だ。花を持たせるって言葉を知らないのか?」
「お前が欲しいのはそんなのじゃないだろ。だからくれてやらない」
「なんでだよ。最期は欲しがるものをくれるんだろう?嘘でも何でも」
「甘えるな。そりゃ親しい相手の時だけだ。やる事やっちまった奴に情けはくれてやっても同情はしない」
「……っは。そうかよ」
いよいよ意識が……いや、エネルギーが尽きかける。
演算を巡らせる事も音声を発する事も出来なくなってきたみたいだ。
……悔しいが俺の負けだ。戦いでも負けて、口論でも負けて。完敗だ。
だが、悪くない気分だ。
はっ。機械のくせに『気分』か。結局リューンの言葉が響いてるじゃねぇか。情けない。
「……さよならだ、マード。次があるならもっと賢く生まれてこい」
そんな俺の気も知らず、人間にだけ許された[生まれ変わり]をこいつは俺に求めた。
バカが。人間に憧れてる俺がバックアップなんか用意してるわけないだろうが。
ーー舐めやがって。俺は機械だ…ぞ……......_____
マードは最期の最期まで俺の言葉を認めたとは口にしなかった。
やっぱり、あいつはもう機械なんかじゃ無かった。
機械に矜持を理解するプログラムは無い。どんな天才でも作れるはずが無い。
あんな複雑怪奇で当の本人ですら持て余す感情の極みの一つを再現できるわけがない。
それをあいつは持って逝った。きっとバックアップなんてとらずに。
……何もかもが手遅れだ。
「……リューン。忘れないで。こいつは、マードは、どんなつもりがあったとしても多くの機生体を破壊して、リューンと一緒にいた三人にも危害を加えようとした。だから」
「ああ、分かってる。ありがとう、シャル。こいつの分を背負ってやれる余裕は俺の背には無いよ」
「………うん」
そう。シャルの言うようにこいつは後戻りのできない所まで進めてしまった。これだけの事をした時点で残されていたのは完遂するか途中で殺されるか。それだけだ。
なのにバックアップなどあろうものなら俺はもう一度こいつを殺さなければならない。
それは……嫌だ。
だからこれで終わり。あいつの物語は俺がここで終わらせたんだ。
「……悪い、シャル。もう意識が持たない」
マードとの戦いが終わった。そう感じたからだろう。
全身に蔓延する重苦しい靄が俺の身体を圧縮している事に気が付く。
けど痛みではない。痛みの鈍化も遮断ももうしていないはずだから相当にやばいんだろう。きっと血も全然足りてない。
後は、フィルオーヌ頼りか。
「じゃあ、ちょっと寝るから。フィルオーヌによろしく言っといてくれ」
「うん、後は任せてゆっくり休んで」
「ああ」
そこでぷっつりと俺の意識は途絶えた。
ーーーー ーーーー ーーーー
目が覚めると全身が包帯でぐるぐる巻きだった。しかも吊るせる部位は全部吊るされているみたいな状態だった。
何故それが客観的に理解できたかと言うと、天井に大きな姿鏡が張り付けられていたからだ。
「右手首から先の切断と胸部・肋骨の殆どが粉砕骨折、他にも主要な骨が幾つも折れていて、各臓器の破裂や各器官の破損、及び全身の筋肉の断絶などなど。締めて半年の入院ってところね。頸椎みたいな傷が付いたら一発でおしまいの部分は大きな問題が無いのは不幸中の幸いだったわ」
「…嘘だろ?」
鏡に映るのはかなりご立腹な様子のフィルオーヌ。
優し気な普段の表情は完全になりを潜め、それこそ殺されかねない勢いで睨まれている。
……怖いから[ぷんぷん状態]と表現する事にしよう。
「何を白々しい事を言っているのかしら?半年なのはあくまで入院だけで、完治には更に時間がかかるわ。それこそ退院から一年とかかかるかもしれないわよ」
超絶ぷんぷん状態のフィルオーヌは吊られている俺の右足を無慈悲にも強く叩く。
その痛みたるや余りの激痛に声も出せないほどだ。
「……けど、私達にそんな時間が無い事も事実。だから、かなりの荒療治をさせてもらったわ」
身動き取れない状態で悶絶狂う俺を一切意に返さずため息交じりに溢された言葉。
何とか聞き取れた俺は涙を浮かべたままフィルオーヌに目線をどうにか向ける。
「荒療治…って、どんな感じだ?」
「私の持つ超級魔法の一つによるまともとは言えない回復魔法としか言わないわ。次も同じ事されたら困るしね」
「……まぁ、そうだな」
殺意にも似た感情を向けられ、ついでに激しく睨まれ、そうとしか言葉が出せない。
……いや、実際彼女の言う通りだ。この回復魔法をアテに出来るのなら俺は多分、また同じ事をする。
彼女が敢えて詳細を話さなかったという事は、言う事すら気が引けるほどのリスクがあるって事だろう。……それが何かまでは分からないが、下手をすれば俺が後悔に沈む可能性があるとまで見越していると考えていいはずだ。
肉体だけでなく精神面も慮ってくれている。……フィルオーヌには足を向けて寝られないな。
「で、この魔法を使えば死以外は三日もあれば回復するわ。代わりに三日間は完全に安静にする事。出来れば寝返りも打たない方が良いくらいに完全で完璧に安静にする事。いいかしら?」
今度は明確な殺意が向けられ、吊られているもう片方の足に一撃が走る。
「は…はい……」
「よろしい」
悶絶の後の悶絶は気が狂ってもおかしくなかった。
今さっき安静と言ったばかりなのにこの仕打ちはどうなんだと叫びたくて仕方ない。けれど全ての決定権は今、間違いなくフィルオーヌにあるので口にするのはやめた。
もう叩かれるのは嫌だし。
「じゃ、そう言う事だから。私は別部屋で待ってるシャルとこの世界を探検して来るわ」
治療を施した者として一通り必要な説明を終えたのか彼女はぷんぷん状態を治めると見慣れた表情に戻る。
今の発言を聞くに、あれ以降新手は現れなかったので今回の事件は完全に終わったと判断したのだろう。
だとすれば探検に行ってもきっと危険はない。だから送り出すのは構わないんだが……。
「……なぁ」
「何かしら」
「その、ファズ……俺と一緒にいた三人組は…」
そう。俺がさっきから気になって仕方が無いのはファズ、キリィ、ソーフィアの姿が見えない事だ。
まさかとは思うが、戦いの最中に何かあったんじゃ……。
「ああ、あの子達なら今頃らいぶ?っていうのをしているはずよ。帰ってくるのは明日以降と言っていたかしら」
そんな俺の不安は杞憂だったらしい。フィルオーヌは彼女達の誰かに手渡されたのだろうソリッドヴィジョンが浮き出る細長の端末を取り出し、非常にぎこちない手つきで3Lのソリッドヴィジョンライブポスターを浮かび上がらせた。
「そうか。ならいいんだ」
「あら、もしかして置いて行かれて寂しい?」
独り言ちた俺をからかうようにフィルオーヌは小さく笑う。
彼女の問いに答えるなら答えは「はい」だ。
「まぁ…そうかもしれないな。出来れば最後まで見届けたかったから。次は……もう、無いだろ?」
たかだか一週間くらいしかプロデューサーの真似事はしてやれなかったが、それでも3Lにはとっくに愛着が湧いている。
出来れば舞台袖という最前列で全てを目に焼き付けたかったが、この状態じゃ土台無理な話だ。
「……そうね。でも悪いのはリューンよ。少しでも後悔があるのなら次はやめなさい。あんな、命を捨てるような戦い方はね」
「ああ……。肝に銘じるよ」
釘を刺すためにフィルオーヌは敢えて痛烈な物言いをしてくれた。
……有難う。俺はバカだから、そうでも言ってくれなければすぐに忘れてまた同じ事をするはずだ。
棄てられないはずの命なのに。
「じゃあそろそろ行くわね。そんなには遅くならないと思うけれど、何かあればこれを使って」
言いながらフィルオーヌはついさっき取り出した端末を俺の腹部目掛けて放り投げる。
「音声認識?っていう方法で起動するらしいから、声が出せれば手は使わなくていいらしいわ。私には何の事かさっぱりだけど」
包帯の上に落ちた端末を何とか頭を上げて確認しながらフィルオーヌに視線を戻す。
その頃にはもう部屋のドアを完全に開け、寝室から出る寸前だった。
「分かった。俺は少し心得があるから大丈夫だ。まぁシャルと楽しんできてくれ」
「ええ。それじゃあまた後で」
「ああ。また」
言葉を交わし、フィルオーヌが部屋から出ていくのを見送る。
独り、残された俺は天井の鏡で自身を改めて見て、沸き上がる悔しさを諫めながら眠る事に努めた。
ーーーー ーーーー ーーーー
リューンが横になる寝室から出たフィルオーヌ。
彼女はそのまま部屋から出ると、鍵を閉め、一つ下の階層へと足早に向かう。
彼女が今いる場所はファズ達が借りていた高層マンションだ。
リューンとマードの戦いが終わった後、瀕死の状態になっていた彼を安全に治療できる場所は何処かと一人と三機に確認した時、この高層マンションをソーフィアが提案した。
時間的・状況的にみても断る余裕など持ち合わせていなかったフィルオーヌは頷くと応急処置をその場で行ってから彼を先程の一室へと最速で運び、治療を施した。
だが、その治療というのは彼女が口にした以上に人道から離れていた。
「……シャル、大丈夫かしら」
別室に入り、鍵を閉めた後一目散に向かったのはベッドに横になるシャルがいる寝室。
彼女は今、フィルオーヌ以外との面会を拒絶していた。
「…平気?」
「うん…なんとか…」
フィルオーヌがリューンに施したのは彼女の持つもう一つの超級回復魔法ーー生魔隷属。
怪我を負った対象に別の者から魔力を任意の量だけ譲渡する事で著しく治癒力を高め、死の縁すらも容易に克服させる事が出来る回復魔法の中では頂点に位置するこの魔法は施される側に副作用はまるでないが、譲渡した側はその量に比例して命を脅かされてしまう。
これをシャルは、己の持つ魔力の九割強をーー即ち、自身が死なない限界量をリューンに渡した。
結果、彼女は点滴をしなければ栄養の接種もままならないほどに衰弱し、自分で行動するなどというのは以ての外の状態となっていた。
ある程度魔力の回復が済めば衰弱状態は解消されるものの極限状態までの譲渡を行った事が無いフィルオーヌにはどの程度でシャルが回復するか見当がつかなかった。
彼女の持つ経験で唯一比較になるのはシャルを除いて最も多く譲渡した約半分の魔力であり、その際は普通に歩けるようになるまでに丸二日掛かってる。
賭すれば、単純に考えれば三日~四日必要となるだろう。
「貴女の望み通り、リューンには貴女の魔力を、貴女が死なない限界まで注いだわ。お陰で三日……ううん、二日もあれば完治すると思う」
「そっか。良かった。あんなに頑張ったのにここで戦線離脱なんてひどいもんね」
「……ええ」
シャルの声は小さく、酷くか細い。フィルオーヌが聞き取れているのは聴覚を可能な限り強化しているからに過ぎない。
そんなシャルから感じる辛さを掻き消すためにフィルオーヌが出した話題はファズ達3Lの事だった。
「それと、ファズ達の行動も伏せておいたわ。言われた通り、らいぶって事にした」
「うん、ありがとう。らいぶがどんなものかは分からないけど、あの時あそこにいた機生体達は多分それを望んでた。だから、一番良い嘘だと思うんだけど……どうなのかな」
「……わらかないわ。けど、少なくともリューンは納得していた。行きたがるくらいには、ね」
「そっか。なら、成功かな。ごめんね、嘘つかせちゃって」
現在、あの三機はマードの遺体の弔い、及び他機生体達の遺体処理を含む現場の復興作業に奔走している。
あまりに大量の損害に昼夜問わずに活動できる機生体と言えど一日やその程度ではとても後始末を終わらせる事は出来ない。
目算で叩きだした三機の計算では寝ずに働いて約三日。何かしらのイレギュラーや見落としが発覚すれば四日は掛かるだろうという見通しだ。
「良いのよ。確かに、彼が[後始末のためにファズ達が奔走してる]なんて聞いたら無理にでも動きそうだもの。だから正しいと思う」
「……うん。有難う、フィルオーヌさん」
「気にしないで。私に出来る事なんてこのくらいだから」
「そんな風に言わないで。私がしてほしい事を全部してくれたのはフィルオーヌさんなんだから」
「…そうね」
必要以上にシャルの心労がたまらないよう細心の注意を払って会話を行うフィルオーヌ。
彼女はこれから最低二日間、重症の二人の面倒を寝ずに独りで看なければならない。
だが彼女はそんな心境を一つとして表には出さなかった。
「いずれにしろ私達のやるべき事はおしまい。後は皆でしっかり休息をとって、次の世界にいつでも旅立てるようにしましょう」
「……うん」
「だから、おやすみなさい、シャル」
「うん、おやすみ、なさい。フィルオーヌさん……」
己を保護者と定義しておきながら幾度と無くリューンにしてしまった痛烈な物言いとシャルに課してしまった極度の衰弱状態。
彼女は今、少しでもその罪滅ぼしになるのならばと静かに奮起していた。
その思考そのものを嫌悪しつつも。
to be next story.
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